2016/11/01 のログ
■ヴァイル > 魔法使いが少年のかたちに変わり、近づく。
彼の語る口に、狼が言葉を挟むことはない。
やがて相手が足を止めれば――狼のかたちをした暗闇から、人の脚が伸びる。
ついで腕、上半身が、影の門より現れ立ち上がる。
褪せた茶の三つ編み、紅い眼。石膏の白い肌。
彼――ヴァイルの普段取る姿よりも、年嵩の男。薄らとした、整えた風の髭。
暗色のチュニックに包まれたすらりとした体躯が、相手を見下ろし返す。
「成る程、わからないな。だがわかる。
きさまはこの世そのものになることを望むというのだな」
気だるそうに、自らの掌の底で前髪を撫でる。
表情には何もない。かすかな笑みは灰の色を持っている。
「きさまが世界を望むとき、そこに花を持参することはできない。
すべてを欲するものは、すべてを捨てねばならぬ。
それがきさまにかなうのか? コネコ」
瞳孔が狭まる。
浮世の風貌だが――その紅い眼差しに温もりを感じ取ることはできない。
■ファルケ > 相対する二人の画は、平素のヴァイル・グロットとチェシャ=ベルベットの邂逅に似て非なる。
泰然とした佇まいの少年が、男の言葉に頷きもせず答えた。
「そうだ。わたしはわたしの想像しうる、およそすべてのものになりたい。
ただひとつの何ものかでなく、そのときこの世界にある何もかもに。
ひとりの人間という枠組みを脱した、その先へ」
続く問いには、冷たい顔をしていた少年がはじめて笑った。
「――なぜ?」
すべてを欲するものは、すべてを捨てねばならぬと言う。
何故?
まるで幼い子どもが、どうしてお空が青いの、と尋ねるみたいに。
「わたしはわたしの望むもの、すべてを手に入れ連れてゆく。
それがかなうかどうか、などとはまったくの愚問だ。
わたしは、そうする」
猫の歯並びを垣間見せ、嫣然と微笑む。
「それとも、それは――」
さらに一歩、距離を詰める。
流れるように首を伸ばし、背伸びをして、男の唇を柔らかく奪う。
「かつて“かなわなかったもの”からの忠告か?」
■ヴァイル > 「なぜ、と来たか」
嬉しそうに口元を歪め、目を細める。
視線を合わせたままに、月明かりの下、二人の唇が合わさり――
まるで絵画のように、その一瞬が切り取られたのちに……
互いの口端が別れる。
その流れを引き受けて、少年の手を取り――軽くステップを踏む。
眉一つ動かさない。
「おれは忠告などしてやらない。
おれが口にするのは真実だ。
きさまは捨てずとも必ず取りこぼす。あの愚かな子を。
世界ごと手に入れようって? それは無理な話さ――」
優美な立ち居振る舞いから一転して、手を取ったまま
覆いかぶさるように身を乗り出して、露悪的に歯を剥く。
「きさまの掌中に世の理収まれど、花はそこでは生きられん。
なぜならファルケ、きさまという土は潤いなく枯れている」
■ファルケ > 相手の足取りに応えた靴底が、軽やかに歌う。
靴が意志を持ち、自ずから踊るように。
伸びやかな若木のような腕が、男の背を這い登る。
身を乗り出す男へと、自ら身を差し出すように。
笑う顔は、尚のこと整っていた。
借り物のチェシャ=ベルベットの体温が、頬の上にばら色の熱を表してみせる。
「あの子はわたしのアマラントスだ。
花は枯れるからこそ美しいなどと、殊勝な台詞は言わせんよ。
砂漠の硬く乾いた土の底にこそ、幾億もの種が眠っているものだ。
わたしは、わたしを芽吹かせるための雨を探しにゆく。
それがどれほど苛烈な毒の水であろうとも、枯れることのない花とともに」
そうでなくては、と人形めいて微笑む顔が言葉を続ける。
「どうせわたしひとりでは、自ずと辿り着く道行きだ。
苦難のひとつでもなければ、あまりに甲斐がないではないか?」
■ヴァイル > 互いの身体が沿い、つま先で立ち、くるりと円を描いて舞う。
魔法使いの言葉に――足取りが微かに淀む。
「“探しに行く”。探しに行く――か。いったいどこに?
それは誰にも見つけることはできない。
ありはするが――“ない”のだ」
奇妙な言葉を口にすると、憂えるように、目が伏せられた。
その憂いは、眼前の少年の姿をしたものに向けられたものではない。
「チェシャは愚かな子だ。
だが、きさまよりは――人を愛することを知っている」
足が瓦の上で止まる。彫像のように固く。
一陣の冷たい風が通り過ぎて、髪を揺らす。
再び真正面に視線が合わされる。
「だから忠告するとなればこうだ。
ゆえに、きさまを滅ぼすうるものがあるとすれば、それはおそらく
――チェシャをおいて、他にあるまい」
■ファルケ > 「わたしの目は道を求めるがために広がり、あるいは狭まるだろう。
行き先など、決めはするものか。
道の上を歩み、道なき道を切り開き、天も地もなく。
その場に留まり凝ることの他ならば、何処なりとも。
すべてはここにある。どこにでも。
ありはするが見えはしない。
それは未だわたしの手中にはない。
人の言葉でものを語るうちは、手に入ろうはずもない」
目を細める。
三日月の形に弧を描く瞼と唇の形は、魔法使いファルケのものだ。
「まったく甘美な話じゃあないか、ヴァイル・グロット。
わたしには才があり、大望があり、愛すべき子があり、愛すべき子によって約された滅びがある。
これ以上恵まれた境遇の男が、他にあると思うかね?
不滅が愛によって滅ぼされるものならば、愛は不滅によって永劫のものとなろう。
永劫の愛など、無感情と同じだ。
そうしてわたしたちは無へ至り、“ない”ものへと辿り着く」
■ヴァイル > 「――――……」
疲弊したように、がくりとうなだれる。
石のように固まったまま、長い沈黙を患った。
「それが……」
やがて上げられた、男の顔に灯っていたのは――血の赤ならぬ焔の赤。
それは紛れもない怒りの色であった。
「そんなものが。きさまの望みか――ファルケェッ!!」
秀美だった男のかんばせがたちまちのうちに悪鬼のそれとなり――
全身より噴き出す焔の勢いに、瓦が揺れて打ち鳴らされ――融け始める。
憤怒の発現たる恐るべきその地獄の業火は、しかし、眼前のファルケには決して害を為そうとしない。
「ああそうさ。おれはきさまをやっかむ、すべてを失った、ただの敗北者だ。
きさまは知っているか。
初めてあの子と相まみえた時、やつは――
命を投げ打って討たんとしたのだ! おれのごとき者を!
これがどういう意味か――きさまにわかるか!」
両肩から先が怪物の巨腕へと変じる。
脆弱な人の肉体を、たやすく拉げさせてしまうような質量。
覆い隠されていた激情のかたち。
「どうやら勘違いしているようだな。
教えてやろう、蝋の翼にて空を駆ける鷹よ!
人は愛によって滅びなどしない!
滅びる時、すなわちそれは――愛を失った時だ!」
両目を白熱させ、大きく開かれたあぎとから煙を吐き出して吠える。
振りかざされた腕は今にも掴みかかりそうに見えて――振り下ろされることはない。
■ファルケ > ヴァイルの咆哮を真正面から受け止めて、唇を真一文字に引き結ぶ。
葉が怒声の息遣いにさえ吹き飛ばされるかのような軽さで、ふわりと距離を置いた。
「そうさ」
チェシャの姿かたちが、無数の羽毛となってその場に崩れ落ちる。
風に舞い飛ぶ羽根の中から、黒くしっとりとした光沢の布地が現れる――
黒檀のステッキの銀の石突きが、かつん、と瓦を叩く。
深紅の羽根飾りが揺れる三角帽子を目深に被った、壮年の男。
次に口を開いたときに発されるのは、正真正銘のファルケの声音だ。
広い鍔の陰から、おっとりとした目がにやりと笑う。
「わたしは『すべてを知りたい』と言ったよ。
無謀のままに果てを目指すのも、愚かに甘んじるのも、みな人間だからこそ出来ることだ。
わたしは人の狭量も、人でないものの茫漠も、そのすべてを味わいたい」
振り翳された腕を余所に、ヴァイルの顔を見上げる。
「……ものの試しに、わたしから愛を奪ってみせるかね、ヴァイルよ。
君にそれだけの腕があるなら、の話だが。
そうでもなくば、そうして激情に打ち震えながら我々を羨んでいるがいい」
大らかだった眼差しが、すいと冷えて笑う。
「君はうちのチェシャを、随分と気に入ってくれたらしいな。
あの子に対するわたしの信頼と、わたしへの忠義は――
ひとえに我々の間においてのみ芽生え、完結しているものだ。
その牙が君を穿ったのだから、よほど痛かったろう?
癒えぬ傷を負わされたと見える」
■ヴァイル > 獣さながらに雄叫びを上げる。
腕はでたらめな方向に振り下ろされ、灼熱の拳が屋根を砕く。
その全身はすべて炎に包まれ、溶鉄の巨人のようであった。
「馬鹿め。馬鹿め、馬鹿め!
なぜおまえは――」
(ああ。なぜおまえはこんなに怒っているんだ?)
「なぜおまえはあの子に寄り添わない――ッ!
あの子はただ、おまえを崇めることしかできないから――
軽々に命を捨てられるんだッ!」
誰かが手拍子を打ったような軽く弾けるような音。
一瞬にしてあたりの熱気ごと、焔は消えた。
瓦は鳴り止むのをやめ、元へと戻る。
何の燃え殻も残らない。
そうして焔の怪物の立っていた場所には――常のときに見せるような
不敵な少年が、涼しげに佇んでいた。
怒りも、業火も、全ては嘘で幻であったと言わんばかりに。
「……愛を?」
ぽん、と手を叩く。さも名案であるという具合に。
「奪ってしまえばいいのか。
奪ってしまっていいんだな、ものの試しに」
ひとり、屋根の上を踊るように歩む。胸に手を当てて。
気まぐれにかじった知らない果実が、思いの外に甘やかだったかのような、戸惑いの混じる表情。
「…………なあおまえ。おれは奪ってしまっていいのか? チェシャを」
ふいにファルケのほうを向いて、陶然とした笑みでそう告げる。
■ファルケ > 屋根が砕け飛び、爆炎が荒れ狂う。
目の前の嵐を映し出された幻灯のように眺めていた。
「寄り添う?」
知らぬ国の言葉を聞いた顔で首を傾げる。
「高みに在り、愛を降り注がせるものが、同じ地の上に立つべきと?
にこやかに手を繋ぎ、涙を拭いてやり、手ずから愛を渡し合うべきだと?
わたしはあの子の義に応えるだけのことをする。
あの子を信じ、永遠に咲き誇る術をくれてやる、ただそれだけのこと。
……わたしはどうやら、『潤いなく枯れている』そうだからな。
明け渡してやれる心など、それこそ存在せぬものだ」
周囲に、しんとした静寂が戻る。
少年の姿をしたヴァイルの問いに、見下ろす目を細める。
「腹心の従者を奪ってよいかと問われて、首を縦に振る主人がどこに居る?
そういうときは、黙って試みるんだ。
君が手を伸べる前に、あの子を『押し花』にしてしまうのも悪くはない。
それとも紅茶に浮かべて、ぺろりと私の腹へ収めてしまおうか」
楽しげに鼻で笑う。
「悪役を装ったあとには、囚われの姫を救う騎士気取りか?
とんだ三文芝居だな」
■ヴァイル > ちろり、と自らの指の節を舐めて。
「おやおや。世のすべてを知るのだと豪語した恐れ知らずが――
おれの愚かさを笑うとはとんだ道化だ。
所詮おれもきさまも、魔も人も姫も王も騎士も、
すべてくだらん芝居を演じる影法師。
等しく戯けているとは思わんか! なあ!」
あっはっはと腹を抱えて笑い、くるりくるり、愉快げに身を翻らせる。
その度ヴァイルの姿は変わる。
少年、少女、狼、騎士、神父――そして最後にまた少年。
すべてが偽の姿であった。
いずれかを真の姿と定義できるものは、すでにこの世界を去っていたために。
「は。黙って奪うなら――きさまに勝ち目はないだろうしな。
きさまは欲することを為すと宣言した。
おれは欲することを為すと宣言した。
ただそれだけのこと。
おれに振られた配役は――悪を統べたる者グリムの子、ヴァイル・グロット。
そして人の悪を赦さぬ魔王グリムの子――ヴァイル・グロット!
それを思い出したからには――演じきってみせるさ」
踵を返し背を向ける。
「だからせいぜい付き合ってくれよ。三文役者同士、な」
そう、挑戦の言葉を残すと――屋根からおもむろに飛び降り、そのまま姿を消してしまった。
ご案内:「貧民地区 裏路地」からヴァイルさんが去りました。
■ファルケ > 「おお怖い。年寄りには……いいや、君から見れば若輩者か。
寛大な心で、優しくしてもらわなくちゃならないというのに」
見世物小屋の軽業師を眺めるように、ぱちぱちと手を叩く。
「わたしに対するからには、そう強く在ってくれねば困る。
腑抜けた魔物の相手をするくらいなら、庭の草刈りでもしていた方がましだ」
ヴァイルの宣戦布告へ、その場に佇んだまま口元で笑む。
「なあに。わたしは根っからの捻くれ者でね。
求められたら、否と言いたくなってしまうのさ。
さりとて君の熱意ばかりは、認めてやろうじゃあないか」
屋根の向こうへ消えるヴァイルを、ひとり見送る。
目深に被った帽子の下で、緩い唇が微笑んだ。
「……才に大志に、愛に児戯。
まったく落ち着きのないことだ」
そうして、沈黙。
「…………………………、」
足元に転がっていた瓦の破片に、触れてもいないのにぴしりと罅が入った。
ご案内:「貧民地区 裏路地」からファルケさんが去りました。