2025/09/14 のログ
> 肉が寝床にあって喜ぶ者はそうは居ない。特に、この二匹は食えぬ立場故、文句が出るのは当然のことだろう。
便利が故に生じるマジックボックスの難しい問題だ。

頭を撫でてやれば目に見えて喜ぶシマリスは愛らしい。
ついつい撫でながら口元が僅かに綻んでしまう。しかし、その反対側の肩で抗議するように尾を揺らす片割れに気付けば、手を止めて。
杓子を反対の手に持ち換えて、モモンガの頭も軽く空いた左手で撫でて宥めては、ぐつぐつ煮立ってスープの表面に浮かんでくる灰汁を掬いとる。

「ん、承知しました。ここに、灰汁は捨てる」

指示に従い、軽く掘られた穴の中へ灰汁を捨て、鍋を眺めてを黙々と続けていた。
料理の手伝いとしてはまだまだ初級も良いところ。灰汁を取って、火の番をするだけなら子供にもできる。
その内、また牡丹餅の作り方を教えてもらえるそうなので、そこで習うものにも期待しつつ。
離れた場所から聞こえてきた独り言にピクリと耳を揺らし、意識を向けた。
怒気のある物を省いて、草やキノコを刻む包丁の軽快なリズムが続く。牡丹餅づくりでは得られない経験値が必要そうな作業をこっそり盗み見て、まだまだ料理の道は険しく遠いと感じたりして。

「はい、かなり古そうに見えましたが。そうでしたか、ミレーの……」

正体を聞けば納得して、一度目を伏せるも、落ち込むことも哀愁に暮れることもなく、直ぐに顔を上げた。
ミレーの里はいくつも存在する。奴隷として、搾取され虐げられる立場になったからは、小さな集落に分かれて暮らすことで、種の存続を図っていたのだろう。
かく言う娘の両親も小さな隠れ里に身を置いていたと聞く。そして、そこは奴隷商人に襲われ、住人がいなくなり里も消えたとか。
その話を聞かせてくれたのは、奴隷の身を窶してしまった後の父からだった。
きっと、生き残った者や、逃げ延びた者は、他の里に逃げ延びることが出来たのだろう、とも。
此処に住んでいた住人もそうなったんだと言われた方が、まだ救いがある。
奴隷になってしまえば、待つのは人を人とも思わぬ輩の食い物にされるだけ。それを身をもって娘は良く知っていた。

寂れ朽ちたかつてのミレーの里を嘆くほど、幼かった娘に里での記憶はない。
何処にあったか、はっきりとした場所も、命を落とした母の顔も、欲は覚えていなかった――。

暫しの沈黙が落ち、鍋に最後の仕上げ――味付けを施すのを隣で眺めていると、いつの間に完成したのか、椀が差し出され具沢山のスープからは白い湯気が立ち昇る。
匙と共に差し出された其れを両手で受け取り、くんくんと匂いを嗅いだ後、手ごろな場所に腰を下ろして座り。

「……美味しそう。先生、いただきます」

匙を手に取り、小さな具を掬い何度も何度も息を吹きかけて冷ましてから、口に頬張り。
その瞬間、伏せた緋色が大きく見開かれ、更にもう一口と手が動く。
空腹と言う最高のスパイスも相まって、それはそれは美味しそうにスープを味わう。

影時 > 現在愛用する魔法の鞄は用立ててもらうに辺り、色々な特徴、有用な内容が盛り込まれている。
だが、それはあくまで使う側にとってであり、中に入る側には幾つか配慮しないといけない点がある。
気をつけなければ、イヤイヤと頭を振る二匹から思いっきり噛まれる。……とても痛い。
そんな二匹の片割れ、モモンガも撫でて宥めて貰えれば、仕方ないでやんすね――デレてないでやんすよ?とばかりに、肩を竦める。
モモンガ特有の尻尾を垂らすのではなく、背中に背負うようにぺたんとやるのは、リラックスしている様子らしい。
灰汁を掬い、捨てる所作を見れば、二匹は邪魔にならないように肩上にちょこんと収まって。

「そうだ。浮かんだ奴はそこに捨てる。徹底しなくて良いからなー?程々残る位が滋味になる」

掬う灰汁はそのまま捨てても良いかもしれないが、一応は捨て場所が分かる方がいい。
最終的には、野草の根やら取り除いた骨含め、焚火の痕跡ともども埋め立てる。
全部まとめて煮込む男の料理だ。もう少し食いでが欲しい、物足りないなら、固焼きのビスケットを添えるとしよう。
毒キノコはもの次第では毒薬の材料にも出来るが、今は考えない。それよりも、だ。

「……――とは言うが、そう思えるだけで確定事項じゃアない。
 だが、この辺りに隠れ里が在ったという話を出立前に聞いた。であるなら、確度は高いだろうよ。
 
 流石に、篝。お前さんが居た里とかじゃあない、とは思うが」
 
いずれ、そのうち確かめたい、確認しておきたいこともある。この弟子が元々居たであろう里の類の在り処だ。
この地の集落が痕跡となるまでに重ねた年月を思えば、ここがそうである、とは言い切れない。断言出来ない。
何故確かめるべきと思えば、先日の伯爵に問い質した、確認した件に関わる。
事の発端の出元の謎が残る。先日の暗殺者たちの襲来を件の人物が差配したわけではなら、一体全体何処に要因があるのか。

――伯爵の手の者ではないという情報が真であり、襲撃が起こった事実もまた真であると前置く。
その二つを前提事項として、事象の因果を形成する数式に残る変数はどのような事項、内容と成りうるか。
……例えば、弟子の血筋はどうだろうか。……例えば、その命が無きことを望むものは何か。
ミレー族を奴隷とする需要こそ知ってはいるけれども、ただのミレー族をこのようにして狙う理由は何が考えられるか。

「おう、暑いからな。気ぃつけて食べてくれ。
 ヒテン、スクナ。お前らはこっちな。……って、こら慌てンな」
 
考えるより、出来上がりの匂いが誘う空腹感が現実を思い知らせる。考えれば腹も減るものだ。
椀を受け取ってくれる様に、召し上がれと頷き、手招きする。
自分の分を椀によそい、手頃な石の上に座してゆけば、二匹の毛玉が再び己の両肩に飛び移ってくる。
椀を胡坐憎む足の間に置き、取り出す小袋から二匹の餌を与えてゆく。乾燥させた蟲や干し果物や野菜、種と。
水を干しがる様をみれば、小皿に水を注いで平たい石の上に乗せておく。

> 撫でて宥めて二匹ともに落ち着いたなら、良しと頷き鍋に集中する。
今の所、噛まれたことも引っ掻かれたこともない身だが、この二匹に噛まれたら痛そうなことはわかる。
そして、賢い二匹が怒って噛むなら、その原因は間違いなく師の方にあるだろうこともわかってしまうのだろう。

作業の傍ら声を掛けてくるのを耳だけで聞きながら、緩く尻尾を振って返事をした。
真面目に取り組み灰汁を掬って、捨てて、滋味――味わい、うまみとなるだろう加減はいかほどかと頭を悩ませつつ。
殆ど浮いてこなくなったのを確認して作業を終えた。

程なくして師が手を加え、完成したスープは美味。
小さく刻まれた野菜も、柔らかい兎の肉も、スープによく馴染んでほくほくと。
ようく味わっているのか、瞼を閉じて匙を口に咥えながら微睡み食事を満喫する。
具も多く満足できる一品ではあるが、それはそれ。添えられたビスケットも残さず頂こう。

肩から二匹が下りて定位置(親分の下)に戻るのを見送り。

「確定事項じゃない、けど……情報は、確かだった。ん。
 ……ここは、かなり古い場所に見える。ので、私のいた里とは違う……と、思います。
 なんとなくですが、高い山の中より……低い場所、だったような。すみません、記憶が薄く確証はないです」

情報の裏を取る。師が調査をする時によく口にする言葉だ。
それを思い出しながら呟き、考えを巡らせながら言葉を紡ぐが、やはり曖昧にぼやけた記憶では確かなことは言えない。
目を伏せ最後は申し訳なさそうに頭を垂れ、握りしめた匙を再び動かして少し冷めたスープに舌鼓を打った。
ほんのりと体温より少し温かい、これくらいの温度になれば、ようやっと安心して口にできる。

深く考え心配事を抱える師とは対極的に、弟子の方は呑気なものだ。
元主との契約は解かれ、暗殺依頼もいつの間にか取り下げられ、晴れて自由の身となり憂いは無いと言わんばかりに、今日は認識阻害の術も掛けていない。
もっとも、人に会うこともないだろう山中の依頼だからこそ、ではあるが。

「んっ! スープ、美味しいです。
 スープの素? なんの味……かは、わかりませんが。兎の肉、柔らかくて、美味しい。
 野菜も、美味しい……。美味です」

拙い言葉で感想を告げる。スープを食べられない二匹にも、ちゃんと食事が与えられたことに安心した。
美味しい食事は皆で食べると、もっと美味しい。これも最近気づき知ったことだ。
まだまだ椀の中に沈んでいる具を救い上げ、小さな口に運んでもぐもぐと頬張りながら、師を見上げる。

「んぐ、むぐ……。先生、前に言ってこと。
 墓を見たい……んー、故人のことを、知りたい? 私の父上のことを気にしてたの、今もわかりませんか?
 里のことは覚えていませんが、父上のことはまだ覚えていることが多いです」

口の中のモノを飲み込んでから、暫く考えていたことをポツリ、ポツリと紡いで。
一つ、深く呼吸をして。

「それから、えっと……先生に見せたいもの。見て欲しいものも……あります。
 今の私だから出来るようになったこと。先生に、感謝してる。から……見せたいと、思って……」

匙をぎゅっと握りしめ、言葉に詰まりながら語り、伺うようにジッと暗赤を見て首を傾いだ。

影時 > この毛玉二匹、不思議と女の子には甘い。その癖何故か親分に対する突っ込みは厳しい。
がぶりと噛まれると、本気だった場合はどうなるやら。齧歯類ならではの噛みつきは洒落にならない。
その癖、やらかした方に問題があると分かっているから、文句を言えないのもまた如何ともし難い罠まである。

「ん」

声をかけた返事に対する仕草は尻尾。この辺りはミレー族ならでは、といった所だろうか。
可愛らしいものと思いつつ、灰汁取りが大体進んだと思えばバトンタッチといこう。
じっくり煮込めば素材だけでもダシは取れるものであるが、最近流行りの便利なものにここは頼もう。
湯に溶かせばスープの下地になる旨味を固めたものだ。これのあるなしは時短に大きく関わる。
そこに投入した素材類の旨味、味わいと合わせ、調味料で整える。
此れだけでご馳走、腹が膨れるならそれで構わないが、もう一品は欲しい。
そういう時におあつらえ向きなのが、味気ないとよく言われる硬いビスケットである。
唾液でふやかしてもいいが、スープをつけてふやかすといい。面倒ならどぽんと沈めて、崩してしまえば食べやすくなる。
堅い食感は、毛玉達にもおあつらえ向き。半分に割って、二匹に与えてやれば漸く己の食事にありつける。

「……成る程。ああいや、気にすンな。
 不意に行き会った先が大当たりなんて、そうそうあるもんじゃない。
 記録を漁るべき、かねぇ。あの時、ヴァリエール伯爵に焼かれた契約書、見ておくべきだったか……」
 
そう、裏を取る。可能な限り情報の確度を高める。そうして向かう先を定めたい。
弟子が思い出すにしても、何分古い記憶であり、思う処も様々に入り組んでいようとも慮ざるをえない。
例えば、古い契約書に何某の奴隷商から買った等、元主が所有する前に辿った経路の一端を掴めるならば。
そうは思うが如何せん、以前の契約書はもうこの世にない。焼失した。
仮にもし、他の記録が現存していたとしても、あの伯爵は素直に云うまい。合わせて可能ならば再度の関わりは控えたい。
しかし、後々またいずれ顔を合わせる気がしなくもない悪寒、もとい予感もする。

「品書きによると……野菜屑やら骨やらをじっくり煮込んで、出た旨味を固めた奴、だそうだ。
 一概に俺にもやれるとは言い難ぇものだなぁ。
 ちと値が張るが、ンむ。…………値ェ張っただけの味だな、こりゃ」
 
何の出汁かと一言では言えない。色々なものを長時間かけて煮出して得られる味わい、である。
故に味わい深く、一緒にした具材の味と交わることでいっそう味が増す。
加工の手間な分だけお高いが、その分の価値がある。ぉぉ、とついつい声が漏れる程に。

「……ああ、今も変わらん。可能な限り知っておかなければならん事項だと思っている。
 分かった。取り敢えず、まずは手に持ってる分を食べ終えたら、聞こうか」
 
故人についての興味がある。知るべきだと思っている。それは今も変わらない。
否、もしかするとと思う事項があれば、知る必要があるだろう。
火守の徒、と云う名こそは聞き及んでいても、持ち得ている知識は断片的が過ぎる箇所もある。
若しかするとそれは、見せたいものがある、という言葉の先にもあるかもしれない。
そして、言葉に詰まる有様は――自分がそれを見たら、どんな反応をするのか分かってのことかもしれない。

そう鑑みつつ、一先ず己が椀の上によそったものと掻っ込む。
汁が残ったなら、自分の分のビスケットを割って入れておく。放っておけば吸い込んで柔らかくなるだろう。

> 謝れば気にするなと気遣いの言葉を貰い、萎れてへたっていた尾がゆるゆると戻り、様子を伺うようにゆっくりと地面に擦れながら揺れていた。
あの契約書に何が書かれていたかは娘もよく覚えてはいない。娘と交わした契約の詳細が記されていることは確かだが、買い上げた奴隷商のことまでは載っているかどうか。
運良く主の前所有者が分かった所で、娘が何人かの手を渡り売られていれば、そこから辿るのもきっと一苦労だろう。
なんせ奴隷で商売するような輩だ。もうすでにこの世を去っている者も中にはいる。

「…………主様――じゃなくて、ヴァリエール伯爵様には、もうあまり関わらない方が良いかと。
 私の故郷を探す必要はありません。既になくなったものです。帰る場所にはなりえませんので」

師が娘のいた里を探す理由を、故郷に返そうとしていると解釈して、首を横に振って否定する。
記憶にも薄い故郷に未練はない。待つ人もいない場所では、帰る場所にはならないと。

「煮込んで固めた? うま味、は固められるもの、なのですね……不思議です。
 便利……だけど、高価。普段から頼るのは、難しいですね。残念です」

うま味は味の表現で、固形物になるというのが信じられない衝撃的な事実。
キョトンと目を丸めてスープを覗き込み、真面目な顔になって考え込んでしまう。
これさえあれば、どんなに料理が苦手でも、なんでも美味しく出来るのでは!
なんて期待は世知辛い現実、金銭と言う点で断念せざるを得ない。
ペタリと耳が下がり、心底残念そうに呟いてしまうのも致し方ないことである。

「……はい、先生」

首肯を返し、素直な返事をして匙を動かす。
師へ見せたいと思うのは、火守が使うとある術。奥義と呼ばれるものの一つだ。
それが師の疑問を晴らすかは定かではないが、使うに至れたのは師の助言あってのこと。
だからこそ、見せたい。見て欲しいと娘は思っていた。

ビスケットの食べ方はそれぞれ。娘は、師の食べ方に倣い、スープにつけてふやかし柔くして食べる。
程よく汁気を吸って味が沁み込んだものを匙で崩しながら食べるのも、また面白い食べ方だと感心する。
もぐもぐ、もぐ。大人しく食べ進めながら、勢いよく掻っ込み食べる師をぼんやり眺め。
食べるのが遅い娘のこと、きっと食事を終えるタイミングは殆ど同じになるだろう。

影時 > チラ見するだけでその内容を絵に書き写したかの如く覚えられる才能が有れば、と偶に思う。思った。
鮮度が落ちている可能性が高い情報でも、無いよりはまだいい。
時間と金をかけてどうにかできるものであるなら、突き詰める意味がある。

「……嗚呼、俺もそうしたいトコなんだがなぁ。
 探さなくても良いなら“分かった”と言いてぇところなんだが、どうにもまだ引っ掛かることが残ってる。
 結局、あの襲撃の、暗殺者ギルドに出ていた依頼の出元が分からんままだ。
 そもそも何故そんなものが出た、と思われる有力候補のひとつが、伯爵に潰されたお陰でな?」
 
故郷に返すため――と云える程、己はそんなに善人で聖人な生き物であったか。
首を横に振る姿を見れば、匙を止めて頬を掻く。
何と云うべきだろうか。内心で言葉を選びつつ、なぜ知ろうと。なぜ情報を望むのかを言葉にする。
再度の襲撃を恐れている? 否。だが、受忍してやる義理もない。火の粉は払うべきである。
単なるミレー族の小娘を殺すにしては、大仰過ぎる。想定する限りで有力と思われる線は消えた。では、他に何があり得る。

「全くだ。如何にしてそういう発想に行きついたのか……偶々見出したのか。
 往々にして、高価なのには理由がある。まァ、稼いでおきさえすれば買い貯めておけない程じゃない」
 
此れさえあれば――万事解決!とはいかないのが料理の道の玄妙さでもある。
故郷の料理もこの地の料理も如何にして、そのカタチ、その味わいに行きついたのか。
書を紐解きつつ厨房に立つなら、その考察に幾らでも時間と手間をかけられることであろう。それ程のものだ。
肉を使った料理には、恐らくこの出汁は大体合う。では、魚介類メインの料理ならばどうだろうか。
肉も良いが魚も食べたくなる。肉よりも魚が安く仕入れられる場合なら、基礎を変えないと違和感も生じよう。

とは言え、冒険の中で手っ取り早い食事と思えば、肉の方が先立ちそうだ。
ぺたんと耳を下げ、凄く残念そうな様相に苦笑を滲ませつつ、肩を竦めてみせよう。

「…………さて。何を見出したね、お前さん」

ポケットに入れておけば刃を止められそうなビスケットは、真面目に齧るようなものではない。
ふやかして食べる方が一番無理もなく、きっと消化にも良い。
初めて見た時は人間の食い物ではないと思ったビスケットは、こう喰えるのだと。知ったときには驚いたものだ。
己に倣って食べる姿に昔日の己の経験を見出しながら、椀を空にする。鍋にはまだ少し残るが、此れは後で良い。

まずは、見せたいものを、見たい。それは恐らくきっと――己がコトバがあって見出したものであろう。

> 「……先生は、やはり心配性ですね。慎重であるとも言えますが。
 このまま何事もなく、平穏な日常が送れれば心配も杞憂であると証明できますか……?
 
 ん……。気になることがあるのは把握しました。何か、私の方でも探れることがあれば、探ってみます」

やはりと言うなら、娘もまたやはり呑気で危機感のない楽観的な視点で言う。
暗殺依頼が出された上、先走った売名目的の刺客に襲われたことも過ぎてしまえば、忘れたかのようにあっさりとしている。
己の命の価値の軽さも、物事への執着の薄さや忘却することで生き辛さを消すところも、斬り合ったあの夜と何一つ変わっていない。
師への印象は幾分丸くなり、懐へ入れた者には情をかける人物として認識している。故に、根は善人であると疑わず。

「考えついて作り出したなら、それはとても凄いことです。料理の世界に革命が起きそう?
 ん、少しでも買い置きがあると安心ではある。けど、無駄遣いは厳禁です。
 ……先生は、お金の使い方が派手。盗賊ギルドで、沢山使って金欠なのでは?」

つい口煩く小言を言ってしまうのは、迷いなく大金をぽんと差し出す姿を見て驚き強く印象に残っているから。
温泉旅籠での贅沢も然り、十分働き稼いでいることは知っているが、不安になる時もあるのだ。
それに、楽な方法を知りそれに頼ってばかりいては、きっと料理の腕は上達しない。
料理の才を持つ者でもない限り、真面目にコツコツと積み上げていく努力は必要な過程であると、娘はそう考える。
食事当番制の共同生活の話を聞いたなら、より強くそう思うようになるだろう。

さて。と空気を切り替える声に応じ、腹八分目に抑え空になった椀を置いて、その上に匙を渡して置く。
何を見出したかと尋ねられれば、崩していた足を座り直しその場に正座する。

「先生にもご覧いただいた通り、炎の色を変えられるようになりました。
 不完全だった術も、中途半端だった未熟な私も、ようやく一人前になれた……。
 これで、私も火守を名乗れる……。

 その感謝を、まず先生に伝えたかったのです。
 先生、ご助言感謝いたします」

一息にそこまで話し終えると、深々と頭を下げて両手を地に着き礼をする。
そして、ゆっくりと顔を上げて。

「礼、とはならないかもしれませんが、私の知る範囲のことであれば、先生の疑問を晴らすお手伝いをと。
 それと……先ほど申しました、見せたいもの。術を一つ、お見せできればと……思うのですが」

抑揚ない平坦ないつもの声が、徐々に小さくなり、自信が無いのか最後は呟きになって。
伺い見上げる緋色は迷いに揺れて視線が逸れていく。

影時 > 「心配性、でもない。必要なことだからだ。
 このまま何事もなく、平穏になると保証出来る要素が足りない。
  
 ――……探ってみろ、とは言いてぇが、深追いはするな。俺の勘だが、どうにも根深い気がしてならん」

己が狩らずに、根切りにせず野放しする敵は限られる。戦い甲斐がある強敵だ。
そうではない敵はどうするか。軽んじられないならば逆に気を抜けない。
仮にこの一件、要因があり得る場合、徹底して対処せねばならないものだろう。そう見立てる。
相当に根深い気もしてならないのは矢張りあれだ。“聖騎士”という語句の仰々しさも拍車をかけている。

故に緩めない。襲撃してきた攻め手の練度の低さは、あの伯爵の言と流儀に反する。
仮に次が起こり得るとするなら、望まない死人が出る可能性もあり得る。
喉元過ぎて気が抜けたのか。暢気そうな物言いの弟子の反応に、ゆるりと首を振りつつ答え。

「意外と使う処は使ってるかもしれないが、きっちり出汁を取ることを誇りにしてる処もあろうからなァ。
 時間を重んじるか、流儀を重んじるか、だ。簡便化の恩恵を受けるのは主に前者だろうよ。
 だから、ちまちま遣ってるさ。教師業に指南役として稽古をつける時間を可能な限り取れるように等と、な?」
 
お陰で遠出する際は迷宮探索、遺跡探索に挑む頻度が多い。
魔導機械が見つからずとも、高品質の物品を持ち帰れば、良い値段で売れる。
良質な武具は魔法付与の格好の素体にも出来る。売り込むのに丁度いい持ち込み先こそが、雇い主の商会でもある。
そうでなくとも、雇い主の家で稽古をつける相手は一人二人ではない。
時間に費やす分だけ、相当の報酬が支払われる。加えて遠出しない時は盗賊ギルドの仕事もある。
上手く回してゆけるなら、金の出入りは差し引きプラマイゼロとするのも、不可能ではない、筈。
あとは今少しの倹約。高ランクの冒険者あるあるの高収入、高出費の例がここにある。

「……ほう。礼には及ばん、とは言いたい処だが。
 此れで火守を名乗れるてぇのは、火の色が変わるきっかけ、領域にこそ、意味があった……と云うことなのか?」
 
そこまで深い助言になったなら、とは思うが、それで万々歳、免許皆伝、とするつもりはない。
研鑽に終わりはない。止め処ない。それは己のようなものですら然りだ。
新たな気づき、新たな知識と遭えば、都度術式を見直す。それを踏まえて改善の余地と向き合う。
正座をして、手を付き頭を下げるさまに、硬っ苦しいとばかりに手を振りつつ、続く言葉に目を細める。

「――分かった。じゃぁ、見せてくれるかね」

その雰囲気を感じたのか、肩上でビスケットの屑を口に付けて、顔を洗っていた二匹がぱちくりとする。
声音が細く、小さくなる有様を思えば、気に掛かるものもある。
念のためとばかりに二匹に、入っとけと促し、腰裏の雑嚢の蓋を開ける。小走りに入ってくる姿を見送って、“いいぞ”と促そう。

> 【後日継続】
ご案内:「九頭竜山脈・山中某所」からさんが去りました。
ご案内:「九頭竜山脈・山中某所」から影時さんが去りました。
ご案内:「九頭竜山脈・山中某所」にさんが現れました。
ご案内:「九頭竜山脈・山中某所」に影時さんが現れました。
> 「……。承知いたしました。深追いはせず、ですね」

師のこれはもう、そう言う性分と受け取るとして。
その言葉を否定するだけの安心の裏付けがない以上、大人しく言うことを聞こう。
そこで無理をして深追いして、何かがあった時に迷惑をこうむるのは己以上に保護者たる師であるのだと、先日の一件含めようく身に沁みたのだから。

「流儀、伝統が途絶えて困るのは、わかります。魔術と魔道具の関係に似ていますね。
 むぅ……。それは、そうなのですが。――いえ、出過ぎたことを申しました。申し訳ありません」

重ねた歴史ある伝統を、多くの者の手に行き渡るよう簡易化することは、商売としては必要なことだろう。
だが、その結果受け継がれて来た技術が失われる恐れもある。失われた古代文明のように。
それは誰でも使える便利な魔道具と、学問や職業としての魔術の関係に似ていると思った。
首肯して納得したのは前半だけで、後半の師の意見には渋い態度。
しかし、働き方、金の使い方を指図できる立場に無いことは重々承知。これ以上は失礼にあたると口を閉じ、小さく頭を下げて謝罪する。

話しは移り変わり、娘は仰々しいと言われても仕方ないほどの礼をして、感謝の言葉を師へ伝えた。
案の定な反応を返されるが、気にせず真面目に礼儀正しくを崩さず。

「はい。火守は、青い火が使えるようになって初めて本領が発揮できる。
 火之神への贄の意味、捧げるべきもの、くべるもの。先生との話でわかりました。
 これで、もっともっと強くなって、有用な駒になれます……。

 ――はい、先生」

嬉しそうに尾を立てて震わせ、此処に至ることが出来たのも師のお陰と言う。
あのまま暗殺者として働きながら一人で修行を続けていても、きっと同じ場所に立つには何年もかかっていただろう。
もっと、もっと、強くなる。以前は、強さに然程こだわりを持っていなかったはずの娘だが、心境の変化でもあったのか。
目を伏せ、手を握りしめながら噛みしめるように呟き。
術を見てくれると言う師の声にパチリと緋色を開き、深く頷き立ち上がる。

「先生も、火傷すると……危険。なので、そこから動かずにいてください」

二匹が雑嚢に避難するのを見つつ、その主人にも注意を。
娘は辺りを見渡しながら、彼らのいる焚火から距離を取り暗がりの方へと歩みを進める。
10m……、20mほど離れて足を止めると、双剣の片割れを腰の鞘から引き抜き、逆の手で印を組む。

「火之迦具土神に加護乞い願い奉る。
 我 契約の下、神も魔性も一切合切を焼き尽くす焔とならん――」

唱え慣れた祝詞を紡ぐと、小さな火花が頭上で弾け、尾には赤い焔が宿ったかと思えば、一瞬でその赤は明るい青へと変わる。
御霊を捧げ神火をその身に降ろし、加護を受ける火守の術。
化生のような風体へなるのは、娘が猫の要素を強く持つせいか、火を扱う獣の印象(イメージ)が表れているのだろう。
この姿は、今までに何度か師にも見せた。青い火を纏う所も、だ。
見せたいと望むのは此処から――。

娘は手にした双剣の刃を、そっと左の掌に押し付けるように当て、迷いなく引く。
よく手入れされた白刃は薄皮を切り、ポタリ、ポタリと血を滴らせ、その傷を開き血を絞り出す様に握りしめた。
流れ出る鮮血が暗い闇の底へと零れ落ち、娘の足元に小さな水たまりを作り出す。不思議なことにその血には青い焔が宿り、煌々と闇の中で娘の姿をより浮き上がらせる。

「我が血をもって黄泉戸を開く。
 (ともがら)よ 血の寄るべに従い 焔を掲げ参られたし。

 辿り。辿りて。血を辿れ。
 集い。集いて。()を燃やせ。

 虚無より来りて群れを成す。
 此れ即ち 我ら火守(ほもり)(ともがら) なり……っ」

詠み上げるのは、祝詞と言うよりは呪文と思わしき言葉の羅列。
一つ、一つ、言葉を紡ぐ度に火は燃え広がり、娘の額には玉のような汗が浮かんで、流れ落ちていく。

そうして、最後まで呪文を唱え終えた時。
そこにあったのは、横一面に燃え広がる青い焔の中、揺れる彼岸の青い花達。
境界線の如き焔の向こう側に光る、無数の緋色の光。
黄泉戸を辿り現れたのは、黒装束を身に纏う幽鬼の群れであった。

影時 > 「そうだ。深追いはせず、だ。
 己が生存を最優先にし、見聞きしたもの、拾ったものを必ず持ち帰れ。――よいな?」
 
性分である。だが、同時に弟子を無駄死にさせないための厳命である。
知らぬうちに事が済んだ。終わった。そして結局それは何だったのだろうか。その辺りが有耶無耶なのは収まりが悪い。
昔仕えた大名の流儀に倣うと書くと大仰だが、行く先に埋没した、伏せられたものに対しての備えである。
同時に、自身の命を軽く扱ってしまいかねない弟子に対しての縛りを兼ねる。

「そこまで云っちまうとかなり大袈裟な気もするがねェ。
 良くも悪くも取って代わられるときはそうなるが、魔法の道具とは違って料理は意外と長続きするぞ。
 ここらは、世の美食家の舌にでも任せときゃ、心配も居るまい。
 
 ――なーに、気にすンな。その心配は本当に家を買った後にでも、取っといてくれや」

古の魔術、魔導機械の類のように――淘汰される、取って代わるでもない。
あり得るとしても、今回使った出汁ならば時間を惜しむ類、界隈の範囲だろう。美食を極める勢には関係ない。
美食家を気取る舌はなくとも、極々僅かな違いを物足りなさとして批評するものは、必ず居るもの。
それよりも金遣い、金策的なことを思えば、近い将来に考えている件を為した後が一番問題だ。
遺跡や迷宮で見つけたものを売り、家庭教師業=武術指南役の仕事で得る金は、いずれも端金とは呼べない。
検討し、見繕っている住居の用件を考えたら、その時こそが何回払い、分割払い等、金策に頭を悩ますことになるだろう。
宿暮らしは快適だが、同居シマリスと同居モモンガに加え、同居人が多くなるなら、是非も無い。

「…………よく聞かずとも、意味深な程に物々しいコトバが揃っちゃいねぇかね篝よう。
 聞きたいこと、尋ねたいことやらは、どうやら最後まで全部見なけりゃ定まるまい。
 
 心得た。まずは篝。お前が為したもの、至ったものを見せてみろ」

ここまでの経験則として、火守の徒が振るう力は何かを代価に、捧げることで強い力を発揮しうる。
青い火が字義通りの最大火力と結論付けるのは早計の可能性もあるが、ひとまずは成果を見届ける必要がありそうだ。
洗い物が増えるのは手間だが、仕方がない。雑嚢から木製の蓋を取り出し、鍋の上に乗せておこう。
――鍋蓋よし。――毛玉達の避難よし。ひとまずは近づき過ぎなければ、その場から動かなければ問題はないらしい。
強さを志向するのは良いことであり。危うさを指摘し、踏まえて高めるのが己が仕事でもある。
距離を取る小柄な娘が、闇の中で何をするのだろうか。双眸に氣を集め、暗がりを見通すように視線を遣る。詠唱が聞こえる。

(ここまでは、前にも聞いた通り。さて、次にどうする。何を為す……?)

耳慣れた祝詞だ。猫の尾に赤い火が灯り、次の瞬間に青に変わる。
その様は故郷の怪談にも語られる化け猫のよう。だが、そればかりではない。その先にこそ真価/深化の粋が問われる。
見える。見通す。刃で掌を切り裂き、零れる血。血こそ生命であり、生命こそ緋にして火である。

「…………――っ、は。な、るほど。なァるほど、なぁ。こう至ったか。こう見せてきたか。

 この術、この俺が見通しても易くは真似れぬ。真似れても紛い物にすらなるまいよ!
 良いぞ篝。火守の娘よ! この俺、“影喰らい”が認めてやろう。火の術に於いて、俺を勝りうる才気であろうと!」
 
焔が広がる。青き炎。鬼火の如き焔が彼岸花を象って茂り、現るものたちの来訪を言祝ぐ。
界を定め、開くは黄泉道。渡り来るは自分たちの其れにきっとよく似た黒装束。
それはまるで、己が焔に焼かれて逝ったものたちの来訪であるかのよう。もしかすると、と思うのは気のせいか。
膝を叩き、奥歯を噛み締め笑いながら、何を費やしたかを予感しながら立ち上がる。

褒めながらも叱責するような顔で目を遣る。この中にもしかすると、居るのだろうか。少女の父が。

> 「は、はい……。承知、しました」

いつになくしっかりと言い聞かせるように言うのは、諭す言葉ではなく命令。
“必ず”とまで言われた命令ならば、この娘は命がある限り厳守する。
そこまで真剣になることなのかと言う疑問はあったが、断ると言う考えは最初からない。素直に頷きを返すのだった。

して、料理の話。
人間の三大欲求にして美を求め高見を目指す者がいることは知らないが、料理の歴史が長いことは理解している。
技法や調味料の配分など、失われても追い求める者が多ければ途絶える恐れはないと言うことか。
美食家との単語にキョトンと目を丸めたが、一応は納得したようで。問題はスープの素の値段のみとなる。
高価と言えど、まだまだ手が出せる値段なら、娘もいくつか個人的に買うのも良いと考えを改めて。

(マイホーム)を買う夢については、その時にならなければ、値段も見当がつかず実感もない。
しかし、師が言うくらいなので、いざと言う時、資金を献上できるようもっと働き稼ごうと、居候は胸中で誓うのだった。

「意味深? 言葉通りの意味。
 ――ん、先生……見てて、ね?」

物々しいとは? と首を傾げつつ、距離を置いて背を向ける。
成したもの、成ったもの。隠すことなく、感謝の意を込め師に見せる。――魅せようとする。
肩越しに振り返り告げた小柄は、年よりも幾分幼く見える少女の顔をして、少しの不安を飲み込み前を向いた。

師の経験則から想定された真相は概ね正しい。
たとえ、如何なる才を持っていたとしても、真似ることは叶わぬものがある。
種族特有の身体能力や、魔族特集の膨大な魔力量と同じように、血族のみが使うことを許された秘術こそが火守の術の根幹。
一族が行った契約によって得られた火之神の加護。その対価を知るのは、全てを捧げ終えたその時か。

「……先生。お褒めに預かり光栄の至り。
 此処に至れたのは先生のお陰です。火守りになれたから、やっと、やっと……使えたのです。
 これで、私の悲願は叶いました。先生、感謝いたします」

流れ落ちる血は止めどなく。額の汗も流れ落ち、顔を上げて目の前に広がる景色に涙が滲む。
ようやっと叶った夢の中、微笑む少女は師の力強い声に背を震わせ、歓喜し、目元を拭いもう一度礼を述べる。
誇らしく、喜ばしく、見届けてくれたことが何より嬉しい。

「だから、今一度告げます。この術も、力も、先生の物です。
 私の体、持ちうる技術の全ては、先生のもの……最初にそうおっしゃったのは、先生です。
 先生の望むまま、命ずるままに私は動く」

以前、戯れに交わした言葉を、約束を猫は忘れず守る。
火守にしか使えないだろうこの術も、本来なら秘匿とすべき秘術であろうと惜しむことなく師へ捧げ見せる。
教えられるものであれば、教える。必要ならば、惜しみなく使う。
今一度、告げるのは誓いを示す為だった。
師へ。そして、目の前に立つ徒へ――。

火守の血は濃い。かつての民が神と結んだ縛りの中で、力を覚醒に至った者だけが火守として名を刻む。
その中で、神へと全てを捧げた者たちは、神に仕える徒となり火を守る。故に、火守の徒と呼ばれる。
――黄泉戸開きの術。それは、黄泉より火守を呼び寄せる、呪術に近しい術である。

焔の中に佇む無数の黒装束。そこに立ち者は、皆十代から三十代前後と若く見える。
髪色は黒が多くばらけているが、皆総じて瞳は娘と同じ、燃えるような緋色。
何かを探すように群れを見渡していた娘は、不意に視線を一人の男に止めたかと思うと、迷いなく飛び出し焔の中を駆けて行く。
そして、――とんっ! と勢い殺さず男の胸へ跳び込んだ。

影時 > 「必ず守れよ。……こうでも言わなきゃ、やはり危なっかしいことこの上ない」

お願い、可能ならば、といった言い回しはなく、より強い言い方をせねば拘束力になり難い。
だが必要なことだ。そう思ったが故に命じる。
生存し、情報を持ち帰ることの大事さは戦場ばかりではない。冒険者の立場でも変わらない。
よく生存し、よく生を謳歌し、よく発散してナンボな生活を送りたいものだ。
故に戦いも嗜むし、酒を好み、出来る範囲で料理もこだわる。家を持てば一番最後はよりこだわることだろう。

調理人の大変さは実際にやってみてこそ、よく分かる――と考えだすと、狂気の沙汰とも言える。
とは言え、レシピ本を見る機会や代価さえあれば材料を仕入れられる伝手があると、時折催すのだ。
どういう流れと造りになるか、苦労に見合うものであるか、等々と。
いずれにしてもまずは金だ。購入予定の家もそうだが、金が無ければ始まらない。

「ははは……次第によっては、幾つか言い渡さなきゃならんな。
 だが、良いだろう。まずは見てやる。でなけれりゃァ事の良し悪し、是非を見極められん」

そうなると、これまた経験則だ。悪い方向で考えておく、構えておくことが正しいかもしれないと。
贄。捧げる。くべる。つまりは代価。代償。体力精氣程度では代価とは呼べまい。
もっと真に迫る、代えがたい何かとなると――神ならぬヒトの身には、おのずと限られてる。
そういう経験がなかった、とは言わない。覚えがある。
ただのヒトには余りある大掛かりな術を発動できるようにするために、自分がどうしたのか。それをふと、思い返し――、

「――さっきも言ったろう。礼には及ばん、と。
 俺が知りうるものの道理、仕組み。それに基づいて言葉を送ったに過ぎん。しかし、これが……火守、だと?」

――嗚呼、と。息を吐く。掛け替えのないものを代価にすれば、薪にくべれば条理を超えられる。
人間一人の氣では足りぬものを、一人の身に何十人が生じるような氣を生む能力を宿せば、と考えるのと同じだ。
厳密には同じではない。力押しで為せるものがあれば、その逆もある。特異な血族にのみ限られた秘術。
あの祝詞、呪文でも示しているではないか。己を燃やし――くべて為せる奥義だと。
己が助言で其れに開眼した、至ったというのは喜ぶべきでありつつ、手放しには喜べないこともある。
物語りに聞く冥府、黄泉平坂を下った先にある風景は、きっと此れに近いのかもしれない。
そんな思いにかられつつ立ち上がり、青い鬼火の燎原と化した領域に一歩、二歩。足を踏み入れながら、くしゃりと髪を掻き上げ。

「……だったな。だから、篝よ。俺はこの術の行使に幾つかの縛りを掛けなきゃぁならんだろう。
 だが、今は、今ばかりは……そうもいかんか。
 彼岸の彼方より来りて群れを為す。此れら即ち、火守の徒なり。であるならば――罷り越しているのだろう?
 
 いずれ火は消える。燃えて尽きるのが定めである。常しえの火はなく。
 であるなら、我が無粋で踏み躙るのはかえって無用な心遣いにしかならん。
 
 ――――さて、彼方より来る御仁。此方の娘の御尊父とお見受けするが、如何に?」

世の中は広い。死者の魂を喚び、骸を繰る術があるにはある。その手の術に覚えがないとは言わない。
それを縛りがあるとはいえ、為せる術とは容易なことではない。此れは最早忍術ではなく呪術、(まじな)いの類であろう。
恐らくは代々の“火守り”が集っているのだろう。一族の末裔が掲げた篝火に招かれて。
その中で末裔から一番近しい、その一つの代となれば、佇む無数の黒装束のうちのひとりが、そうに違いない。
それを認めた娘が駆け出し、飛び込んでゆく先に見える者に会釈をし、声を放つ。

> 承知、承諾、誓って守る。
善処などではない。必ずと言われたら、必ずなのだ。それが師であり、(現所有者)の言葉なれば、尚のこと。
止むを得ない事情と言うのも、場合によってはあるかもしれないが、自ら死に急ぎ手放すことは無い。
娘自身も、そうでありたいと願う。

そして、言い渡されるだろうことには心当たりは……確証もって言えることはなく。
聞こえてはいたが、後は術の行使に意識を向ける為、返事は返さず背中で語る。
そうして成したものを見せ、己の成果、師の教えの結果を見せる。
才を認められ尊敬する強者から褒められて喜ばない者は居ない。相手が己よりはるか高見にいることを知っているが故に、その者に認められたことは誇りになる。

「ん、火守。これが、火守……! 私と同じ、アサシン……」

己も初めて見る同胞の姿に少し気圧されたが、気を引き締めてズラリと並ぶ五十人は越えようかと言う群れを見やる。
火守の徒。その群れの姿を見て師は何を思い、思考は何処へ至ったか。
その真実を確かめるには、おそらく犠牲を伴うやり方しかない。だが、それは師の望む結果ではないだろう。
青く燃え上がる焔が染める世界は幻想的であり、向こう側の景色を揺らめかせる。

高温で草木を焼き払い、酷ければ鉄は愚か大地さえ溶かしてしまう。
熱気だけで近付く者に軽い火傷を負わせかねない。
師も歩み寄り、一歩踏み出すごとにその熱気に気付くだろう。危険と言った娘の言葉に嘘は無かったと。
だが、その炎の中でも平気で走り、触れても燃えず痛みも感じない娘は、恐れることなく焔の向こう側へと渡り、男の胸に飛び込み縋る。

「――父上……っ! やっと……やっと、会えた……っ」

父と呼ばれた長身細身の黒髪の男。
切れ長の目は普段は鋭いのだろうが、縋る娘を見下ろす時は優し気に細められていた。
男の胸に顔を埋め、ぐりぐりと額を擦りつけるので、慣れた様子で後ろ頭を軽く撫でて。
ようやく落ち着いたのか、それとも後ろから掛かった師の声で我に返ったか。娘は顔を離して、父に引っ付いたまま振り返る。
二対の緋色が男を見ると、周囲の視線も自然と向かい出す。
注目の的となった師の声に皆が耳を傾ける。圧を感じさせてしまうかもしれないが、そこに敵意は今のところ含まれていなそうだ。

「……? 何故ですか? 縛りは不要です。

 ……そう、です。時間制限と数の制限が、あります。
 使った血の量で、顕現できる数と時間が決まる。だから、今回はそんなに、長くはもちません……」

娘が使った血の量は多く見積もってもマグカップ半分程度。
その程度では、繋いでいられる時間はそう長くない。
もっと父と話したいことはたくさんあった。なんせ、十年ぶりの再会だ。積もる話はいくらでもある。
だが、今回は師に見せるために使ったのだ。故人に興味がある。そう言っていた師に、語らう時間を譲ろう。

娘の父は、問いかけに耳を傾け、娘を一瞥してから静かに一度首肯する。
必要以上は口を開かぬ無口な性分らしい。

影時 > 「……全く。抜けた筈の身の上だろうに、なぁ」

増長する気はないが、師匠と弟子。その組み合わせは最小単位の忍びの群れと言えなくもないのも確か。
忍びの群れ、将来的な里の主等ともてはやされた、嘱望されていた時のことが、ふと脳裏に過る。
それが今はまた、手放せぬと命を握ることになっている。これも因果なのだろう。
そして現在。弟子とする者のうち、忍びと見るものたちはそれぞれ、特定の何かで己より抜きん出る素質を持っている。
片や竜の血と風の力。今見せつけた火守の血と焔の威。どちらも己には持ち得ぬ、真似しえぬものである。

向ける矛先が定まり、こうせよ、ああせよと申し付けたなら、それが振るわれるのは想像に難くない。

とはいえ――今見る、今見届けた“黄泉戸開きの術”は一体全体、どのように使わせるべきか。
代価もさることながら、用途用法の類はしっかりと問い質すべきには違いあるまい。
数を揃え、陣を敷く。それが期するのは必殺必勝。ただ考えなく呼び寄せるなら、もっと軽く、大仰さもあるまい。

「ったくもう、拘るなァお前さん。
 こんなに揃えて暗殺もへったくれもあるまい。俺には忍びの群れにも見得るが、否、神の使いでもあるか」
 
つくづくこだわりが深い。深すぎる。娘の志望する在り方を端的に示す語句に苦笑を滲ませ、紹介される群れを見遣る。
相対するとした場合、如何に立ち回るか。そもそも刃が通るのか。それ以前に生身同然と見ても良いのか。
だが、先に言えることもある。相対できることが悦楽、狂喜出来る対敵にはし難いだろう。
その上で、青く燃え上がる焔が染め上げる領域(セカイ)である。敵意を以って立ち回ると忽ちどうなるやら。
その証とばかりに、熱気がある。幻想幻惑ではない。坩堝や踏鞴の中を思わせる程の暑さ、ないし熱さを感じさせる。
故に印を結ぶ。薄らと風を纏い、熱気を払う。無いよりマシの気休めだが、今は其れで事足りる。何故か?

「…………全く、無粋だよなァ。
 俺にはない、喚びようもないモノとの再会をどうして邪魔できようかね」
 
腰の刃を抜いて、父娘との再会を邪魔しようならば。今生の師であろうとも古き火守たちは遠慮なくチカラを振るうことだろう。
ずらりと並ぶ五十人ほど。父と呼ばれた誰かを除けば四十九人との相対は、分身を紡ぐならば戦えなくもない。
ただの数の上は、だ。されども戦う所以、理由を抱いていなければ、意味がない。
力比べを挑むにしても、すぐさま魔法の雑嚢の中から飛び出した毛玉達が、遠慮なく噛み付いてこようこと請け合い。
腰に差した刀の柄を身体の外に押しやりつつ、火の華の合間に見えた石塊に腰掛ける。

邪魔は出来ない。
父と呼ばれる細身の誰かの胸に顔を埋め、額を擦り付ける娘。その頭を撫でる姿は、頬杖付きながら眺めるのがきっと正しい。

「成る程? だが、そうそう何度も何度も黄泉路を開くもんじゃあるまいよ。
 今位の時期ならば良いかもしれねぇが、己が好きに血を流させたら、俺はあっという間に消し炭にされかねん。
 
 ――……何にせよ、篝。暫くは血になる奴を食わせるからな?覚悟しとけ。
 ついでに尋ねておきてぇが、カミの力を借り受ける際、何を捧げて薪としているかを聞いておきたい。
 
 強いチカラであるのは認める。
 だが、然るべき代価が必要なら、それに相応しい刻を示さなきゃならん。無為に失いたくないからだ」
 
父と娘の再開を眺め、見届けながら今回捧げたものは何か、ということに頬を掻く。
血、であるらしい。傷口は毛玉が使う魔法で塞げようが、流血までは補えない。
今しばらくは血になる食べ物を重点的に食わせることにしよう。そう心に決める。好き嫌いがあっても認めない。
そう戒めるように娘を見遣り、視線を移す。寡黙な性質の父親の方を見据える。
かくして火守に開眼したなら、娘はその力を使うだろう。それは止められない。なら、無為なく使うためのヒントが欲しい。