2019/08/04 のログ
ファナ > 「ひぁっ……!」

肩が跳ねる。どころか、驚きによろめいてお店の壁に背中を軽くぶつけてしまった。
突然声をかけてきたこのひとは誰だろう。なんでわたしに声をかけたんだろう。
買い物袋をぎゅぅっと抱きしめて、眠たげな、疲れたような、そんな印象の少しだけ充血した目でじっとその男の子を見つめて黙り込む。

「ぁ、あの、えと、あの……お家、分からなく、なって……王都、ひとりで歩くのはじめて、だったから……」

しばらく黙って見つめ合い、恐る恐る今の状態を彼に伝える。
たぶん、だいじょうぶなひと、だと思うから。

アネラ > 「…………」

やっちゃった。
そう少年は痛感する。
そう。この国は自覚の通り荒れている部分がある。だからこそ、他者へ声をかけることに少し構えた。
同じように、この子が声をかけられることを想定していなかったなら。女の子ならさぞかし怖いだろう。
あー。やっちゃった。泣きそうな目で見られている。

「……ああ。そう、かぁー……」

初めての独り歩き。「普通」の国民からすればすこし変だけれど、色んな人がいる、本当に色んな人がいる国だからありえない話じゃない。
なにせ自分だってここに来て半年たっていないのだ。

「うーん。そうだねえ。お家から歩いてて、印象的な建物とかはなかった?
それが一番近いなら、お家も見つけやすいかなっておもうけど……」

あいにくと地理に疎いのは自分も。なら記憶にあるランドマークをたどっていこう。そう考えた。

ファナ > 「いんしょう……えっと…………」

びくびくと震えながら彼の話を聞くと、どうやら助けてくれようとしていたみたい。
わたしが怖がったから落ち込んでしまったけれど、でも、だってしらない人が急に話しかけてきたんだもの。

それにしても、印象的な建物。
マスターのお屋敷を出てから、ええっと確か……

「…………わかん、ない。このお店の場所と、買うもの……覚えるので、いっぱいだった、から……」

頭の中では延々とお店への道の目印を唱え、買うものを唱えていた。
そのおかげでおつかいはバッチリだったけれど、道中の目印まで気を回す余裕はなかった。

「えっと……お屋敷を出て、みっつめの角を左に曲がって、みちなりにまっすぐすすんで、十字路を右に曲がって、つぎの十字路を坂道登る方に進んで、まっすぐ……」

覚えた此処までの道のりを指折り数えながら唱えなおす。
がんばって覚えた道順では目印のことはなにも言ってないし、どうしよう。

アネラ > 「ありゃ。地図でもあればよかったけどねー」

すこし微笑ましい。初めての外出。初めてのおつかい。
とてもピュアだなと、そう感じた。自然と微笑みの顔になる。

それにしてもよくご主人もきっと心配していることだろう……。とは言わないでおく。きっと泣いちゃう。

「ふん。ふんふんふん……。
あれ。お家からお店までは全部おぼえてるんだね?
……お店まで戻って、逆にたどっていくことって……できるかな?」

見た目は、きっと自分と同い年くらい。だけれど、声音は年下の子にいうようになるのは……まあ、自然なことだと思う。たぶん。

ファナ > 「ん……でも、地図のよみかた、わからない、から……」

正確には読み書きが出来ない、だろうか。
なんとかマスターの名前だけは読めるようになったけれど、ほかは四桁までの数字がかろうじて。
奴隷として学がないまま育ち、世間に飛び出した少女に早急に勉学を修めさせないとと奔走してくれるマスターが居なければ生活もままならないレベルの無学であった。

「…………うん、覚え、てる。逆に……?」

えーっと。お店の前の道をあっちに進んで、坂道を降りて……あっ。坂道じゃない方の道は多分みっつあったはず。お家のある方はどれだっけ……

「……あの、あのね。来る時、坂道がみぎだったの。帰るとき、坂道から行ったら、どっちが帰る道か、わかんない……」

えっとえっとと右手を立ててくるくるとその場を回る。
右手が来た時曲がった道の目印のつもりだけど、自分ごとくるくる回るので目印の右手も延々自分の右側に居続けるわけで。
思考力のキャパシティを溢れ出るほどの難問にぐるぐると目を回して座り込んでしまう。

アネラ > 「あー。そうだよね。普通女の子はよめないよねえ」

ただでさえ図的に把握するのが苦手な女性は多いし、東西南北に気付けないとあれは読めないし。と納得する。
識字率は、王都なのだからかなり高いと認識しているからこそのエアポケット的な少女の境遇。
それと、自分の環境が、師に恵まれていたが故の無自覚な驕り。

「うんうん。逆に逆に」

あ、考えてくれている。大丈夫かな。いけるかな。
と思ったら座り込んでしまった……。
あわわ。駄目だいけない、落ち込ませたらいけない。

「うん、うん。右と左とかが逆になったりすると頭こんがらがっちゃうよね。
のぼりと下りって景色も違うし、それも間違えやすい」

一緒にしゃがんで、同じ目線でゆっくり優しく。本当に、小さな子供を相手にするようなゆったりした言葉で。
でも事実、昼と夜、右と左、上りと下りは景色がちがって間違う時だってあるものだ。それは事実だ。
だから、こんな言葉がでた。

「もしよかったら、だけど。
キミがよければ、その逆さまになった道順、間違い探ししながら一緒に歩かない?
こう見えても魔法使いだから、結構頭は回るんだ」

もし。この子が良かったなら。

ファナ > 「そう、なの……?」

男の子と女の子で読み書きができたりできなかったりするのかな。
だったらわたしも男の子がよかったのに。そうしたらこんな風にマスターに迷惑かけたりしなかった、と思う、し。
男の子ってずるい。そんな勘違いですこしだけいじけて小石をちょんと蹴っ飛ばす。

「…………うん、わかんない……から、あたま、いっぱいで」

男の子の言う通り、お店に入るときと出たときにはまるでもう別の場所のように感じてしまったのだ。
それで混乱してしまって、なおさら焦ってしまったのもある。
だから、彼の提案はとても心強く感じた。

「一緒……いい、の…………? うん、ありが、」

ありがとう、と表情に少しだけ明るい色が戻りかけて、でも。

「と……魔法、つか、ひっ……!」

魔法使い。魔法使い。魔法使い。魔法使い。
男の子は、魔法使い。
魔法使いは、怖い。前のご主人さまと一緒。
怒るし、ぶつし、苦くて痛い薬を飲まないと蹴っ飛ばすし、身体のあっちこっちを切って血を取っていく。
勝手に動くと怒鳴るし、でも何か言われるまでじっとしてると穀潰しの愚図だって物を投げつける。
そういう、ひとだ。
きっとこの子も、わたしを捕まえたらそういうことをするんだ。
だって、魔法使いは、わたしを「道具」にするために、こんな身体にしたんだから。
奴隷としてはくずでも道具としては一人前だって、魔法使いはみんな欲しがるぞ、ってご主人さまは言っていた。
いやだ。地下室にはいきたくない。マスターともっと一緒に居たい。

恐怖に奥歯をがちがちと鳴らしながら、痩せぎすの身体を抱きしめて男の子に許して、見逃してとお願いする。
それほどまでにこの奴隷少女にとって、魔法使いという人種は恐ろしい怪物の代名詞なのだ。

もしかするとこの男の子は、魔法使いだって分かる前のように優しいままでいてくれるかもしれない。
そう感じるけれど、でも確かな信頼を結ぶほどの時間も出来事もない今、魔法使いというものへの恐ろしさのほうが今はまだ、ずっと強い。

アネラ > 「うんうん。男の子は探検ごっことかで本物の地図を書き写したりするけど……
女の子はそういうこともないだろうしねえ」

女の子の胸中など知らずに、あくまで良く見てきた子供の風景を交えて。
全部言葉にされていても、それはそれでお話もできたのだろうけれど。

「僕もそういうことあったなあ。住んでたところがここより狭かったから、歩き回ってなんとかなったけど」

なんとか、顔色を取り戻してくれる。明るい色になってくれる。
ああだこうだ言いながら歩けば、きっと気持ちもまぎれるだろう。

――。

明らかに怯える少女。恐らく、鍵になった言葉は『魔法使い』。
この怯え方は、自分という存在を踏み躙られたものの過去への怯え。
拭えない過去への怯え。今、きっとこの子の心は過去にある。

魔道を騙る外道に、この子はきっと人生レベルで潰されたのだ。
そんな外道、何も成せない、道から外れて落ちただけのものだから、魔道の徒として許せない思いがあるが
そんな個人の感傷は今は関係がない。
この子が、どうしようもなく怯えてしまっている。
ああ。自分は、未熟者だ。
心の中で奥歯を噛む。この子には、笑顔を見せ続けなければならない。

「大丈夫。悪い魔法使いじゃないよ。手品をするのが専門なんだ」

ほら、と言い、ローブから羽ペンを取り出す。

そして、変異。

青い花へ変わる。変わる過程など見えない。存在をそうさせたから。

根本から変えることはかなり魔力を食う。長い距離全力疾走したくらいに疲れる。
だけれど、目の前で怯えきっている少女は……そんなの比較にならないくらいの怖さと寂しさでいっぱいに違いないから、自分のそれは、関係ない。

ファナ > 「わ、わるい、魔法使いじゃな、わかっ、分かりまし、た……」

ぶんぶんと首を縦に振って頷く。
そうしないと、肯定しないとぶたれるかもしれないという恐怖に突き動かされて。
男の子が本当にいい魔法使いなのかそれとも違うのか、なんて選別する立場ではないし、考えるだけのゆとりもないのだから。

ずっとずっと長い間、人間を忘れてすっかり奴隷になってしまうくらいの時間、魔法使いは絶対者で居続けた。だから今更それを疑ったり、歯向かうなんて出来ない。
男の子がローブに手を入れたのを見て、身体を縮こまらせて身構える。
何をする気だろう。怖い。怖い。怖い。
がたがたと震えながら、彼が差し出す羽ペンを促されるままに見つめる。

「……ぇ?」

そうしたら、それが突然お花になった。
驚きに小さな声を上げてしまって、ハッとして口を押さえて声を押し殺す。
でも、本当に手品だけの魔法使いなんているのだろうか。本当に信じても大丈夫なのだろうか。
少なくとも、このお花を出すために疲れ切っている様子なのは、嘘じゃないみたいだけど……

「あ、えと、あの、だい、じょうぶ、ですか……?」

ぼーっと見ていると怒られるかもしれない。ご主人さまが実験で疲れた時は、肩を貸して抱くように支えないと怒るのだ。
だから、男の子にも同じように肩を貸す。触れればその震えが直に伝わるだろう。

アネラ > 「…………」

この返答は、防衛反応と『躾』によるものだろう。
そうしなければ、怖い目にあうから。そう心が塗りつぶされているのだろう。
ああ。ああ。世の中を便利に変えて楽しく生きろなんて師の言葉が今は恨めしい。
ならなんで、僕の魔法は、この子の心から恐怖を取り去れないんですか、先生。
どうしてですか。

花をみた少女の顔と声から、少しだけ恐怖が抜けたのではと感じる。
にっこりと、笑顔をむける。

「え。あ。わ……。ご、ごめんね。突然手品したから、ちょっと疲れたのかな?
ごめんね……?」

笑顔でも、顔色そのものが悪くなってしまっていたか……。未熟者め。

肩を貸される。支えられる。少女の体と振れることで……震えが解る。
体と四肢が別物に置換されていることも……感触から解る。
ああ……。こんなことをされれば、誰だって。

「ごめんね……魔法使いに、怖いことをされたんだね……
ごめんね……ごめん……」

こらえきれない。何で堪えられないんだ。怖くて怯えているのはこの子なのに。
なんで自分をこらえきれない。アネラ。この未熟者。

消え入りそうな声で少女にごめんと告げながら、歯を食いしばって落涙した。

ファナ > 「あ、あの、あのどこか、休めるところ、連れていきます。座れるところ、さがす、ので……すみま、せん。もう少しだけ、支えさせて、くだ、さい」

笑顔でごめんね、と謝る男の子にすみませんと謝り返して、どこか座れるところに行かなきゃと歩き出す。
魔導機械の四肢には少年一人くらい抱えて歩いても大丈夫なパワーがあるのだけが救いだった。
震えながら、まだ歩かせるのか、とか恥を掻かせる気か離せ、とか、ご主人さまのようなことを言わない男の子に、魔法使い相手だというのに少しだけ安らげるような気がしてしまった。
奴隷ごときが魔法使い相手に安らぐなんて、絶対にだめなはずなのに。

「ちが、あの、あなたじゃ、ない、です、だから。ご、ご主人さまも、研究のため、だから。わるいこと、してない、ので、だいじょうぶ、です」

怖かった。辛かった。だから逃げ出した。
でもそのことを彼が謝るのは違うはずだ。
関係のない人が謝るのは、違うと思う。

「そ、れに、わたしが行きていられる、のも、魔法使いさまのおかげ、ですから……」

魔法使いが居なければ、幼い内に奴隷のまま野垂れ死にしていたに違いない。
ひどいことも痛いこともいっぱいされたけれど、殺すことまではせずにこの歳まで生かしてくれたのも魔法使いだ。
心からありがとうなんて言えないけれど、魔法使いの行いを詫びて男の子が泣く必要はない……ううん、ご主人さまのためにこの子が泣くのはなんだか嫌だと感じた。

「……ぁ、えと、魔法、使って疲れたなら、魔力……あの、私の首とか肩とか、噛んでくれて、いい、から……」

ローブの襟を開き、やせ細った首筋を見せる。
ご主人さまによって高濃度の魔力を溜め込んだ魔力袋に改造された身体は、魔法使いにとってかなり便利な触媒や魔力回復の道具になると聞いたことがある。
男の子のこの疲労が魔法によるものなら、魔力を吸って貰えば少しは楽になってくれるかもしれない。

アネラ > 「……っ……………。ありがとう……」

この細さで、この力。恐らくは金属の四肢。魔導機械化か。人体ベースで再現を試みる技術者も居ると聞く。
死に瀕して交換条件として改造された例を聞く。
人身売買で権利を奪い取った例を聞く。
今まで一つとして、本人が望んでそうなった例は、聞かない。

「……。そう、かぁ……。うん……ごめん、ね。突然……」

涙は、止まらない。自分が生きていく理由に、人生を壊され怯える理由が交差した。
ああ。自分はどうして。こんなに未熟なんだ。

突然、無関係の人間に謝られて、泣かれて。
気色が悪いだろうに。そこを抑えられずに、なにが魔道の徒だ。
結局何も出来ないやつが自分勝手になにを。

「……キミが生きてるのは……キミが今、生きたいからだよ……怖くても、それでも……」

なら死んだ人間は生きたくなかったのか?そんなはずはない。
ただの詭弁だ。人生をきらびやかなものとしたいだけの詭弁だ。
だけど、今生きているんだから、自分を蔑まないでほしい。

「……………………」

細い首。そこを、噛めという少女。
確かに、魔導機械を動作させるだけのプールがあり、魔導機械なら戦闘機能もあるはずだ。
ならその容量は常人と比べられるものではない。
だけど。

「ありがとう。少しだけ……貰うね」

この子の気遣いは無駄にしたくない。けれど、噛むのは……これもまた個人の勝手な干渉だが、嫌だった。
色事になるような親しさやそういう雰囲気ならともかく
震えるほどの過去の怯えに襲われた、自分がその扉を開けてしまった少女に噛み付くなんて。
だから、露わにされた首筋に、そっと口づけをする。
魔力を得るなら、自分ならこれでもできる。
噛んだほうが絶対効率は良い。けれど。
本当に何処まで行っても自分勝手の手前勝手しかない自分が嫌になるが……優しくありたかった。

柔肌から、唇へ。魔力が流れ込んでくる。
急激な疲労が、和らいでいく。

ファナ > 「…………?」

ありがとう、なんて。
疲れてしまった魔法使いを運ぶのは、奴隷の仕事。
あたりまえの仕事をして、その出来栄えに文句を言われることはあっても、ありがとうなんて言う人が居るとは思わなかった。
だから首をかしげてしまう。あなたは魔法使いなのに、なんでマスターみたいにわたしを人間扱いするのだろう。

「……えっと、泣か、ないでください。あの、わたしが何か至らなかったなら、謝るので……」

どうにも魔法使いなのに魔法使いらしくないこの男の子が泣くのは居心地がよくない。
怒ってさえいなければ泣こうが笑おうが関係ないはずの魔法使いなのに、泣いている彼には泣き止んでほしいと思った。

「んっ……」

そうして、噛むように促した男の子がそっと唇で首筋に触れて。
わたしの血と肉を作る魔力のほんの一部を吸い出してゆく。
ご主人さまのようにどぽどぽとコルク栓を抜いた瓶をひっくり返すような勢いではなく、本当に滲み出た僅かな量を舐め取るような慎ましさで。
勢いのある吸魔に慣れきった身体が、物足りない違和感にむず痒い。

「あ、の。遠慮しないで、いい、ですから……」

よいしょ、とようやく見つけたベンチに腰掛ける頃にはすっかり人気も無くなってしまった。
ふつうなら人気のない場所で魔法使いとふたりきりなんて、気絶しそうなくらい怖いはず、なのに。
でも、いつの間にか怖くなくなっていたのだ。
もちろん魔法使いだというからには絶対的な強者への畏怖や恭順はあるけれど、でも気まぐれに暴力を振るわれるかもしれないという恐れはもう無かった。
だから、ローブを肌蹴て促すのだ。
吸魔の続きを。完全に疲れが癒えるまで魔力を吸うように。だってそれが、わたしの生きる意味だから。

「生きたいから生きる、のは、贅沢だから。わたしは、まだ、そんな贅沢が許される、子じゃないから。だから、役目を、果たさせて、ください」

さあ吸ってと傷の多い半裸の上半身をさらけ出す。
肩口から機械に繋がっている両腕は吸魔には適さないけれど、首筋、脇腹、胸……かろうじて骨に当たらず柔らかい箇所はある。
そこから魔力を吸って、魔法使いに――彼に元気になってもらうことが、わたしのお仕事だ。

アネラ > 「ううん……泣いてるのは……僕のせいだから。だから、我儘で、ごめんね。
……キミは何も悪くない、から」

泣かないで。そう言われることで、漸く収まり始める涙。
この子を取り巻く現実と、自分という存在の現実の交差に耐えきれず泣いて。
この子から泣かないでと言われて。それで、漸く。
泣くのなんて、小さな小さな子供だった頃以来だった。

「……っ…………。ん…………」

今までの人生で、魔力の交換は交換用の術式を持つ者か、性交でしかしてこなかった。
どちらも信頼していないとしなかったことだった。
だから、初めて会ったばかりの女の子に、不躾なことはしたくなかった。
これでも、十分すぎるほどに体が楽になっていく。

「遠慮、というか……。すこし、照れてるんだよ」

半分本当、半分ウソ。
この子が、自分の体を作り変えた『魔法使い』といることがどれだけ怖かったか。
この行為が、彼女本人の厚意なのか、それとも存在への隷属が続いているのかは解らない。
だから、その子の傷を躙るようなことをしたくないという気持ちがある。

「……そっか……。これが、今のキミができる役目、なんだね」

言葉を聞き、こればかりは拒んではいけないと感じた。
今の言葉を拒むことは、この子の今の理由を拒むことだ。
だから……傷が多く、痩せ気味な。しかしふわりと豊かに乳房のある彼女の身体に埋まるように……

胸元を軽く食む。柔らかい。安心する。
まるで赤子のように、柔らかな乳房の感触を感じながら……彼女から命とも言える魔力を貰う。

ファナ > 「てれ……?」

薄暗い地下室で生き、つい最近たった一人自身を人として扱ってくれる新たなご主人さまに出会った少女にとって、照れるという感情がわからない。
知っている二人のひとは、片方は奴隷を道具のように扱うひとで、もう片方は幼子と親のような関係を与えてくれたひと。
どちらも照れを抱く対象ではなかったおかげで、なぜ男の子が躊躇うのかがわからない。

「うん。魔力を、だれかにあげること、くらいしかできない、から」

ようやく魔力を吸ってくれる気になった男の子を受け止め、ご主人さまにそうしろと言われていたように頭を優しく抱きしめて乳房に誘導して。
首でも腹でもなく、胸に飛び込んできた相手はこうやって吸魔させるものだと長年の生活で染み付いた習慣のままに、じっと胸に吸い付く魔法使いを受け止め続ける。

「いっぱい、いっぱい、吸って、ください。わたしには、それくらいしかないから……」

じっと相手が満足するまで待つ時間が始まる。
いつもは恐怖に震えながらじっと終わるのを待つばかりだったけれど、今日は不思議と少し穏やかな気持ちでそれを受け入れられた。
男の子の頭を抱きしめる手が、なで、なでと優しく髪を梳かすのは、母を知らない奴隷少女なりの母性の発露。
そうしていると、この魔法使いの男の子への恐怖が薄れて自然と愛おしい気持ちが芽生えるような気がするから。

アネラ > 「うん……女の子にこうすると、男の子は嬉しいけど、照れちゃうんだ」

声から涙も漸く拭えてきた。
男の子は、基本的に助平で、女の子と一緒にいたいものだけど……女の子よりも子供で、照れる事だってある。
気持ちが落ち着いてきた今は、本当に……ちょっと照れている。

「すごいこと、だよ。そうできることじゃないから。
……でも、これだけじゃないよね。今日、お買い物にきてたんだもの」

乳房の柔らかさを口に含む。口の周りや頬、顔でその柔らかさを感じる。
あたたかい。安心する。
……泣いていた子供が、母親に慰められているようだ。

「ありがとう……嬉しいよ……」

心のなかに昂りはある。それはそうだ。豊かな乳房に顔を埋めているのだから。男の子なのだから。
それよりも……安心が大きい。頭を撫でてくれる手が、心地よい。
きっと、本当に幼かった頃以来、初めてのこと。
抱きしめられるのが嬉しくて、少女の細い体にそっと抱きついて。乳房の柔らかさを何度も口に含んで。
魔力だけじゃない。流した涙も、痛んだ心も、満たしてもらえるようで。
本当は魔力が満ちても……少しの間、そうしていて……。

「うん……治った、よ。ありがとう……」

胸元から、上目遣いで、そっと見上げる。

ファナ > 「てれちゃうって、なに?」

なんだろう。でも、見ていると嬉しいことみたいだ。
だから、きっといいことにちがいない……よね?

「……ん、お買い物。マスターに任された、から。でも、迷子になった、から、できることじゃない……の」

迷わず家に帰れてはじめて出来ることに数えていい。
妙なところで頑固で厳しい理屈を見せながら、胸を咥えて脱力気味の男の子を撫で続ける。

「ん……撫でるのも、出来ることに入れて、いいかもしれない」

なでなで。
抱きしめられ、乳の出ない胸を与えて、頭を撫でて人の温もりを交換しあいながら目を瞑る。
無意識のうちに、女の子として持っている母性を目覚めさせて、元奴隷の少女は初めて与える側の愛情を男の子に注いでゆく。

「ん、うれしいなら、よかった……すきなだけ、魔力吸って、いいから。魔力だけは、いっぱい、もってるから。だいじょうぶ」

疲労は治った、と言う男の子をぎゅっと胸に抱きしめて、にへと微かに笑いかける。

「ん。いっぱい魔力、吸えた? いいこ、いいこ。あのね、ありがと……ござい、ます」

魔法使いは怖い。
これだけは絶対に変わることのない、人生に刻みつけられた普遍の呪いだけれど。
でも、この男の子は怖くない。優しくて、わたしと同じくらい泣き虫で、甘えん坊で、かわいい。
だから言われるまで胸から離さないし、撫で続けてしまうのだ。
初めての母性経験に、すっかり甘やかし癖が付いてしまった。

アネラ > 「嬉しいけど、素直になれない……そんな気持ちかな」

ああ。境遇から、情緒も偏りがあってもおかしくはないのか。
でも、この子の本質は……あたたかな子だ。

「んーん……最初から全部できる人なんていないよ……できるようになることが、あるよ」

気弱なようで、厳しい子だな。優しいけれど、自分に甘くないんだな。
そう、ゆったりゆったりしながら、いっぱい撫でてもらう……。

「うん……。優しい手で、嬉しいよ」

声からも、嬉しさがにじみ出てしまう。赤ん坊のように胸に口をつけ、頭を撫でられ、抱きしめられ。
うっとりとしてしまう。これが、女の子が持つ母性なのかなって、心に染み渡る。

ぎゅうっと胸に抱きしめられる。柔らかい。たふたふで、あったかくって、瞳がとろんとしてしまう。
笑顔をみて、自分も、笑顔。とろんとした瞳を、弓にして、嬉しいって伝える。

「うん。いっぱい貰えたよ。 ……えへ。 ……うん。こうして、柔らかくお話できて、嬉しいな」

命を弄ばれたこの子から、心の根っこから恐怖を取ることは出来ないだろう。少なくとも、術は思いつかない。
この子の体の消えない傷跡のように、残り続けていくのだろう。
それでも、この時間。このひととき。義務感だけでない優しさを、この子は見せてくれた。与えてくれた。抱きしめてくれた。
だから、『魔法使い』という大きな谷が出来てしまった僕らだけれど……近くにいけたのではないかと、そう自惚れてもいいのかもしれない。
子供のような面を幾つもみせてしまったし。
……離さずに撫で続けてくれるこの子に、もう少しだけ、甘えたいと思った。もう少しだけ。

「あの、さ……。名前、言ってなかったよね。
僕は、アネラ。キミは……?」

抱きしめられ、柔らかさに埋めてもらって、撫でられながら……
ちょっと変わった自己紹介。

ファナ > 「へんなの。嬉しい、なら。喜べばいい、のに」

少なくともそれが出来る、その権利があるはずの人なのに。
それをしないなんてもったいないし、変だと思った。

「そう? やさしい、かな。わからない、けど……」

嬉しそうに甘える男の子。そうやって喜んでもらえると、わたしも嬉しい。
嬉しいから、もっといっぱい甘やかしたくなる。いくらでも、欲しいだけ甘えさせてあげよう。機械とひとでなしの混じった身体でも、この子がこんなにも喜んでくれるのなら受け入れられたような気分になれた。

「ん、アネラ。えと……わたし、ファナ、です」

こくんと頷いて、アネラと繰り返す。
覚えた。アネラは、やさしい。やさしくて怖くない魔法使い。
それで甘えん坊。だから、おっぱいから吸魔させてあげると喜ぶ。
こくこく頷いて、完璧に覚えたつもりになる。

「えと……わたし、マスター……レヴィア、さまのおうちで、メイドさんの練習、してる、から。多分、言ったら会わせてもらえる、と思う、から、魔力、足りなくなったら、いつでも来て」

その時はまた吸魔していいから、と体内を流れる無尽蔵にも思える魔力を揺らす。

「……アネラ、お腹いっぱい、なったら……帰らなきゃ。マスターが待ってる、かも。一緒に、いこ? 一人だと、迷子になる、かも」

アネラ > 「ふふ。そうだよね。素直に喜べばいいのにね」

そう。素直に。こうして抱き合って、柔らかくあたたかな今は……素直でいられる。
嬉しくて、笑顔になる。笑顔にしてくれる。

「うん。優しいよ。すごく、嬉しいんだから」

甘えるなんて、本当にしてこなかったことだし、自分で言うのもなんだけど、男の子してきたほうだ。
けれど、こんなにも包まれることが嬉しいだなんて。なんだか、僕は今日は貰ってばかりだなって思うけれど……母性の前では、男の子はかたなしなのかもしれない。

「うん……ファナ。ちゃんとおぼえたよー」

にっこりと笑顔でつげる。
優しくて、あたたかい子。きっと『これから』が拓けていく子。
……となると、僕の印象は……甘えん坊とか泣き虫だろうか……?

「ふん、ふん。レヴィアさんの邸宅のメイド見習いさん。うん。たまに、頼らせて貰うかもしれない」

ほんとはそこまで無理をすることはないのだが、こう……その。
あたたかいのはうれしいのだ。たくさんの魔力を感じる感覚も、好きだ。

「うん、そうだね。 マスターさん待たせちゃ悪いもんね。
…………。
うんっ。一緒に、行こう。
迷子には、させないよ」

一緒にいこう。その言葉が、また泣きそうなほど嬉しかった。
僕は、『怖い魔法使い』ではないようで。
またありがとうって、いいたくなった。

ファナ > 「うん。覚えた。行こ、アネラ」

ローブをしっかりと着込み直して、銀色に光る機械の手を差し出し告げる。
たぶん初めて、友達と呼んでもいい相手。
心のなかでは甘やかしたい甘えん坊の男の子だけれど、世の中のこととかたくさん知っているアネラのほうが凄いんだから、甘やかしてばかりじゃ居られないだろう。
だから、たぶんこの関係は友達、っていうのだ。

「いつ、でも……来てね。わたし、も……魔力、あげられると、うれしい……から」

アネラが遠慮をしたり、「はずかしい」のせいで来てくれなかったりすると寂しい。
だから釘を刺しておく。
マスターにお使いの成果を渡して、迷子になって遅れた分を叱られるのが何より優先だけれど、無趣味で楽しいことにとんと疎い奴隷少女にとって、アネラに魔力をあげて代わりに抱きしめて撫でさせてもらうのは中毒性と依存性の高い遊びになってしまったのだから。

「ん。たぶん……ここ通った、はず。だから、あっち……かな?」

アネラを引っ張って家路につく。
義足の、普通の人よりかなりパワフルな脚力でアネラの数歩先をキョロキョロしながら歩いて、ふと振り返って。
彼の顔を見て、にへと笑うのだ。そうしたくてするのではなくて、顔が勝手に。

「ん。たぶん……アネラのことも、すき? マスターの次くらいに」

だから手をつなごう。機械の手は固くて冷たいけれど、握るものの柔らかさと暖かさは感じられる。
家に帰り着くまでの間、その手でアネラを感じていたかった。

アネラ > 「うん。行こう、ファナ」

その銀の手を、そっと握る。
この国に来て、同じくらいの歳の知り合いは初めて。……いや、友達になれたのだろう。
すごく甘えん坊になってしまった僕だけれど、こうして手をつないでくれる、友達。

「うん。ファナも嬉しいし、僕も嬉しいから、いいことだよね、すごく」

ああ、きっと念をおされてしまったな。それこそ恥ずかしい。ちょっと顔が赤くなるのを感じる。
この子と、またあたたかい時間を過ごす日は……そう遠くないのかもしれない。

「うん、うん。そっちかな? お屋敷とかあるならそっちだと思うし」

やっぱり魔導機械化されているだけあってパワーがすごい。

振り返った笑顔が、可愛い。

「ぁ……。うん。嬉しいよファナ。 僕も、ファナのこと好きだな」

笑顔。頬が赤い笑顔。
繋ぐ手は硬い金属だけれど。それでも、この子は柔らかくてあたたかい。だから、笑顔でいられる。
ファナの家に帰り着くまで、この手は絶対に離したくない。はずかしがらず、素直に思えた。

ご案内:「王都マグメール 平民地区」からファナさんが去りました。
ご案内:「王都マグメール 平民地区」からアネラさんが去りました。
ご案内:「王都マグメール 平民地区」にタマモさんが現れました。
タマモ > ここは平民地区、そこにある公園の一つ。
幾つかあるベンチの中、程よく木陰になっているものがある。
そのベンチを占領するかのように、ぐてーっと少女が寝転がっていた。

「………微妙じゃ…」

そんな場所に居ながらも、少女はそう呟く。
いや、ほら、本当に暑し?

室内が涼しいだろう、そう思っていたものの、そこまで大して涼しくない。
むしろ、外より湿度が高く、蒸し暑く感じる。
が、外は外で、高い気温と乾燥状態に、これはこれで暑い。

と言う訳で、妥協案で、この木陰の下で寛いでいる訳だ。
………だが、やっぱり暑い。
さて、どうしたものか…そんな事を考えながら、晴れ渡る空を眺めていた。

タマモ > と、不意に、くわっ!と少女は瞳を見開いた。

「………風呂なり、水場なりに行けば良かったか!?」

失念していた、そう思いながら、そんな言葉を発する。

「くっ…暑さのせいで、頭がぼーっとして、考え到らなかったか…
むむむ…しかし、ここからまた結構な距離か………面倒じゃな」

ばしーんっ、ばしーんっ、とベンチの背凭れを叩きながら、悔しそうに言葉を零す。
そして、一瞬身を起こそうとするのだが…やっぱり止める。

「妾自ら、水場を作り上げて…いや、それも面倒か。
脱げば少しは…妾だけ脱いでも、面白味がないのぅ。
………それをするくらいなら、誰か他の者でも脱がす方が楽しいじゃろう」

この公園、決して誰も居ない訳ではない。
そんな馬鹿げた行動なんてしてれば、周囲からちらほらと、変わり者みたいに見られてしまう。
まぁ、そんな事を気にする少女でもないが。

余計な事をしてないで、そのまま普通に涼しんでろ、そう言われそうだ。

タマモ > 「う、む…」

あれやこれや、こう、考えを巡らせていた少女なのだが…
くてり、ベンチに突っ伏した。

「い、いかん…夜ならば…昼間は…干乾びそうじゃ…」

はふー、深く息を吐きながら、ぐい、と袖で額の汗を拭う。
少し陽が傾いてきたか、徐々に、足元から陽光が当たり始めていた。

「これはいかん、もう少ししたら、ここも…!?」

もぞもぞと、足を引っ込め陽光から逃げる。
別に触れたから何、と言う訳でもないが、まぁ、あれだ。

さすがに、留まるのも拙いか、そう思い始める。
となれば…移動か。
改めて、視線を空へと巡らせた。

「あぁ…あの中を歩くのは、嫌じゃのぅ…」

ふらり、ベンチから立ち上がる。
ゆらりゆらりと、少女は、揺らめきながら、どこかへ歩いていった。

ご案内:「王都マグメール 平民地区」からタマモさんが去りました。