2017/09/04 のログ
ご案内:「王都マグメール 貧民地区2」にヴェルホさんが現れました。
■ヴェルホ > 行政的な区画として「ここより先はスラム」という明確な境界はない。しかし、暗黙の境界線はある。
たとえば、貸家の家賃がガクッと変動するライン。たとえば、厄介事を好まない憲兵がパトロールの踵を返す定位置。
……ここは、そんな場所。
男が背をもたれかけるのは名も知らぬ誰かの家屋。きっとこの右隣の家は、左隣の家よりも生活水準は高いのだろう。
時は昼下がり。なれど人通りはまばら。治安のレベルも違う2つの地区をまたいで行動する者は、平民には少ない。
「…………………」
残暑の蒸し暑さに包まれた通りを、路肩からじっと眺め続けている一人の青年。
その姿は、なんと全裸。シャツや貫頭衣どころか、下着1枚、布1枚すら纏っていない。
体格の割にそこそこ大きめな男性器を、へその下からだらしなくブラリと垂れ下げている。
彼はそのみじめな姿を恥ずかしがる素振りは見せない。腕を組み、至極真面目そうな仏頂面で、少ない往来を丹念に目で追っている。
……そして、そんな彼に熱い視線を投げかけられているはずの通行人もまた、彼を気に留めるような様子はない。
たとえスラムの最奥だったとしても、全裸で巷にたたずむ者は決して無視されないはずだ。
しかし、彼は決して誰にも咎められない。なぜなら、ヴェルホは透明人間だからだ。
■ヴェルホ > どすん、どすん。
大げさに脚を踏み鳴らしながら、板金鎧を纏った大男が平民地区の側から歩いてくる。
背にはバックパックとグレートソード。あからさまに冒険者だ。
ヴェルホは、並の神経の持ち主であれば決して不用意に視線を向けないようなその大男に、無遠慮な眼差しを向ける。
(あっちからこっちに行くってことは、貧民街に何か用事でもあるのかな?
……それとも、王都の外へ冒険にでも行くのかな? こんな時間から? 余裕ッスねぇ~)
ヴェルホは不可視の瞳をらんらんと見開きながら、黙考する。問いかけの形をとった思考だが、当然応える者はいない。
彼の前を過ぎ去っていく大男。ヴェルホの視線は、彼のお尻……もとい、腰のベルトに注視されていた。
大男の懐具合を。財布の位置を。巾着の紐の締め具合を。油断なく、鋭い視線で解析する。
男に油断があれば……あるいは、巾着に包まれた金貨がリスクに見合う量であれば、ヴェルホは躊躇なく行動に移る。
(………いってらっしゃい、先輩。どこに行くかは知らねーけど、せいぜい気をつけてな)
残念ながら、今回ヴェルホは動かなかった。この大男、ベルトに財布をぶら下げるような肝の大きい男ではなかった。
心中と視線で大男を見送り、ヴェルホはふん、と小さく鼻を鳴らした。
そしてまた、人間観察業へと戻る。
■ヴェルホ > 昼下がり、いまはまだ往来は少ない。たまに行き交う人はいても、多くは冒険者か憲兵だ。
しかし、もう少し陽が傾けば、様相は変わる。ヴェルホはそれを知っていた。
夕暮れ時は、娼婦を始めとした「夜の世界」の住人が動き始める時間。
貧民街から、より地価の高い地区の娼館へ。あるいは逆に、治安の良い場所から、仕事の多い貧民街へ。
ヴェルホの人間観察業の主なターゲットも、そういった夜の住人達だった。経験上、彼らは金の管理が甘い傾向にある。
(……ま、俺は男だからな。金よりも女だぜ、女)
この時間でも、女性の通行人は決して皆無ではない。
通りの向こうから女性の影が歩いてくるのを見定めれば、ヴェルホは音もなく壁から背を離し、より一層眼を大きく開いて、じっと観察する。
顔立ち、背丈、スリーサイズ。衣服の価格や手入れの届き具合。過去に見たことのある女性であれば、着こなしの違いも。
当然、財布の位置や重さなども欠かさずチェック。最悪の事態が起こらないよう、武器の所持・非所持もくまなく確認。
そして、ヴェルホのおメガネに叶う人物であれば、彼はストーキングを開始する。
人気のない路地裏に入ったり、立ち話を始めるなど明確な隙を見せれば、すかさずスリを働くことができる。
それに、住居が分かれば……もし同居人がいたとしても、単独になる時間が分かれば、ヴェルホが取れる行動も大きく増える。
空き巣するもよし、部屋の隅に居座って彼女の赤裸々な私生活を覗き見るもよし。あるいは……手を出してもよし。
(………ふぅ、まだまだ夏だなぁ。あっちぃぜ。素っ裸だから幾分か楽だけどよ。早く夕方にならねぇかな……)
やはりまだ、ヴェルホは動かない。首を振りながら、そっと家屋の壁に背を預ける。
そして天を仰ぎ、忌々しい太陽が西の城壁に隠れる時を待ち焦がれる。
透明化の副作用で、いくら全裸で屋外にいても肌が焼けることはない。しかし、汗は垂れる。
陽光に熱された砂利道に落ちた汗はすぐに蒸発して跡形もなくなるが、注意深く道の路肩を観察する者がいれば、彼の存在に気づけるかもしれない。
■ヴェルホ > また一人、冒険者風の装いをした男が道を往く。先程と違い、今度は貧民街の方から平民地区へと。
ヴェルホは背の低いその男にも視線を投げるが……すぐに、目を逸らした。
(あらあら、大変だねぇ。今日も成果なしって感じかね)
朝方に一度見かけた男だった。身に纏うはひび割れたレザーアーマー。腰に下げる短刀は、鞘の留め金までも錆びている。
短刀の近くには小さな革袋も垂れ下がっているが、中には硬貨が1枚しか入っていないことは素人目にもわかる。
それが金貨か銀貨かは知る由もないが……今朝彼を見かけた時も、その革袋は同じ形をしていたのだった。
(………冒険者、か)
通りかかる冒険者に勘付かれないよう、用心深く溜息をつく。
ヴェルホもかつては冒険者だった。四肢の器用さと勘の鋭さを活かし、盗賊の技を学んで冒険に役立てていた。
9歳のころから冒険稼業の世界に身を投じ、着実に実績も上げ、歳にそぐわない財を手にしたこともあった……すぐ使っちゃったけど。
最終的に王都ではそこそこ名の知れたシーフとなっていたのだ。
……しかし、身体が透明になってしまった今、かつてのような暮らしを送ることはできない。
表情も伺えず、仕草を見せることもできない現状。社会的な生活は……まぁできなくもないだろうが、大変な困難を伴う。
冒険者の仲間に加わったとしても、チームワークなど望むべくもないだろう。
(透明人間になっちまったことで、できるようになったことも多いけどな……だけど)
失ったモノのほうが多い、とヴェルホは自認している。
例えば、道行く通行人から財布を丸ごとスリ取って、気付かれなかったとしても。彼にはその金貨を使う術がないのだ。
酒場に行って冷えたビールを注文することもできない。八百屋で仕入れたてのオレンジを買うこともできない。
……盗もうと思えば、なんでも盗めてしまうのだ。しかしそんな彼に、貨幣も財宝も大した価値はないのだ。
それでも、ついこうして通りに佇み、道行く人の値踏みをしてしまうのは、なぜか。