2017/06/19 のログ
ご案内:「王都マグメール 平民地区/冒険者の宿『両表のパリテール金貨』」にシトリさんが現れました。
■シトリ > 「ありがとうございました~ぁ」
気の抜けた声が、昼下がりの閑散とした酒場に響く。入り口の傍で頭を軽く下げ、食事を終えた客を見送るシトリ。
その装いは普段の彼とはまるで違う。
コルセットめいて肌に密着する薄手のトップスもそうだが、腰に巻くのはひらひらで丈の短いスカート。
女物の衣装である。女装である。
「………はぁ……なんとか凌ぎきったし。この調子で何事もなく過ごせたらいいなぁ……」
皿を片付け、テーブルを綺麗に拭きながら、シトリはひとりごちる。
「………ったく、なんでオレ、こんなことしてるんだろ……」
誰にも聞こえないよう、膨らせた頬の内で小さく舌打ち。
纏った衣装こそレディースで、声色は元より性徴がまったく感じられない甲高い声。加えてお尻も大きい。
しっかりと女装を極めれば、なかなか女性らしい見た目に収まりそうな素材のシトリ。
だが、その髪は普段通りにツンツンの短髪のまま、そのナリを隠そうともしない。
そして、口調もまた普段の男の子口調のままである。違和感は否めないだろう。
■シトリ > ことの発端は、根城としている宿(今いるココとは別)の掲示板に張ってあったバイト募集。
短期間のみの雇用で、それなりに収入は多いという内容。
駆け出し冒険者のシトリとしてはもう少し危険な冒険依頼を請けるつもりだったが、ものは試し、と。
『両表のパリテール金貨』なる小さな酒場宿の募集に乗ってみたのだった。
しかし、実際に店主から話を聞いてみて、はじめて知る新事実。
募集していたのは『若い女の子』だったということ。さらに『女装した男の子でも可』という但し書きもわざわざあったこと。
……シトリは、字が読めないのだ。故郷にいた頃から、識字を学んだことはない。そういう田舎だったのだ。
ゆえに《まれびとの国》に来てからも、字が読めないままでいる(数字くらいはなんとか読めるけど)。
宿に張ってある冒険依頼の掲示は、宿の主や近くの冒険者仲間にかわりに読んでもらって理解していたのだが……。
今回、そういった但し書きがシトリに伝えられなかったのは、はたして宿の主の過失か、それとも悪ふざけか。
当然、シトリは『パリテール』の店主から話を聞いた時点でバイトを断ることだってできた。しかし、そうしなかった。
断れず、流されるままに女児向けの衣装を着せられ、今に至る。
「………………なんでオレ、こんな服着てるんだろ。なんで断らなかったんだ……」
断れなかった理由を、シトリはいまだに見いだせていない。自分自身の判断だと言うのに、理由が見つからないのだ。
着慣れないスカートの裾をぎゅっとつかみ、少しだけはためかせてみる。
ズボンで覆われていない股間が、気持ちスゥスゥとする。気持ち悪いような、気持ちいいような。
ちなみにスカートの下は普段通り、色気もへったくれもない男物のブリーフだ。
■シトリ > 女装趣味の(あるいは女装向きの)男子が来ることを見越していたのか。
店主はさまざまなサイズの女物の衣装をあらかじめ準備していた。シトリの好む白と青の衣装も揃っていたのは僥倖か。
当然、下着やウィッグまでも十分に揃えていたのだが、シトリは「服以外は勘弁してくれ」と拒否した。
店主は少しがっかりした様子だったが、『それはそれで…』と、シトリがダイニングに立つことを許してくれた。
「……カツラくらい着ければよかったかな……いや、でもな……」
昼時も過ぎて客のいない、がらんとした酒場。厨房のカウンターにもいまは人影はない。
外から聞こえ来る街の喧騒に耳を傾けながら、シトリは漆喰の壁に背を預け、しばしの休憩。
……シトリの地髪と同じレモン色の、ストレートロングヘアのウィッグも用意されていた。
着ければきっと似合っただろうし、少なくともツンツンした短髪のガサツなイメージは払拭できただろう。
しかし、シトリはそれを着けるのを拒んだ。
なぜか……なぜか、それを着けて人前に出たら、何かが大きく変わってしまうような気がして。
男として、とても大事なものを失ってしまうような気がして。
ウィッグを目にした時、言い様のない恐怖感がこみ上げ、つい強く拒んでしまったのだ。下着についても同様。
女物のスカートとトップスだけが、彼なりの、今なりの妥協点だった。
■シトリ > 厨房のほうから呼び声がかかる。皿洗いか、料理の仕込みか。何か手伝って欲しいようだ。
シトリは背で壁を蹴り、ひとつ返事をして、真向かいにある厨房へと歩み向かおうとする……が。
「……………っ!」
ふと立ちすくむように足を止め、踵を返すと、テーブルを回り込んで別のルートを経て、厨房へ向かっていった。
彼が避けたのは、ダイニングの壁に据え付けられた大きな鏡。
冒険者には鎧を着込む者が多い。命を守る鎧を素早く確実に装着するためには、こういった姿見は必需品である。
シトリはある日を境に、鏡を嫌うようになった。……アンネリーゼと名乗る女性に、常識外れの調教を施された日から。
その日以来、鏡に映る自分の姿がときおり、別の姿に見えることがあるのだ。
女性めいて髪を長く伸ばし、ひらひらの女装を纏い、薄く化粧を帯び、艶かしく腰をくねらせ、恍惚に顔を染めた己の姿――。
ショッキングな己の似姿を目にして以来、シトリは鏡そのものを無意識的に避けるようになってしまったのだ。
あんな自分の姿は嘘だ。ああなってしまっては男として失格、シトリという人格の崩壊だ、なるわけにはいかない、と。
……では、なぜシトリはいま女装をしているのか。これがわからない。
なぜ断れなかったのか。なぜ、流されるままに女物の衣装を着させられ、公の場に佇んでいるのか。
慣れない給仕の仕事に右往左往している間も、シトリの脳裏には常に疑問と混乱が渦巻いていた。