2019/09/22 のログ
■エルディア >
王都の地下は魔窟だというものがいる。
下水や廃水の流れる石造りのアーチや石畳、
元あったと言われる屋敷の脱出路と言われている物
貴族や、日の元に出る事の出来ない組織の秘密のクラブや入り口……
多くの者が存在を知りながらも口にしないそれは王都だけで
人が想像しうるもの全てが存在するのではと冗談交じりに言われるほど多彩なものがある。
そんな無数にある説明しがたい地下空間のうち一つに、とある屋敷の地下もあてはまるかもしれない。
そこは地下と言ってもその部屋は端から端まで歩くのに数分かかるほどの広さがあり、
片隅にポツンとある扉を仮に誰かが開いたなら
容易にそこが別の空間に繋がっている事に気が付くことができるほど広々とした空間だ。
床には格子状に線が敷かれていてそれは暗い室内に浮かび上がる様に淡く発光している。
部屋の作り自体は宛ら魔導研究所の実技実験室の様な殺風景な部屋は
その部屋に持ち込まれたものは重力の頸木から解放され、
ゆっくりと宙を舞い時折ぶつかり合いながら渦を巻く様にゆっくりと部屋内を漂っている。
天井には光源が無く、ただっぴろい空間の殆どは暗闇に包まれているが
部屋の中心あるその渦からは淡い青色の光が周囲に投げかけられ漂流物の影が空間に光の濃淡を作り出す。
その渦の中心には卵型の椅子の様なものがあり、音の殆どない部屋に低い振動音を響かせながら
周囲に魔晶板のようなものを浮かばせていた。
ゆったりと時間が流れているようなその風景は人によっては星座の様な光景であると感じたかもしれない。
■エルディア >
その部屋の主ともいうべき人物はその中で浮いていた。
透き通るような白い肌に武器はおろか、食器より重い物は持ったことが無いような細腕が
まるで自身を守るかのように幾分か肉付きの薄い膝を抱えこみ
以前に比べても伸びた銀色の髪が体の周りに纏わりつく様に漂いながら、黒曜質の右手と右足に反射した青い光にきらりと瞬く。
まるで人形の様に現実味の薄い姿のそれは時折ぴくりと体とまつ毛を震わせながら
姿通り幼子のように深い夢の世界へと迷い込んでいた。
彼女は普段、夢を見ない。
多くの生物にとって睡眠は体を休める行為であり、
その一環として夢を見ながら記憶の整理を行っていると言われている。
一方、隙あれば眠り込む様な態度とは裏腹に
彼女にとって普段の睡眠とは只の省エネ、待機モードの一つに過ぎない。
周囲に異変があった場合いつでも行動できるようにと
彼女の意思を問わずその体は待機状態であり続ける。
本当の意味で眠っていると言えるのはこうやって一定の条件を満たした場合のみ。
それ自体も数日、酷い時は数か月に一度の頻度であることから
夢を見るという行為自体、ほとんどないと言って良いかもしれない。
けれど彼女は今、沢山の記録や本、宙に浮かぶ様々な物の中心で
遠い遠い昔の出来事のような長い長い夢を見ていた。
■エルディア >
どれほど経っただろう。まるで巨大な砂時計のような時が流れるその部屋に僅かな変化が起きた。
卵型のそれから部屋に響いていた低い振動音が一瞬強くなり、
その後聞き取ることが難しい程の大きさになると
その中で羊水の中で漂うように眠っていた少女の瞳がうっすらと開かれる。
彼女は丸まった姿のまましばらくぼーっと意識を巡らせ
ゆっくりと小さく伸びをした後童女らしい仕草で両手で目元をこする。
普段無表情なその顔には寝起きということもあり、幾分か不機嫌そうな色が浮かんでおり
目元には欠伸涙が浮かんでいる。
「……」
また夢を見ていたなとぼんやりとした思考のままその内容を思い返す。
夢を見ない理由は多々あれど、一番の理由は彼女自身が夢を見る事が嫌いだからだ。
彼女には基本、数か月前に目覚めた以降の記憶しかない。
どうも記憶領域に障害が発生しているようで
これ自体が治るのにしばらく時間がかかると推算されている。
仮に記憶領域が完全に治ったとしても、恐らく眠る前の記憶の大半は戻ってこないだろうと
以前したスキャニングの結果では表示されていた。
そのせいかは分からないが、彼女が見る夢はいつも知らない場所や、思い出せない事ばかりだ。
目が覚める度、それがなんだか胸の奥をぐっと掴まれるような感覚を引き起こした。
締め付けるようなその感覚はなんだか酷くもどかしく、そして焦燥感を煽る。
その正体を、その名前を彼女は思い出せない。だから、夢を見る事は嫌いだ。
■エルディア >
ゆっくりと腕を伸ばし、魔晶板の一つに指先で触れると
それを爪先で引っ掛ける様に引き寄せる。
そこに表示されている内容を一通り眺めるとふぅと一つ息を吐きながら眉を寄せる。
「……ぅー」
いくら記憶が無いとはいえ、自身の大体の基礎スペックは”理解”している。
役割を果たすためにはそれらの情報は必要不可欠であるからだ。
自身の体を正しく”消費”しなければ、この体で生まれた理由を全うする事は出来ない。
そしてそれによればこの体は普通の生物に比べ相当に高い再生能力を持っている。
触れた感触は人そのものであっても生半可な攻撃では傷ひとつつかないし
その傷自体も片腕が吹き飛んだ程度なら放っておいても数日で元通りになる。
実際、先の戦闘で体の大半を炭化で失ったが数日後には元の姿に戻っていた。
……だというのに。
「なんでぇ?」
変質してしまった体が想定してた以上に再生しない。
腕や足の先端は相変わらず結晶化したままだ。
しかもスキャンの結果、それらは異常なしとなっている。
いくら溜め込んだとはいえ、まだまだ許容範囲の半分にも満たない。
許容量付近になれば体に不具合が出る事は想定されていたが
どうにも記憶の中の身体スペックと一致しない部分が多すぎる。
別に自分の体を大事にしようという感覚はない。
彼女の中で自分は消耗品だという基礎情報があるからだ。
消耗品である以上、この体は正しく使われるべきだ。
カタログ通り、大いなる流れの一部になるまで。
そういった意味では早く限界が来ることを望んですらいる。
其れは即ち、自分がより善く役目を全うできたという事だから。
けれどこのままではその勤めを果たせるかという点にすら些か不安が残る。
そう考えると夢を見ていた時とは違う、けれど胸をぎゅっと締め付ける似たような感覚に襲われる。
出来なかったらどうしよう。果たせなかったらどうしよう。
そんな理解不能な声が何処かから囁く様に聞こえてくる。
もしもそうなってしまったなら、私は何のために産まれたというのだろう。
目的のために産まれたものがその目的を果たせなくなったなら…。
酷く胸をかき乱すこの感覚はとても不快で、攻撃を受けた時よりもずっとずっと痛い。
何故だろう。この騒めきは不具合の一環なのだろうか。
体が治れば、この不可解で不愉快な感覚も消えるだろうか。
■エルディア >
「……むだ」
どうにも合理的でないとふるふると頭を振る。
どうにも最近ぼーっとする時間が増えた。
このプロセスは戦闘面での学習に寄与する一方で
無駄にリソースを消費する事も多々ある困りものだ。
単純に考えて、重要なのは機能しうるスペックを取り戻す事。
原因が不明であるもののこの不可解な感覚も、
恐らくは不具合の一つによって引き起こされているノイズの一つのはず。
であればポットの浄化機能と解析能力に任せて休眠を行うのが最適解。
もう少しだけメンテナンスモードを続けよう。
別にこの体でも狂獣ではあり続けられる。
幸いにも戦闘能力自体は向上している。不具合にさえ目を瞑れば、
戦闘面でより”正しく”この体を消費できるはずだ。
「すきゃにんぐ、りぺあもーど継続。
うんどーにえーきょーを与えるきのーふぜんのしゅーせーをゆーせん。
3,2,1……無事開始。
再びきゅーみんもーどを開始します」
記憶領域の調律のリソースを機能回復に割り振る。
記憶の修復には今以上に時間がかかる事になるがそれ自体大して重要ではない。
それよりはいま求められている機能の回復を優先すべきだ。
それに結果がどうあれ、やるべき事は変わらない。
私の役目は世界への贄。精霊を守り、精霊に喰われ、精霊を狩る。
どれだけ壊れようと、狂おうと、……やるべき事は変わらない。
そう結論付け、少女は再びゆっくりと瞳を閉じる。
人が恐怖と呼ぶ感覚を理解するにはその心は正しく調律され過ぎていた。
彼女は彼女である以前に魔族であり、魔法生物であり、何より魔導兵器でもある。
兵器に恐怖を感じぬよう設定したのは合理的かはたまた慈悲か……
自身の恐怖を観測できない今の彼女には、それを知る術はない。
そうしてまた、独りぼっちでちっぽけな”お姫様”は眠りにつく。
微睡む少女は優しく、そして残酷な世界の夢を見ていた。
ご案内:「とある屋敷の地下」からエルディアさんが去りました。