2018/06/15 のログ
オフェリア >  「琵琶。 ……、…フフ 、名前も綺麗」

 雫型の表版にすらりと伸びた撥。弦が張られた風貌はリュートに似ていたが、所々に連想した其れとは異なった部品が宛がわれている。
 告げられる地名から東方の文化を想像に描き、淡い色に彩った口唇へ浅く弧を描かせた。

 男の解説は其れきり続かず、けれど投げた問いには充分な回答だった。材質や来歴を聞いた所で、恐らくは然程好奇心を抱けない。
 誘われたのは、異国的な雰囲気を孕んだ優雅な音色。男が弾いていた、価値が無いと云う儚げな調べだったから。

 「……ええ、是非。 …リュートと、同じ? 」

 緩慢に瞬く眸で見詰めていた琵琶から、次ぐ問いかけに視線を男の顔へと向けた。勧める言葉と理解して数拍の間を挟み、薄く笑んでいた女の表情が僅かに明るく色を変える。
 ドレスの裾を押さえ、男の隣へ両膝を着いた。

フェイレン > 苦し紛れの提案に女の形の良い唇が持ち上がった。
男の目には貴族か、或いは王族の令嬢のように映る。
そう思わせるくらいに気品に溢れているが、同等に好奇心も強いらしかった。

「リュートは弾いたことがないが…
 琵琶は複数の弦を指で薙ぐと言うより、基本一弦ずつを爪で弾く感覚だと思う」

そう言い、隣に座る女に楽器を差し出す。
縦に持ち、右手は琵琶の下方へ、左手は上方へ。
その手に触れることは躊躇われたので、ひとまず口頭で指示した。

「撥を使う場合もあるらしいが、俺は爪で弾く方法しか知らん。
 …素手では爪が割れる。これを、親指と人差し指に」

自分の右手に嵌めていた爪を抜き取ったが、女の細い指にはとても合いそうになかった。
仕方なく中指と薬指から抜いたものを手渡す。

「左手は難しい…今は楽器を支えているだけでいい。
 右手は一番手前、上の弦へ。親指で弦を内側へ弾く」

オフェリア >  先ずは男が差し出す形の侭、琵琶を両手に受取った。一弦ずつ、淡々とそう綴られる説明に、唯一聞いた手本の音色を思い出し、心中で納得を示す。
 一音ずつ、丁寧に連ねて曲を成す。奏法は繊細で、矢張り優雅だ。
 扱える自信等は一握りと無いが、手許を見詰めて手にした琵琶を眺める女の表情は何処か楽しげだった。

 「…左手は 、支え。右は 、上の ―――…、… 」

 差し出された爪を云われた通り其々の指先へ嵌め、二箇所に色の違う爪が伸びた己の手にすら不思議そうに視線を注ぐ。
 準備にそうして気を取られて居る間にも続く男の声に習って、ゆっくりと両の手を指示に従い位置へ着けた。
 小さく紡ぐ声に、男の言葉をなぞる。装着した親指の爪先を、示された手前の弦の近くまで伸ばし、一度短く宙を掻いた。
 覚束ない躊躇いか、演習か。独り唱えていた反芻を噤むと、漸くそっと一本の弦を弾き、音を鳴らす。
 弱く頼りない一音が、余韻を曳いて手許から立ち上がった。

フェイレン > たどたどしくはあったが、琵琶を構える女の姿は自分よりよほど様になっているように見えた。
だからこそ、発した音色があたりの空気をたわませるような気の抜ける音なのが意外だった。
こういう時、普通の男なら笑いかけてやるのかもしれないが、表情の乏しい男は眉一つ動かさない。

「…初めは皆そんなものだ。
 俺もよく、中途半端な弾き方では中途半端な音しか返らないと母に言われた」

励ましのつもりで言ったのか、自分でも判然としない。

「…次は人差し指で二弦目を、今度は外に弾く。それが出来たら、今の二弦を繰り返す。
 それを四弦分、すべての指を使い、左手で音階を変えながら演奏する。
 …琵琶はだいたいそのような感じだ」

まずは二本の指だけで、慣れるまで徹底的に弾いてみる。
それも亡き母が教えてくれた練習法だった。
母自身もそう覚えたと言っていたから、一般的な学習法なのかもしれない。
目の前の女に幼少の自身を重ねそうになり、男は小さくかぶりを振った。

オフェリア >  「―――…、 …」

 力が抜ける様な音だった。音に力が無く、廊下で聞いていたあの音色とは、まるで違う。
 自ら生成した音色にも関わらず、女の貌は不思議そうに、手許へ伏せられていた。浅く首を傾けて、震えもしない弦を覗き込む。
 男の声に、其の貌を持ち上げて視線を向けた。相変わらず淡々と、表情に変化は無い。眉を顰められて居るかとも思ったが、何処までも涼しげに、伺う先には感情の一端も拾えなかった。
 けれど、掛けられる言葉は、違う。励ましにも聞こえる台詞が薄い表情から告げられるのを、じっと見据えて、今一度。
 改めて手許へ顔を伏せ、右手を緩く、数度指先を丸めて握る。柔く開閉を繰り返し、親指の爪先を立てた。

 先程より幾らかましになった音が響く。音色に厚みが着いて、余韻も先程より長く、強く続くようになった。―――澄んだ音、とは、未だ云い難い。
 続けて、人差し指で、隣の弦を。教え通り外側へ指先を弾いてみるが、今度は最初と同じ様な頼りない音色が立った。

 「………、 …フフ…、 難しい。
 ……貴方の先生は 、御母様?」

 肩が振れる。自らの侭ならなさに、可笑しそうに控えめな声が弾んだ。
 一弦ずつ繰り返して不恰好な音を鳴らす最中、視線は手許へ向けた侭、男へ問い掛ける。

フェイレン > 女の表情が楽しげなものから不思議そうに指先を見つめるものに移ろっていく。
いつの間にか相手に対して最初に覚えた空恐ろしい印象は幾分か薄れていた。
生真面目に指先の動きを調整し、先ほどよりも質の良い音が部屋に響き渡る。
内へ弾くより外へ弾く二弦目の方が難しいかもしれない。その予想は的中し、女は少し困ったように笑った。
笑みを作ったままその唇が紡いだ問いかけに、男は静かに息を呑む。

――母、と。口にしたのか。俺が、先ほど、自分で。

無意識だった。
立場上、自らのことを人に話すのは得策ではないし、得意でもなかったはずだ。
冷静になると今夜の自分は口数が多すぎる気がする。懐かしい音色に気が緩んだろうか。

「……。…ああ。だが、子どもの頃教わったきりだ」

失態を犯したようで、少し口惜しくなっていた。
小指に残ったままの爪を外し、立ち上がる。座る女を振り返り、やはり光の無い瞳を向けた。

「……そろそろ行く。城を出るつもりなら、出口まで送ろう」

オフェリア >  親指と人差し指の爪先を摘む様に往復させる内、手前の弦は其れなりに震える様になってきた。
 左手は棹に添えた侭、未だ音階も作れて居ない上、人差し指で外へ弾く二弦目は変わらず頼りない。力めば隣の弦に触れて妙な音色が重なってしまい、弱過ぎては響きもしない。笑いながら口にした通り、難しかった。きっと未だ基本にすら、立てて居ないのだろう。
 懲りずに異なる二つの音色を交互に鳴らし、男が作る沈黙の間を埋めていく。女に自覚は無く、気付いても居なかった。一瞬、男が己の問い掛けに言葉を詰まらせていた、とは。

 「―――…、そう 。
 御免なさい、 そうして頂けると、嬉しいわ 」

 返された返答を聞き、其処で其れ迄に空白の間が介在していたと、気が付いた。
 男へ貌を振り向かせ瞬きを幾つか挟んだ後、琵琶を手にした侭立ち上がる。
 辺りを軽く見回して元々琵琶が置かれていたと思しきスペースを見付けると、指先から嵌めていた爪を抜き、一緒に其処へ置き戻して。

 「…ねえ 、御手本があったら、もう少し 上手く出来ると思うの。
 次は、目の前で聴きたいわ」

 案内を任せた男の傍へ歩む途中、告げる声音は軽やかに弾む響きを含んでいた。了承は恐らく得られないだろう。そう予想しながらも、細めた眸で微笑い掛ける。

フェイレン > 女の指先が、覚えたての子供のように二つの弦を弾くのを繰り返す。
何がそこまで彼女に興味を抱かせるのだろう。
よもや自分の拙い演奏がその理由のひとつになっているとは思わなかった。

突然の申し出を厭うことなく、女は琵琶を大切そうに元の場所へと返した。
見慣れぬ顔だったため、恐らく城外の者だろうと踏んで案内を買って出たが正しかったらしい。
歩み寄るついでに掛けられた御手本という言葉に思わず立ち止まる。

――危機感が足りないんじゃないか。
この城で男と女が二人きりで会うことの恐ろしさを知らないのか。

そう言い掛けたが、自身のあまりの無愛想さに、ともすれば女に興味が無いと思われているのかもしれない。
楽器を習いたいのなら、上手い楽師は他に居るはずだ。
今日ここへ来たのも、楽器を手にしたのも何もかも気紛れだった。自分には相応しくない。
結論は出ていたが、自分の口から発せられた言葉はまるで違うものだった。

「もしこの城で俺を見かけたとき、俺が一人で無かったら……
 声も掛けずに逃げると約束出来るか」

きっと奇妙な要望に聞こえるだろうが、好色な主人がこれほどの女を見つければ、
汚れ役である自分にどんな命令を下すか、辟易するほど想像は容易い。
自分と面識があるとわかれば尚の事だ。
卑怯にも質問に質問で返事をし、女の反応を待った。

オフェリア >  男の後に続き、―楽師が使う楽器の保管室か、或いは控え室。防音設備を備えて、彼らの練習用にも使われて居るかもしれない。
 城内のどの辺りにあるかも曖昧な認識でいる、其の部屋を出て――行く、出入口の手前。不意に足を止めた男に合わせ、自然と此方も其の場へと歩みを留めた。
 間合いが、読み難い。所作と表情、放つ言葉の節々に落ちる空白を、上手く計れない人物だ。不可思議そうに様子を伺う視線を投げながら、其の赤い眸の奥で思惟が働いた。

 「―…そう 、ね。 ……私も、御城の中で目立ちたい訳では無いの。
 貴方が誰かと一緒なら、 …逃げるか如何かは、御連れの方次第、だけれど 」

 読めないと内心で浮かばせた直後、掛けられた声を聞いても尚、其の印象は変わらなかった。
 何故か。問いには其の理由が含まれて居ない。奏法の指示を受けていた時程の簡潔な説明も、今は無く。
 表情薄く、首を僅かに傾けて。考える様な沈黙を幾許か挟んだ後。
 そっと笑みを口唇へ戻すと、訳は聞かずに同意を示した。言葉通り、本心を告げて。

フェイレン > 妙な質問に易々と返事が得られるわけがないとわかっていたが、
女はしばらく逡巡するような仕草を見せ、やがて同意を示した。
たおやかな微笑みを向けられ、男の冷えた胸の内が安堵からくる熱でほっと弛緩する。

「そうか…。…いや、そうしてくれ」

理由を聞かれないのをいいことに短い言葉で話を終え、その後は口を引き結んだまま歩み出した。

やがて城門まで彼女に付き添い、宵街に消えゆく細い背中を見送る。
最後まで手本について明確な返事をすることは無かったが、
今一度琵琶を練習しておこうと、密かに誓いを立てるのだった。

オフェリア >  「…なら 、先ずは、順路を憶えなくてはいけないわね 。
 此の国の御城は迷路みたいで 、目が回ってしまいそう 」

 勧める声へ軽やかな笑い声が重なる。至極穏やかに口にするのは、男が云う場面に際した、逃亡の手立てだった。
 歩みが予定通りに前へ剥き始めれば、其れに伴って正しい道筋を辿る。城門に出る迄の途中、歩いた道順は記憶した。
 あの音楽室から帰路へ着くには、もう迷う事は無いだろう。

 城を訪れる事自体、機会は少ない。――そうでなければ、困る。
 それでも所用の憂鬱さを軽減させる何かがあれば、ずっと気は楽だった。
 叶うか否かも曖昧な約束を胸に仕舞い、女は其の日城門を潜り訪れた時よりも幾らか穏やかな表情で、夜分の帰路へと着いた。

ご案内:「王都マグメール 王城/音楽室」からフェイレンさんが去りました。
ご案内:「王都マグメール 王城/音楽室」からオフェリアさんが去りました。