2023/08/31 のログ
マーシュ > 己は出向者として、王城に、というよりは王城内の礼拝堂に所属している。
だから、政治的な権力からは遠いし、人脈もさほどにない。
一般的な王国の貴族階級の振る舞いも、遠く目にする程度。
ただそれ故に女は、そうした階級の差をよく知ってはいるし、己がその例に値する人間かどうかは疑問だし戸惑ってしまうだけだ。

そんな相互の齟齬を埋めるほどのやり取りが彼我にあったわけではなく、だからこそ互いに好きなことを胸に宿しているのかもしれない。

そんな相手の、気遣いも含むだろう行為に己が笑ってしまったからだろうか。声が止んで、代わりに請われた言葉に今度はこちらが少々困る番。

「そのように、私は捕らえたことがありませんでした。……これは、私が初めて手にした書ですが───。……最初で最後の家族からの手向け、だったのかと思います。」

だから手放すことは無かったし。今己の姓となっている言葉もそこから来ている。
愛しいと思うほどの感慨を果たして得られているのかなど考えてもなかったから。

「─────では、ひとつだけ」

その前に立ち上がる。
そろそろ鐘の鳴らされる時間。与えられた余暇の終わりが近づいていることを自覚しつつ。

「いのちあるかぎり
恵みと慈しみが私を追う。
私は主の家に住もう
日の続くかぎり。」

風に乗せるように、抑揚を淡く。

ごく短い一節をとなうと、改めて頭を垂れた。

「あなたに恵みがありますように
そろそろ戻る時間ですので、私はこれで失礼いたします」

不躾にならない程度の礼と言葉を手向けると、辞去の意を示し。

リュシアス > 何気なく発した要望に、矢張り困ったような表情を浮かべる女性の様に。
少々冗談が過ぎたな――と慌てて述べた言葉を訂正しようとするのだが―――。

「家族、からの………?ああ、いや。」

鸚鵡返しに問い掛けようとして止める。
その言葉の端々だけで、修道女である彼女の身の上は何となくではあるが察する事が出来たし、
そこから先を唯の好奇心で詮索するのは、それこそ無粋で無礼というものだろう。

それ以上の掛けるべき言葉を考えあぐねていると、風に乗って耳へと届いたその声に男の思考は停止する。
ほんの一節の、短い詩歌。
彼女の印象と違わず淡い抑揚で紡がれるその声に、気が付けば瞑目して聞き入っていた。

一節が終わり、女性が頭を垂れる衣擦れの音でゆっくりと瞼を開いてから、惜しげの無い拍手を送り、

「――――……有難う。とても、良い歌だった。
 引き留めてしまって悪かったね。修道女殿も、どうか気を付けて。
 ………君の行く道に幸多からん事を。」

男は信徒では無かったが。彼女に倣うように祝福を願う聞きかじりの句を述べてから、
手向けられた言葉と礼に此方も会釈を返し、帰路を辿らんとするその姿を見送ろう。

マーシュ > 「よくある身の上です。お気になさらず」

女としては特に感慨もない。
己の言葉に困らせてしまったのなら、それは少し申し訳のない話だからそちらの方がきにはかかる。

歌を終えた後の拍手には、慣れていないのか目を伏せる。
己は歌が達者でも、良い声を持っているわけでもない……と自認するから、過分な言葉に身の置き場がなくなってしまう。

「いいえ。………騎士様がそうおっしゃってくださるのであればそうなのでしょうが──礼拝堂にはもっと達者なものがおりますので……
はい、それは──おっしゃられてしまうとこちらの立つ瀬がございませんが。お言葉痛み入ります、それでは失礼いたします」


言祝ぐ立場が逆にそうされてしまった可笑しさに少しだけ眦を緩め、応じる。

己を見送ってくれるらしい騎士の姿にもう一度腰を折ると、衣擦れの音を幽かにさせて女はその場を後にする。
時刻を知らせる鐘の音が耳に届いたのはほどなくのことだった──。

ご案内:「王都マグメール 王城/庭園」からマーシュさんが去りました。
リュシアス > 彼女の姿が見えなくなるまで見送り終えてから、間髪入れずに時刻を告げる鐘の音色が響き渡る。
目論んでいた小休止の時間はとうに過ぎてしまったが、それ以上に得られるものは有ったと男は満足そうに一人頷く。

最後に無人となった庭園をぐるりと見回ってから、規則正しい鉄靴の足音を伴って男は次の見回り場所へと向かう。

次に見回りをサボる時は、礼拝堂へ彼女の聖歌を聞きに行くのも良いかも知れないな――などと、そんな不敬な事を密かに考えながら。

ご案内:「王都マグメール 王城/庭園」からリュシアスさんが去りました。