2025/09/15 のログ
■篝 > 「……?」
独り言、なのだろう。呟く声に首を傾げるが、言葉にして問い返しはしない。
遠い地より異国へ渡った忍。その過去の出来事を聞いたことはまだなく、“抜け忍”で、“親を知らない”……それくらいしか、この男の過去を知らない。
きっと尋ねれば教えてくれるのだろうが、踏み込む理由や切っ掛けが無ければ探るつもりは無かった。
相手は忍の師であり、仮初の主だった。
その関係性は、元主との契約が完全に切れたことで、また違う形へと変わって行くのかもしれない。
今すぐに、とは中々いかないものだが――。
「む。拘ります。私は、アサシン……火守ですので。
んぅ……戦場では、役に立つ。一晩で一族郎党皆殺しにすることも、簡単。
使う主次第です」
神の使いとなるか、忍びとなるか。それも主次第だと言う。
この群れを前にして如何にして戦うかをまず考える辺り、やはり師は血の気が多い。戦好きであると言える。
戦闘は目的のための手段であり、目的にしてはならない。以前、娘が口にしたこの思考は今も変わらない。
強くなることもまた、手段であり、目的を果たすための方法に過ぎないのだから。
火守の群れはそれぞれ意識ある個人であり故人である。
幽鬼に似た存在なれど肉体を持ち、命を落として燃え尽きることもあるだろうが、戻るところは黄泉の国。
火之神が求める贄を狩り、火の加護、破壊と再生の恩恵を与えられた守り人は、現世で命を落とそうと、神の下へと運ばれ永遠に仕える運命である。
この場に立つ火守はその中の一握り。呼びかけに応じ、新顔を見に来た者が大概か。
そこに身内以外の者がいれば、当然目が向けられる。敵か味方かと警戒していた物も、娘と師のやり取りで襲い掛かる気はなくなった。
手慣れた様子で印を結び術を使う所を見れば、その術に覚えのある者もいたか、ほう、と目を瞠る。
そんな個々の集合体の群れの中、生を持つ娘は幼い少女のように父の服の裾を握ったまま放さずに、ぽんぽんと頭を撫でられて、上機嫌に尾を左右に揺らしていた。
ふと、石の上に腰掛ける師に視線を向けて。
「時期が関係あるのですか? ん……、それは、困ります。先生を燃やしてしまっては、大変です。
……わかりました。無暗には使いません。
血になる……はっ! 肉? 魚? そう言うのなら、大歓迎です。
ん。んー、うー……。捧げるもの、くべるのは、氣だけじゃなくて、魂……なのだと、私は先生と話して解釈しました。
おそらく正解。だから、火の色が変わった。――合ってる?」
悩みつつも了承し、問いかけには少し考えながら自分の至った答えを述べ、隣に立つ父を見上げて首を傾ぐ。
父は何を考えているのか、表情を変えずに静かに頷き言う。
『加護を受け氣を全て使い切った後、己の命・寿命をくべて火の再点火を行う。その際、氣は無尽蔵に溢れ出る。
……最初から、命をくべずとも普通の術であれば使えるはずだが……?』
「うー……。でも、威力が足りないこともあります。
それに、黄泉戸開きのような術は、青い火じゃないと上手く使えなかった」
父に訴える娘の姿は子供そのもので、耳を伏せて尻尾を下げて。未熟だからなのか、それとも奥義のような大掛かりな術が特別なのかと首を捻った。
だが、その答えを父は教えてはくれない。知らないと言うよりは、教えてよいものかと悩んでいるようで。緋色が師の方へと向き、娘も其れを追って頬杖をつく顔をジッと見据える。
「……無為に失う……、ん……。先生は……私が神火を使うの、嫌ですか?」
■影時 > 「そろそろ、どころでもなく、改めて言うべきでもあるだろう。……こだわりは捨てとけ。
夢を見るのも止めておけ。暗殺者の死に様は見ただろう。悲惨なものだ。
生命の使途を俺に頼るなら、篝よ。
俺はそこに並ぶお歴々に代わってお前の命を預かるものとして、その望みを断たねばならなくなる」
強かろうが弱かろうが。死ぬときは死ぬ。殺されるときは草のように死ぬ。
己が過去は聞かれれば答えるだろう。その真偽、深き処まで知り得るものはこの国にはいない。
何の因果か、昔馴染みの鍛冶師がこの国に流れ着いているが、それでもその全てを知る類のものではない。
さて。ここに過去の火守が揃っているなら、火守=アサシンと思っているのであれば、その真偽、認識の齟齬を確かめる機会に相応しい。
神の使いと宣うのは烏滸がましい。かといって、忍びを名乗らせるのも、どうだろうか。
否。アサシンと名乗るよりはまだ、きっと謎めいていて響きは良い気がしなくもない。
否否。きっと忍びというのも、もしかすると正しくはない。神に仕え、その力を引き出す巫覡とする方が定義としてはより正確ではないか。
己含め、己がかつての一群で神仏の名を呼び、祈願することはあっても、斯くのようにチカラを引き出すことはなかった。
己が信ずる力は神頼みではない。徒党で合力することはあっても、その在り処は常に己が裡にこそあった。
今もまた然り。一番弟子の力を、風神の如きチカラをなぞる。
熱気熱波を和らげ、息の確保を図る。近しい術に覚えがあるものも、火守の中には居るらしい。瞠目の気配を察しつつ声を投げる。
「まだまだ暑さが絶えんが、今の時期は彼岸――此岸より向こうに逝った故人に思いを馳せる時期だからなぁ。
あー、篝。お愉しみのところ悪いが、肉は肉でも血になり易い内臓炒めとかが出るが、良いかね?
……だろうな。氣を燃やして事足りるなら、その手になろうよ、と?」
だから、今の時期に使う忍術なら、的確ではあるだろう。もしかすると今だからこそ使えるものかもしれないか。
そんな予感、感慨を抱く。住処に神仏を祭る祭壇などがあれば、それに相応しい供えものをする時期か。
己が命に諒承の意を示す様を見つつ、たちまち食い気に転ずる有様に苦笑交じりに頬を掻く。
食感的に好き嫌いが問われる類だ。大丈夫ならば良いがとも思いつつ、問いかけされる先の姿を見る。
「……成る程? 中々聞き捨てならんものが聞こえたが、いきなりくべるものではない、か。
であるなら、まだ未熟か条件が必要、といった所だろうよ。
併せて聞きてぇが、くべた命や寿命を補う手があるのかね? 妙に暗殺にこだわる娘御なんだが、そこにヒントが在ったら笑うぞ」
だよなあ、と。歳相応よりなお幼い子供めいた様相に笑い、何やら懊悩する気配に問う。
告げ口めいたことを投げ遣るのは、父親もよく知らないかもしれない口癖じみた思考、志望。故に。こう言葉を継ぐ。
「強い力だと考えなしに奮うつもりならば、厳に戒めなけりゃならん。それでは後先がない。
可能な限り使い惜しめ。命を惜しめ。――命を以て命を奪わなけりゃ、どうしょうもない時が来ぬ限りは、な」
■篝 > 「先生……。私は、火守として父上と同じ、暗殺者の道を歩みたい。
火守は火之神に贄を捧ぐのが生業。暗殺者は都合が良いのです。
――……でも、先生が言うことも、わかります。
だから、“今”は、その意向に従う。暗殺者ギルドに、今すぐ入る心算もないです。
先生が私を捨てるか、或いは私が先生以上に強くなり、先生と刺客を相手取っても勝てるようになるまでは……と」
火守だからこそ、暗殺者となり生きる必要がある。
父と同じ道を歩み、父が成せなかった火守として、暗殺者としての生き様を己がして見せようと娘は願う。
だが、それは望み、夢だ。その夢が、師を巻き込み困らせるものであることは理解している。
故に今は夢を胸の奥にしまっておく。夢を断たせず、いつか叶えるために、力を付けると言う。
保護者に守られている内は、我儘を通すことは出来ない。
自らの力で乗り越えられて初めて自分の望みを突き通せるのだ。
そう教えを授けてくれた者のことを思い出しながら、黙っていれば良いものを正直に願いを秘めたままでいることまで告げるのだから、やはりこの娘は素直が過ぎる。
「……なるほど、時季は理解しました。肉でも内臓……なの、も、理解、しました。うー……」
渋々ながら唸りつつ頷く、と言うか、がくりと頭を下げる様はいつもの作り物めいた無表情とは異なる顔で。
好き嫌いはないけれど、出来れば赤みや油ののった所が美味いので其方をついつい選びがちになる。
内臓、モツの美味い食べ方を知ればその考えも変わるやもしれないが。
父と言葉を交わし、師の問いに二人して耳を傾ける。
首を傾げ見上げてくる娘の視線を感じながら、父は師の方へ視線を向けたまま言う。
『嗚呼。補う、と言うには語弊はあるが。討ち取ったものを贄として捧げることがそれにあたる。
……逆に、殺さず生かしてを続ければ―― 末路は此処に』
拘る理由とは異なるが、結果としては関係のある話。
賭け試合ではご法度とされる殺しを禁じられ、それでも戦い続けた男の末路は娘が語った通り。
骨すら残さず燃え尽き消えた。神に全てを捧げ、徒の一人となったのだ。
氣が少ないのは偶然か、遺伝か。派手に術をいくつか使えば、あっと言う間に尽きて、命をくべて戦う羽目になる。難儀なものだ。
その答えを聞いていた娘は、捧げるものが魂だと気付いてからは察していたのだろう。
驚く気配はなく、耳を伏せて視線を下げる。
「…………、ん……。
それが、先生の命令ならば、仕方ありません。承知、しました」
異論はある。だが、命令ならばと飲み込み反論はしない。
己を駒ではなく、人間にしようとする。それが師の目指すところ。
命を奪い合うような依頼は、きっと師が許しを出さないだろうことも理解したうえで、長い沈黙を挟み、悩み、噛みしめるようにして頷いた。
■影時 > 「贄を捧ぐのに暗殺者が最適、というわけでもあるまいよ。
火之神様が闇討ちした命じゃあなく、真正面から華々しく戦った戦士の命をご所望と言い出したら、どうすンだね。
……といった具合でなぁ。父としての意向、希望などありゃ、聞いておきたいのだが。
ひょいひょいお前さんらを棄てて、この国から居なくなるものかね。
そして、な。篝よ。俺がお前さんに負けるにゃ百万年早いわい。
――火は影を作るものである。名は体を表すなら、俺もまた然りと思わなかったか?」
火の神様がそういうモノならば、全く貪欲なものである。それが美食にこだわり始めた、としたら。
量より質。質よりも量。ただの命ではなく、血気滾った戦士の命を欲するとか言い出したら。
カミサマの意向は分からぬもの。娘が云う在り方が実際正しいのかどうか、幾度見ても判断を付け辛い。
頭痛を堪えるように額に手を当て、かつての火守たる父親に視線をずらして問いかける。
そうしながら、続く言葉に大袈裟に肩を竦めて、ひゅぅと細く、鋭く、息を吐く。
――此の術に大仰な印を組む動作、喚起の身振りは要らない。
ある時期、ある時代に幾度もなく繰り返し、限りなく熟達した奥義である。
普段使いの忍術とは違う。五行回しと嘯く環境操作が手妻と云うなら、これは問答無用の殺し技。その手前に留める。
青炎の花が揺れて。火の華が揺らめいて、影を生む。この術を使って“行って”“戻る”なら、二刹那で事足りよう。
『影渡りて影落とす。臥したる者に影は無し。
………………而して我、影を喰らう者也』
――忍び秘術・禍影渡り。口訣じみた文言の後、そう呟いた次の瞬間。
足元の影に溶けるようにして男の姿が失せ、娘の背後に現れて、また消えて元の場所に戻る。
影から影へと渡り、飛び移る秘術。射程距離が限られるが相互に影が生じていれば遅滞なく死角に侵入し、刃を突き立てる。
単純な破壊力だけを求めるならば色々ある。だが、確実に屠ると決めた時のみ、これを使う。
秘中の秘。此れを見せたのは、娘が見せた大掛かりな術に対しての返礼。同時に問答無用に他言無用を迫るつもりもあり。
「時節が合うのも運命かねえ。……文句は云うな? なまじ血を使う方が悪い。
……末路って云うのも、結構語弊が無ぇかねぇ。やむにやまれずの果て、だろうに。
じゃぁ、使い時は絞られるな。――確実に屠るべき敵であり、必殺を期すべき強敵、怨敵。まさに切り札か」
時期らしい術であるのは、いい。悪くはない。ただ、流した血の分だけはきっちり補わねば。
げんなり気にがっくり頭を下げる様相にくつくつと笑い、視線をずらす。娘の父の方を見遣ってその言葉を噛み締める。
敵を殺して贄とするなら。否。贄としても弱敵相手に使うべき類ではないだろう。
弱い敵を殺すのに大仰な得物は要らぬ。命を命を以て焼くなら、出来るならばそれに見合う方が良い。
確実に敵を仕留めて、消耗分を補える、贄と出来るならば無用な魂の消耗を避けられよう。得心したと頷き。
「その代わり、課題を遣ろう。さっき見せた奴のようにとはいかなくとも、新たに一つ術を編み出せ。
……甘味処でした炎の色の話は覚えてるな? 青き焔に至ったなら、次は白い焔だ。
赤い焔と青き焔のいわば中間。大技のように使えるか、使い出が効く術を模索してみよ」
思う処は、色々あろう。駒ではなく命ある、魂ある者として弟子は育てたい。躾けたい。
胸の前で腕組みしつつ、じっとその顔を見れば小さく笑いつつ課題を差し向けよう。
ご案内:「九頭竜山脈・山中某所」に篝さんが現れました。
■篝 > 「……暗殺……じゃない、なら……正々堂々戦場で勝ち取れと。アサシンでも、正面から戦わねばならぬ時は有りますので。
どのような命であっても、命に違いはないと考えます。ので、えっと……うー……」
言い訳を考えて何とか言い返すも苦しいのは変わらず、たじたじと押されて父の後ろに隠れる始末。
それを見ていた父は、瞬くだけで娘に言い聞かすでもなく。
『好きに、自由に……思うがままに悔いなく生きてくれるなら、それで良い』
父として思い望むことは、娘の自由ただ一つ。奴隷の身から脱したらしい現状は、それだけで喜ばしいことであった。
自由に生きて悔いを残さず終われるならば、天寿を全うなどという贅沢は言わない。
己のように、心残りを思いながら死ぬことがないなら、それで良いと父は思う。
その返答を聞き、後ろに隠れていた娘はひょこりと顔を出し、父の顔をジッと不思議そうに見上げていた。
「……先生が故意にいなくならない、のは……わかっています。今のは、可能性の一つ。
私が絶対先生に勝てない、とは限らない、ですっ! 今すぐとは、いかないけど……百年も掛からない……かもしれない。
う? ん……、それは、どう言う――」
馬鹿にしているのではなく、事実を告げられているだけだとわかってはいる。
だが、それを簡単に認めてしまえば望みを胸に秘めることすらできなくなる。
負けじと言い返し、自信の無さが声の節々から滲んで見えるが、気持ちで負けては何もできなくなってしまう。
せめてもと、意地だけでも張って。
不意に投げかけられた問いかけに疑問符を浮かべ、尋ね返す。
その返答の代わりに見せられた術は、前触れは僅かな空気の揺らぎと呟く声のみ。静かな物だった。
「――っ! ……っ!?」
突然、目の前にいた師の姿が影に消え、驚き目を丸める内に背後へと回りこまれていた。
空間魔法、瞬間移動の如き術。早業で移動したのとはわけが違う。影から影へと移動して、死角から襲いかかる必中の刃は必殺にもなりうる鋭さを有すだろう。
驚き固まるしかできなかった娘は、己の未熟さ、百年単位の実力の差を見せつけられる結果となった。
そして、また音もなく元居た場所へと一瞬で戻るのを見届け、無意識に尾を膨らませ気を逆立てていたことに今更気付き、慌ててそれを隠す様に尾を両手で抱えて毛繕うふりをした。
その様子を横目に、娘の手が離れ、握りしめた後の残る裾を見下ろしていた父は、師の言葉に顔を上げる。
『……如何なる理由があろうと、結果は変わらない。しかし、貴殿の気遣いは痛み入る。
奥義とは、本来そうあるべきものだ。切り札であり、見せたならば確実に仕留め口を封じねばならん』
娘と師のやり取りから、気心の知れた仲であり、尊敬を抱いた上下関係もうかがえる。
良い師弟関係なのだなと親目線で一先ず安心できる相手の手に、娘が置かれている現状に安堵した。
だが、それはそれ。本来であれば、術を見て知ったこの男を生かしてはおけぬと言うのが、父――否、一族の共通認識であった。
襲い掛かることが無いのは、呼び出した本人である娘の号令が無いからに他ならない。
娘に向けていた柔らかさは瞳から失せ、燃える緋の眼が師を、一人の忍を見据えた。
その僅かな空気の変化を感じ取りながら、娘は父の傍を離れ、境界線のように広がる青い焔を跨ぎ現世へと戻る。
「……課題、承諾します。
必ず、成して先生に認めさせます」
言い渡された言いつけも、命令も、全てを守ると真面目な顔で述べて師を見据え。
一呼吸置いてから振り返る。徐々に燃え広がった火が弱まり、一人、また一人と、背を向け去って行く徒を見送りながら、父へ再び別れを告げる。
「父上、またいつか。或いは、いずれ其方側で」
父はその言葉に静かに首肯を返し、娘の後ろにいる娘の師へ向けて一礼をする。
その礼には、娘を託す親として、最初の師としての意思が込められていた。
やがて、焔は消える。緋色の群れは去り、焼けた草木の跡だけを残して――
■影時 > 「その点がまだ甘い。
標的から察されず、護衛からも気付かれず、決して相対することなく事を為すのが暗殺よ。
……甘いと言ったら、親父殿もか!
せめて自分の轍を踏まねェようにとか云ってくれねえかね。事情を聴いたうえでなら無理にとは云わねえがよう」
この分だと、兎に角命を奪い贄と出来ればそれで済む。そんな鷹揚さ、アバウトさを感じずにはいられない。
いつぞやの卿の暗殺のように、己にすら看破されず為せてこその一流、凄腕と云う見方も出来なくも無いが、はてさて。
正面から行くのも忍んで殺るのも、窮めるには深く。果てがない。
そんな域に進もうとする娘を諫める言葉のひとつ。ふたつは欲しかったが存外にこの父親、娘に甘くないだろうか。
否。事情も事情だ。己からすれば甘くもなる。激アマにもなるだろう。思わずくしゃくしゃと髪を掻き、噛み締めるように口の端を捩じって。
「まぁ、そうだなあ。可能性というのは色々考えておくに越したことはない。
――この流儀自体はきっと多く溢れている。だが、術のひとつを極め深めるなら、此れが己によく馴染んだ。
俺の通り名のひとつは「鬼面衆」。伯爵の元に出張った時とかの、あの姿だ。
あれは同じ格好をしていた仲間や、そいつらを模して分ケ身の術を使ったからでもあるが、分身でも、同じことがやれぬとは思うまい」
希望を抱く。願望を抱くのは自由。それ自体を咎める気はないが、無茶なものなら戒める必要はある。
いずれ己に勝るほどの、というのは分の悪い賭けではない。十二分にあり得ることだろうが、数年程度で負ける気はない。
訓練や試験で使うつもりはないが、とっておきを見せておくのは、威圧とするには余りあるものだろう。
余計な予兆、前振りもなく、最低限の意識と所作で為せる秘術。しかも、それを分身という群れで成せうるという暴挙。
あからさまな殺し技故に普段使いは出来ない。必殺以外は使えないという制約、縛りを己に課している。
此れを使うしか、と思わせる位に――なってみせろ。尻尾を膨らませ、取り繕う仕草を見つめながら、じっと小柄を見つめ。
「礼には及ばんよ。罷りなりにも師匠を気取ってる以上は、無理無茶はしないように心掛けるつもりだ。
そう。見せてくれた此れは、切り札だ。……血族と謂えどそうそう易く、彼岸と此岸を跨いじゃあいけねぇわな」
黒装束の切れ長な緋の目が己を見つめる。小柄ではない。長身細身の黒髪の方だ。
掛かる言の葉に肩を竦めつつも、複数の緋の目が己を見る意味をよく知る。
互いに奥の手を見せ合った。であるなら、生かしておかぬ。口をふさがねばなる――というのが、道理である。
とはいえ、無理くりにそれをやる気はない。そうする前に向こうの時間が来る。
「期待している。あぁ、ヒントが欲しいならそのうち見せてやろう」
真面目な顔で見据え、見やる姿に肩を竦めつつ笑って、次第に弱まる火勢を見遣る。
去り行く徒を見送り。そして何より、一礼をする姿にこそ深く礼をする。頭を下げよう。
すべてを見送れば――残る微かな火の匂いを強く記憶に留めつつ、残った鍋の中身の事を思い出す。
何にしろ先ずは食べよう。分かち合って喰おう。腹が満ちればこそ、仕事をを果たす氣力を充ちるというもの――。
■篝 > 甘いと言われてしまうと言い返す言葉も無くなってしまう。
それは父も同じようで、二人揃って顔を見合わせ、同じように男の方をチラリとみる。
娘の方は、暗殺者が暗殺の何たるかを他者に説かれる情けなさに肩を縮めて耳を下げ。
父親の方は甘い自覚は十分あるようで、スーッと眼を逸らして涼しい顔を決め込む。
両者無言でやり過ごしてしまう。こういう所が、やはり親子なのだろう。
髪を掻いて呆れている様子の師には、諦めてもらう外なさそうだ。
「むぅ……。鬼面衆……なるほど、一人でありながら衆と名乗る。ぐ、むむ……」
五行の技の得意が何かは聞いたが、それ以外の技、先ほどのようなものは初めて見せられた。
最も得意とする技ならば、練度の高さは当然として、馴染み培ったが故の技の切れか。
あれを分身全てが使えるとなると、ますます恐ろしい技である。
今の己では捌き切ることは勿論、逃げることも出来る気がしない。唸るのが精いっぱいだった。
他の火守や父は気圧されている娘と違い、落ち着いてはいるが警戒は強まったように見える。
今は争う場ではないが故に殺気までとはいかないが、流派の異なる忍、暗殺の技を持つ者同士、思う所は有るらしい。
一人娘であり、一人の若き火守を託す。
父として、一人の徒として、互いに礼を交わし、それを別れの挨拶とした。
彼岸を渡り黄泉へと戻る徒は去り、残るは小柄と男が一人。
「はい、期待に応えられるよう精進いたします。
……ヒントは、少し……一度、自分で考えてから。答えが見つけられなかったら、その時に」
師の言葉に頷き答え、最初から頼り甘えるわけにはいかないと戒める。
何れは挑むべき壁となる相手だと、今一度理解したのだろう。心構えを変えるべく、自分を律して甘えを退け……きれずに少し甘えが残るのもご愛嬌。
焚火の灯る方へと歩みながら、新しく与えられた課題に今から悩む。
スープの残りをちょっとだけ摘まみながら、今夜は中々眠れぬ夜を過ごすことになるだろう。
ご案内:「九頭竜山脈・山中某所」から篝さんが去りました。
ご案内:「九頭竜山脈・山中某所」から影時さんが去りました。