2023/04/14 のログ
影時 > 「庭と云や、こういう植木や花、苔とかではなく、砂利と岩で山水を現した……というのもあったなあ。
 この辺りだと、再現できてる例はあまり見たことないが、そのうち見せたいもんだ。
 
 ――なーに、食べ物以外は多分大丈夫だろう。多分、な」

自然の縮図の表現の仕方は色々ある。
今見ている風景のように植樹や花壇などを以て、いわば箱庭よろしく作り上げる方法。
あるいは砂利や砂を水、岩を山脈と見立て、キャンバスの如く山河を想起できる情景を落とし込む方法。
この手のものはただ言葉で説明するのではなく、実物を見る方が何よりも早い。云うまでもない程に。
実際に見た、知っているだけだけとは言え、それをうまく言葉に表すにはとても難しい。
そう、難しい。内心で吐息しつつ、呵々と笑って、うっかり落としても心配するな、と伝えてみよう。

皿も器も、極端に高値がついたものではない。
故郷に仮に持ち帰り、好事家に見せればまた評価が違うかもしれない。
価値観はいつの世も紙一重である。美観もまた然り。茶の道における道具の価値の付け方は、とても複雑だ。
一見何でもないように見えるものが、まさか武将たち垂涎の名器であると、誰が思うのだろう。
盆の上に置いた、乗っかった器を見て思う。派手なものではない。
だが、釉薬がかかり、日の加減で微かな虹色を見せる黒い茶碗は不思議と目を引いたものであった。
その茶碗に並ぶように、或いは隠れるように置いた小さな器がある。どんぐりの帽子を削り、磨いたものだ。
指先大の二つは、少女の次席、次々席に並ぶ二匹の分である。
帽子含め男がこさえたのは、顔合わせ含め、参席したいとせがむような反応に押されてのものと誰が思うか。

「勉強熱心で何より、何より。とは言え、俺も齧っただけだ。高名な誰様に師事したってもんじゃない。
 それでも最低限の準備で遣れるのが、今やっているような奴だ。

 運よく、良い米と小豆が手に入ってな。宿部屋で仕込めなくもなかったが、ここの厨房を借りて作ってみた」

学院に茶道室でもあれば入り浸っていたのかもしれないが――、そこまでは調べが及んでいない。
格式張って呑むより、客人をもてなしつつ呑む、または気楽に呑めればいい。その心づもりで今はふるまう。
作法云々ではなく、雰囲気、らしさを味わうつもりでいてくれ、と言葉を足しつつ、振る舞うものの反応を見よう。
男はこう見えて料理を遣れる。携行食である兵糧丸等は誰でもない、この男自身が調理し、仕込むものだ。
材料があり、十分な設備があれば、それなりのものに仕立てることは決して難しいことではないが……賞味の観点は、どうか。
あまり手に入らない、相応に値が張ろうものだ。供することを考えれば、開催地直ぐそばの施設を借りる方が危なげない。

「……味見はちゃんとしてた甲斐はあったか。そこがちぃと不安だったが、杞憂のようで善かった」

火の傍から離れず、練り込んだ餡、そして炊飯した米。どれも欠けてはいけない要素である。
ほっと息をしつつ、二匹の方に出す小さな皿には甘みをできる限り落とした餡団子を出し、いよいよ茶の支度にかかる。
茶入れの蓋を開けば、香り立つ芳香は甘い香りにも負けまい。
適量を茶碗に注ぎ、茶釜の蓋を取れば柄杓で湯を掬い、碗に入れる。それを茶筅で微かに泡立てる位に攪拌する。
そうして出来た茶を、牡丹餅を食べ終えたと思うタイミングを見計らってすっと差し出すのである。
 

フィリ > 【継続いたします】
ご案内:「中庭」からフィリさんが去りました。
影時 > 【次回継続】
ご案内:「中庭」から影時さんが去りました。