2024/05/15 のログ
ヴァン > 心に触れる花――その言葉に思わず顔をあらぬ方向へと向けた。
動揺しているのか装っているのかは、誤魔化すような笑いで判然としない。

「愉快――どうでしょう。過去は己の影のように、どこに行ってもずっとついて回ります。
アンネリーゼ様は騎士になられたのは数年前と伺っています。とすると、十年前の『ロムルスの惨劇』は……?」

ご存知かもしれないが、と前置きしつつ男は簡潔に語り始める。
ここ数十年で主教が関った軍事作戦で最大の汚点。死者百数十名、魂魄喪失二十余名。
男はある局面で危険かつ不確実だが迅速な手段よりも時間がかかるが確実な方法を採用し、その結果多数の犠牲が出た。
男の判断は味方を殺したようなもの、だから“味方殺し”と呼ばれていると自嘲気味に話す。
年長者の中には同僚や部下を喪った者もいる。厳しい視線はそれが原因だ。

アーネイシャから当時司教――今の大司教、つまり彼女の義父にあたる――と何名かが聖都を訪れており、その作戦に同行した。
その何名かの中に聖女や神官騎士がいたかまでは男は知らない。彼等は傷の治療や加護の付与といった後方支援に徹していたため被害はなかったという。

「王城の礼拝堂には王族や貴族も集まります。夜会などに参加するよりも多くの人と接点ができるので。
王都や……この聖都の修道院も、外部との交流に比較的寛容です。むろん、限度はありますが」

聞けば聞くほどアーレイシャは古式ゆかしく、伝統的なしきたりに則っていると感じる。
おそらく修道院と古都である意味完成し、外的なものをそれほど必要としないのだろう。他所の修道院とどちらが良いのかはわからない。

「ええ、こちらの二階、奥の部屋となります。神殿騎士団が輪番で警護をしておりますので安心してお休みください」

懐から鍵を取り出し、扉を開けると先に入るよう促した。屋内は既に魔導灯で照らされており、快適そうな様子がみてとれる。
部屋まで案内するつもりなのか、男は正面の階段を上り始めた。

アンネリーゼ > 「愉快…とは、言葉を違えました。特異な、何かがある方なのかと思ったのです。
 ロムルスの──? 伺ったことはありますが、詳細迄は……」

司教から聞いたことはあった。多くは、絶望的な惨事に於ける訓戒として。
だが、それが目の前の男とどう繋がるのかと。無言にて先を促し──… 凄惨な内容に暫し言葉を失った。
僅か、眉を顰め押し黙ったあと。

「神の采配ですら万能でないのに、人の采配に過ちが生じて、どうして責められましょう。
 そう、でも──…悔恨があるのですね。ヴァン殿も、貴殿をそう呼ばれる方も。」

そしてその悔恨は、時に澱となり時に刃となるもの。
男が如何様な責を感じているか女には計り知れぬし、
彼を蔑む老練の騎士が如何なる念を湛えて目の前の男を睨むのかも知る由が無い。
尤も、垣間覗くも烏滸がましいのだろう。唇より薄く息を抜いた、後。

「ええ。信仰はひらかれて、救いとしてあるべきですもの。
 民衆にの学びとなり、交流となり、標にもなる。正しいかたちですわ。
 アーレイシャも、礼拝堂は民のためにあるのですよ。ただ聖女は、イシャスのためにある。」

アーレイシャの修道院の戒律は厳格且つ、閉鎖的だ。
故に女神に近しく在り、精神性を共有し、秘蹟により聖女たる類稀なる加護を授かることができる。
その在りようが正しいものなのか、鎖された場に於いては疑うべくもないし、較べるものでもないのだろう。

「有難うございます。───感謝いたしますわ。」

男が開錠し、女が奥へと招かれる。室内に灯る魔導灯は、ゆらりと暖かな彩を灯す。
歩を進めればそれに伴い、ひとつ、ふたつと灯る燈。
屋敷とて広いのだろう。先だって歩く男の厚意に甘え、数歩遅れて階段を昇り。

ヴァン > 「誰が悪い訳ではない時でも、味わう苦痛をただ呑み込むことなどできない。
何か理由を見つけて、それを責めることで痛みを和らげるしかない……ということです」

その言葉は男の周囲の者達に向けたにしては、どこか言い訳じみたニュアンスを含んでいた。
女騎士が詳細を知らなかったことに少し安堵したように見えたのは気のせいだろうか?

「……そうか。聖女というのは特別なものなのですね。
無知ゆえの質問で恐縮ですが――聖女というのは複数人存在しうる……?」

その時期に最も力がある者のみが聖女となるのか、一定の修練を修めた者が聖女の資格を得るのか。
話しぶりや騎士団を構成できるだけの人数がいることから考えると後者のように思えるが、念の為の質問。


階段を上る音が館内に響く。どうやら今はまだこの建物に誰もいないようだ。いずれ他の出席者もここに通されるのだろう。
階段を上り数十秒後、一つの扉を開いた。魔導灯に明るく照らされた室内は、王都ならば貴族が泊まる宿に相当する豪華さだ。
テーブルと二脚の椅子の近くにある棚には水差しやワイン、菓子やドライフルーツが並べられている。
天蓋のあるクイーンサイズのベッドの横には大きな鏡のドレッサー。どうやら二人部屋のようだ。
奇妙な点は、ドレッサーに鞄が置かれていることだろうか。見覚えはない。

「風呂や洗面所はこちらの扉の先に。朝食は一階で用意します。
室内着はクローゼットにあるのでお寛ぎください」

その違和感に男は気付いていないのか、扉を示しながら説明をする。その後の行動は唐突なものだった。
左手で女の右手をとる。逆の手も同じようにして、両手を重ねると同時、親指に錠をかける。
異教徒、異端者に対して繰り返してきた動きは歳をとっても衰えることはない。

明るい室内の中、男は深く昏い青色の目で女騎士を見つめていた――。

アンネリーゼ > 「それは…分かる気がいたします。そして苦痛のみに、心が傾きがちなのも。」

男の言葉に、頷き、肯定する。
暗夜の盲目に人は囚われるけども、その苦痛の代償の傍ら、ひっそりと咲いた救いも、
おそらく誰かの心にあったのではないかと女は思う。──思うだけに留めたが。 

「特別… そう、資質的な意味では特別ですが、
 唯一人に与えられる称号というわけではないのです。
 女神の声を近しく聴き、傅き。修練に励み、祈る──…イシャスの娘の総称、とでも思っていただければ。」

女には当然の事でも、相手にとっては違うのだろう。
こうして問われるのも興味深いものがあり、階段を上がりながら、女は答えゆく。
階段の最後の一段をあがり廊下を歩み、一つの扉に辿り付く。
魔導灯が照らす豪奢な室内。家具も調度も設えがよく、品があり上質であった。
歓待に置かれた菓子や乾果の類。女は一歩足を踏み入れ、案内役の男を振り返る。
唯一つ、見覚えの無い鞄がある。他の客への運び違いだろうか──?

「…承知いたしました。
 素敵なお部屋ですね。感謝いたしますわ。 …… ところで、あの鞄─…… 、」

男の語る説明の途切れ目に、女はそれについて尋ねようとした。
その双眸が俄に見開かれるのは、男の節だった手が不意に己が手を取り、両の手を重ねさせ。
かちり。 小さな音律とともに錠にて親指が固定される。手慣れたその、一連に。

「ヴァン殿、何を……?」

女の形のよい眉が顰められ。硬質な音色にて訝しく問う。──酷く厭な予感がした。

ご案内:「神聖都市ヤルダバオート/大修道院」からアンネリーゼさんが去りました。
ご案内:「神聖都市ヤルダバオート/大修道院」からヴァンさんが去りました。