2017/09/27 のログ
ランドルフ > 其の美しさに嫉妬する様に薔薇の棘が令嬢のドレスの裾を切裂いた所で、其の程度は大した足止めには為るまい。
――そう、生垣の死角から不意に現れる背高の執事風貌程には、邪魔に為らぬ物だったろう。
元より駆けるには向かぬ踵が高い音を立てて折れて仕舞えば、傾いだ上体を支える様に咄嗟に支えて。
視線が克ち合えば直ぐに其の身をするりと退いて、丁寧な一礼を取ろうとする。
其れが中途で途切れるのは、令嬢が其の細い肩を揺らしたからで。
一度耳を澄ます様に視線を上げれば、風に運ばれて後方から切れ切れの声音が聞こえて来る。

“彼方に”“いやしかし、塔が”“気付かれたのかも”“確かに足音を”“何としても探さないと”

聞こえる声に矢張り楽しさを滲ませる物は無く、寧ろ焦りや苛立ちの様な物すら感じられて。
然程遠い距離では無いだろうに足音が近付いては遠ざかり、と繰り返すのは、此の入り組んだ迷路の所為だ。
其れを耳にすれば――執事風貌は、嗚呼、と二度、小さく頷く様な仕草を。
再び、緋色の視線を令嬢に戻そうとした所で、令嬢の言葉を聞く。
身の危険を感じているだろう事は其の響きから察し遣れたが――正体の分からぬ其れから逃れる様にと、
執事風貌自身の身を案じる様な言葉が出た事に、驚いた様な瞬きを、一つ。

「…御待ち下さい。――其方には、塔しか御座いません。」

僅かな逡巡を経て、発せられた制止する様な言葉は、此の事態を把握している様な落ち着いた響きを孕んでいて。
――否、大体、ゲームの参加者では無い此の男は、何故こんな場所に居るのだろうか。

「…此れは、隠れ鬼では有りません。結果の決まった、鬼ごっこで御座います。」

声達は、足音を引き連れて、近付き、離れ――また近付き。
但し、確実に此方へと向って来ている。

「本日の茶会の主人であるトマス様が、貴女様を捕まえる為に計らい、自身の使用人を放って居るのです。」

そう言って首を持ち上げた先――見詰める虚空で、響く足音。
ぱらぱらと近付いて来る其れは、そう言った事情の物らしい。
再び令嬢へと視線を落とした紅緋色は、今度は疑問符を令嬢へと投げる。

「…さて、如何為さいますか、ヘリオトロープ様。」

ヘリオトロープ > 無体を働く靴に見放された身体は大きな影に支えられ、
反射で掴まる漆黒の装束の袖口に、皺を作ると御免なさいと小さく詫びた。
手を離し、高さの違ってしまった靴を両足から脱ぐと、胸元に抱えた。
気付けば、足許の絹の長靴下も、幾つか解れの跡が見える。

無関係――恐らくは、無関係だろう人物が現れた事で優先順位が入れ替わる。
出来得る事ならば逃れ切りたかったが、他人を巻き込む事は許されないと、
諦めとは少々部類の違う、けれど翳りのある表情が顔を覆った。

「 …良いのです、今身を隠せるのであれば。 」

身動きの無い影に焦れて、視線を戻すと改めて朱紅の瞳を見上げる。
丁度瞬く仕種に克ち合ったが、其れが何故もたらされた物なのかまでは、想像が付かない。

追う人達を気にしての、潜め、震えた小声乍、
幽霊の噂のある塔でも構わないのだと、重ねて口火を切るも、
妙に落ち着き、そして矢張り動かない影の姿に困惑を浮かべた。
次第に、困惑から怪訝な面。
内情を知った様に語る姿に一歩足を背後に退いて、距離を取る。
すぐに又追う側の声も聞こえて前にも、後ろにも進めず立ち竦んだ儘。

あの朗らかで面倒見の良い。
少し調子に乗る癖も、悪い人では無いのだろうと見立てていた
貴人の名が出た事に膝が折れて仕舞いそうになった。
何故と疑問符が執事然とした黒服に向く。
実際幾つもの問いが渦巻いているだろうことは、傍目にも伝わるだろう。
物言いたげな目の色。然し一端全てを飲み込んで、耐え兼ねる様にくしゃりと顔を歪めた。

「 ……貴方、わたくしを逃すことは出来て? 」

此処から。
この状況から。
縋る様に得体の知れない人へと、頼りなく吐息を漏らす様に、手袋に包まれた手を差し伸べ。

ランドルフ > 茶会の主人は、令嬢も目にしただろう通り、人々に囲まれる気質を持ち、話術にも長ける。
育ち良く整えられた金の髪と、明るく品の良い碧の双眸を持ち、長い足を優雅に組み替える。
実際に茶会に招かれた貴婦人達の多くは、其の碧の瞳に見付けられる為に、
今頃彼を探し回っている事だろう。
――だが、彼は彼女達の熱視線には目も暮れず、
従僕達からの朗報を今か今かと待ち侘びている筈だ。
何しろ想い人である麗しの令嬢には既に婚約者が居り、
尚且つ社交界では身体が弱いと専らの噂なのだ。
正攻法であるとか、宴での一夜であるとか、色々と画策した結果が――此れだ。
結果、令嬢を走らせて仕舞った事へ繋がる浅はかさは、
恋慕が故に瞳を曇らせたのだと思えば可愛げも無くは無い物の。
…とは言え、子供の絵物語と此れは違うのだ。
こうして人手を使い、漸く掴まえた令嬢を、
願い事と称して何を為さんとするか等――想像するに易い。

まさか其処まで令嬢も、想像を及ばせているとまでは思わないが、
目的の分からぬ存在が追って来ると思うなら、尚更恐ろしさは深い様にも思われた。
其れでも尚、己が身を犠牲に執事風貌を逃がそうとする様を見遣れば――暫し、言葉を失って。
貴族と言うのは階下の者等、家具と同等程度にしか考えぬ人々ばかりだと思っていたし、
其れが強ち間違いで無いのは此の目で重々確かめて来ていたのに。

「――…幽霊は、怖くは御座いませんか?」

漸く、執事が口にしたのはそんな言葉だ。
其の響きは、こんな状況下で場違いにも――少々、揶揄う様に、楽しげに揺れて。
一歩、己と距離を取ったにも関わらず、状況を聡く察して伸べられた手指。
成程――面白い令嬢だ、と不敬にも呟いたのは心内でだけ。

「御望みと有れば――、仰せの儘に。」

手袋に大事に包まれた指先を取れば、恭しく臣下の一礼を取って。
頭を持ち上げる所作の中で素早く動いたかと思えば――足元の危うい、令嬢を抱き上げんと。

「叱責は、後程御存分に。――…御掴まり下さい。」

令嬢が応じるか、否か――何方にせよ、此処は不敬にもやや強引に男の力で抱き上げて。
奪うかの如くで疾駆する足が向うのは、幽霊が出ると先に聞いた塔。
其の足元が遂に露わになって。

ヘリオトロープ > 件の貴人は親愛を向けるに値する人だった――とは思う。
だからこそ、一足飛びに嫌悪する訳にも行かず、酷く消耗する。
まさか末席の貴族の娘一人、視界に収めているとも思われなかったというのが、
実際の感覚でもあり、本当に彼の人がこの遊戯を捉える為に画策したのであれば、
其れこそ喜劇宛らの滑稽なほどの認識違い。行き違い。

追われていると知って一番に思考を過ぎったのは、別件だったが、
其れなら確かに自分の見掛けで迷う様なあの遣り取りはなかった筈だ。
消去法を用いていくと、目の前の影の様な人物の言葉の可能性の方が
分がある様に思えてきて、風の前の木の葉の様に揺れた。
短い間に軋んだ思考に少し、疲労した目で微笑むと、

「 …寧ろ、優しいものかもしれませんわ。 」

自らの存在で他人を遠ざけてくれる幽霊は、現在の状況下
下手な人間より余程優しい気がして首を傾いだ。
揶揄を含む低い音吐に比すれば大分余裕の無い仕種にて
其の表情、声の下に潜む物も問わず、誰何すら、しない儘で差し出した手は
―― 一方で自棄と評されても可笑しくは無いもの。
相手の自信に満ちた一礼と許容に気が緩むのも一転、
礼から身体を起こす仕種を見遣る視界が揺らいだのに気付いた。

「 ――……っ 」

身体が抱き上げられたのだと理解したのは身体を支える腕を認識した後のこと。
悲鳴が咽喉に痞えて一声にはならず、後の声は飲み込む事に成功した。
掴まる箇所に悩んでいられるのは、一瞬も無い。
直ぐに流れる風を感じれば、胸元の布を両手で掴む様にして身体を支え

ランドルフ > 貴族と言う階級の人々に心優しき方が居られないとは言わない。
慈善事業を行う者も居るし、街に出れば領民に忌憚無く声を掛ける者も居る。
――唯、従僕相手と為れば話は別だ。
彼等は傅かれる存在であり、仕える階下の者達を対等な人として扱わぬ者が殆どだ。
そうで在るべきと育てられたのだろうし、其処に何の感情も持たぬ訳では無かったが、
此の男自身もそう言う物だと思って生きて来た。
駄目になれば、取り替えれば良い。
家具と同じだ。
そんな風に考えて来た物だから、令嬢の言葉に心優しさだけでない、衝撃を感じて。

「其れは心強い御言葉です。」

人を遠ざけるのであれば。
そんな風に察する令嬢は、矢張り聡明だ。

「あの塔に出るのは、意に添わぬ婚約者との結婚を厭うて自害した姫君だそうですよ。
――…そんな話をして、気を惹く御積もりだった様ですが。」

噂は本当だ。だが其れを、隠れ鬼の前に敢えてしたのは、
掴まえた令嬢をとの邂逅を塔で果たす為だったらしい。
そうしておけば、怖がって誰も近付かず、秘密の逢瀬を邪魔されずに済むだろうと。

「今更引き返せ等、御命令為さいませんね?
トマス様を今頃恋しいと申されても、御身は私が御預かり致しました。
――…御返しする積もりは御座いませんよ。」

危うく零れ落ちそうだった悲鳴が懸命に飲み込まれれば、
令嬢を抱き上げる肩口が忍び笑いに揺れる。
低音の物言いも楽しげに響くから、不敬だと令嬢を怒らせて仕舞うだろうか。
だが今は疾駆に揺れる中で、令嬢を柔らかく抱き上げる腕を成るだけ揺すらぬ様に。
塔に着いて、一息付いた頃――夕暮れが訪れるだろう。
王城に仕えると言う理由で、今日は人払いを命じられただけの男が、此処で膝を折る。

「申し遅れました御無礼を御許し下さい。
――私、ランドルフ・ランチェスターと申します、王城に仕える執事に御座います。」

そんな頃名乗った名前を、令嬢に覚え置いて貰えるか、どうか。
其ればかりを今日の小さな願いとして――後一つだけ、令嬢に問い掛けを。

「――さて、鬼への願い事は、何に為さいますか?」

ヘリオトロープ > 「 意に沿わぬ――…?そう… 」

何がしか、人物が驚いた様に見えたのは気の所為だったのだろうか。
気が付けば動転を誘われる姿勢に至っていた為に、其の合間の
彼の変化については見過しが多かった。
幽霊については平常な心持の時とでは大分感想も違っただろう。
其れだけ追い詰められた心地であった――ということ。

塔に出る幽霊の話しを抱き上げられた姿勢で聞く。
然し何処か――敬われる立場であって然るべき彼の方を
嘲る様な響きがあるのは気の所為か。
敬語が用いられているにも関わらず含まれた気配に毒を感じて、
腕の中から鋭い印象を放つ執事然とした人物の顔を見上げた。

其処で疑問が湧いて出るのは――意に添わぬ結婚を強いられた幽霊の話を、
従者の力を用いて捉えあげた己の前でする、という違和感に。
そんな他愛の無い事に疑問を感じられる程、
助けてくれる人物がいるという状況は、ゆとりを与える物だった。
実質、其の疾駆は生半な相手が追い付ける物とも思われなかった為。

「 ……はい。 」

引き返す等と毀れる口許に目を瞬く。
事情が掴めていない、無知な表情に漸く貴人を恋しがるといった
心境を付け足されて反射的に左右に首を振り。
最後のくだりに一言、端的に彼の行動を受け入れて頷いた。
不敬だとは思う頭も無い為に、ただ、何故笑っているのだろうと
少し居心地の悪い思いをしたのは確か。

傾いてゆく夕陽に照らされる塔が赤く染まり、
影を長く伸ばしてゆくのを見上げ乍腕を降り立てば、
土の上で足を汚して向き直る。

「 ランチェスター。今日は助けて下さって有難うございます。
  ご存知だった様だけれど、わたくしはヘリオトロープと申します。

  鬼への、願い事――…? 」

王城の執事。其れで彼の素性は一部明らかになったけれど、
恐らくは遊戯の助けとして集められた一人なのだろう相手が、
何故此方を知り、逃亡を助けてくれたのかは判らない。
とうに、遊戯のルールなど彼方に飛んで仕舞っていたという面。
間の抜けた顔で問いかけを受け止めれば、口許に軽く握る手を添えて思案に暮れ。

「 …貴方が叱られません様に。
  くれぐれも、わたくしの助けをした事はご内密になさって下さいな。 」

貴人の思う通りには行かず、貴族の娘が従者達の手を逃れ切ったなど、
明らかに違和感を与える情況だが、其の違和感を真実事として貫き通す心算。
人差し指を伸ばして、唇の前に立てるとそう微笑んだ。

夕暮れの下、其の願い事に王城の執事が頷いてくれるかは、塔のみぞ知る。

ご案内:「王都マグメール 王城 迷宮庭園」からヘリオトロープさんが去りました。
ご案内:「王都マグメール 王城 迷宮庭園」からランドルフさんが去りました。