2017/08/17 のログ
オズワルド > 彼女達の頼みの綱はすっかりと、此の薄情な医師風貌より、誠実な修道院長へと移った様で。
――でもうちの子が暗闇にさっと走る影を見たって言うんですよ。直ぐに振り返ったのに、其処には誰も居やしなかったって。
捲し立てる様に主婦の一人が言いながら腕を擦ると、
呼応したように周囲の数人も同じ仕草を取って、嗚呼恐ろしいと口々に。

「紳士、と呼ばれる程立派な者じゃないが。まぁ、ご近所さん、と言う奴でね。」

理知的に諭す修道院長を見眺めていた男は、尋ねられればそう答えて。
ええ、まあと周囲の主婦達も曖昧に頷くのは、此の男が真っ当な医師で無い事を知っている所為だろう。
真っ当な医者であったら、下層地区に診療所等構えまい。
濁された語尾に温情を感じれば、流石に此処で知らぬ顔も決め込めぬと。

「…嗚呼、分ぁかった、分かったよ。幾ら俺でも、シスターとあんたたちだけで路地裏に放り込む程、
信心薄くも無いつもりだ。」

流石に廃屋へ行くと聞けば、放って帰る訳にも行くまい。
吐息を一つだけ落としては黒の前髪をがしがしと掻き上げて、眉根を盛大に寄せた。

「唯、大勢で物見遊山に行ってもしょうがねぇだろう。俺と…ええと、院長様、で良いのか?
あんたさえ良ければ、さっさと見て来よう。…其れで何も無けりゃ、今度こそ解放して貰うからな。」

修道院長の心優しさに漸く安堵の色を見せていた主婦達を、葡萄の色が一度じろりと睨め付けて。
表情は不機嫌其の物だが、実際の所、子供達も母親の帰りを不安に思いながら待っているのに違いないだろうし。
仕方有るまいと額を僅かに指先で掻いて、修道院長の女性に同行の許可を伺う。

マリー・テレーズ > 見知らぬ男が諾と答えてくれたことにマリーはホッと胸を撫でおろした。

「さあ、もう大丈夫ですよ。では私とこちらの殿方で様子を見に行ってきますね…貴女方はなにも心配せず、家に戻って私たちが戻るのを待っていてください…ええ、すぐに戻ってきますからね。神の御加護がありますように」

マリーはそう女たちに優しく声をかけると、家へ戻るように促す。彼女らはそれでもなお心配そうにマリーを振り返りつつ、修道院長の言うことだからと素直に聞いてくれたようだ―彼女らの心配の原因が幽霊調査ではなく、同行するこの男にあることなど微塵も想像できずに。

「御親切な方、感謝いたします。私はマリー・テレーズと申します。マリーで結構ですわ…では、早くそこへ出向いてここの住人たちを安心させてあげましょう」

疑うことを知らないマリーはある意味愚かかもしれない。粗末な修道女服を着た自分に男が「なにか」を期待するなど想像すら出来ないのだ。普通の人間が見れば即座に胡散臭いと眉をしかめそうな人物でも、自分を助けてくれるとあらばとても疑うことなど―

「でもその場所については不案内で…案内していただけますでしょうか?」

男に無垢でまっすぐな眼差しを向け、マリーは一歩禁じられた場所へと足を踏み出すのだった―

オズワルド > 修道院長殿の大丈夫、は絶大な効果があったらしい。
口先ばかりでなく――何しろ此の様な治安の土地の暮らしだ。
肝っ玉な彼女達だとて多少なりと矢張り不安だったのだろう。
漸く其の胸を撫で下ろして、口々に有難う御座います、と女性に向かって頭を下げた。
どうやら薄情な医師風貌は数の外らしい。
そうして、最近は変な事ばかりだと不平を漏らしながら帰路に着き始める。
やれ洗ったばかりの洗濯物が消えただの、誰も食べていない筈のパンが無くなっただの、
そう言えばこんな時にうちの宿六は酒ばかり飲んで何の役にも立ちゃしない、と旦那への愚痴が零れ始めればもう大丈夫だろう。
母は強いと其の道行きを僅かばかり視線で見送っては、さて、と改めて修道院長殿へと向き直る。

「其れじゃ、悪いが少しばかり付き合って貰うぜ。…嗚呼、俺はオズ。…あんた、変な奴だな。礼を言うのは普通こっちだろ。」

女性に対して変だ、とは大概失礼だろうが、仏頂面が僅かばかり相好を崩した辺り、どうやら悪く言っているのでは無いらしい。

「嗚呼、直ぐ其処だ。…しかし、シスターって言うのは幽霊を信じないもんなのか?」

信心は薄くない、と言いながらも、此の物言いだ。
信ずる者は、何て言葉通りにしか知らない男は、
霊魂だ幽霊だと言ったものを、聖職者は信じている物かと先入観があったらしい。
本当に眼と鼻の先にある小さな廃屋の戸へと導けば、雨風に随分と痛んだ其れを押し開けて。
悲鳴の様に蝶番が耳障りな音を立てて、何の抵抗も無く開く。

マリー・テレーズ > マリーは女たちが家に帰ってゆくのを安堵して見送っていた。聖職者である自分が恐れていては彼女らも安心して暮らすことは出来まい。ここはただでさえ危険な場所なのだから。
ふうっ、と一つ気分を落ち着けるように深い息を吐き、マリーは「オズ」と名乗った男にも柔らかな笑顔を向ける。

「そんなことありません、あなたのような勇気ある殿方がいて心強いです…これも神のお導きですわ」

わずかに男の表情が緩んだのを見て取り、マリーは嬉しさで頬を紅潮させる…それがどういう類の「嬉しさ」なのかまで理解が及ばなかったが。

「幽霊の存在はさしたる問題ではありませんよ、オズ様。大切なのはここの住民たちが心穏やかに暮らしていくことです…たとえ、幽霊がいたとしても神が守ってくださいますから私には恐れるものはありません…ただ場所が場所ですから、暴漢がいたらとても女の私では―というわけです。さ、あなたも安心なさいましでしょう? ああ、ここですのね…確かに気味の悪い場所ですが…」

不思議だ。普段は初めて会う素性の知れない男とこんなに話すことはないのだが―奇妙な戸惑いを覚えたマリーは扉を開けるオズの後ろから、廃屋の中を伺おうと背伸びして…バランスを崩しそのまま屋内に倒れ込んでしまった。

「きゃっ!」

思わず悲鳴を上げ立ち上がろうとするも、埃やゴミだらけで足を取られて動けずにもがく。

「ご、ごめんなさい! 助けてくださいませんこと?」

恥かしさのあまり顔を伏せながらオズの方へ片手を差し伸べる―男に自分を触れさせるなど、たとえ相手が医者であろうとも許さないと常々思っているにも関わらず…

オズワルド > 「勇気――…、ねぇ。なに、此方を選ぶ方が、あのご婦人方に逆らって帰るより、余程勇気が要らない。」

疑う事自体が其の身体の中に存在しない様子で真っ直ぐと視線を向けられれば、
細い銀の縁を指で押し上げる仕草ではぐらかす様にするりと視線を流した。
信じる事よりも、余程疑っている気が多い己にとって、其の視線を真っ向から受け取るのはやや難しい。
硝子越しで流した視線、見遣るのは廃屋の暗がりだ。
幽霊が出るかも等と言う不確かな不安より、不審者が潜んでいるやも知れぬと言う現実の方がよっぽど恐ろしく男には思える物で。

「成程、幽霊より、民草の心憂いのが余程恐ろしいって事か。…俺には、あんたの方がよっぽど勇敢に思えるがね。」

そんな事を言った矢先だ。先立って歩こうとするより早く、身を乗り出した修道院長殿。
ぐらりと視線の端で其の肢体がよろめいたと思えば、受け止める間も無く埃化粧された床へと転倒した様子。

「…ッと!おいおい、大丈夫か…勇敢なのは賞賛に値するが、あんたが怪我をしたら悲しむ奴等が居るんじゃないのか、シスター・マリー。」

少なくとも、心優しい彼女を此処に追い遣る原因となったスラムの主婦達は大いに心を痛めるだろう。
修道女故か、恥ずかしげに差し出された手を、対照的に躊躇い無く取るのは、此方も常日頃人に触れる医師故だろうか。
取った手にぐいと力を篭めれば立ち上がる手伝いをせんとして。
空いている指先で、其の裾の埃等を払って遣らんと。

マリー・テレーズ > マリーはオズに対して今までにない慄きを感じていた。いや、廃屋で転ぶという失態を見せてしまったことに、ではない。先ほどから不愛想な口調ながらも自分のことを勇敢だと褒めたり、妙にくずぐったいような心持になり―いえ、そんな場合ではなかったわとマリーは恐る恐る出した手をぐいと力強く掴まれ、初めてそこで「男」というものを意識した。

「申し訳ありません、オズ様」

蚊の鳴くような声で詫びると男の手が彼女の修道服の裾へと伸び、丁寧に埃を払ってくれる―またしてもそこで顔が赤くなるのを感じた。このように優しく接してくれる男性など初めてだ…この貧民街には毎日足を運んでいるが、物乞いの男たちの粗暴な態度に慣れ切った彼女としては、まるで新しく目が開けたような―大袈裟ではなくそんな気持ちになったのだ。一見、身ぎれいでもなく言葉遣いも素っ気ないこの男が―

「あ、ありがとうございますオズ様。いけません、手が汚れてしまっていますわ」

慌てて懐から手巾を取り出すと、オズの手を取って丁寧に汚れをぬぐう。その間、何故か心臓が早鐘を打つのを感じながらも。

「でも、やはりここには何もいないようですね。早く戻って住人たちに報告しましょう」

廃屋にはネズミ一匹どころかもちろん『幽霊』らしきものも見当たらない。良かったわ、早く戻りたいと思いながらもこの男に対する自分の心の変化の正体を知りたいと感じたことも確かで。

「オズ様、お付き合いいただいて感謝いたしますわ。では、帰ることにいたしましょうか」

―引き留めて欲しい。だがそんな邪な思いを悟らせまいとマリーは男に背を向けて廃屋から出ようとする…

オズワルド > ちらと廃屋の中を今一度見遣る。一度黙して耳を欹てたが、生き物らしき気配はかそけとも感じられなかった。

「…特に、何も居なさそうだな。」

ともあれ、此れで義務は果たしたと言えるだろう。何も無かったと報告しても良さそうだ。何しろ奥方達の男の嘘を見抜く勘と言うのは凄いのだ。
其れこそ目に見えぬ何かの力が働いているのではと思わざるを得ない。

「嗚呼、俺は構わねぇよ。ほら、俺じゃなくて自分を先にしろって。」

己よりも先に此方を気に掛ける様子に、呼気を落とす様に語調を揺らしたのは、僅かに笑ったのかも知れない。
さっと細い肩を修道院長殿が翻せば、其の背に立つ男が淡い思いを感じ取ったか否か、表情から窺い知る事は出来ないだろう。

「――ああ。余り遅くなって、ご婦人方の怒りを買うのは御免だな。」

此の男が淡やかな思いを汲めぬ程に鈍いのか、其れとも初見の清廉な女性の身を思い遣ったのかは、其の語調には滲まない。
向けられた小さな肩を屋外へ誘う様に、軽くとん、と掌が叩いて。

「送る。」

短く其れだけ言えば、するりと長躯は女性の影を追い抜いて、先に立って歩き出すだろう。
僅かに葡萄色の双眸が肩越しに振り返るのは、行き先を訪ねる為か。
方角が定まれば確りと舗装されぬスラムの路地を、長い影法師がゆっくりと歩き出す。

「…一つ。信じるのは幽霊までにしておきな、シスター・マリー。余り暗闇で、男を真っ直ぐ見詰めるのは、次から止した方が良い。」

何しろ幽霊より、男はずっと信じられない物だと。
懐から煙草を取り出せば、火を点けぬ儘に一本咥えて。
道行き、何時もより歩調は緩やかに。きちんと修道院までお連れしよう。
――何しろ、女性に嘘は禁物なのだから。

マリー・テレーズ > 「あっ…」

あっさりと帰ることに同意した男に対して、思わず漏れる落胆の声。だがその声はあまりにも小さくそれが男に聞こえるはずもなかった。そして当然、彼女に男の気を惹くような芸当など出来るはずもなく…

「ええ、そうですわね。きっと皆さん、心配してお待ちですから」

自らの想いを無理やり遠くに押しやり、マリーは言われた通り先に廃屋を出る。一陣の冷たい風がさあーっと通り過ぎああなんてうまく出来ているのかしら、とひとり芝居がおかしくて仕方がない。馬鹿な私。私は聖職者よ、男性に特別な想いを抱くなんて許されることではないのだわ。

鈍感な彼女はやはり男の言葉を額面通りにしか受け取ることが出来ない。改めて気を取り直し「ほんとうに…御親切な殿方にお会い出来て嬉しかったですわ」と先を歩くオズの背中に声を掛け、後をついてゆく。

「オズ様、私はあなたが信用できない人にはとても見えませんよ。私はいつもここで炊き出しを行っておりますから、困ったことがあればいつでもいらしてくださいね」

それは修道女としての言葉だったのか、それとも彼女の中に芽生えはじめた「女」としての言葉だったのか…自分でも判断はつかなかった。

けれど、またこの人に会いたい。いいえ、また会えるような気がする―

マリーは不可解な感情の揺れに身を任せながら、オズに送られて無事修道院まで帰ってきた―「ありがとうございます。ではまた」と深く頭を下げるとオズの姿が見えなくなるまでその場に立ち尽くすのだった。

大丈夫、きっとまた会えるわ…

その夜、まるで酒に酔ったような厳格で知られる修道院長の様子は修道女たちの詮索を呼び―だがそんなことはマリーにとってどうでもいいことだった。

「もちろん、貧民街の人たちを笑顔にするのが私の使命ですから」

マリーはそう言って修道女たちを煙に巻き、今日も貧民街へと出かけるのだった―その足取りはあくまでも軽やかに、ダンスのステップでも踏むように

ご案内:「王都マグメール 貧民地区2」からオズワルドさんが去りました。
ご案内:「王都マグメール 貧民地区2」からマリー・テレーズさんが去りました。