2017/09/05 のログ
■ヴェルホ > (……俺って、誰だったかな)
最近、どこか哲学者めいた疑問が脳裏をよぎることが多くなった。しかしこれは禅問答ではなく、本当にわからないのだ。
『ヴェルホ』という名は偽名。1年前、不可視の盗賊として生きることを決意した際に、自らを再定義した名前だ。
当然ながら、この名を公に用いることはまずない。口にしたことも数えるほどしかなく、語る相手はたいてい野良猫や心無い獣だった。
……しかし、ヴェルホはいつからか、己の真の名を思い出せなくなっていたのだ。
マグメールの冒険者社会に一定の知名度を誇っていたはずの、若きシーフの名を。
(……………………)
ちょっとしたアクシデントにより、姿が消えてから。享楽を優先し、姿を消し続けることを善しとしてから。
彼は王都に身を置き続けながら、徹底してその姿を隠し続けた。気配さえも、痕跡さえも、一片たりとて残さぬよう。
……しかし、今思えば「完全に消える」ことは無理な話だったのだ。完全なる消失は、事実上、死にほかならない。
透明な身体を活かしてこれまで通りの盗賊稼業を働くということは、少なからずやこの社会に傷跡を付け続ける行為である。
結局のところ、気配を消し風に紛れて生きようとしても、スリや痴漢などといった反社会的行動によって『跡』を残し続けなければいけない。
それこそが、ヴェルホが『生き続ける』唯一の手段なのだから。それをやめてしまったら、彼は意味論的に死んでしまうのだ。
「………チッ」
思わず舌打ちが漏れる。たとえそれが真実だったとしても、容易に認めてしまうのは極めて歯痒い。
痕跡を残し続ければ『不可視の重犯罪者』の存在が公になるのはそう遠くない未来の話になる。
そしてそれ以上に、己の盗賊の技、盗みの手管はそんな陳腐なものではないという自負があったのだ。
ヴェルホが10年近く研鑽してきた技術は、みじめな若者1人を生かす命綱として彼の中で終わる……そんな結末は認められない。
居心地が悪くなったか。透明な男は音もなく壁から背を離し、姿勢を正し、貧民街に向けて忍び足を始めた。
……透明人間ヴェルホ。彼は、自分自身までもが見えなくなってきていた。
ご案内:「王都マグメール 貧民地区2」からヴェルホさんが去りました。