2022/05/28 のログ
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」にユージンさんが現れました。
ユージン > 貧民地区の内側に括られていようとも、此処に立ち並ぶのがグレードの低い店ばかりとは限らない。
今宵男が居るのも、そんな酒場のひとつだ。
店の外観は少々粗雑にも見えるが、店内に足を踏み入れたならばその印象は180度変わる事だろう。
カウンター越しに見える棚には各種の銘柄のラベルを貼られた酒瓶がずらりと並び、宝飾店のショーケースに陳列された装身具のような壮麗さを醸し出す。更に目を引くのは、カウンター脇のスペースに置かれた大仰な鍵盤楽器。
いわゆるグランドピアノと言うやつだ。
その日の飲み代を安酒にぶち込んで粗野な話題に興じるような荒くれどもには無縁の、文明人じみた装置である。

「…………相変わらず、店内だけは金が掛かっていやがる」

カウンター傍から店内を見回した男がボヤきながらグラスの冷水を一息に呷り、そのまま顎に手をやった。
顎を撫でた手に返るのは、つるりとした滑らかな違和感。
日頃慣れ親しんだ筈の無精髭は其処になく。
着慣れた粗末な衣服ではない、礼服の拘束具めいた着心地が何とも鬱陶しい。

いいからさっさと仕事をしろ。
そう言わんばかりのマスターからの顎をしゃくるような仕草に「へいへい」とぞんざいに手を振っては、空のグラスをカウンターに残して席を立つ。そのまま億劫そうに立ち上がる猫背は、ピアノの傍に辿り着く頃には“まるで頭の頂点から糸で天井に吊るされた”かの如く、ピンと真っ直ぐに張った背へと変わっている。

明らかに荒くれとは違った客層を一巡するように視線を巡らせては、腰を折って大仰に一礼。
くるりと身を翻す仕草も軽やかに、木製の椅子へと腰を下ろす。
あらかじめ譜面台に据えられた楽譜を一瞥することもなく、行儀よく並んだ白と黒の鍵盤に乗った十本の指。

指先がひとつの鍵を叩き、高らかに響く音。続けて軽やかに踊る十指。
それぞれが思い思いに動き回るように見えて、その実生み出す音のすべてが絡み合い、旋律としての意味を成す。
今この時、店に流れる音のすべては男が支配していた。

ご案内:「王都マグメール 貧民地区」にミンティさんが現れました。
ミンティ > 貧民地区の中でも、あまり足を運ぶような事がない場所にある一軒の酒場。頼まれ事を果たすためにやってきたけれど、道中からびくびくとしきり。店内に踏み入れてからは、思いのほか格調の高そうな雰囲気に気圧されて、縮こまるような格好になっていた。
付き合い以外ではお酒を嗜む事もない自分の目でも、高級そうなボトルだとわかるものが並ぶ棚。大通り沿いの大衆的な酒場とは異なる空気の中、野暮ったい自分の服装を恥じながらも、店内をきょろきょろと見回して、知った顔を見つけると、ほっと一息。なるべく足音を立てないようにそちらへと向かう。
胸に抱えていた小さな包み、注文されていた品物を給仕をしていた女性に手渡して、肩の荷が下りた気分。

「間違い…ないですか?……よかった」

渡した品の確認もしてもらって、深く頭を下げる。またなにかあればいつでも、と挨拶をして。
そこにいるだけで緊張してしまいそうな場所から、あとはこのまま退散するだけ。また気配を殺すように、そろそろと出口へと向かっていたけれど。

「……ゎ」

流れてきたピアノの旋律に足を止めた。
そちらへと視線を向けてみれば、タキシード姿の男性が鍵盤を弾き、奏でている姿が目についた。
雰囲気から名のある演奏家なのだろうかと思ったりしつつ、先ほどまでの緊張を忘れて、ついつい聞き惚れていた。
孤児院にいたころは定期的に小さな楽団がやってきたりしていたけれど、今では、楽器の演奏を楽しみにいくなんて滅多にできない。高鳴る鼓動を抑えるように、胸のあたりでぎゅっと手を重ねながら、耳に意識を集中して。
時間が経つのも忘れ、思わずその場に立ち尽くしてしまっていた。

ユージン > 男の演奏が耳目を引いたのは弾き初めの数分。
さりげなく演奏はトーンダウンを重ね、いつのまにか単なる環境音楽へと移行している。
客たちもまたそれに釣られるようにそれぞれの語らいや酒の味を愉しむ事に意識を移していた。
尤も此処はコンサート会場などではない。酒場というのは、あくまで酒を飲むための場所なのだ。
今の彼の役割は、店内の雰囲気を形成して居心地の良さを演出するための音響装置なのである。

(しかし退屈だ……。おれはもっとバカみてえな曲を演りてえんだよなあ……)

そんな彼に、強い関心を抱いた奇特な客が居ることには露知らず。
あくびを噛み殺し、いかにも真面目な演奏者然とした雰囲気を身に纏いつつ、男は事務的にピアノを弾く。
それなりに実入りの良い臨時の仕事とは言え、好きな曲を自由に弾けないのは若干窮屈だ。
格調高くお行儀のいい、そんな大人しめの曲よりもアップテンポで曲調の激しい粗暴な楽曲こそが男の好むところ。
本来この店の客層ではない、酔っぱらいの荒くれどもが興奮して踊りだすこと請け合いだ。
……少年時代の彼に演奏を教え込んだ教師が知ったならばきっと卒倒してしまっただろうが。

予定されていた曲目を無難に弾きこなす。その頃には、さしもの彼も自分に向けられた注目には気付いていた。
なにせ、他の客は飲み食いと談話にご執心。席に座ることもなく立ったまま注がれる視線には少々のこそばゆさも覚えるものだ。
曲目をすべて演奏し終える頃には、流石に疲労を覚えて額や首元は汗で濡れていた。
ちらりと横目でカウンターのマスターを見れば『交代して良し』のハンドサインが出ていた。
〆代わりに鍵盤の上に指を滑らせれば、椅子から立ち上がり客席に向けてはじまりと同様の一礼。
そのまま寄って来た交代要員と入れ替わるようにしてステージを降りる。
新たな奏者のピアノ演奏が始まる中、カウンターの隅に腰を下ろせば額に滲む汗を胸のポケットに畳んでいたチーフで小さく拭い。

「……どうだい、今回はちゃんと演奏できただろマスター。報酬にはイロつけてくれてもいいんだぞ」

返事の代わりに寄越されたグラスに注がれた酒を無造作に呷る。
喉を焼く痛みにも似たアルコールの強い刺激に呻きながらも、続けて二口目を呷る。

「……っはァー! 仕事の後の一杯、最高だァね。
 ところでこれ、給料から天引とかはやめてよね。粋じゃないよそういうの」

などと言いながら軽く振り返る。
娘はまだそこに居るだろうか。もし居たのなら。

「へい、そこのお嬢さん。良かったらおれと茶ァでもしばかない?」

そしてカウンターの向こうの禿頭のいかついマスターへと告げるのだ。

「……いいからさっさと持ってこいよ、酒以外。あ? 見りゃ分かんだろ、ありゃ未成年だろーが」

ミンティ > 孤児院での演奏会は子どもが楽しめるような、賑やかな曲がメインだった。だからみんな好きに踊ったり、手を叩いたり、好き勝手に歌ったりしていたけれど、昔から自分はいつもこうだ。さすがにあのころのように、部屋の隅で膝を抱えながら、微動だにせず演奏者を凝視し続けるような事はしてないけれど。
足を止めて、胸を押さえた姿勢、そのまま置物みたいに固まっている。
始めの鮮やかな音色の連なりから、聞き流せるような、空間に溶けこむみたいな演奏に移り変わっていっても、それは変わらない。
鍵盤を叩く指に注目したり、空気の震えに睫毛を震わせたりして。

こういった酒場で奏でられるような曲目は、あまり耳馴染みもない。これは知っているという曲に当たる事はなかったけれど、それも新鮮な感動となっていた。
まさか、当の演奏者が退屈に思っているなどとは想像もしない。
ほとんどの人がその場の環境音として聞き流している音楽に、もしかしたら一人だけ、胸を躍らせていたかもしれない。
先ほど取引をした知人の給仕が移動する最中、そっと壁際に移動させられる間だけ、びくっと震えて我に返ったけれど、またすぐ演奏に気持ちをさらわれて。

「…………っ」

どれくらいの時間がすぎたのかもわからない。
演奏が終わり、立ち上がった男性の一礼につられたように、ぴょこんとした動きで自分も深く頭を下げていた。
それから視線を正すと、胸の前で小さく手を叩く。そう大きな音を立てた拍手ではなかったけれど、騒ぐ人もいない酒場の中では目立ち、うっすら頬を染めて慌てふためき。
まだ余韻に浸りながら、はあっと深く溜息。音楽に魅了されて、そわそわと浮ついた気持ちを持て余していると、不意に声をかけられた。
また、びくっと、その場で跳ね上がるように反応し。

「……え、ぇ、と……?…っ、…ぇ、……あ、……っ、わ、わた…し?」

演奏中とは人が変わったような雰囲気の男性。
こんな壁際に立ち尽くしているようなのに声をかけたりもしないだろうと、周囲を見回してみるものの、他にお嬢さんに該当しそうな人物も見当たらず。
すこし躊躇したものの、おそるおそる、呼びかけに応じてカウンターの方へ歩み寄る。

「わ…たし、で、間違いない…でしょうか。……ぁ、あ、そうだ、あの、演奏っ…す、素敵、でした。
 あ、……あ、えとっ……、演奏の、お、お金……っ」

小さな声でも届く距離まで近づいてから、お茶に誘われたのが自分で間違いないか、再度確認。
それから慌てふためいて、財布を取り出した。周囲の誰もそうしていないのに、こういう時にはチップを渡すものだと勘違いして、コインを手掴み、差し出して。

ユージン > 「そうだよ、キミキミ。さっきからずっと見てただろ?
 あんだけ熱心に聴かれてたら、やっぱ気になっちまうよ。……まあ、悪い気はしなかったけどな」

演奏が終われば、最初からは嘘の如く崩れて弛緩した雰囲気を醸し出している男。
先程までのそれはどちらかと言えば表面上の装い。そして、これこそが男の素なのだろう。
窮屈な襟元のタイとボタンを緩めては、整髪料でクセを抑えて整えたと思しき黒髪をくしゃくしゃと掻き回す。
丁寧に櫛を通したストレートの黒髪は、途端に鳥の巣めいたものへと変わった。

「……あ? 次の出番? 大丈夫だよ、そん時までにはまた整えとくさ」

マスターからの咎めるような雰囲気を抑えるように先んじて軽口を叩けば、再び男の視線は娘へと。

「さて、なんだったか……。ああ、そうそう。
 みんな飲み食いに夢中だってのにあんたはしっかり聴いててくれてたよな」

素直に賞賛を向けられて、悪い気はしない。寧ろ良い気分というものだ。
続けざま、コインまで差し出されていよいよ男はハッキリと分かる程に機嫌を良くしたらしい。

「……え、うっそマジで? これくれんの!? おれに!?」

すかさずコインに伸ばしかけた手。
それは結局コインには届くことがない。横からマスターが伸ばした手が受け取っていたからだ。

「……ああ、なるほど。おれのチップはそのまんまお嬢さんの注文分になるって事ね。
 へいへい、それじゃあそれでいいよ」

元々の取り分が減った訳でないならば―― 男の内心は不承不承であったがすぐに気付く。
自分向けのチップでそのまま颯爽と彼女に奢ってやったというカタチになるのではないか、と。

「……ってことだ、お嬢さん。座って好きなもん頼みなさいよ。元はあんたの金だ、遠慮は要らねえぜ」

ミンティ > 演奏をしていた時に見ていた男性と、自分に話しかけてくる今の男性が本当に同一人物なのかと、すこし呆気に取られていた。
手品でも披露されたように、ぱちぱちとまばたきを繰り返す。普段はあまり人の顔をまっすぐ見れないけれど、仕掛けを探すように凝視して。
タイを緩め、髪を掻き回す手には、あわあわと狼狽しながら両手を伸ばしかけた。整えられたものが崩されるから、反射的に直そうとしたのだけれど、さすがに触れるまでには至らず。

「…あ、え、と。……す、すみません。じっと見て、やりづらかったり…しなかったでしょうか…
 その、…こんな風に、演奏を聞くなんて……あまり、なかったので…
 ここが、なんだか、ふわふわする気がして……、わ、わくわくした、というか…」

生活費から捻出したおこづかいで観劇に行ったりする事はときどきあったけれど、こんな風にステージにいた人と話をする事はなかった。
別の世界にいるように感じていた演奏者との会話にしどろもどろになりながらも、いつもの口下手さが出て、黙りこまないように、思うままを素直に言葉にしていく。

「っ……!!」

感動を伝えるつもりで差し出したコインは、横から伸びてきた手に回収された。
予想外の事態に、びくうっと跳ねたあと、今度は驚きで高鳴った胸の鼓動を押さえて。

「…え、と、…じゃあ、あの、失礼…します。
 ……好きな…もの。え…と、お酒は、あまり、付き合いで飲まされるくらいしか…ないので。
 ミルクとか…ない、ですか?……なければ、あの、弱くて、甘いもの……だと」

誘われるがままスツールに腰かけると、いかにも緊張しているといった雰囲気で、膝の上に両手を重ね、背筋をぴんと伸ばした姿勢。
どこを見ても大衆向けの酒場とは違った雰囲気にきょろきょろと落ち着かない様子で、なにを注文していいのかにも戸惑い。
男性と酒場のマスターを交互に見ながら、どちらに伝えたつもりなのか、ミルクかお任せ、の意思を伝える。

ユージン > 「普段はもっとみすぼらしいカッコをしててな。どっちかと言うとそっちのが気楽なんだが」

それだと店に入れて貰えねえンだよなあ、と付け加えながら男はグラスの中の琥珀色の液体をちびちびと啜る。
当然だと言わんばかりに鼻息荒くグラスを磨く店主を他所に、評価を聞いたならば男はこれまた気分を良くしたらしい。

「別にやりづれえって事はねえけどな。腐っても金もらってやってるわけだし。
 ……まあ、そこまでストレートに褒めてもらえると気恥ずかしい気持ちはあるがな。
 おれァ小遣い稼ぎで弾いてる身なんでね。別に本業のピアノ奏者とかじゃねえのよ」

欠員が出たときの補欠だがね、と続くマスターの言葉。
本業でやるのはまっぴら御免だね、とでも言わんばかりに男は肩を竦めてみせた。

「ン。酒なんて好きで飲むんじゃなきゃ飲まないほうが良いよ。
 ガキと大人じゃ舌の作りが違うんだ。大人になって舌がバカになってから好きなだけ飲みゃ良いのよ。
 ……ほら、飲めねえヤツ向けに茶ぐらいは置いてあるだろおっさん。ついでにミルクでも添えて出してやれよ」

おどおどとした様子の娘をリードしてやるという訳でもないが、そう告げる頃には既に手際よく準備はされている。
言われるまでもない―― そう言いたげな瞳がじろりと男を見る。
……が、当の男はそれには気付かない風を装ってグラスの残り少ない、溶けた氷で薄くなった中身の酒をケチ臭く啜った。

「……で、お嬢さんはお名前なんて言うのさ。 かく言うおれは、ユージンって言うんだがね」