2023/04/25 のログ
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」にアロガンさんが現れました。
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」からアロガンさんが去りました。
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」にアロガンさんが現れました。
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」にヴェルソートさんが現れました。
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」からヴェルソートさんが去りました。
アロガン >  分厚い雲が陽の光を遮って、昼であるのに何処か薄暗い。
 雨の気配はなく、風が少し冷たく頬を撫でていく天候だ。
 それを重苦しく感じるのは、そこが治安の悪い場所だからだろうか。

 黒いスーツに似た服装をしている複数の者が、貧民地区に散らばっている。
 首には銀の特性の首輪が見えるように襟首に巻かれており、彼らが奴隷であることを示している。
 そのほとんどが体格のいい男であり、中には女も混じってはいるものの明らかに戦闘慣れした猛者の雰囲気を纏っているだろう。
 彼らは単一の目的をもって行動しており、決して逃亡奴隷ではない。
 統制が取れた動きで、貧民地区を巡っている。

 狼の耳に尾を持つミレー族の男、アロガンもその中の一人だ。
 目的は狩り────と言えば見栄えするのだろうが、実際には商館に売られてくる予定であった奴隷が逃亡し貧民地区へ逃げ込んだ為、山狩りならぬ貧民地区狩りでその逃亡奴隷を探しているわけである。
 たかが売られてくる予定の商品が一つ逃げたところで、奴隷商アバリシアの商会長は気にしないだろう。
 だが時折こうして、奴隷たちを試すのだ。
 己の立場を、役割を、境遇を理解し、命令通りに動くことが出来るかどうか。
 ある種の試験。
 課されたそれをクリアできれば褒美が、出来なければ仕置きが待っているのだから、奴隷たちも本気になるだろう。

 己も逃げる────という思考を少しでも見せれば、たとえ同じ食卓につく奴隷同士であっても剣を向け合うことになる。
 アロガンは手に長い棒を武器として持ち、数名の奴隷たちと貧民地区の北側で捜索にあたっていたが、途中細かな分かれ道が出来てしまったので、散開することになった。
 今は一人、貧民地区の中を歩きながら注意深く周囲に視線を凝らしている。

アロガン >  貧民地区というのは王都の周縁部分に位置する。
 平民が誰かに騙されたり、破産したり、襲われて身ぐるみを剥がされたりと、他にも何らかの理由で金をなくし、日々の生活もままならないような状態になってしまった者たちが行きつく先。
 柄の悪い破落戸などが住み着き、力を持つ者が弱い者からさらに搾り取ろうとする。
 貧民地区に住む者同士の諍いや事件は絶えず、娼館に売られたり奴隷商人に売られたりと、治安は乱れているのが現状だが、王都内を守る役人や兵士ですら貧民地区の中では一方的に圧をかけたりはしないそうだ。
 アロガンは少なくともそういう認識ではあるが、事実として助けを求めた相手が自分を襲う者以上の悪党ではないとは限らない。
 中には正義感から弱者を守る立場の者もいるかもしれないが、少なくともアロガンは見たことがない。

「────いないな……」

 路地の行き止まりへとたどり着き、アロガンは息を吐く。
 逃亡奴隷の容姿は聞いているものの、それらしい姿は見当たらない。
 こちら側に来てはいないのかもしれないが、かと言って何の情報も痕跡もないとなると何処かに匿われているか、あるいは危険を承知で外に出ていったか。
 魔族が絡んでいる場合はもっと厄介だ。奴らの中には空間を割いて移動する者もいる。連れ去られていればもはやどうしようもない。

 肩を棒でトントンと軽く叩きながら、顎に手を当てて思案する。
 一度合流地点まで戻るか。あるいはもう少し奥まで捜索の足を伸ばすか。

ご案内:「王都マグメール 貧民地区」にツァリエルさんが現れました。
ツァリエル > 行き止まりにてしばし立ち止まるアロガンの耳に、不意に騒がしい気配と、女性や人々の叫び声などが届くだろう。
気配の出どころは、引き換えした手前、違う路地に入って開けた広場のような場所である。

もしアロガンがそちらへ赴くなら、廃屋や小屋が周囲に立ち並ぶ開けた空間にはノーシス主教と思しき聖職者たちが炊き出しを行っているのに出くわすだろう。
だが、どうも穏便に奉仕活動が進んでいるとは到底見えない。
なぜなら広場の中央にアロガンの探す逃亡奴隷のミレー族の若い男が、修道士服の少年を人質に取り
周囲の貧民地区の人々を威圧しているのだ。

粗末な小さなナイフを持ち、少年を後ろから羽交い締めにして首筋にナイフの刃を当てている。
窮地に陥ってもなおギラギラとした目が、獣のように光る逃亡奴隷は鬼気迫った声で周囲の修道士たちに声を張り上げた。

『いいか!これ以上追ってきたら、このガキを殺す!
 ガキを助けたくば、誰も俺に構わず、王都から脱出させろ!』

突如の暴漢の登場に老いた修道士や司祭、シスターたちは為す術がない。
みな一様にうろたえて、逃亡奴隷に必死に説得を試みるも効果はない。
人質の少年は青ざめた顔で、後ろの逃亡奴隷を見上げては息を呑んで大人しくなっている。

このような騒ぎになっても貧民地区の住民たちは我関せずといった様子であり、
ボロボロの住居に引きこもってだんまりを決め込むもの、
暗い瞳に無気力そうに一瞥をくれただけで、ただ黙って炊き出しを待ち続けているもの、
そんな人々ばかりである。
運悪く、王都の警備兵はこんなところまではやっては来るまい。
誰かが逃亡奴隷を取り押さえなければ、そのまま男は少年を引きずって逃げてしまうだろう。

アロガン >  ────捜索中、アロガンの視界が一瞬暗転した。
 急な失神ではなく、いつ来るかもわからないミレーの一族の『血』が見せる異能、未来を予知する力だ。
 砂嵐のように吹く視界の中に、今目の前にない映像が見える。
 探しているミレー族の逃亡奴隷が、ノーシス教の修道服を着た少年を連れて逃げるところ。
 自身で決してコントロール出来るものではないのでほとんど意味をなさない異能だが、たまには役に立つものだとアロガンは耳を澄ませた。

 不意に届いた喧騒に混じる悲鳴。
 それ自体は貧民地区であるここでは、さして珍しいことではない。
 だがそれが異能が見せた未来の一端であるならば、迷いなくアロガンは地面を蹴って声のする方へと駆けた。


 ────広場では貧民地区に施しを与える一段がいた。
 ノーシス教。この国に長く根付く、アロガンにとっては憎むべき異教の徒。
 だが今はそれを差し置いて、逃亡奴隷が人質を取り、叫んでいる様子が伺える。
 アロガンが到着した時にはアバリシアの他の奴隷たちも幾人か到着していたが、人質を取られているために身動きが取れない様子だった。
 ミレー族というのも相性が悪い。アロガンも同様だが、古き神を信仰し続けてきたミレー族ほどノーシス教を良く思っていない。逃亡奴隷の男もまた生まれから奴隷だったわけではないのだろう。
 ならば王国の、異教徒の子供一人殺すことにも躊躇いはない筈で。

 ──近すぎる。それに人の目が多い。

 ここで子供を見殺しにしてあの男を抑えた場合、叱責を受けるのはアバリシアの奴隷たちである。
 貧民地区の中、ノーシス教の司祭やシスター、多くの目がある中で子供を切り捨てるやり方は認められるものではないだろう。
 しばし思案して、アロガンが前に出る。男と人質の少年に、数歩届かぬ間合いだ。
 周囲の視線が集まる中で、アロガンは手にしていた武器の棒をカランを落とした。

「──見逃がしてやる。さっさと行け。お前たちも手を出すな」

 その言葉を逃亡奴隷が真実と受け取るかどうかはわからないが、周囲の奴隷たちにも同様に逃がすように告げる。
 逃亡奴隷がその言葉を真実と受け取るかはさておき、疑いながらも「来い!」と少年を引きずるように、この場から離脱するはずだ。

 一先ずは人気のない場所まで、人目がつかない場所まで、離れてくれればそれでいい。
 アロガンは逃げる姿が遠ざかって見えなくなるまではそのままに、他の奴隷たちへと指示を出した。

「俺が追う。ここの騒ぎを収めておけ」

 匂いは覚えた。逃がすつもりはない。

ツァリエル > アバリシアの奴隷たちが、逃亡奴隷を取り囲んで手をこまねいているうちに
アロガンが一人進み出ては武器を捨てる様子に、逃亡奴隷のミレーは鋭く威嚇するようにナイフの切っ先を彼に向けた。
見逃す、という言葉が本当か嘘かは判別がつかないものの、今この場ではすぐに取り押さえる様子がないのは真である。
逃亡奴隷の男は、アロガンの予想通り、すぐさま少年を引きずるように抱えてまた狭くややこしい貧民地区の路地へ走り去ってしまうだろう。
周囲のアバリシアの奴隷たちは、すぐにアロガンの指示に頷いて周囲の人々から事情を聞いたり、騒ぎを収めようとする。

と、一人の老いた司祭がひどく狼狽えて、アロガンにすがりつく。
青ざめた表情で呻くように、
『どうか、無事にあの方をお助けください!
 あのお方は、この国の高貴な血筋のお一人なのです……!』
などと、こちらも本当か嘘か怪しい言葉を告げた。
奴隷の一人がそれをなだめ、アロガンにすがりついたのを引き離し司祭は神に祈るように両手を組んで項垂れる。

さて、一方の逃亡奴隷と少年修道士───ツァリエルはといえば、
貧民地区からさらに王都の外縁、堀や塀が立ちはだかる場所へと逃げていた。
いくら王都であっても整備の進んでいない貧民地区の堀や塀、あるいは地下水道などは知る人ぞ知る、外へ通じる抜け道なども少しはある。
ミレーの嗅覚と聴覚をフルに活用して逃亡奴隷の男はその些細な抜け道へと辿り着こうとしていたのだ。
乱暴につかんだ少年の細腕を、怒りに任せて引っ張っては急いで王都の外へと逃げ出してしまおうと。
ツァリエルはすきがあれば、抵抗して逃げ出そうと試みるも、ミレーの男の力は予想以上に強い。
言うことを聞かない子供に男は必死の形相で怒りに任せ、『大人しくしろ!』と頬を叩いて、服従を強いた。

だが、そうやって幾ばくかの進行を遅らせたことで、アロガンが急げばぎりぎり間に合う時間は作られてしまう。

アロガン >  逃亡奴隷と少年の姿が見えなくなり、縋ってくる蒼褪めた表情の司祭の姿を無表情のまま見下ろす。
 高貴な血筋が教会の修道服を着ている理由は、奴隷であるアロガンには想像もつかない。
 だが、奴隷に嘘をつく理由もないだろう。嘘を言っている顔にも見えない。
 引き離されて祈る司祭に対して声をかけることもなく、アロガンは淡々と他の奴隷に指示を連ねる。

「他のチームの連絡して呼び寄せるように。信号灯を上げる。すぐに追いつけ」

 地面に落とした棒を拾い上げ、男たちが逃げた方へと向かい走り出す。
 見るからに体力の弱そうな少年を連れての逃亡はミレー族にとって足枷をつけているようなもの。一人で逃げ出したならば距離も空いたかもしれないが、身体強化をしたアロガンが追い付けない道理はない。

 ────地面を蹴り、瓦礫を飛び越え、覚えた匂いを追う。
 ミレー族と少年の二人分。これほどわかりやすい目印もない。
 やがて見えてきた外縁、王都の端の方まで逃げていた後姿を見つけたのは、すぐのことだったか。
 男の手から逃げようとする少年に、怒りの形相で掌を振り上げる男。少年が掴まれていない腕で庇おうとする。
 アロガンの動体視力が捉えたわずかな隙間。

 一気に距離を詰めたアロガンが、鋭く棒を突き出した先は、少年の腕を掴む男の肩だ。
 突きという攻撃は、斬る、薙ぎ払うという攻撃に比べて動作が少なく、一点を狙い打つ時の威力は高い。
 『ぎゃあ!』と悲鳴を上げて、男の手は少年から離れただろう。
 続けざまにアロガンが男の腹部を蹴り飛ばし、人質であった少年との間に体を割り込ませる。
 揺れる灰銀色の尾が少年の目にうつるだろうか。
 その少年に、アロガンは短く息を吐いて、淡々と告げる。

「下がっていろ。ぶつかるぞ」

 少年の位置を気にして棒術を満足に振るえないとあっては本末転倒だ。
 それを理解してくれるのであれば意識は逃亡奴隷へと向けるが、動けないようであれば違う手段を取るだろう。
 棒術の基礎的な構え、正面を見ながら両手で棒を持ち、肩に置いて身を固めて隙を潰す。

「大人しく投降するなら、少しは優しくしてやるぞ」

 そう時間をかけるつもりもない。
 ミレー族という同族。その言葉をどう受け取るか、怒りに我を忘れて襲ってくるか、注意深く警戒しながらアロガンは男へ言い放つ。

ツァリエル > 逃亡奴隷のミレーがツァリエルへ怒りに腕を振り上げた瞬間だった。
まるで銀色の閃光がほとばしるように両者の間に割って入ったように少年の目には映った。
アロガンが、奴隷へ鋭い突きを繰り出し、さらには腹部を蹴り飛ばしてツァリエルとの間に割り込んできたのだ。
アロガンの言葉にツァリエルは、目で動きは追えていても動作に出るまでに少々間をおいて、
しかし自らを助けてくれたアロガンの邪魔をするまいと、すぐに言われた通り素直に下がって戦いの行く末を見守る。

棒術の構えを取るアロガンに対し、逃走奴隷の男もすぐさま飛び起きては臨戦態勢に入る。
相手はチンケなナイフしか持たないミレーであるが、構えと同時に内在する魔力によって
アロガンと同様に身体強化を施した。

『抜かせ!奴隷落ちなんざ、まっぴらだ!』

逃亡奴隷が叫ぶや否や、アロガンへとお返しとばかりにナイフを鋭く突き出し急所である胸部や頭部、目を切りつけようとする。
身体強化の乗った動きは凄まじく、そこらのチンピラであるならば圧倒することが出来ただろう。
ただし、運の悪いことにこの男の前に立つのは、きちんと訓練を積み基礎を身に着けたアロガンという猛者だった。
どうやらこの男は正規の訓練を積んだわけでも、戦いに秀でているわけでもない。
ミレーの身体能力は甘く見積もって五分だとしても、習得した技術ではアロガンに軍配が上がるだろう。

アロガン >  少年が離れた気配を背後に感じ、アロガンの視線はまっすぐ同族の男を見据えている。
 臨戦態勢に入り、同じように身体強化をするのを見て取れば、アロガンの双眸は細められ、鋭く、冷徹に、同族を見据えた。

「残念だが、お前の行く先は俺と同じ場所だ」

 首につけられた首輪。この国の奴隷制度というものに身を堕とされ、王国の民のルールの中に押し込められ、自由も尊厳も奪われて檻の中に閉ざされるという現実。
 過去、男と同じ年の頃に奴隷になったアロガンも抗ったものだ。
 その都度、アロガンよりも先に奴隷となってきたミレーたちに告げられてきた言葉だった。

 突き出してきたナイフを持つ手を狙って下から上へ、棒の先を叩き上げる。
 硬質なそれは棒という長物でありながらまるで鞭のようにしなやかな動きで男の手を弾き、パンッという音を立てて遠心力で回転した棒の先が男の側頭部を打つ。
 棒術による戦いは突きによる間合い管理と、遠心力の回転によって棒の上下も関係なく打撃を与えるということ。
 力任せに叩きつけることではなく、柔によって剛を制する体術に似て、下半身の動きで定まる。
 ただの喧嘩のようなチンピラ殺法程度では、ナイフを振るう間合いに入ることすら出来ないだろう。

 両の掌から棒を離すことなく、男の足を払い、その回転のまま首を打ち、よろめく所に背中を穿ち地面に転がしたところで、肩と足を踏みつけて封じ込める。
 流れるままに最小限の動きでミレー族の男を打ち臥して、アロガンはガンッ、と男の眼前に棒を突き立てた。
 刃物がついていないとは言え、勢いがあれば頭蓋骨も砕ける武器だ。
 男の戦意を消失させるには、おそらく十分だっただろう。

「目が覚めたら、まずはお前の名前から聞くとしよう」

 そう告げて、ヒュンと僅かな風を切る音と共に振るわれた棒が男の意識を刈り取った。


 黄色い煙を吹きながら上がる信号灯が空に向かって弾ける。
 ほどなくしてアバリシアの奴隷たちが集まるだろう。
 男の手を後ろ手に拘束して放置してから、改めて視線を周囲に向ける。
 人質となった少年を、あの広場に返さねばならない。そう遠くへは行っていないだろうと思いつつも、その姿を見つければ此方へ、と近づくように手招いた。

ツァリエル > 戦いの勝敗はすぐさま決着した。
アロガンの諦観を含む言葉に激昂した逃亡奴隷の男は、決して油断していたわけではない。
だから自分の持てる力───身体強化の術も使用したし、同族だからといって甘い覚悟で振るったナイフではなかった。
しかし悲しいかな、武術においての技量の差は絶対無比の実力差として表れた。

ツァリエルは後ろに下がりながら趨勢を見守っていたのだが、
武術に疎い自分であってもはっきりとわかるほど互いの力量はかけ離れていた。
それだけアロガンの棒術が優れ、また鋭い攻撃であったことがわかったのだ。
ほとんど力む様子もなく、最小限の動きだけで男を打ち倒したアロガンが強者として男の戦意を喪失させた。
青ざめるミレーの男が、意識を刈り取られる刹那、叫んだ。

『ちくしょう、お前だって同じミレーのくせに!!』

しかしその悲痛な叫びだけを残して男はぐったりとその場にうちふせられた。


アロガンが信号灯を王都の空に打ち上げるのを見守りながら、
ツァリエルはアロガンと逃亡奴隷とをそっと交互に見つめた。
どちらも同じミレー族の男性。
かたや首に奴隷の証の首輪をつけ、かたや奴隷になることを拒んだ者。
これが王国の現状であることを深く胸に刻み、しかしやるせなさから胸の前で両手を組んで強く握りしめた。
アロガンがすっかり仕事を終え、自分に向かって手招きをするのに素直に応じる。
屈強な男性に近づくと見上げることになり、恐る恐る尋ねた。

「どうも、ありがとうございました……。
 あの、お怪我は……」

言いかけて、あれだけ見事に一方的に相手を制圧した猛者にかける心配ではない、と首を振った。
代わりに、深々とお辞儀をして

「助けていただき、改めて感謝をいたします。
 けれど、その……お辛いことをさせてしまったこと、お詫びいたします」

同じミレー族を自らの手で奴隷として捕まえたことに対する、その胸中はいかばかりかと
勝手に相手を慮った気になった心から、出てしまう言葉であった。

アロガン >  男の残した発言が、アロガンの表情を変えることはなかった。
 十年、二十年、これから先もアロガンは死ぬまで奴隷だ。
 ここで男に手を貸し、逃がし、共に逃げるという選択肢がなかったわけではないが、そうする理由もなかった。
 それだけのことだ。

 手招いた少年が近づいてくるのを見ながらも、アロガンの表情は変わらぬ冷淡さで。
 灰色の目がまっすぐに少年を見据えている。
 金髪に特徴的な褐色の肌、その頬がうっすらと腫れているのを見れば、男に暴行を加えられたのだろうと分かる。
 礼を受け、怪我を案じる問いの後に、首を振って頭を下げる姿を見ながら、やりづらそうに尾を揺らす。
 同じミレー族を傷つけ、奴隷へと堕とすことを辛いことだと、それを詫びてくる少年に眉間に皺を寄せた。

「こんなことは珍しいことではない。……それよりも、こちらの事情に巻き込んだことに詫びなければならないのは私の方だ。怪我は?」

 高貴な血筋を確かに感じる少年に一人称を改め、頬をトン、と叩く仕草で怪我のことを示しつつ、具合や他に何かされていないかという意味で問いかける。
 大勢で逃亡奴隷を追いかけ、追い詰めていなければ、彼が人質に取られることもなかった。
 まして大勢の目があるからと、一度は男を逃がしたのはアロガンの判断である。
 アロガンはその巨躯を屈め、少年の前に片膝をつくと、美しい青の双眸を見据えながら「すまなかった」と詫びの言葉を告げた。

ツァリエル > 「こんなことは珍しいことではない」───。
その言葉がよりツァリエルの表情を曇らせた。
そう、これが王国の現在で、何も珍しいことではない。
特に貧民地区という理由でもなければ、アロガンがたとえやらなくても、
他のミレーの奴隷が、同じミレーを奴隷として捕まえるだけで。

悲しそうにアロガンの真っ直ぐな灰色の瞳を見つめていたツァリエルは、怪我のことを問われてやっと
肉体的な痛みを思い出したように片頬を手で押さえた。
けれど今は胸の痛みのほうがずっと強い。

「……いえ、怪我は叩かれただけですから、平気です。
 他にひどいことは何もされていません。
 ですから、その、どうかこの方がこの後ひどいことをされないように
 あなたのご主人にも悪いことをお伝えしないようにしていただけませんか?」

奴隷へと落ちるミレー族の男が、この後辿る運命は過酷なものになるに違いない。
一時、ツァリエルが気を遣ったところで、どうしようもないのだろうが
せめて折檻や仕置が軽くなったり、なくなったりすればいいとは思わずにいられない。
紳士的に片膝をついて自分と視線を合わせて詫びの言葉を述べるアロガン。
表情の変化こそ冷淡で微細なものであるが、灰銀の耳と尾と、その奥底に秘める優しさに、
ツァリエルは自然と美しいミレーだと思った。

「……こちらこそ、色々とお手数おかけして、ごめんなさい。
 その、あなたが助けてくれて、良かったですし、すごく、かっこよかったです……」

照れくさくなって少しはにかみながらツァリエルは告げた。

「戻りましょうか。司祭様たちが心配していらっしゃいます」

アロガン >  奴隷の環境について心を痛めていることが分かるが、彼が何故胸を痛めるのかが理解出来ない。
 ミレー族が奴隷として扱われることはもはや王国にとって常識というものだ。
 勿論そんな状況を変えようとする者も少なからずいるのかもしれない。
 上等な服、奴隷に様々な知識と技術を学ばせ、飲食と寝床の環境を与えている奴隷商アバリシアも、見方を変えれば奴隷を保護しているとも言われている。
 だからと言って、この国が変わることはない。
 国が変わるのは、王が絶対的な力を持つ時だ。
 そして、この国にそんな未来はないのだとアロガンは思っている。

 少年が頬に手を添えながらも、暴力を振るった男の未来を心配していることも、不思議だった。
 純真な想いからそう言っているのだろうが、アロガンにとってそれは何の意味もなさない言葉だからだ。

「……この男がどのような扱いを受けるかは、この男次第だ。
 言葉で納得しない者は、苦痛を以て思い知らされる。
 苦痛を耐え抜こうと歯を食いしばろうと、終わらない痛みに屈する時は必ず来る。
 仮にこの男の苦痛を和らげる為に私が報告を濁したとして、
 義務を果たさず感情で動き、主人を騙そうとした私が代わりに仕置きをされるだけだ。
 ────奴隷がまず覚えることは諦観だ。何かしらを諦めねば自分を守ることが出来ない」

 そこまで語ってから、アロガンは口に手を当てた。
 こんなことを聞かせるつもりはなかったというように灰色の目が横へずれて少年から背けられる。
 はにかみながら礼を言う少年の言葉に対し、アロガンは何も言わず立ち上がって、軽く手を振った。
 ほどなくして、同じ服装をした奴隷たちが数人やってくる。
 逃亡奴隷は複数人で運ぶことになり、アロガンは二名ほどを連れて、戻りましょうと言った少年と共に広場へ向かうことになるだろう。


 広場へと戻れば、アロガンに縋ってきた司祭が少年の姿を見て、安堵しきったように駆け寄ってきただろう。
 無事であるかどうかを確かめるように問いながら、怪我を見つければいたわしそうに気にかけ、すぐに治療士を呼びに行かせている。

「それでは、私たちはこれで。お騒がせしまして申し訳ございません」

 慇懃に礼をし、詫びの言葉をかける。
 他に何もなければ、アロガンたちは富裕地区にあるアバリシアの商館まで戻ることになるだろう。

ツァリエル > アロガンの告げる、逃亡奴隷のその後の現実と、奴隷としての心構え、奴隷たちの日常、理(ことわり)。
愕然とした表情になりながらも、ただ淡々と事実を伝えるアロガンの言葉を最後まで聞き終えて、
それからツァリエルはさっと顔を赤らめ、自分の身勝手さを恥じた。

「……ごめんなさい。
 この人のことを良かれと思ってお願いしましたが、身勝手でした。
 何より、救ってくださったあなたが責められてしまうのならば、
 そちらのほうがより耐え難いことです……」

たった数刻前に会い、たまたま助けられた相手ではあるものの、
それでも自分にとっては恩人であり、彼もまた奴隷として諦観を抱えていることを知ると
それ以上は何も言えなくなってしまった。
アロガンもまた、口に手を当て言葉を切ったのを見て、少し自分の身勝手な願いを気まずく思う。

アロガンと奴隷二人、それからツァリエルが広場に無事に戻ってきたことに司祭を始め修道士やシスターたちは
とても喜んで安心した様子で迎え入れた。
治療師を呼びにいかせたのを見送りながら、去ろうとするアロガンたちへツァリエルは最後のあいさつを済ませようと近寄り

「本当に、ありがとうございました。
 ……よろしければ、所属と、お名前を伺ってもかまいませんか……?
 後ほど、お礼をご主人のほうにお伝えしたく思いますので」

そう言って小さく微笑んだツァリエルが、アロガンに尋ねる。

アロガン >  少年の無知ゆえの純粋な心配りを責めるつもりはない。
 そういう救われて欲しいという想いを向けてくれる存在がいることは、奴隷たちにとっても救いになる。
 そう告げようと思っても、上手く言語にはならなかった。
 彼自身に非はなくとも、少年の纏うノーシス教の色が、アロガンに口を閉ざさせたのだろう。

 広場に戻った後に、囲まれていた少年が最後にと此方へ近づいてきたのを見て、二人の奴隷の視線が向けられる。
 この中ではアロガンが最年長だ。代表として属する場を応えることに否やはない。
 少し逡巡した後、アロガンは胸に手を当てて告げた。

「奴隷商会"アバリシア"の奴隷。アロガンと申します。
 我らが"父"にお伝えしておきますので、ご用命の際は奴隷商館の方までお越しください」

 特定の個人の貴族に仕えているわけでなく、奴隷商会の商品であることが知れただろう。
 通常の奴隷商ならば、金を積めば奴隷を買うこともできるが、アバリシアは貸し奴隷で商いを行っている。金と資格があればアロガンを含め様々な奴隷を借り受けることが出来る。とはいえ、普通に借りる方が積み重なれば奴隷を購入するよりも高額になっていくのだが。
 なんにせよ、彼が商館に訪れる機会があるのであれば、縁があれば再びまみえることも出来るだろう。

 今度こそ頭を下げて、アロガンたちはその場を後にすることになるだろう。
 アロガンたちに課された試練は、無事に越えられた。
 のちに彼が商館に手紙や使者を送ったとして、アロガンが"父"と呼んだ商会長は彼に使者を送り、奴隷商館の利用資格である会員証を得ることが出来るだろう。
 それをどうするかは、彼次第である。

ツァリエル > 確かにアロガンの口から所属している───否、身請けされている奴隷商会の名前を聞かされ、
アバリシア、アロガンさん、とツァリエルは口の中で小さく復唱し、

「わかりました、ありがとうございます」

とこちらもまた深々とお辞儀を返し、その場を辞した。
周囲の司祭やシスターたちが、奴隷に対しても礼儀を尽くす、この高貴な少年の様子を苦い顔で見つめたり
複雑な表情をしたものの、咎めることはしなかった。

後日、王城より使者がアバリシア商会へと遣わされる。
それは紛れもなく、アロガンの救った少年が王族の一員であることを示すものであり、
またきちんと恩人であるアロガン個人を名指して、商会長へ褒賞や形ばかりの礼を尽くすお言葉などを伝えるであろう。
奴隷商会への利用資格者の会員証というコネを得る土産までついてきたこと、
ツァリエル自身はどう思うかは置いておいて、彼を擁立する貴族や王族たちはさぞ満足しただろう。

王城の窓より、遠目に見える貧民地区の眺望を見て、ツァリエルは出会ったミレーのことを
時折振り返りながら、また会えるといいなと密やかに思っていた。

ご案内:「王都マグメール 貧民地区」からツァリエルさんが去りました。
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」からアロガンさんが去りました。