2018/11/11 のログ
ご案内:「魔族の国」に影時さんが現れました。
■影時 > ――物事には慣れと云うものが必要だ。適度な緊張感が必要だ。
怠惰がすれば鈍る。鈍麻する。よく斬れぬ刃とは必要な時に用を為しえない。
今の生活に決して不満ではないが、時に平時の鍛錬以上の何かが必要だ。
例えば、そう。死地じみた処に至ってはその先を眺め遣るのも、鍛錬の一つでもあろう。
タナール砦を抜けるのではなく、足で踏破するのも容易くない山脈を登って。そして降りてその先。
其処には不毛な荒れ地と僅かなりとも緑がまばらに散見する地帯であった。
口元を目の細かい布を幾重に覆い、隠さなければ慣れていない人間だと直ぐに喉を壊してしまう。
否、それ以上だろう。場所によっては時折、瘴気とも云うべき類の毒気が漏れる。
「……つくづく、此処は住むには良い場所では無ェなぁ」
刻限は、夜。雲間から微かに漏れる月明かりの下の荒野に夜闇に溶け込むような陰影の姿が立つ。
周囲の地勢に近い黒色に染めた外套を纏い、何の酔狂か。赤黒い二本角を生やした鬼面を被った人影だ。
まだ、人の手勢が到達してもおかしくない付近をおぼつかぬ足取りではなく、慣れた風情すら見せて闊歩する。
時折足を止め、地に触れて瞑目するように見せる仕草とは周囲に生息する魔物の足跡や地脈の流れを詠むためだ。
そうすることで直近の害を避け、安全を確保する。
同時に地に流れる力の強弱を知ることで、如何なる術をその場で行使できるのかを思案できる。
この先に広がる領域は広い。ただ足を運ぶだけで知りえるものは極僅かではあるけれども、身には相応の緊張が宿る。
慣れていても一つ仕損じれば、鑢で削り殺されるように生命をすり減らすことに繋がるのだから。
■影時 > どうせならば、冒険者ギルドや軍の依頼等でも請けた上で赴けば良かったかもしれない、というのはある。
それがきっと賢い方法だ。好き好んで、わざわざ金にならないことをする必要が何処にある。
しかし、金銭が己の原動力ではない。心躍ることこそが現在の忍び術しか取柄として持たぬもののを動かす規範だ。
体得した幾つの技のうちには死地での生存術がある。
それを鈍磨させずに磨くとなれば、ただ結跏趺坐を組んで瞑想していればいいというものでもない。
「この辺りに打ち込んでおくか」
地に膝を突き、懐から細い木串のようなものを取り出す、否、実際木串だ。
だが、その細い表面にはまるで焼き込んだような文字に見える陰影が細かく月明かりに見えるだろう。
手ごろな大きさの石を退け、やっと氣合を込めて地面に打ち込んでは再び石で隠す。
用途としては即席の道標のようなものだ。氣を留める作用の咒術を刻んだが故に、氣の気配に聡いものであればこれを目印と出来る。
此れが無ければ帰れない、という程ではない。
野鳥顔負けの方向感覚があれば、帰れない訳ではないが不測の事態は此処にはあり得る。此処は、人が住まう場所ではないのだ。
「……――っ、む」
案の定だ。地に付けた掌から微かな振動が伝わってくる。
何か、大きいものが闊歩しているような震えに気配を隠しつつ、ごろりと転がった岩の陰に身を伏せる。