2016/04/22 のログ
■ユリゼン > 「……お? おぉ!! 見よ、竜がおるのじゃ。心根の優しき幼子なのじゃな。なんと…愛らしいのう!」
薄暗がりの廊下を進みながら外に目を転じれば、中庭のような場所に暗緑色の巨体が丸まっている。
他の獣と見間違えるはずもない。陽だまりの中でまどろむその生物は、紛れもなく竜の幼生体だ。
ずいぶん人に馴れているのか、すぐそばまでにじり寄ってスケッチしている男を意に介する様子もなく。
「リィンよ、あれは我が愛し子の裔。ならばこのユリゼンの子も同じなのじゃ。おおぉ…」
窓におでこを当てて眺めつつ、ふと気がついて振り向けば二人はまだそこにいた。
今は先に会わなければならない人間たちがいるのだ。
『後ほどご紹介いたしましょう。さ、こちらですぞ』
奥まった一室。陽光差す窓辺を背にして5、6人の男が着座している。
老僕は去り、中央の男が声を上げる。同時に左右の衝立が倒れて1ダースほどの人間が溢れ出した。
『入ってきたまえ、もっと前に!! そうとも、結構。よく見える――』
『金だ、金色だ!!』『輝いて……何と、尊い…』『……はじめての成果にしては上々ですな…』
『さ、触っていいですか?…いいですよね!!』『控えたまえ、ル・グライス君。今はまだその時ではない…』
『しかし、あれは本物なのでしょうか。どう思われます、ロクストン卿?』
『私に振らないでくれよ。見ただけではどうにも。ただ、言われてみれば今ひとつ…』『何か?』
『いえね、竜に向き合ってる感じがしない。迫力というのかな、本物はもっと違いますよ』
『では?』『そこまでだ。さて、レディ・ウェントゥス。今回君を呼んだのは他でもない―――』
『そういうの無しにしましょ。要はあんたを雇いたいってことさ』『……メイドに空きが出ましたのでな』
『しかし、あんたが本物だって確かめる術がない。でしたな、ロクストン卿?』
『違う。そこまでは言っていないよ。ただ、彼女は何か隠している気がする…』
『―――ええい、俗物どもめ! やはり竜は王者たる余にこそ相応しい!! こやつは余のものだ!』
『あっコラ待てよバカ王子!!!!』『いかん、お止めするのだ! ル・グライス君!!』『僕ですかぁ!?』
口を挟む間もなく一番身なりのいい金髪男が放物線を描いて飛び掛ってくる。
白いフリルごと肩をつかまれ、もみ合ううちに前髪が乱れて目元が露わになっていく。
「………痴れ者揃いじゃな!! こ、このっ…!」
■リィン > 「竜が王都の富裕地区で……!? あ、あれ幼子なんですか……」
ユリゼンの嬉しそうな声を釣られて中庭を見れば、そこには巨体があった。
ユリゼンの口ぶりからすれば竜の子供らしい。リィンにはその違いがよくわからないが。
竜をあそこまで手懐けるのは困難な用に思われ、この《ゲオルギウス・クラブ》への疑念が募る。
魔物退治の専門家などではない。彼らは竜を非常に重要視しているように思われた。
「……愛し子の裔……えっ、それって子孫ってこと、ですか……!?
ま、まって、何歳なんです、ユリゼンさん……!」
本気で言っているのか、と目を丸くする。竜の寿命などはリィンは知らないが、人間の尺度では理解できないもののようであった。
つまりは彼女の末裔ということらしい。
ユリゼンはすぐにも子竜の方へと向かわんと思われたが、先ほどの二人の男に呼び止められ、リィンたちは彼らについていく。
彼らの本題はここからなのだろう。
「……なんで私ここにいるだろう」
ぼそりとつぶやく。自身は竜との関わりも何もないため居心地が悪い。
男たちの目的はユリゼンらしく、またリィンについても客として扱っているようなので、彼らから直接何かを言われるわけではなかったが。
建物の奥の一室に数人の男が座っていた。これから何が起こるかと思っていたところ―ー
「え、ええっ!? な、何!?」
どこか神妙な雰囲気が一気にぶち壊された。
部屋の衝立が突如倒されて、1ダースほどの人間がワッと現れた。
彼らはユリゼンを囲んで口々に何かを言い立てる。リィンも口を挟む隙がないほどだ。
ここに来てリィンもようやく理解する――彼らはおそらく、竜の愛好家なのだと。
その竜である彼女を雇いたいということらしいのだが……。
「ま、待ってください、そんなに一気に喋ったらユリゼンさんだってわからないんじゃ……!!」
金髪の男が突如ユリゼンに跳びかかった。もみ合っているうちに彼女の目元も露わになっていく。
リィンも見かねて、男たちの間をかき分けて二人の間に入ろうとしていく。金髪男を押しのけようとするのだ。
彼女が真に竜であるならば、あまり怒らせるのも問題である。
■ユリゼン > 左の瞳が完全に露出する。刹那、浮ついた空気が凍りついて息の詰まるような死の気配が溢れ出す。
それはかつて在りし若き世界の支配者たる古代竜種が行使した無上の特権。
生殺与奪権を握る絶対存在の一瞥は、その大いなる意志に補足されたというただ一事だけで致命の重圧と化す。
弱く力なき生命から圧壊し、総身の穴という穴から血を噴いて死に絶えて行くのだ。
それは現世を統べる人間にとっても同じこと。
五臓六腑は一秒を刻むたびに機能不全に陥り、血は止めどなく沸き立っていく。
至近距離で目があった長髪男が血涙を流してのけぞり、赤いものの混じった泡を吐きながら絨毯を掻き毟る。
老教授が左胸を押さえて脂汗を流し、ロクストン卿と呼ばれた冒険家風の男は夥しい量の鼻血を流しながら目を逸らせずにいた。
即座に昏倒したものは相当運が良かった方だ。苦悶の叫びをあげて喀血する者も数知れず、阿鼻叫喚の地獄絵図である。
ぐりん、と天井に視線を逃して固く目をつむり、手のひらで遮る。
ここまでがわずか一瞬の出来事だった。リィンは幸いにも影響を免れただろうか。
「……っ、く…戯けが!! 随分甘く見てくれたものじゃな。きさまら全員仲良く地獄に落ちるがいい!」
どう見てもトラブルは免れない。いずれ錬金術師協会にも相応の余波が来るだろう。
今は少しでも早くここを立ち去るべきだ。
『……ごっ、ハ…無礼、のかど……平に容赦、されたい…待たれよ、レディ・ウェントゥス!! ごほごほっ!』
『かーっ…!! 効きましたなぁ!…おぇっ……んんっ、ロクストンの旦那。生きてますかい』
『………っ、ああ、なんとか。幸か不幸か、これが初めて…ではないからな……』
『…僕も平気ですよ!……でも変だな、ちょっと世界が赤いような…?』『…………老骨にはいささか…堪えましたぞ…』
『………王子は…?』『こんなんでくたばっちまったら不祥事もいいとこだ。さすがに隠し切れませんぜ』
『………………余は……余は…啓示を得た……!』『平気そうですね』『……で、どうします?』
『…ごほん……ごほっ、ゴッ…失礼。私は彼女を、いやユリゼン殿を迎えたいと思うが、どうかね?』
『……ええ。はい、願ってもない』『そりゃ、まあ』『異議なーし!』『………ふむ…』
『…………余は……余は…ついに見い出したのだ! 止めてくれるな1!』『医師が参りましたぞ!!』
前髪を整え、足にまとわりつく金髪男を足蹴にしてどっと疲れたような顔をする。
「リィンよ。わしは帰る。帰るぞ!!」
「これでも学業があるゆえ、そなたらの道楽には付き合いきれぬ。じゃが週に一度や二度なら構わぬ。ではな!」
どよめきを背に中庭に飛び出していく。黄金の翼を広げ、ふわりと羽ばたき風を起こして。
小さな少女を誘うように右手を差し出す。いつの世も変わらぬ空へと。
■リィン > 「……これ、はっ!」
非常に禍々しい気をリィンは察知した。
それは人知の及ぶものではない。全身が総毛立ち、冷や汗が流れる。
絶対者の瞳である。竜という、人間が及ぶことのない神の位にも達する存在。
「だ、だめ、だめ、ですっ、殺したらッ……!!」
リィンは目を閉じて体を屈める。
大いなる古竜の力は溢れだし、金髪の男を射抜く。
瞬間、その男は血涙を吹き出して倒れ伏し、その他の男たちも次々と以上に見舞われる。
倒れ、血を吐き、悶える者たち。この地獄を目にして、リィンは声を失う。
しかし、リィンは不思議と影響を受けていなかった。
ユリゼンがこちらに効果が及ばぬようにしてくれたのだろう。
更には、リィンの救世の姫としての力もあった。
リィンは神という存在――それが創世の神アイオーンであるかどうかは不明だが、彼女はそう信じている――に守られている。
救世の使命を遂げるまでは死ぬことはない。許されない。
そういった運命の枷を背負っている。
リィンは殺さないで、と叫んでいた。
リィンは人を守る存在だ。それがどのような悪逆であれ、目の前で死ぬことは見逃せない。
そうなれば、目の前の古の竜は、敵となってしまうのだから――
「はぁ、は、ぁっ……ユリゼン、さん……!」
リィンは顔を上げて彼女を見る。すでにその目は髪で隠れていた。
幸運にも、死んだ者はいなかったらしい。あの金髪の男もユリゼンの足元でうごめいている。
というより初めてでない、などと言っている人間もいる。彼らにとっては竜との関わりは生死を超越するのだろうか。
このような目にあっても彼らはユリゼンを迎えようとしているらしい。それはある意味狂気じみていた。
荒い息を吐いて、座り込んでいたリィンは立ち上がる。
王子という言葉も聞こえる。そうなると事態は面倒なことになる。
何より、リィンは王家の者に顔を見られたくはなかった。
「は、はい……っ」
どよめく男たちのいる部屋を後にし、ユリゼンについていく。
中庭でユリゼンはその黄金色の翼をひろげていた。
ああ、彼女は竜なのだと、リィンはこの時実感としてようやく理解した。
リィンは、竜の少女が伸ばした右手を取った。
■ユリゼン > 「だいぶ昔の話じゃが、このユリゼンはああして多くを殺した」
「たいていは、己の成したことにさえ気づかぬうちにな」
「この瞳、人の身にあっても竜ならざる者には刺激が強すぎるのじゃな」
黒髪が風にそよいで、前髪に左の手をかざす。
「故に封じた。そなたがわしを恐れたとて詮無きことじゃ」
「わしは恐るるに足るものゆえな」
手を引き、おなかの前に抱きしめるような形になる。
「……そういえば歳を尋ねておったの? 数えたことはないのじゃが…」
「そなたら人の子が世に現れる以前より、この島におるとだけ申しておくのじゃ」
「―――しっかりつかまっておれよ!」
力強い羽ばたきで二人分の体重を持ち上げ、学院の方へと飛び去っていくのだった。
■リィン > 「……多く、を?」
その言葉に身を震わせる。
彼女が昔というぐらいなのだから、自分では考えられない程過去の話なのだろう。
きっとその多くは、彼女の意志によるものではなかったのだろう。
地震や暴風雨、人にとってあまりに大きすぎる力ゆえの、天災のようなものだったのだろう。
リィンはそう想像する。
同時に安心もした。
なぜなら、彼女は瞳を封じたと言ったからだ。
先ほどのように不可抗力で開かれてしまった場合は別だが、彼女はその力を使えぬようにしている。
自ら、その瞳を使えぬようにしたと言ったのだ。
故にリィンは安堵した。彼女は人を滅ぼす存在ではない。
ならば、リィンの敵ではない。リィンの救世の妨げになるものではなかった。
「……私はユリゼンさんの過去がどういうものだったのかはわかりません。
でも、私は恐れません。きっと貴女も、神によって創られた命なのですから。
なら、たとえどれほどの力を持っていようとも、恐れることはありません。
私が恐れるのは、人を惑わし、闇へと落とすもの。
この大地を穢す、魔族……悪しき神、ヤルダバオートだけですから――」
手を引かれて抱きしめられるような形になると、頬を赤く染めた。
そして目を閉じて、自分の思いを述べた。
「……人がこの世に現れる前から……それは……」
すなわち神代。神の時代である。
そんな遠く果てなる時代から彼女はこの世界にあったのだという。
それはリィンでは想像もできない時代の話だ。
だが、そんな時代に生きた者なら、わかるかもしれない。
ミレー族と王国の民が共に生きていた時代、創造の神がこの世界にまだ存在していたときのことを。
その時の話を聞いてみたい、リィンはそう思いながら、彼女に体を預けた。
黄金の翼があたりの空気を巻き上げて、一気に飛び立った。
リィンはそうして、見たこともない空からの世界を眺めることとなった――
ご案内:「王都マグメール 富裕地区」からリィンさんが去りました。
ご案内:「王都マグメール 富裕地区」からユリゼンさんが去りました。