2020/09/08 のログ
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」にマレクさんが現れました。
■マレク > 王都周縁。貧民地区などという身も蓋もない呼ばれ方をされる貧しく危険なその場所に建つ孤児院の前に、家紋の入った馬車が停まっていた。
「目玉の下半分を横切る、円を描く蛇」。その紋章がラノエール家のものであることを知る貴族は少ない。余りに小家であり、王宮の社交界でも正式には相手にされ難いからだ。ただ、この孤児院での知名度は高い。何故かと言えば。
「やあ、やあ、皆さん。お待たせしました」
眼帯をした男が御者台から降り、群がってきた孤児へ手を振る。その男、ラノエール家の当主は彫りの浅い端正な顔に微笑を浮かべ、荷台から箱を下ろし始めた。中身は古着や保存食、傷薬や栄養剤といったもの。
これらは商品ではない。この男は、寄付をするために荒れ果てた貧民地区へ、1人で馬車を操りやってきたのである。
■マレク > 「いやいやお金持ちなどではないんですよ。新しい使用人を雇う余裕もないもので、こうして、たった1人でとぼとぼっ……おっと!」
危なっかしい仕草で荷物を下ろす、貴族に化けた魔族の密偵。この孤児院にいる子供達は、マレクという男をとんでもない大富豪だと思い込んでいる。何故か?無知な子供でさえ知っている大貴族は、一度たりとも此処への寄付を行っていない。だというのに、この男は足しげく通っては食べ物や服を届けに来るからだ。
「待っていて下さいね。今日はおまけもありますから」
笑顔を浮かべる孤児たちに笑みを返し、男は薬の入った箱を地面に降ろした。この物資を贖う為の金を如何にして得たか?勿論、汚れ仕事である。貴婦人への脅迫、腐敗貴族との癒着、上流階級における売春の斡旋。
男は心底、寄付という行為を楽しんでいた。指先ひとつ動かすだけで、一言囁きかけるだけで手に入る金。そんなもので、人々の喜びを容易く買い取れるからだ。自分に金を払う者達、自分から物を受け取る人達。共感能力で読み取れる彼らの想い。その落差が、男にとってはこれ以上ないくらい面白いものだった。
■マレク > 男にとって、大宴会などは単なる騒動であり、名匠の絵画などは話題づくりの小道具に過ぎない。人々から湯水のごとく迸る感情を浴びる方が、何倍も心地よいのだ。
「おまけというのはですね……はいこれ、お菓子です。慌てないで! 人数分ありますからね」
小ぎれいな飾り箱に入った、チョコレートとクリームをふんだんに使ったケーキを見せた途端に沸き返る孤児たちを制止した後、同じく用意してきた皿とフォークを荷台から取り出して埃避けの布を取り去る。
勿論、純粋な趣味だけで寄付をやっている訳ではない。マグ・メール王国の不安定化を図る上で、貧民地区に住む「打ち棄てられた人々」からの支持を集めておくのは重要なのだ。
そうでなくとも、恵まれない子供らの中に磨けば光る原石が見つかることがある。何らかの才に秀でた彼らを然るべき場所に紹介すれば男には金銭がもたらされるし、少女であれば、しかも見目麗しければ、それだけで利益を生むのである。
「テーブルの用意をして頂けますか? ほら、この間買った、外で食べる時の、横に長い……そう!それです!」
趣味と実益を兼ね備え、任務にも貢献し、何も知らない人々から喜ばれて、楽しくない筈がない。鼻歌混じりの男が、孤児たちに声をかけつつ皿にケーキを盛りつけていく。
■マレク > 「後は飲み物を用意しないといけませんね。院長は……ご用事ですか。何時頃お戻りに? いえ、あの方の分も残しておかねばいけないでしょう?」
孤児たちを預かる存在について訊ねる男。こういった、短い目で見ると利を生まない施設というのはこの国の支配者層から良く思われていない。彼らが庇護しているのは孤児院とは名ばかりの、幼児性愛者向けの売春宿だけだ。
おかげで、子供達を真摯に守ろうとしている此処の院長は厄介な立場に立たされることが多い。大体は孤児院の存廃をちらつかされ、美貌と肉体を差し出す破目になる。孤児を守りながら、貴族に何をされているかを隠し通そうとしているのだから、いじらしいものではないか。思い出し笑いをしつつ、テーブルに皿を乗せていく。
「折角のケーキですから、お茶を淹れましょう。台所を使わせて頂きますよ」
子供達の為に忙しく動き回る男が、茶葉の入った袋を手に孤児院へと上がり込む。
■マレク > 「……ん?」
幼い声で「ねえ、マレク」と呼びかけられ、其方を向く。孤児の美少女が、心配そうに自分を見上げていた。
「待っていて下さいね。今、お茶を……」
持っていきますからね、と言おうとしたが、少女が口を開いた。「院長先生は、私達の為に酷いことされてるんだよね?」と。薄暗い部屋で、湯が沸くまで待つ男は笑みを消し去った。
「……私からは何も言えません。君のような率直な子供に、嘘はつけない」
内心を押し殺し、神妙な表情で首を横に振る。美しい少女がまた口を開いた。「私、先生を助けてあげたい」と。その言葉に、男は思わず笑みを浮かべた。
「その時が来たら、助けられるかもしれませんよ?」
湯が沸いた。茶葉を入れたティーポットに熱湯を注ぎ、染み出したものを小さなカップに注いでいく。「今直ぐに助けたいの」と少女は尚も言う。
「それは……院長が、お許しにならないでしょう」
言いながら、沢山のティーカップを乗せた魔族の男が孤児院の前へ戻って来る。子供達の「遅い!」「早く!」という声に、いかにも爽やかな笑みを浮かべた。
■マレク > 「さあ……」
ケーキを前にした孤児に茶を振舞った男が、言葉を続ける。
「どうぞ。ささやかですが、楽しんでください」
最後に茶を置いたのは、先程院長の身を案じた美少女の席。彼女は何か言いたげだったが、ケーキにがっつく子供達の歓声が上がると微かに笑って、他の孤児と同じように菓子を食べ始めた。
「君達は素直ですねえ、本当に」
自分は茶だけ飲む男が、ケーキにがっつく孤児たちを見下ろして口角を持ち上げる。この寄付さえ、疑いの目を向ける貴族は多い。「民に媚びても領地は増えないぞ」だとか「下々の英雄にでもなるつもりか」だとか、何度言われたことか。
不思議なことに、腐った貴族も清廉な騎士も、同じような批判を男に浴びせるのである。その時のことを思いだし、鼻で笑った。哀れな者共。生まれながらにして人を治めるべき立場に在る癖に、大勢の感情が起こす力を、うねりがもたらすものを分かっていない。
「王宮の人達も、皆君達のようなら良いのに」
小さく溜息をつく。