2020/03/24 のログ
ご案内:「港湾都市ダイラス アケローン闘技場」にヴォルフさんが現れました。
ヴォルフ > 満員の闘技場が、揺れていた。雨のように歓呼の声が降り注ぐ。
その声を浴びているのは、一人の細身の、けれど鋼のようなしなやかに鍛え抜かれた体躯の若者であった。肩を揺らし息を乱し、胸板から、肩口からも真っ赤な鮮血を流している。
特に細身ながらに確実に厚さを増しているその胸板には、ぱっくりと大きな傷が口を開け、どくどくとまだ溢れさせんばかりに血を流していた。
足元、倒れ伏し、届かぬ場所に落ちた武器へと視線を投げることもできず、怯えたように若者を見上げているのは…つい数時間前まではアケローンの闘技場でも看板闘士と呼ばれていた筈の男…。
命乞いをする男に降り注ぐ歓呼の声は、殺せ、殺せと、更なる血を呼ぶ声として響く。
若者は、手にしていた身幅の広い短めの剣、グラディウスと呼ばれる剣闘士向けに設えられ、鍛えられた剣を握りなおした。
足元、怯えた男を見下ろす若者…まだ、少年の域を出ない闘士の唇は、真一文字に引き結ばれて、乱れる呼気を鎮めんとして、食い縛られているようだった…。

ヴォルフ > 手を下そうとせぬ若者に、観衆は焦らされ始めているのだろう。殺せと、そう叫ぶ声は次第に狂騒の域へと近づいてゆく。
しかし、少年はそんな観衆達へと、挑むような視線を投げて、客席を見渡してゆく。
一体、この中の何人が眼の前の男と同じように戦えるというのだ。安全なところから叫ぶだけの貴族や大商人ども。血に酔い、淫熱すら燈された女達。虫唾が走るとばかりに、少年は血混じりの唾を闘技場の真っ白い…血のよく映える砂の上に吐き捨てる。
その動作の激しさに、肩口まで伸びた黒髪が揺れた。
髪留めの役割も果たしていた額当てなど、とうに切れてどこかに落としてしまっている。
そして、少年はもう一度群衆を見回し…逆手に持ち直したグラディウスを、思い切り振り下ろしたのだ。
倒れ伏した男、その足許の白い砂の上へと。
群衆の意に反し、殺さぬことを決めた剣闘士。
罵声が落ちようとかまうものか。そう、挑みかけるように群衆を見渡す少年へと降り注いだのは…割れんばかりの大歓声であったのだ。
初戦にての、その観衆にすら媚びぬ振舞を人々が讃えたわけではない。
血に飽いた、倦みきった貴族や商人たちにしてみれば、若い剣闘士のその振舞すら、ひとつの娯楽に過ぎなかったというだけだった…。
そして、それを誰より知っているのが、観衆の歓呼の声に打ち据えられる、血まみれの少年その人だったのだ…。

ヴォルフ > 地に突き立てたグラディウスもそのままに、背を向け少年は白く灼けた砂地を後にする。目の前にぽっかりと口を開けた、地下へと続くその出口は、再び少年を鎖の縛めに繋ぐところだ。
それでも、この傷を手当てしてくれる者はいる。
大事な「商品」としての少年の価値を、落とすわけにはゆかないと…。
荒々しく、いくつもの腕が伸ばされた。忙しなくその手首に枷が嵌められ、重たい鎖が枷を繋ぐ。そのまま、それでもその空間の中では最も清潔であろう部屋へと少年は連れ込まれた。
医務室と…そう言ってよければ、そういう部屋だ。
そのまま、口に木の棒が差し出され、無理にもそれを噛み締めさせられることとなる。斬り開かれたその傷を、縫い合わせるという荒療治に、少年が耐えられぬとみたからだ。
しかし、北方の幼い狼は耐えてみせた。
全身から脂汗を流し、痛みに耐え、決して呻き声一つあげぬまま…。

ヴォルフ > この上なく荒い療治が終わったのは、どれほど時を経た後か。それはさすがのこの若い剣闘士にもわからない。懸命に呻きすら殺して痛みに耐えて、乱暴に冷水をぶっかけられて、血と砂とを洗い流された時には、さすがに意識も何度か手放しかけていたからだ。
さほどの時間を経ていないことは、闘技場から届く声にてすぐわかった。
次の取り組みが、始まったばかりであるからだ。
立て、と。乱暴に衛兵が小突いてくるのを、少年は縛められたままの腕で振り払う。
「…かまうな」
底光りする視線を向け、少年は嵩にかかる衛兵へとそう告げた。
そして、覚束ない脚を叱咤して、闘技場の床を踏みしめ立つと、ゆっくりと歩を進めてゆく…。

ご案内:「港湾都市ダイラス アケローン闘技場」からヴォルフさんが去りました。
ご案内:「港湾都市ダイラス アケローン闘技場」にヴォルフさんが現れました。
ヴォルフ > 闘技場からは今日も、陽の高いうちから歓声が届く。
しかし、その喧騒を背に少年とも言えるほどに若い剣闘士は、闘技場に隣り合って建てられている、剣闘奴隷達の、鍛錬場を兼ねた宿舎の中庭にて、ぼぅっと空を見上げていた。
鉄格子を隔てた向こうは、港湾都市の猥雑な通りだ。何人もの商人、貴族、そして娼婦が物珍し気に剣闘奴隷達の鍛錬の様子を、脚を停めては眺めてゆく。彼らには、それすらもひとつの娯楽なのだろう。
前日、闘技を行った剣闘には、翌日は休みが与えられる。
況してや、少年は決して軽からぬ怪我も負っていた。
胸と肩とに、血の滲む包帯を巻いて、少年は鉄格子の傍らにて、ただじっと青い空を見上げていたのだ。
少年にとっての自由を象徴するのは、猥雑な通りの喧騒ではない。
頭上に広がる青い空なのだ、というように…。

ヴォルフ > 中庭では、まだ初めての闘技にも出たことのない奴隷達が、教官の罵声を浴びながら鍛錬を積んでいる。
そんな彼らは少年を、昨夜の番狂わせで一躍名を上げた者として、時折鍛錬の合間に遠巻きに視線を注ぐのだった。
名が売れれば、解放される日も近くなる。
奴隷としてはそういう希望を抱きたくなる。
しかし、名が売れるほどに強い敵と戦わねばならなくなるのもまた、事実。
見上げる空のように、自由はただただ遠かった。

ヴォルフ > 陽が傾いて、夕風に底冷えの気配が宿るまで。
少年は飽くことなく倦むことなく、ただただ空を見上げていた…。

ご案内:「港湾都市ダイラス アケローン闘技場」からヴォルフさんが去りました。
ご案内:「港湾都市ダイラス アケローン闘技場」にヴォルフさんが現れました。
ヴォルフ > 闘技場に併設された、闘奴達の鍛錬場を兼ねた宿舎…。そこはいつも夜は早い。
酒を宛がわれることなどほとんどといってよいほどになく、自らの命を娯楽に差し出される者に、娯楽など与えられるはずもないからだ。
皆、明日は知れぬ命をいとい、少しでも身体を休めるために早く寝る。
そうでないものは…皆一様に、好きものの貴族に買われて、今頃はそもそも宿舎にいないというのが常だった。
少年は、闘技における活躍と、その時に負った傷を癒せと言われ、しばらくは剣闘も鍛錬もおあずけとなった。
そんな身体を持て余したのか。
常にはない時刻にこうして外に出、夜風に頬をなぶらせるというのは珍しいこと、だった。
鉄格子の塀を挟んで反対側。
歓楽街の夜はまだ始まったばかりだと、届く喧騒が伝えているが、少年はただ塀際に腰かけ夜空を見上げているばかり…。