2016/01/22 のログ
ご案内:「メグメール(喜びヶ原) 街道」にヘレボルスさんが現れました。
ヘレボルス > 金属で覆い固めた足が、土を乱雑に踏み散らす足音。
傭兵然とした粗野な格好の若者がひとり、ティネの後ろから足早に歩いてくる。
左手に長剣のベルトを巻き付けて持ち、鞘の切っ先はほとんど地面を擦り付けている。

右手の甲で、鼻血を拭う。
片目が青く腫れ上がって形のよい瞳を覆い隠し、唇を柔く舐める。
口中を切っているらしく、息遣いを殺しているのが見て取れた。

地面へ向けて、唾を吐き出す。
視線を虚ろに地面へ落としたまま、不機嫌そうに街道をゆく。

「……――――?」

やがて足元で動く何かが小さく光ったような気がして、我に返った。

ティネ > (やべ)

そそっと街道の脇に転がる小岩の陰に隠れる。
どうも見覚えのある人物だった。確かどうしようもない粗暴者、と記憶にある。
どうやら不機嫌な模様だし、見つかればひどいことをされる率七割といったところだろうか。
さっさと姿をくらますことは簡単だろうしそうしたほうが良い気がする。

ただ、彼(彼女)を見送ったところで望みのある誰かが通りかかるのを待てるかというと
それはそれで分の良くない賭けであった。

(まあなんとかなるだろ)

考えるのが面倒くさくなった。
何かあっても、野犬の親子に半分こにされるよりはマシだろうし。

「おーい、ヘレ公。怪我してんのー?」

岩陰から姿を露出させて呼びかける声は自分でも驚くほどご気楽なものだった。

ヘレボルス > 草の陰を、小さな生きものがちらりと走り去るのが見えた。
鼠でも逃げたか、と捨て置こうとして――掛けられた声に、今度こそ足を止める。

気の抜けた声に振り返り、岩陰を見遣る。

「…………、何だ。てめえか」

笑う。
傷が痛んだと見えて、口角を引き攣らせる。

「お前こそボロッカスじゃねえか。
 標本にでもされたか?」

金属の甲高い音を立てて、長剣を地面に下ろす。
ティネが隠れていた岩を椅子代わりに、どっかりと腰を下ろした。
長く深く吐き出した息に、疲弊が過ぎる。

「僕ァこき使われてる最中だ」

吐き捨てるように笑った。

ティネ > 「ううん、標本のほうがまだいいかな、ボクとしちゃ」

首を振る。
軽いステップでヘレボルスの足元、彼の真ん前の場所に移る。
ティネの背から生える蝶羽根は言われたとおり、ずたずたに裂かれ、もがれていた。
慣れっこなのか、表情に悲壮さはない。

「ふぅん。傭兵の仕事かなんか?
 へえ、最中。じゃあ、もっと怪我しにいくんだ」

疲れた様子を隠さないヘレボルスを見上げて、目を細める。
少しだけ意地悪そうな笑みが滲む。いい気味である。

「回復の魔法が使えることは前に言ったっけ?
 傷塞ぐぐらいなら、できるけど」

大して心配しているふうでもないような口調と顔。

ヘレボルス > 「羽虫の気持ちってのは、理解できねェな」

標本の方がましだと、軽く言ってのけるティネの足取りを目で追う。
意地の悪い笑みを向けられることを予想していたのか、は、と短く息を吐いた。

「……最中と言っても、実際に仕事をするのはこの後さ。
 まだ何も始まっちゃいねェ」

鼻を啜る。鼻血の滴が地面に落ちて、赤茶けた包帯の切れ端を丸めて鼻に突っ込む。
回復の魔法については、間を置かず首を振って辞する。

「いや。……塞がれると困る。
 治したのがバレると余計に殴られるんだ」

ティネの乾いた語調に、愛想もなく答えてそっぽを向く。
埃を被ったプラチナブロンドが、ぱらりと崩れる。
側頭部の髪の乱れに、手で乱暴に掴まれた形跡があった。

「てめえにゃイイ眺めなんだろな」

ティネ > 「え? なにそれ。怪我した顔でいつづけるのが仕事だって言うの?
 ……はぁ、せっかく恩を売ってやろうとしたのに」

断りの言葉に目を丸くする。意味がわからないといった表情。
声には憤りに似たものが乗っていた。
もしそうだとしたらバカバカしい話だし、そんな役目を請けたがる性質にも見えない。

しばらく傷付いたヘレボルスの顔を眺めていたが、
見上げる姿勢にも疲れたのか、顔を下ろして視線を別に向ける。

「そりゃキミには大層ありがたい目に遭わせていただいたからね。最初は面白かったさ。
 けど怪我人を治すこともできずに眺め続けたいって趣味もないな」

小さくため息をつく。
笑いの表情はとっくに消えていて、気まずそうだ。

ヘレボルス > 「僕が戦ってズタボロになって、死ぬ直前まで行って、それを治されてまた戦う。
 違う奴の『治し』が入ったと知られたら、実入りが悪くなる。
 雇い主って奴だ。デカい餓鬼さ」

ティネの呆れたような言葉に、ばりばりと頭を掻く。

「僕に興味がない日は、僕が誰と寝ようが誰に魔法を掛けられようが、お構いなしで居やがる。
 ……でも今日はダメだ。完全にオモチャ扱いだ」

目を逸らしたティネを見下ろす。
見下ろす目には陰が落ちて暗い。過日の暴虐の嵐が嘘のように。

「お前だって、羽根がもげてもお構いなしだろうが?
 まるで粗末にしてるぜ」

岩に背を預けて、ずりずりと滑る。
行き場を失くした子どものようだった。

「……お前の恩を買ったら、今度はお前が酷い目に遭う」

ティネ > 最初はヘレボルスの事情をおとなしく聞いていたが、
やがて両手を握ったり首をあっちこっち巡らせたりと落ち着かない様子を見せはじめる。

「なにそれ!
 そいつもそいつだけど、そんなんに大人しく雇われてるキミもキミだよ。
 そんなにお給金いいのかよ、そこ」

ティネの声に呆れと怒りが混じり、知らず知らずのうちに上ずる。
自分の中に溜まった苛立ちのエネルギーを持て余している様子だった。

続く、力ないヘレボルスの――まるで自分を気遣うような言葉に、
ティネは瞬間沸き立って、渾身の力で脚を振り上げて踏み鳴らした。
もっともティネの質量では、音らしい音も響かないが。

「そいつの名前と居場所教えなよ。
 ――ブン殴ってくる」

普段口にもしないような物騒な(そう、物騒なのだ)言葉が飛び出した。
その相貌に、もはや平時の呑気さはどこにもなかった。
自分を駆り立てる理由など、愚かなティネにはわかるはずもない。
どうしようもない怒りと悲しみと苛立ちだけが彼女に把握できるすべてだった。

ヘレボルス > 「そうだ」

興奮したティネの言葉に、力なく笑って答える。

「金に頓着しねージジイなんだよ。だから支払いがいい。
 そうでなきゃ、誰があんな人でなしに大人しく雇われるかよ。
 このご時世、信用出来んのは金だけだ。
 だがそいつも、いつ紙屑に成り果てるとも知れねェがな。…………、」

地面を叩く小さな足の音に、ひととき目を丸くする。
その顔と小さな身体じゅうに、怒りの熱がぐらぐらと立ち込めているのが判った。

「……ナニ怒ってんだよ、羽虫。守秘義務だ」

呆れたような顔を作る。

「自分のことに怒らねーで、僕のことで怒るのかよ。
 今度はその手足がもげちまうとも知らないぜ」

膝を立てて座っていた足の、ボトムの内股が汚れていたことに気付く。血と体液。
小さく身じろぎして、外套の陰に隠す。

「僕らに何が出来る」

ティネ > 「ボクが羽虫だって?
 オマエの今の顔、鏡で見たのかよ。
 そっちはまるで、芋虫じゃないか」

声が震えていた。
怒りがそのまま温度に換わるのならば、きっとこの辺りは溶岩になっている。

ティネは、物事の記憶を曖昧にしか持てない。
目の前の魔人に行われた所業すら、例外ではなかった。
ただ、今ばかりは、ヘレボルスの行いを、言葉を、鮮明に思い出すことができていた。

だからわかってしまった。

背を向けて王都の方向へ走り去ってしまいたかった。
もうこれ以上、自分がどんな顔をしているのか、見られたくなかった。

「……!」

どこか不自然な動きをしたように見えた。確証はなかったが。

「…………」

少しの間、破裂寸前の爆弾のような面持ちで沈黙を続けた後、
意を決してヘレボルスを見上げ、叫んだ。

「見せろ……傷!」

ヘレボルスの元へと駆け寄る。
小さな手足で身体によじ登るか潜り込むかして、
無理にでも傷を探して癒やそうとしたいようだった。

ヘレボルス > ティネからの芋虫呼ばわりに、無神経なほど軽い笑いを喉の奥からくっと零す。

「芋虫か」

かつて目の前の妖精もどきに見せた苛烈な焔も、今は見る影もない。
良いように扱われるままの芋虫で、無銭の傭兵で、虐げられた女の姿だった。

「!」

頑丈な板金の鎧は、小さなティネにもさぞや上りやすかったろう。
よじ登る姿を呆れたように見下ろしていたのが、やがて観念して目を逸らした。

顔の腫れ。鼻血。切った唇。
間近でよくよく見れば、舌先に刃傷。

魔人の身体は、じくじくと歪に癒え始めている。
傷が脈打ち、熱を持って、ヘレボルスの顔を痛みに歪めさせる。
治ったところで、傷跡まで消してくれそうにはない。

逸らした首筋に、一筋の傷。
魔力によって付けられたらしい傷が、治癒を阻み、絶えず血を流させている。
どうやら血と体力とを、この傷から大きく奪われているようだった。
魔法の中に、塞ぐ手立てはなさそうに見える。

「……僕もお前も、なまじ頑丈に産まれついて損をしたな」

笑う。

「『標本』は僕の方だ」

ティネ > ヘレボルスに止められることなく、その身体の上をあちらこちらと
まさしく鼠のように忙しく駆けまわる。
ひとつひとつの患部に手をかざし、触れて、懸命に癒やしの力を行使する。
誰かの傷を治そうとするのは、久しぶりだった。

息を切らせながら治療を行っていたが、ヘレボルスの顔に苦痛が見て取れると、それを中断する。
正しく魔道を学んだわけでもないティネには限界があった。
全身を覆うじっとりとした汗。
身体の上を駆けまわったことと、魔術の使用によるもの、その両面の疲労。

ヘレボルスの諦観に満ちた言葉には構うことをしない。

「何か……」

何かないのか。
傷を癒やす手段――否、傷に抗う手段は。
何かをつかもうとあてどなく伸ばされる手は、しかし何もつかめない。

「……何も、」

こぼれた言葉のその先は決して口にしてはならないと、ティネはわかっていた。
この芋虫と同じになってしまう。
歯を食いしばる。
身体に鞭打って、板金鎧をよじのぼって、首筋に走る奇妙な傷跡を目指す。

「……」

唇を合わせる。
血で汚れるのも構わずに、抱きついて、その傷に。
何の意味も持たない行為だった。
ただそうしなければいけない気がした。

ヘレボルス > 少しずつ治されてゆく傷に、目を伏せ、薄く開いた唇から掠れた息を零す。
身体が穏やかな温もりを得たかのように、拒んで強張っていた肌が緩む。

「………………、」

打ち棄てられた人形のようにだらりと下ろされていた手が、ゆっくりと持ち上がる。
懸命なティネの様子に、何事かを言いかけて、止める。
掛けるべき言葉を、労いを、何も持っていなかった。

熟れすぎた果実が自ずから裂けたかのような、異様に深い傷。
そこへ触れたあまりに小さな唇の感触に、それでも爪先がぴくりと跳ねた。

「ティネ」

掠れた声が零れ落ちる。
血は止め処なく溢れ、肌を濡らし、ティネの唇を汚す。

傷は到底塞がる気配はなかった。

持ち上げた手のひらが、徐にティネの背を包み込む。
抱擁にしてはちぐはぐで、ぎくしゃくとして、優しさの欠片もなかった。

それでいて傷口を丸ごと引っ繰り返したかのような甘い痺れが、ヘレボルスの背を震わせた。

「この僕が、そんなに哀れか」

ティネの心中を測りかねた様子で尋ねる。

ティネ > その時は、多分、自分の口をとにかく塞ぎたかっただけなんじゃないか、
と、その行為のあとで考えた。
自分のなかで嵐のように荒れ狂う感情は、ひとたび口を開けば声の形をとって
吐き出されてしまうだろうから。

「……」

影が落ちる。ヘレボルスの手が覆いかぶさった。
引剥されて放り投げられるかと思ったがそうでもないようだった。
自ら首から身を浮かせる。顔と肌と粗末な衣服が血にべったりとまみれていた。

「あわれ?」

首をかしげる。ティネもヘレボルスの言葉の意味を測りかねていた。

「……ボクは腹が立ってしょうがなかっただけだ」

次いで、顔を伏せる。
興奮に荒げていた呼吸を、なんとか整える。
落ち着いて、理路を自分なりに整理していく。

「こんなことするやつなんて、誰もいないし、いなかっただろ。
 キミの雇い主だって、そう思ってるはずだ。
 こうやって、思い通りにならないことがあるって証明してやれば、
 少しは、気が晴れる……
 そう、思っただけだよ。ひねくれてるんだ」

またヘレボルスの首に身を預ける。
包帯のように身体で傷を覆うティネに、血が新たな染みを作っていく。

「……余計だった?」

ヘレボルス > 自らの地で汚れたティネと向き合う。
ぼんやりとした眼差しのまま、瞬くことで辛うじて生気の残っていることを伝える。
返す言葉もなく相手の言葉を聞きながら、荒れた冬の野を見つめる。

余計だったか、と問われて、いや、と否定した。

「余計だとは思わない。
 ……だが、ばかなやり口だ、とは思った」

腫れが引いて、まだ赤みの残った顔で囁く。

「……これで僕はまた殴られて、給金も減らされることになる。
 お前はお前で、あとで僕に憂さ晴らしに使われるだろうよ。
 お前の一時の気晴らしで、結局は堂々巡りだ」

ティネの背に添えた指が、その身体に絡み付く。
小さな身体の弾力と実在とを確かめるように……

だが、それもごく一瞬のことだった。
ティネの服の襟元を指先で抓み、傷口から引き剥がさんとする。

「そんな風に他の奴のことで腹を立てるだけ、羽虫よりひとつや二つは細胞も多いらしい」

ティネ > 「頭が足りないのは、言われなくても知ってる。
 キミのほうで、もっと頭のいいやり口を考えてくれると助かるんだけど」

嘆息。
ヘレボルスの指の動くままに、そこから引き剥がされる。
すぐにでもこうされなかったのが、ティネにとってはむしろ不思議であった。
このままどこかに放り投げられるか、あるいは虐待されるかのどっちかな、
と、指にぶらさげられながら、いっそ呑気に考える。

「好きにすりゃいいよ。
 ボクのことを慰み者にするなり、雇い主サマに献上してご機嫌を伺うなりね」

漠とした表情。
そのどちらも別に良くはない。良くはないが、

「キミに好き勝手扱われる分には、ボクは構わないから」

叙情的な文脈で使われるような台詞であるというのに、
それが当然の道理だとでも言うように乾いた言い方だった。
この粗暴者が自分を害さないだろうと、高をくくっているわけでもないし、悲壮さもない。
おそらくこの荒くれ者の気には召さないだろうけれど、他に言い方も見つからなかった。
すべては自分のためにやったことで、その返礼がどうであろうが恨む余地もない。

自分を一瞬包んだ指の感触を、目を細めて思い返しながら、静かに沙汰を待つ。

ヘレボルス > 「……は。
 僕の方こそ利口でないことくらい、お前にはもう判ってるだろう」

ぶらりとするティネを、それこそゴミでも抓むかのように持つ。

「だからそうやって醒めたような口を利かれるのが、僕は大嫌いだ」

足を踏み出す。
土を蹴り、岩を上って、丘陵を駆け上る。

街道を見晴らす。

強い風が吹いて、ヘレボルスの乱れた髪を解いて流した。

眼下の街道をゆく、幾台もの幌馬車からなる商人の一団。
迫る夜の帳から逃れるように道を急ぐ彼らの先は、王都へ繋がる道だ。

「お前の悪運が勝ったなら、『殴りに』行けよ。
 富裕地区の、劇場通り――」

長い髪に遮られて、ヘレボルスの顔を窺うことは出来ない。
ティネを掴み直し、大きく振り被る。

「ファルケだ。
 ――魔術師の、ファルケ!」

未だ距離のある商隊に向かって、ティネの身体を放り投げる。
幌馬車か、積み荷の中か、あるいは外れて道に放られるか。

投げる狙いだけは、ひたすらに正確で。
あとはそれこそ、ティネの『悪運』次第なのだろう。

――どうあれティネが着地した先からこちらを見上げたとしても、ヘレボルスの姿は既にない。

魔人の色濃い血の汚れと匂いだけを残して、あとは宵闇。

ご案内:「メグメール(喜びヶ原) 街道」からヘレボルスさんが去りました。
ご案内:「メグメール(喜びヶ原) 街道」からティネさんが去りました。