2024/09/05 のログ
ご案内:「王都マグメール 貧民地区 マリステラ慈善院」にリュークさんが現れました。
■リューク > 【お約束待機です。】
ご案内:「王都マグメール 貧民地区 マリステラ慈善院」にルルマリーさんが現れました。
■救貧院長 > マリステラ慈善院の院長を務める彼女は、今日は大層機嫌が良かった。その理由はいくつかある。
たとえば、朝は最近目覚めがあまり良くなかったのがすっきりと目が覚めたことだとか、可愛がっている野良猫が仔猫を連れて餌を食べに来ただとか、かつて育てた孤児が連れ合いと共に顔を出してくれただとか、普段彼女が感じる物としてはそういった小さい喜びが多い。
しかし、今日に彼女を喜ばせているのは、そんな小さな喜びではなかった。
「ルルマリー、準備は大丈夫かい?
お前のことだから、ドジなんてしでかして御相手様のご機嫌を損ねたりするんじゃあないよ?」
内向的で気が弱く、萎縮しがちな少女へとついつい、嗜めるような響きが口調に滲んでしまうが、それも仕方のないことだろう。
歳の頃は初老に差し掛かろうという女史であったが、前院長の老耄を受けて救貧院の運営を引き継いだ折に発覚した彼の不祥事のことは大いに頭と胸を痛めさせていた。
今、声を掛けた桜灰の髪を愛らしいツインテールヘアにまとめた、愛らしい少女こそがその老爺の被害者でもある。
そのような過去を負わせてしまったという心理的な負債と、そんな彼女だからこそより清く正しく、そして幸福な人生を歩んで欲しいと思っていたのだが。
当の少女と言えばそんな女史の気持ちを知ってか知らずか、救貧院で最も年長の孤児となった今でも救貧院のために働き、育てた花や近所の手伝いで得た多少の日銭も救貧院の運営費に、と回してくれる始末で。
少女が心清く育ってくれたことが嬉しい一方で、もっと自分の幸せのために生きて欲しいと思っていた、そんな思いが日に日に募っていくような、そんな日の事だった。
ヴァレーズ子爵家の使いという執事然とした男性がマリステラ慈善院を訪れて、多額の――救貧院にとっては、であるが――寄付金とともに、ルルマリーを名指しに召し抱えたい、と告げたのだ。
名目上は淑女教育として子爵家の監修のもとに働かせたい、とのことであったが事実上の身請けの提案であることはすぐに察せられて。
寄付金に心揺れた部分が全くないと言えば嘘とはなるが、それ以上に少女の幸せを思うのであればこのような救貧院で燻らせておくよりはよほどに良い話であることは間違いなく。
持ち込まれたその話を一も二もなく受け入れて、当の少女へと伝えれば院を出る支度や付け焼き刃程度の社交マナーなどを教えながら、それまでよりも少々慌ただしい日々を過ごして。
――そして、その迎えの来る当日へと相成ったのだった。
■ルルマリー > ──その知らせは、一週間ほど前、唐突に娘に知らされた。
院長室への呼び出しは、別に珍しい事じゃ無い。
孤児の中でも自分は一番年上だから、他の孤児達の世話だとかを直接院長に頼まれることは多々あった。
さして大きくもない平凡な救貧院。院長と孤児の距離感など大家族のようなものだ。
けれども。その日の呼び出しはちょっと違った。
院長はいつもより数倍お喋りで、いつもより数倍絵顔だった。
『ルルマリー、貴女にヴァレーズ子爵家から淑女教育の申し出がありました。』なんて言葉からはじまったその話は
娘にとっては寝耳に水の青天の霹靂。鳩が豆鉄砲を食ったような顔で──以下略。
そんなこんなで興奮で寝不足の数夜が明けて、今朝を迎えた。
朝の水汲みも孤児の世話もきっかりとこなして、花の世話だって終わらせた。
少しだけ何時もと違うのは、何年も使ってるしなしなへなへなな下着じゃなく、院長の用意してくれた新しい下着を身に付けたくらい。
あとは、ツインテールを結ぶリボンをいつもより慎重に愛らしくきゅっと結んでみたり、この日の為に貰った生地で誂えたワンピースを着てみたり、その程度。
襤褸鞄に無理矢理に、荷物をぎゅっと詰め込んでるところに掛かる声に。
ぎゅっぎゅっぎゅっ。締まらない留め金を強引に閉めて。
「だいじょうぶっ、です…!忘れ物もないですし、たぶんっえぇっと…ッ、
ぁ! ブラシ忘れてた……っ…! ケイト!それ持っていっちゃだめ!」
ばたばたと準備に明け暮れ幼い孤児の面倒を焼きつつ、迎えの馬車を待ち。
■救貧院長 > 「まったく……」
大丈夫、と答えた端から忘れ物を思い出しては年下の子どもたちとばたばたと追い掛けっこを始める様子に、やれやれと呆れ混じりの笑みを浮かべて見守る。
と、同時に眦の端にほのかに光るものが滲むのを感じて、気取られてしまう前にそっと拭い取る。
こうするのが娘のためである、その思いに嘘も偽りもないが、だからと言って長年見守ってきた家族と離れようというのだ、寂しさを覚えないはずがなく。
こうして、ばたばたと走り回る光景を見ることもなくなるのか、と思えば感慨深さを感じてしまう。
これまでにも幾人もの孤児たちとの別れを経験してきたが、こればかりは一向に慣れる気がしない。
「ルルマリー、ケイト。こちらへ」
ばたばたと、走り回る『姉妹』を呼び止めると、そっと側へと呼び付けて。
恐らくは、いたずら気分だけではなく大好きな『姉』との別れを感じていたのだろう。
ブラシを奪うことで、少しでも長く一緒にいようとしたのだろう小さな孤児は、女史の差し出した手に素直にブラシを返して。
いい子ですね、とその小さな頭を撫でつけた後、次はルルマリーへと向き直る。
ばたばたと走り回ったことで、乱れてしまった服装や御髪をゆっくりと伸ばした手で整え、梳かして行きながら。
「ルルマリー、あなたは今まで本当に、この院のために良くしてくれました。
……だから、これからは。あなたの幸せのために、生きて良いのですよ」
乱れた、とは言っても時間としてはほんの僅か、すぐに整え直しは終わって。
少女に穏やかな口調で語りかけながら、その体をぎゅっと抱き締めた。
『おねえちゃぁあん!』とわっと泣きながら、ケイトも女史を真似るように娘の腰のあたりへと抱き着いた。
そんな別れを待っていたように、通りからはゆっくりと馬車が走り近付いてくる音が聞こえて来る。
女史はそっと身体を離すと、もう一度名残を惜しむように娘の頬を軽く撫でて。
「さぁ、しっかりと務めてくるのですよ。
出戻っても、貴女の食事の支度はしていませんからね」
敢えて笑顔で、優しく背中を押すように別れを口にした。
■ルルマリー > 幼い孤児の世話を焼いて花を売って。
水を汲んで洗濯に買い物、幼い孤児の世話を焼いて寝かしつけて…。
そうしていればあっという間にその日は来た。
子爵様からの滅多とない申し出。華々しい憧れた世界。寝不足になる程の興奮も胸の高鳴りもあるけれど、
正直なところ───院長さまは少し大袈裟なのかも、と髪を梳いて貰いながら思う。
淑女教育だってお勤めだって、きっと数ヶ月…もしかしたら数週間もしないうちに帰ってこれるのじゃないかって思うし、
それに、きっと休暇には戻ってこれるのだろうし。
第一、すぐに戻ってこなきゃあ他の子達のお世話だって誰がするんだろうなんて思う。だから、
「でも!院長さま、 わたし院の仕事も皆のお世話もだいすきですっ。
大変ならすぐ呼んでくれれば、明日にだって戻ってきますし!だいじょうぶですよぅ…っ」
少しばかり奉公に出向くような楽観的な気持ちで、少女は抱擁してくる院長の顔を覗き込んで声を掛けた。
なんだろう。まるで新しい旅路のような。今生の別れのような。
でも多分、きっとすぐに帰ってこれるだろうし。でも、本当に…?
そわそわと落ち着かぬ思考は紅潮の頬にあらわれるけど、努めて明るく声を跳ねさせて。
「ぇえと、あの…っ、追い出されないようにがんばりますっ!
ぁ、食事の支度はしてくれなくても…ッ、戻ったら皆のぶん、わたしがするから…っ…」
泣いていた幼い孤児が笑う。一人一人の孤児の頭を撫でて声を掛けて。
そして漸く湧きあがる実感とともに、鞄の持ち手をきゅっと掴み、訪れる馬車へと向いて。
■救貧院長 > 「そうね。……ええ、貴女はそういう子でしたね」
激励し送り出すはずのこちらが、励まされてしまうような。
この救貧院での生活が好きなのだと言われれば、自然と浮かぶ笑みを自覚しながら、もう一度少女の頭を撫でてあげて。
実際のところ少女の認識は、正しいとも間違っているとも言えるだろう。
『淑女教育』なんて名目で手元に置いて、そのまま愛人や妾へ、などというのはよくある話なのだ。
一方でその言葉の通りであったり、例えば娘の歳近い友人としてという招きであれば少女が思う通りの自由や早い任期の終了もあり得るだろう。
その辺りについては、敢えて女史は確認を取っていない。
どちらにしても今よりは少女の人生を良くするであろうし、たとえどうであったとしても貴族家からすればこんな救貧院など吹けば飛ぶような存在でしかないのだから。
……だから、女史としては、ただ願うしかないのだ。
この話が、少女にとってより幸多き道であることを。
「そうですよ。
もしも貴女が不敬を働いて追い出されようものなら、私達も路頭へ迷いかねないのですから」
だから、努めて明るく声を上げる少女に、笑いながら冗談めかして声を掛けて。
――ノックと共に、救貧院の扉が開かれた。
■執事 > 「――失礼、ルルマリー様をお迎えへ上がりました」
ちょうど、少女が入口へ向かおうとしたタイミングで開かれた扉から顔を覗かせたのは、中老の老紳士といった風貌の執事であった。
少女としては初見となり、院長女史としては二度目となる彼は以前にも使いとして訪れていた。
前回と異なる点は、以前は単身で訪れていたが此度は馬車とその御者を引き連れていること。
そして、此度は使いとしてではなく迎えとしてやってきたことで。
室内の、少女を見送ろうとする雰囲気を察知すれば一瞬、値踏みするように――ように、ではないかもしれないが――少女を眺めて。
「貴女が、ルルマリー様でしょうか。
どうぞ、よろしくお願いいたします」
丁寧な作法で挨拶を行うと、改めて幾許かのやり取りを院長女史と行って。
『いってらっしゃい、ルルマリー』
いつでも帰って来て良いのですよ、という言葉は喉奥に仕舞い込んだ送り出しの言葉を、院長は少女へと投げ掛けて。
「どうぞ、こちらへ。足元にお気を付けください」
老紳士は救貧院の『家族』たちの視線を背中に受けながら、恭しく、それこそ貴族の子女へと行うようなエスコートと共に少女を馬車へと誘って行く。
当然の様に荷物を預かり、馬車への乗り込みの際には手を差し出して、そういった扱いはまさに少女が夢に描いた扱いそのものかもしれず。
■ルルマリー > 少女は、“淑女教育”という言葉を、“お勤め”という言葉を額面通りに受けとっている。
それ以上を想像する程に小賢しくもないのは、偏に救貧院での生活が少女を、
前院長にまつわる或る一点を除いては、素直に少女らしく育てたという証左ではあった。
そして、お勤めというのだからきっと給金は出るのだろうし、
そしたら恐らく救貧院に仕送りもできるのだから、だったらやっぱり頑張らないと、と思う。
浮かれるのも戻りたがるのも、どちらにしても──。
「それじゃあ院長さま、いってきます…っ…!」
全ては、出発してから。
そう思い、一歩を踏み出したとき。ノック音と共に、扉が開く。
少女の背筋が思わず、しゃんと伸びて息を飲んだ。
貴い人に粛然と従う執事。いつも空想に思い描いたそれがそのまま体現したかの風貌に、
思わず少女の頬が赤くなる。だって、様なんてつけて呼ばれたのだって初めてなのだから。
「ッ… はい! ルルマリーですっ…!
この度は、あのっ… よろしくお願いいたします…っ…」
思わず直角になろうかという御辞儀をして、一度“家族”へと向き直り、
「じゃあ、みんな………っ…」
行ってくるね、ともう一度告げたなら。
鞄を差し出し損ねそうになったり、差し出された手を取るのに赤面したりしながら、
それでも無事に少女は馬車へ乗り込もうか。
■執事 > いってらっしゃい、と口々に見送られる少女の背に一時向けられたその瞳に浮かんだ色は、ともすれば憐憫であったろうか。
しかし、その感情は誰に見咎められることもなく、浮かべたのも一瞬で。
すぐに、己に与えられた責務を全うし始める。
あたふたと、慣れない扱いに慌てた様子を見せる少女に慰めの言葉を掛けるでもなく、嘲笑うでもなく。
ただその失態が目立たぬよう、当然の様に受け止めて導いて。
少女が馬車内に腰を下ろしたのを確認してから斜向かいへと腰掛ければ、御者へと合図をひとつ。
行先はわざわざ告げるまでもなかったのだろう、合図を受ければすぐに馬車は動き出す。
馬車の腰掛ける椅子のバネを一つ取っても、普段少女が接するものとは格が違うとすぐにわかるだろう。
少女が乗り合わせたことがあるかもしれない馬車と比べて、動き出した後の振動などの強さが全く異なるのだから。
それだけ高級で、しっかりとした作りの中にいるのだ。
「…………。」
老紳士は、特に口を開くこともなく。
好奇心に塗れた目を少女へ向けるでもなく、しかしわざとらしく視線を外すでもない自然体で控えている。
敢えて自分から話題を振る様子はないが、だからといって少女を無下にするわけでもなく。
何かあれば応えてはくれるだろう。
がらがらと車輪が回り、道を進み行く。
その音からは想像も付かないほど、穏やかな乗り心地のままに。
■ルルマリー > 馬車に踏み入れた瞬間、ほんのりといい匂いがした気がした。
それはフレグランスであったかもしれないし執事の整髪料であったのかも。
兎に角にも馬車ですら、少女には別世界のようであって。
腰掛けるのを躊躇うビロード張りの椅子だとか、車内に張られた壁紙の瀟洒さだとか。
まるで魔法でも掛かってるんじゃないかと思うくらい、こんなに揺れない馬車なんてはじめてだし、
馬車の中に精緻な細工の施された壁掛けランプがあるのだって溜息が出るほど素敵だ。
「…………っ…! ……っ…」
なにもかもが夢のようで、車窓の景色すら輝いてみえて。
きっちり揃えた膝の上で掌を固めて強張らせたまま、
けれどひたすらにそわそわと車内を窺う少女が、多少の落ち着きを見せはじめた頃合。
漸くその頃になって、老紳士の沈黙が気になりはじめる。
こういうときって何か話し掛けた方がいいのじゃないか。
気の利かず愛想の無い、落ち着きの無いだけの子供だって思われるかもしれないし。
ちらり、そわり。一頻り微動だにしない執事の方を窺う視線を送ったあとに。
「ぁ、ぁぁぁぁ、 あの…ッ…!」
意を決して話し掛けた。話し掛けてはみたものの。
どうしよう。何を言おう。ええと、どうしよう───…そうだ!
「ぁ、の! 子爵さま、は…っ…!どういった方、なのでしょうか…っ…?」
■執事 > 本人は隠しているつもりであろうが、その実は目に見えて“はしゃいだ”様子で車内を見回す少女の様子を、じっと観察する。
少女への興味ではなく、その所作を見守る――監視するためだとは、恐らくは夢にも思うまい。
しかしその心配は杞憂のようで、完全にこちらを信頼しきって馬車の中の造りに夢中になっている様子は、正しく年相応といったところか。
「――そう、ですね。一言で表すのは難しいですが」
不意に投げ掛けられた質問も、だから迷って見せるほどに意表を突かれていたわけではなく。
しかし、吃音混じりのその様子に一拍置いて落ち着くための時間を与えようと、敢えて言葉を選ぶ様子を見せながら。
「家族思いの方でしょうか。
貴族という枠組みだからこそ、家族の為にはできることをしようとなさるお方です。
もちろん、子爵としての務めを第一に考えて行動なさる方でもありますが」
後者を脅かさない範囲では、家族に甘いのだ。
だから、少し頼まれただけでこの様な戯れもなさってしまう。
そんな思いをおくびにも出さず、さも素晴らしい方であるかのように少女には伝えゆく。
「――ですが、此度ルルマリー様がお使えするのは、旦那様へ直接ではございません。
その家族、末子のお方がルルマリー様を是非にと強くご希望なされたのです」
これは敢えて伏せていた訳でもなく、家名を使うのが信用を得るのに手っ取り早かったからに過ぎない。
現に、院長へ伝える際も屋敷に召し抱える、とではなくヴァレーズ家の『監修』と告げているのだから。
それが、正しく少女へと伝えられていたか、院長女史が受け取ったのかまでは男の責の及ぶところではない。
……などとは、詭弁でしかないかもしれないが。
その言葉を受けて注意深く窓の外の光景へと目を向けてみれば、確かに富裕地区へと向かうにしては選ばれている道がおかしい、と気がつけるかもしれない。
どちらかというと、平民地区へと向かう通りを走っていて――。
■ルルマリー > よかった。老紳士は少女の慣れない問いにも丁寧に答えてくれた。
会話が成立することに、内心ほぅ、と胸をなで下ろし。
そして同時に、これから自分が赴くであろう屋敷の主その人が、
家族思いの素晴らしい方だと聞いて心から誇らしくなる。
「そぅ、なのですね…。素敵な方のようで、安心しました。
末子…? 子爵さまのお子さま、でしょうか。」
それはたとえ、付け加えられた少女のお仕え先があったとしても変わらない。
寧ろ子爵に仕えるより、きっとそのご家族のお世話の方が馴染める気がしたし、
それに。もしかしたら歳が近ければ友人めいた親しい間柄になれるのかもしれないし、
もしそうでなくても、少女は子供の世話なら大得意なのだから。
「うまくお仕え、できるでしょうか…っ…。
わ、わたし、お裁縫とか、お手伝いなら得意、なのですけれど…っ…。」
想像ではきっと、お手伝いさんのような事をするのかな、と思う。
それなら少しはお役に立てる気がするから、そうならいい。
少しでも気に入って貰えるように頑張らないと、と逸る気持ちを落ち着かせるように窓の外を見る。
その大通りは、少女が住まう場所よりはずっと綺麗で、でも閑静な富裕地区と呼ぶには
庶民的で賑やかで、猥雑な色の残る馴染み深さを残した街並み。
とはいえ。それを深く考えるでもなく少女は馬車に揺られ。
■執事 > 男の返答に、眼の前の少女は明らかに安堵し、安心していく。
その事に罪悪感を抱かないではないが、一欠片も表情に出さずに交流を続ける。
貴族という仕組みは、綺麗事だけではないのだ。
この程度の騙し討ちくらい、もうすっかりと慣れてしまっている。
今更、この少女だけを救おうとなど言い出せるほどに厚顔無恥ではない。
「ええ、末のお子様となります」
少女の様子から、きっとあの救貧院にいた孤児たちのような、下の子を想像しているのだろうと察しながら。
しかし、訂正することもなく、柔和な笑みを浮かべて頷いてみせる。
どうせ遠からず知ることになるのだから、今くらいは明るい未来を夢想させておいてあげてもいいだろう。
「大丈夫ですよ、心配はいりません。
きっと、気に入って頂けますよ。
――なにせ、貴女をとたっての希望をなさったのは、坊ちゃま本人なのですから」
不安を口にする少女に、安心させるよう穏やかな口調で語り掛ける。
それは、気休めなどではなく。
他でもない当人が、彼女をと望んでいるのだから、気に入ってもらえるかどうかの心配など必要ないという純然たる真実でしかない。
その言葉の真意を少女が問い質すよりも、馬車が動きを止める方が早かった。
賑やかさと猥雑さが混ざった町並みを進み、王都の中心地区からは少し離れた人気の薄くなった界隈。
そんな界隈にある、屋敷と呼ぶには些か質素で、ただの平民が住まうには十分以上の二階建ての煉瓦造りの民家の前で馬車は止まった。
広くはないが手入れの行き届いた庭の様子からしても、ここが目的地ということで相違ないのだろう。
「さぁ、ルルマリー様。どうぞ、足元にお気を付けて」
馬車に乗り込んだときと同じ様に、男は馬車を先に降り、荷物を受け取って少女へとエスコートの手を差し出していく。
■ルルマリー > 子供、という言葉は少女にとって分かり易く安堵を呼んだ。
子供は好きだ。可愛いし、子供に好かれる自信なら結構ある。
あやすのも叱るのも、普通の同じ歳の子よりは上手だと思うし、
それならば、少しだけ“お勤め”にも希望が抱けるというものだ。
けれど。
少女の瞳がきょとんと瞬く。
“坊ちゃま”自らが少女を希望したなんて言われたら、
はて何処で彼と出逢っただろうと考えてしまう。
そんな高貴なお子さまに花を売ったことがあっただろうか。
話し掛けられたことが、見つめられたことがあっただろうか。
「…っ、わたし、いつ───…… ッ… 」
それを言葉に出す前に、馬車は速度を緩め、停車した。
少女を彼の許へ届けるという本来の職務に就く老紳士の邪魔をしちゃいけないから口を噤み、
その代わりに、やっぱり、しっかりお勤めに励んで頑張らなくっちゃと思い直す。
「がんばら、なくっちゃ…」
ふん、と息んだのは馬車を降りる間際。
ワンピースのスカートでこしこしと手を拭ったなら、
きっとさっきよりはスムーズに少女は執事の手を取ることに成功しただろう。
目の前に聳える、落ち着いた煉瓦造りの建物、手入れの行き届いた庭木を侍らす門扉を見遣り。
■執事 > 少女の口に出しかけた疑念は、気付かなかったふりをして黙殺した。
そうすれば強くは疑問の解消をしようとは出来ないだろうとは、ここまでの様子から容易に想像できた。
その様な扱いを受けながらも、恐らくは名目でしかない“お勤め”に気を入れて励もうとする様子には、やはり同情の念が湧きかける。
なにせ、件の末子の“坊ちゃま”の悪趣味さは家内の誰もが知るところなのだから。
――しかし、その程度と言えばその程度。
あの救貧院で暮らすよりはよほどにいい生活ができるだろうことだけは間違いない。
それを幸と思うか、不幸と思うか。適応できるかは、少女次第であろうが。
少女の手を引き、馬車から下ろせばそのまま門扉を開いて入口へと案内していく。
玄関前へと辿り着けば荷物を少女へと返し、ドアノッカーを叩いて来訪を告げる。
「坊ちゃま、私です。
お待たせ致しました、ルルマリー様をお連れしました」
いっそのことなにかの気紛れで、この屋敷の主人が席を外していれば。
そうして、帰ってきたときには少女に対する関心をすっかり失ってしまっていたりすれば、この少女はあの明るい“家族”の下に戻れるのかもしれないな、などと。
らしくもない考えが一瞬脳裏をよぎり、しかしその想像はノックの音に反応して屋内から聞こえてきた靴音によって掻き消された。
「――さあ。
ルルマリー様」
その音に呼応するように、一歩下がって。
代わりに、と少女に玄関の扉の正面を譲り立てる。
せめて、これからの生活が少女にとっても苦しいだけではないことを祈ろう、と。
そんな救いの手を差し伸べるでもないような、ただの思考だけを餞として心のなかでこれから犠牲になろうという少女へと手向けた。
■ルルマリー > それは、夢に見た豪奢な白亜の御殿、とまではいかなかったけれど。
朽ちかけた廃教会を修繕して使用されている救貧院と比べるならお城のようにすら思える屋敷。
煉瓦組みの落ち着いた建築。閑静な居住区。孤児が務めるには大それた素晴らしい邸宅だ。
“坊ちゃま”のお世話をしながら、愛らしい主人のためにあの庭に花を咲かせるのが自分の仕事なら
それは夢のような仕事だと少女は頬を紅潮させる。
いまいち内容把握に到れない“淑女教育”よりも、少女の思考では“お勤め”が先だって
既に空想の中では、傍らで立つ執事のような、立派で粛然とした召使いとなる未来がすっかりと膨らんで。
だから、その石畳を踏む玄関までの数歩は、夢と希望に満ちあふれたものであったろう。
「ぁ、 ありがとうございます っ。」
此処迄を案内してくれた老紳士に丁重に礼を述べ、彼に代わって扉の前に立つ。
彼の願いなんてついぞ知らぬまま、慎重に。緊張して。でも好奇心と期待を確かに胸に抱いて。
扉一枚越しに聞こえる人の気配に耳を欹て背筋を正し。
すぅ、はぁ。 深呼吸して、両手で鞄をきゅっと掴んでは、…扉がひらくのを上気した面持ちで待ち。
「…… っ…」
■リューク > 「やぁ、いらっしゃい、ルルマリー。待ってたよ」
いっそ気さくとも言える笑顔を浮かべながら、がちゃりと扉を開いて現れたのはいつぞやに少女に凌辱の限りを尽くした青年であった。
当時は家名こそ名乗らなかったものの、高貴な身の上であることは少女も察していたことだろう。
それと、ここへ来るまでに聞いた情報が線で繋がるかまでは、男の知ったことではないが。
「爺やもご苦労さま、いつもありがとうね。
パパにもよろしく言っておいてよ、たまにはまた顔を出すからさ」
少女が現実を受け止め切れたか否か、頓着せずにその肩越しに老紳士へと気さくに声を掛けるとひらひら、と手を振って『もう用済みだ』と示し。
展開に硬直している少女の手を取ると、ぐいっと軽く引っ張って屋内へと引き込んで。
――がちゃり、鍵の閉まる音が響いた。
後に残された老紳士は一人、小さく礼をする。
その礼は、果たして主人の息子に対するものか、捕われた獲物である少女に向けたものか。
誰に告げることもなく、来たときと同じ様に馬車に乗り込んで立ち去っていく。
そうして後にはただ、静寂だけが取り残されていた。
■ルルマリー > 「はじめましてっ! わ、わたくし、…ルルマリーともうしま────… っ ッ 」
扉が開くのを待ち構え、 がばっと勢いよく御辞儀した少女は。
その瞳を持ち上げた途端、零れんばかりにまあるくさせた。
そして、固まった。硬直、という言葉をそっくりそのまま表したみたいに。
呼吸すら、息の仕方すら忘れて、吃驚しすぎて時間すら止めてしまったみたいに。
彼の顔を忘れる筈が無い。
いつか貧民地区の路地裏で出逢った、花を買ってくれた貴いひと。
教会の宗教画に描かれた天使のように美しいひと。
それでいて、目を耳を塞ぎたくなるような恥ずかしく鮮烈な記憶とともに焼きついているひと。
なにかを喋らなきゃいけないのに、舌が固まってうごかない。
なんで彼が。“お子さま”は何処にいるのだろう。
彼がいて。誰がお子さまで坊ちゃまで、───…つまり。
「───…!?!???」
言葉になるより先。ぐんと腕が引かれた。
少女の足を縺れさせるのに充分な強制力を伴って。
蹈鞴を踏むように、傾いだ少女の身が隙間に吸い込まれて、そして。
扉はあっけなく閉ざされる。老執事だけを取り残し。
その老紳士もが馬車で立ち去れば、景色はすっかりと静寂に変わるだろう。
そこから先、娘の身に何が起きようと、沈黙する扉の内側にて…。
■リューク > 【中断です。】
ご案内:「王都マグメール 貧民地区 マリステラ慈善院」からルルマリーさんが去りました。
ご案内:「王都マグメール 貧民地区 マリステラ慈善院」からリュークさんが去りました。