2026/03/14 のログ
ご案内:「雪山」に影時さんが現れました。
ご案内:「雪山」にさんが現れました。
影時 > ――雪原に潜むものは何か。

何もかも、だ。白い雪は様々なものを覆い隠す。深い大地の裂け目、陥没、死骸、何もかも。
同時に雪は災厄ももたらす。降り過ぎれば掘っ立て小屋を潰し、斜面から下る雪崩は山津波の如く諸々を薙ぎ倒す。
故に雪山、豪雪地帯でそうした風雪、氷雪を御する魔物が居れば、自ずとその地域を覇する王者(もの)となり得ることだろう。

そうした一例がひとつ、ある。凍牙虎なる異名、俗称を持つ魔力を有した大型虎状の怪物だ。
体内に有する氷の精霊力、魔力の強さ故に夏場の活動、目撃頻度は少ないが、冬場は文字通りの猛威を奮う生き物。
記録こそ得られているものの、本来はもっと山の奥地や迷宮の深部等といった局地にしか現れぬものが、居る。現れる。

この時期の生活の糧である獣を喰らう害が九頭竜山脈の麓で生じ、命からがら逃げ帰った猟師たちからの報告を受け、幾つかの村の連名で冒険者ギルドに依頼が出た。
該当の魔物の駆除、討伐。その証と調査を兼ねて死体を確保せよという、聞くだけでも面倒臭がられる類の仕事だ。
特にそれは一定以上の水準の技量者、技能者がよく倦厭する。
対象を塵にして殲滅する、一片も残さずに灰にするような中級、上級の魔術を会得しているものは、特に嫌いかねない。
さらに標的の恐ろしさは矢を見切り躱す。多く矢を射かけても凄まじい風雪を操ることで妨げ、半端な弓勢では毛皮を貫くことすら出来ない。

何より生息地域の足元の悪さは、防寒具含めてさまざまな用意が入用になる。
そうした細々な下準備にかかる費用が、報酬額と差っ引いてどれほど残るかと言う観点も天秤にかけなければならない。

故に――。

影時 > 「おお、成る程成る程。確かにこいつはァ……大物だ!」

――最終的に請け負ったのは或る酔狂な冒険者であった。修行の場を求めていた異邦の冒険者とその弟子。
九頭竜山脈の麓の村で情報を集め、朝から山に登って数時間。聞き取った情報と残存する足跡の痕跡から獲物を見出し、塒たる洞窟を抑える。
その洞窟の外で予め匂いを消して暫し待ち受け、洞窟から糧を得るべく這い出した処と相対するのであった。

雲間から落ちる陽光の下に、見える。

雪景色に溶け込む白いフサフサの毛並みと、サーベルの如き鋭く大きな牙を生やした巨大な虎型の四足獣。
咆哮することで魔力が喚起され、渦巻く氷雪を纏うそれと、黒いローブ姿の男が相対し、雪原を馳せる。駆ける。
深く踏み込めばそれだけで足が埋まる程の柔らかい雪原を、ローブ姿は苦も無く、かんじきすらも履かぬその足で走り回る。

或るセンスと心得があるものがよく見れば、直ぐに気づく。足裏に生じた氣が反発力となり、踏み込み足の加重を打ち消していることに。
最終的に水の上を歩くための術を応用している――と気づけるものまでは、極々限られよう。
至近距離で矢すら躱す化け物と渡り合うには、ただ一つ。懐まで踏み入り、致死の一撃を見舞う他無い。
その致命に繋がる隙を見出すまで、ローブ姿が跳ねる。身を躱す。長衣の裾を千切らせ、躱しきれぬものを身に纏う防具に火花を散らして凌ぎ、今。

「妙心水鏡流……――流転落涙、迅雷重ね……!」

攻勢に転じる。躱し、凌ぎ続けたのはひとえに、一撃で仕留めるための隙、急所を見出すために他ならない。
爪牙を振るい繰り出す癖、感覚、魔力を使う際に生じる予備動作、実際に生じる現象、等々。
隅々まで引き出しきった果てに見える“機”を明瞭に、焦れるように繰り出された大振りを紙一重で躱し、流転(カウンター)に出る。
前足の大振りの振り下ろしを寸前でずらし躱し、飛ぶ。跳ねるが如き跳躍の中で囁き、その頂点で腰に帯びた刀を漸く抜く。
天から落ちる落涙の雫よりも冷たいハガネが向かう先は、標的の首裏。そこに、静謐に切先を埋めて――同時に溜めた氣を解き放つ。
氣の波濤が練氣で電流へと変じ、五体の神経網をずたずたに滅したうえで確実に仕留めるのである。

崩れ落ち、白煙を吹きつつ白目を剥く巨大な獣から飛び降りれば、大きく、深く。息を吐く姿が暫し残心と共に様子を見続ける。
最早動かぬと改め終えれば、跪いて骸に手を当て、ローブの下、腰裏の鞄の口を開いて念を送る。
刹那、ふっと消えたかのように巨獣の死骸が消えて失せば、魔法の鞄の中に収め終えれば其れで依頼は完了だ。

> 直接、師から修行を見てもらえることは久しく、その現場となる依頼内容も碌に聞かずに二つ返事をしたのは少し前のこと。
迷いなく即答する弟子を見て、師はその意気込みを褒めたか、まず先に師が受けた依頼内容を聞けと窘められたか。
これと言って特に問題もなく支度を済ませ、当日、予定通りに雪山へと向かった。
魔物の情報を得るために立ち寄った村は大層困っていたようで、師弟の冒険者は歓迎され、餞別にと渡された干し肉は本来ならば村人にとって大切な冬の食糧だったはず。
それを渡され、この仕事は仕損じるわけにはいかぬと、改めて心を引き締められる思いを抱いた。

師の後に続いて山を登り、見つけた痕跡を辿り行きついた場所は大きな洞穴。
その周辺は強い獣臭と魔物の気配が色濃く残されていて、ここは己の縄張りであると言う警告の意思が読み取れる。
最初は寝込みを襲うのかとも思ったが、師は獲物が出てくるまで外で待つと言う。巣の中で戦闘になるのは避けたいらしい。
獲物が出てくるまで、授業も兼ねてその理由を幾つも丁寧に教えられ、弟子は真面目にその話を聞いていた。
そうして、寒空の下で待つこと暫く――

堂々と現れた王者の咆哮一つで、陽光差す雪原が嵐に変わる。
氷雪を吹雪かせ纏う白い大きな虎は、雪の陰から躍り出た師を敵と見定めれば巨大な牙を見せつけるように威嚇し、襲い掛かっていく。
師はその牙も爪も軽々と躱し、雪の上とは思えぬ軽やかな身のこなしで王者を翻弄した。
弟子は変わらず身を隠して待機の姿勢のまま、双方の緊迫したやり取りを、まるで大きな猫とじゃれ合っているかのようだと、少々呑気な感想を抱いてしまう。が、当然ながら気を抜けば致命傷を負いかねない瞬間もあって、常に腰の双剣には手を掛けていた。

見学をする上で師の動きをようく観察することは忘れない。
目に氣を集中させ、一つ一つを見逃さぬよう気を付け、また、集中を続ければ師がどこに力を集中させているかなども見えてくる。
その軽やかな動きの正体が足元に巡らせた氣によるものと気付けば、なるほどと合点も行く。
まぁ、種がわかったからと言って、そう簡単にできることでないこともわかってしまうのだが。
以前に比べれば多少長く沈まずに水面を歩けるようにはなったが、戦闘中ずっとそれを続けるようなことは、まだ娘にはできない。
まだまだ未熟な己を恥じたところで、強さにはならない。抱くだけ無駄な感情は切り捨て、目の前で繰り広げられる大物狩りの様子を見守り続けた。

やがて、決着の時。
迎え撃つ形で王者の一瞬の隙をついて繰り出された刀の一撃は、見事に急所を突き、その太い首の裏へと白刃を刺す。
そして、まるで雷に打たれたように巨体が硬直し、重い音を響かせ、雪を舞い上がらせて王者は地に伏せた。
全てが終わり、敵が絶命したことが確認されたのを見届けてから娘は雪の陰から顔を覗かせ、一言。

「影時先生、お見事です。お疲れさまでした」

称賛と労いの声をかけ、深い雪に足を沈ませながら其方へと歩みを進める。
もう見慣れた手品のような収納術を眺めつつ、また少し陰ってきた空の様子を一瞥して。

「先生、今の技は? 獲物が感電したようにも見受けられましたが……。刀を通して氣を流し込んだ、のでしょうか?」

師が見舞った必殺の一撃。その様子は遠巻きながら、溜め込んだ力を流し込んだように見えた。
娘はその絡繰りを知りたいようで、ゆらゆらと白い尾を揺らし尋ねる。

影時 > 寝入りを襲えば殺せるのは間違いないけれども、依頼の要件に含まれる事項が聊か厄介である。
死体を確保せよ、ということ。その時点で下手に首を刎ねる、爆殺させるといった遣り口が封じられる。
まぁ、巨大な獣の首を刎ねるということ自体がそもそも容易ではない、というのはさておき。
義侠心溢れる、等と宣う気はしなくとも、餞別に渡されたものを無碍にするわけには――いくまい。

依頼に同伴するかと誘ったのは良くとも、もう少し中身を読め、と釘を刺したのはさておき。
現場の実情を見て、渡されたものの意味を察しては心を引き締める有様は善しと出来る。
そうして実際に這い出してきた標的との戦いを、よく見ていろと命じ、後詰を兼ねて控えさせながら巨獣と渡り合う。
今更見せるまでもないかもしれなくとも、初見の敵と相対した時、何処までを様子見と出来るかどうか。
此れがキモだ。獣の身のこなし、全身の可動範囲、異能、個体差と言えよう微細な癖と、もう一つ。

(右前足で叩き付けた際、少し力を入れきれてないように見得るな。……縄張り争いか何かで痛めたか?)

スペックを十分に体感したうえで感じる、知る由もない、僅かな異常。それが致命を見舞うための隙の手がかりだ。
そうした観の目を利かせつつ呼吸を保ち、練氣を続け、氣の配分を怠らない。手抜かりを生まない。
履き物には滑り止めに麻縄から編んだ草鞋を付けてはいるが、柔らかな雪上では何の役にも立たない。
生存と勝利に到るために全てに氣/気を配り、傾けて――決着。体表上で刺突した箇所以外は、何ら損傷はない。
可能ならば血抜きもしておきたい処だが、一先ず保存保全効果のある魔法的な空間に収容してしまえば、もちはすることだろう。

「……あー、有難う、な。こういう敵は楽しい反面、場の方が逆に余計に神経を遣うなァ……」

さて、事が済んで。立ち上がりつつ、獣に触れていた右手を戻す。そこには薄らと血を纏わり付かせた白刃がある。
軽く振って血振りし、鞘に落とし込みながらやってくる弟子と姿と声に頷き、答えよう。
目方は軽いにしても足が沈む雪の柔らかさは、歩き方等も含めて、出来れば時間を取って講釈もしたい処だ。

「俺が会得した剣術の流転の技、ここらの言葉で云うなら“かうんたぁ”のワザよ。其処に雷氣を重ねた。
 ……依頼主の意向を考えたら、剥製にするのかもしれんからな。いつものように首を刎ねる訳にもいくまい、っ……あちぃ、な」
 
だが、先の質問に答えよう。何かと引き出し、手持ちは少なくない。傷は少なく、だが同時に致死的でなければならない。
ゆらゆら尻尾を視界の端に留めつつ息を吐けば、その息が運動の後の余韻以上に暑く感じられる。
これのせい、か。手甲から出る右の手指に目を落とす。中指に嵌めた指輪に、きっと弟子は見覚えがあろう。
発熱による血行促進的な作用による健康器具的なものらしいが、効果範囲が次第に広がり、夏場に着ぶくれするような有様をもたらすもの。

こりゃかなわん、とばかりに顎をしゃくり、獣が寝床にしていた洞窟の入口まで歩く。
風を凌げれば、遅ればせながらに指輪を外して、体内に篭る熱を吐き出すように深く息を吐き。

> 窘められたことには素直に反省する反面、内心では、師が先に確認した依頼ならばと言う信頼と、どんな依頼内容でも師に誘われれば付いて行くのみと既に決めているのだから、と思ってしまう所がある。
これがただの同僚、顔見知り程度の冒険者の誘いであれば、依頼内容はしっかりと確認する心算で。改めて言われた以上は気に留めておく、と無言で頷いておいた。

戦闘の見学中、娘が一番注目して見ていたのは師の動きではあるが、獲物の方にも多少は目を向けていた。
どんな攻撃を仕掛けてくるか、癖や、魔力を込める気配はあるか等々。特に氷雪を吹き荒らす魔力の予兆は、初見の時点で肌で感じ取ることは出来た。
しかし、直接対峙していないが故に気付かぬことや、魔物相手の経験不足から来る無知、察しの悪さはある。
師が獲物の弱点、負傷した前足に気付き隙をつくに至るまで、娘はその弱点にまったく気付いていなかった。
改めて、師が戦闘を振り返り説明してくれたなら、今後には生かせるだろうか……。

ぎゅ、ぎゅ、と雪を踏みしめ歩み寄りつつ、刀から振り落とされた鮮血が雪原に染みを作るのを目で追い、その切っ先から上るようにして男へと目を向けた。
殺し合いを楽しいと言う師の酔狂には同意せず、場に神経を使うと言われ首を傾ぐ。
足元の雪を見て、その不安定さや、纏わりつく重さ。雪崩を警戒してのことだろうか、と思いながら。

「……場に神経……。はぁ。

 ――流転? ん、カウンター、はわかります。雷氣……。先生が時々使う、アレですね。
 んー……。確かに、首を跳ねたら剥製の出来が下がりますね。……自分で狩った訳でもないのに、金持ちの道楽は理解に苦しみます。
 う? 先生……?」

聞きなれない言葉にまた首を捻るも、言い換えられれば理解して頷き。雷氣とやらも、身をもって知っているとまた頷き。
氣を雷に変換、見立てる方法とやらはまだ教えてもらっていないので知らないが、己の知っている五行とはまた違う考え方なのだろう。
そこも詳しく知りたい気持ちはあるが、課題を全て終わらせぬ内はまだ早いとも思う。悩ましいところだ。
内心に葛藤を抱えながら、続く話には淡々と言葉を返し、興味に揺れていた尾は分かりやすい程下がってピタリと止まる。金持ちや貴族の話はお気に召さないらしい。

不意に師が漏らした一言にパチリと瞬き、我慢の限界とでも言うように汗を拭う仕草を見せ歩き出す姿に驚きながら慌てて後を追う。
洞窟の方へと進んでいけば、風から逃れられ、此方はほっと肩の力を抜いて冷えた指先を温めんと息を吹きかける。
同じ雪山にいてこうも真逆の様子も珍しいだろう。
ふと、隣を見て、師が暑さに音を上げた原因がその指に嵌められたものだと気付くと、娘は思い出したように。

「……あ」

小さく声を上げた。垂れ下がっていた尾が、またゆっくりと持ち上がる。
いたずら半分に渡したものだが、ちゃんと使ってもらえているのだと知ると、不思議と申し訳なさより嬉しさの方が勝つらしい。実に不思議だ。

影時 > 依頼内容は熟読したうえで、実行可否をよく判断する。総合的に判断する。
此れが仮に自分のランクが低く、受諾可能な依頼の範囲が狭くとも同じだ。完遂し報酬を得られなければ意味が無い。
並行して同時に考えなければならないこともある。不測の事態、万に一つの可能性を考えること。

今回はそうではなかったが、仮に今回の標的――凍牙虎が想像以上の強敵、脅威であった場合だ。
その際、可能な限りの手札、動向、敵に与えた痛打の詳細等々を持ち帰る義務が生じる。
例えば身体を取り巻く寒気が、右手に付けた指輪による過剰気味の温熱効果でも補えない程に強かったら?
寒さは否応なく体温を奪って備えなきものを死に至らしめる。凍気を吸い込めば、肺腑にすらダメージも生じさせただろう。
そればかり、ではない。仮にこの敵が、特定の地形のみを餌場、戦いの場としていたなら、どうなったろうか。

――雪で隠れた深い陥没地を活用する知能すら持った敵なら、挙動のひとつひとつをつぶさに見ている暇も無かったろう。

「目に見えるものばかりが真実じゃぁない、とか言うだろう?
 俺は偶々水の上を歩くやり方を知っていたが、あれは常にやるものじゃない。……下手に気を抜いて踏み込んだ場所が、深みだったらどうなる?
 故に神経を遣う、と言ったまでだ。
 
 ……俺が前に会得した剣術のワザでの言い方よ。確実を期したいなら、この手に限る。
 道楽っつぅか、こんなものが居た、という証拠を残したいんだろうよ。毛皮でも売ればそれなりになろうが、な」
 
雪崩も局地的な暴風雪も氷の刃も恐ろしい。其れと同じ位、雪の下が天然の罠が潜むということもまた、同様に恐ろしい。
魔術師を帯同していれば、力量次第で浮遊の魔術でも使ってくれるかもしれない。それがあるだけで罠の踏み抜きの危険が避けられる。
代替に出来る術があるから万全、でもない。時と場合によっては間に合わせでしかない、ということもよく理解すべきである。
そう説きながら、続く言葉に口元を覆う襟巻の下で苦笑を滲ませる。
剥製を用立てるのも必ずしも貴族ばかり、ではないということ。学識的、村おこし的に等にも、という具合だったのだろう。

そう察しながら、男にしては珍しく足早に、風を凌げる場を求めて動く。
最後の最後で下手を踏まないように、これまた気を使いながら先立って洞窟の方を目指す。自分が踏んだ足跡を辿れば踏み抜きの事故はあるまい。

「有用なのは、違いねェが……これはちと弄ってもらわねえと使い辛いな。って、流石に匂いが凄いな……」

思い出したらしい。手から抜いた指輪を掲げ、示してみれば襟巻を引き下げて白い息を吐き、笑おう。
奥行きも高さもしっかりある場は、風除けと休憩の場には事足りる。
指輪をいったん外してポケットに収め、一休みがてら腰に差した刀を外して座し、結跏趺坐を組む。息と氣の巡りを整える。
帰りは、行く前に麓の村で買っておいたかんじきを雑嚢から出し、お互いに履いて雪中行動の訓練といこうかと。そう考える。

なお、この気候に耐えられそうにない二匹の子分にして毛玉は、今回は館に残してきた。
鞄に避難する前に凍え死にそうな極寒ぶりは、ふかふか毛並みでも足りない、危なさばかりが募る。

> 師程の者ならば、万が一にも下手を打たない。予測不能の事態でさえも何とかして見せるだろう。
とは、信頼と言うには盲目が過ぎるが、娘はこの依頼の内容を聞いた時も、実際に山へ登り敵をその目で見た後も不安を抱いた様子は一度もなかった。

傷を最小限に、上手く処理できるだけの技量を持つ者でしかこの依頼は受けられない。
そういう難しさもあるが、この時期、この地域において今までにない危険な魔物の出現。そんな意味でギルドは情報の少なさからも、高ランク帯の冒険者にしか依頼を出さなかったのだろう。
己が持つ冒険者のランクでは受けられない依頼だと言うことは理解している。
仮に、受けられるランクだったとしても、単独でこの任に当たっていれば、分身を接敵させ獲物を偵察するだけに留め情報を持ち帰ることを優先していたと思う。
命大事に、次へ繋ぐことを優先する。師の下について学ぶようになって、最初に覚えたことだ。
何度も聞かされた言いつけは、余程のことがない限り破るつもりはない。

「見えないところ。自然の罠、ですか。……ん、理解しました。
 先生でも、戦闘中に足元へ注意を払い続けるのは難しいですか。……魔物、獣相手と侮らず、警戒を怠らないこと。覚えました。

 先生にとっての必殺の技……その一つ、ですね。
 う? 道楽以外に使い道が? 証拠、はぁ……。記録、資料だけでは足りないですか……」

台地覆う天然の罠、その危険性を丁寧に紐解かれ、一つ一つ教えられて深く考え込み一度口を閉じる。色々と気付き、腑に落ちたのだろう。しかと頷いて返し、また一つ学びとする。
手を組んだ相手がサポートをしてくれるなら、それはとても心強い。が、そう上手くいかないことは常である。
足場が悪いならば、と火遁の術を使ったとして。いかに術に優れていると自負していても、この場一帯の雪を溶かしきるには相応の消耗が必須。
相手の地の利を奪って土俵を整えるのも攻略法の一つではあるが、肝心の獲物、今回で言えば毛皮を燃やして台無しにしまうに違いない。これでは、勝負に勝って依頼に失敗した、なんて結果にもなりかねない。
魔法に優れた冒険者がこの依頼に名乗りを上げなかった理由は、己にもようく当てはまるものだと気付き。
また改めて、勝つこと以外の結果も求められる冒険者と言う仕事は難儀だと頭を悩ませる。

隠れた苦笑の気配にまた不思議そうに首を傾げる。成金の奴隷商や、貴族の屋敷で長く働いてきた身では研究に使うという発想はなかったらしい。
書類に残せば、それ以上は必要とも感じていないようで、ましてや村おこしで使うと聞けば目からうろこだろう。
先を進む師の後には足跡が残る。己の足跡より一回り大きなその跡に靴を合わせながら進み。

「この雪山でも、まだ暑いと感じるほどですか……。それは少し想定外。うん、調整は必須と考えます。
 ……あの虎の臭いが染みついてますね。服に臭いがつくのは嫌。……ですけど、帰りに他の魔物や獣が避けてくれる点では、助かる?」

笑った口元から漏れる息は白く、その原因は走り回っていたことばかりではないだろう。
この極寒の中でも汗を掻くほど代謝を促進させているのに少々驚きつつ、使い辛いという言葉には同意せざるを得ない。
獣臭が強く残る洞窟に長く居座れば臭いがつく。人間より少しばかり鼻の良い白猫はこの臭いに僅かに眉を顰めたが、悪いことばかりではないとも言う。
取り出されたかんじきに目を向けつつ、息を吐きかけてもまだ冷たい手を何度か開いて、閉じてと繰り返し。

「…………ん」

何を思ったか、襟巻を下した師の顔をじっと見つめ、徐に手を伸ばす。
暖かそうな頬へひんやりと冷たい手を当てて、其方は涼み、此方は暖を取ろうと試みる。

影時 > 厳しい自然環境は何者であれ分け隔てない。それに適応できるものがその地の覇者足り得る。
戦った具合として読むなら、適正なパーティ編成を行う場合は3人から4人は少なくとも欲しい類である。
そう見立てる。それも環境に慣れた野伏(レンジャー)を同道させるのも、絶対条件の一つと言える。
敵の手強さもさることながら、場に行きつくまでがどうしたって楽できない。余裕、冗長性を持たせられない。
己もまた、魔法の鞄という便利な道具が無ければ、背に大荷物を抱えていったことは間違いない。

「地の利と言い換えてもいい。相手にとっては独壇場でもあったろうよ。
 足元が斯くも積もった雪でなけりゃあ、まだ少し気を抜けたが――さりとて油断はしたく無いな。
 出かける前にギルドの資料を当たったが、雄と雌、(つが)いで出た事例もあるそうだ。
 
 はは、そうだな。割と使い出のある手札の一つ、だ。
 ……資料では縦横奥行云々、と記してあるだけで、ピンと想像出来るもんかね。
 飾るか奉るかどうかは知らんが、山はただ恵みをもたらすものじゃない。……脅威も等しく抱えるもの、とでも伝えたいのかもな」
 
どう言えば、言葉を使えばうまく伝わり、想像力を掻き立てられるか。
練氣とその配分は常時怠りなく。その上で幾つもの手管、心構えを心中に置き続けるのは余力(リソース)を削られる。
余力は集中力、氣の発生量、蓄積量、体力、空腹度、諸々を含めた全体の総和だ。
如何に多くとも、考えなしにその多くを振り向けると貧する。今回のような寒冷地は灼熱の大地よりも余計に気を使う気がする。
此れが他の術者であったり、以前弟子に伝えた大忍術でも使うなら、勝手は変わったろうが過剰が過ぎ得る。
依頼内容も含めて、派手よりも手堅い方が、この場では活きる。

最終的には王都に戻る前に麓の村で今回の標的を提出し、受領書を受け取って冒険者ギルドに持ち帰ることになるだろう。
連名の依頼主は麓の村々の長だ。用途は深くは知らずとも、珍しいものとして扱いたい、といった所か。

「普段通りの服で済んだのは僥倖だが……あー。クロジロウの服を調整するついでに、頼みに行くか。
 閉ざられた迷宮の入口、でもあったらコトだが……んなワケはないか。
 獣除けの獣臭てのも、笑えるのか笑えないのか判断に迷うなァおい……」

一応のメリットは、ある。あった。こんな場所で分厚い厚着をせずに済んだ。
ただ、後で痛い目は見そうな気がする。熱の源は己が体力、蓄えた栄養と思えば空腹が命取りにもなりかねまい。
そう思えば術式の調整ないし、根本的な変更、作り直しすら必要になるだろう。
入口から差し込む光を頼りに片目を眇め、洞窟の奥を見通しながら次の方針めいたことを思う。
所々に散乱する獣骨はあの怪物が喰らったもの。腐敗臭はなく、獣臭さの方が圧倒的に勝る。
かなり前からあるらしい枯れ木の堆積などに、何か面白いものでも埋もれていないか?そう思いながら、氣を整え……、

「……て、こら。……――仕方ねえにしても冷えてるなあ、お前」

……きれない。半目にした眼が開くのはひやっ!とばかりに頬に触れる手の冷たさから。
足元を胡坐に崩し、ふと戯れ交じりに座した姿勢のままで弟子を抱き寄せてみよう。軽鎧のごつごつさはあるが、熱は伝わるだろう。

> 師以外の者とパーティを組んで依頼に臨んだ経験が無い弟子は、編成や、メンバー探しで困ったことがまだ無い。
一度でも経験すれば、花形のや魔法使いや剣士、戦士以外の職業。日陰扱いされがちな斥候やレンジャー、鍵開けができるシーフなどが居ることの重要さを知ることもあるだろう。

経験の浅い弟子でも確証を持って言えるのは、敵に挑む、暗殺に挑む、旅に挑む。何かに臨む際は余裕をもって行うこと。そうでなければ仕損じる。
魔法の鞄は便利かつ貴重な道具であり、冒険、旅をする者にとっては遅かれ早かれ金を積んで揃えねばならない道具なのかもしれない。
パーティに一人でも魔法の鞄があれば、皆身軽に道中を進むことができる。
この師弟は互いにそんな鞄を持っている。弟子と同じランク帯の者、駆け出しから見るとどう映るか。知らない方がよさそうだ。

「むぅーん……。今回の依頼が厄介で、面倒で、他の冒険者が受けたがらなかった理由がよくわかりました。
 番、まだ他にもいる可能性がある……? ――ん、巣を見た感じ、ここの虎は一匹だけに見える。良かった、と言っていいのでしょうか。

 剣術……刀術……。先生、そう言うものも乞えば……私にも教えてくれますか?
 飾るはわかる。奉る、までするのですか。んー、確かに、脅威は文字より実物の方が……伝わりやすい、ですね。子供も、喜びそう……」

師が言わんとすることをようく理解し首肯して。あの獣が他にもいるかもしれないと聞くと、立てた尾の先が警戒してピクリと震える。
が、軽くあたりを見渡した感じ、洞窟の広さも考えると今回の獲物は一匹だろうと結論づける。

師から忍の術はいくつか倣ってきたが、それ以外の武術面の指南はまだされたことがないことに思い至り、おずおずと探って尋ねてみる。
以前、槍を使ってみるかと聞かれて断ってしまった手前、むしが良いと思われるのではないかと、フードの下の耳が徐々に下がって、布の重みに負けてぺたりと伏せた。

剥製の使い道に関しては、そういうものかと納得した。
寝物語で恐ろしい魔物の話を聞くだけでも、子供心は恐怖と冒険心、好奇心が湧くものだが、あの虎の剥製を見ればそれはもっと刺激されること請け合いだろう。
村に戻った時の村人たちの反応が今から楽しみだ。

「クロジロウの服、また調整するんですね。……で、あれば、私も同行したいです。
 先生から譲っていただいたこの服、今でも十分頑丈ですが、できれば術を組み込みたいと……思って、いまして。
 ここが迷宮につながっていたら、それはそれで大変なことになりそうです」

思いのほか体力を消耗しているなら、そこは餞別でもらった干し肉の出番となるだろう。
干し肉だけでは寂しいということなら、火を焚き湯を沸かしてスープにするのも手だ。それもこれも、上手く仕事が済んだからできる贅沢である。
魔道具のついでに服の話も出れば、自分も共をと申し出る。
纏う黒い忍び装束を見下ろし、裾を指で軽く摘まんで。前の安い服に比べて丈夫で高級な布地に変わっただけでも大きな進歩だが、もう一つ上をと望んでしまう。贅沢を覚えるときりがないと言うが、命を張って働く冒険者にとって、身を守れるなら多少の贅沢は必要な出費だ。

思い付きで伸ばした手が、ひたり、相手の頬に触れる。
その暖かさに思わず口元を少し緩めると、こらと叱る声がした。だが、一度触れた手は中々温もりから離れられず。

「少し、です。凍傷になるほどでは―― あぅ……」

この程度なら問題ない。そう言い切る前に、座した胡坐の元へと抱き寄せられ。背を預ける形で座り込む。
軽装に加え、冬仕様の毛皮を纏う娘の方は着ぶくれてはいるが抱き心地はそう悪くないだろう。
師の胸に寄り掛かる此方も、鉄のような硬さや冷たさとは無縁で、少し引っ付いていれば熱も伝わってくる。
顔を上げ、薄暗い中でも光る緋色の猫目は暗赤見上げる。抱き寄せられた時に離れた手は頬に触れた名残か、開いたまま宙にあって、少し迷った末に己を抱える手に添え置く。

影時 > 【次回継続にて】
ご案内:「雪山」からさんが去りました。
ご案内:「雪山」から影時さんが去りました。
ご案内:「雪山」に影時さんが現れました。
ご案内:「雪山」にさんが現れました。
影時 > 装備や背景の差、後援者の有無など――冒険者は皆一様ではなく、良くも悪くも人それぞれ。
得意不得意だって人それぞれだ。複数の職能、技能を掛け持ちするものも居れば、その逆もまた多い。
学びを得る機会とて一様ではないなら、掛け持てる方が恐らくは少ない。
多芸を謳うものは偶然にも器用か天才であったか、或いは幼い頃から叩き込まれ続けた、であったか。
その上で、魔法の鞄のような便利アイテムも所持していると分かれば。……細かくは考えない方が良さそうだ。

「いや全く。……まぁ、お陰で請け易くもあった、と云やァそれまでだが。
 否。番いのもう片方までは、今回は居るまい。足跡や糞含め、断定できる痕跡は一匹分だけだった。
 
 ――お、興味があるなら好きなだけ教えてやるとも。
 飾るにゃ一匹そのまま丸ごとは大き過ぎよう。奉るは言い過ぎだが、若しかしたりすると、な?」
 
冒険者ギルドが依頼を交付する際の脅威判定は当てにならないこともあるが、今回は当たった方だ。
番い、二匹で出没するものであるならば、自分達のような少人数では到底受諾の許可が下りなかっただろう。
少なくとも六人から八人位まで、実力者の頭数を揃えてどうにか、という規模になるだろう。
故に、もう一匹居た場合を危惧して警戒する弟子の反応は尤もである。だが、そうではなかったが故にこうして息を抜ける。
刀術に興味がある様子を聞けば、珍しいものを見たように暗赤色の双眸を見開きつつ、小さく顎を引く。
いつぞやは槍の扱いを打診してみたが、其れよりは、と言った具合だろう。虫が良いかどうかなぞ、気に掛けない。

そんな刀で倒した虎の魔物だが、奉るにしてもスペースが要る。
恐らくは熊の剥製や飛竜の頭部等を飾った、村の集会場の一角に据えてどうこう、といった所か。
自然の驚異とそれに戦うものたち、とでもまことしやかな題材でも付加されそうだ。

「ああ。調整と云っても術式よりは動き易さ――仕立ての問題の方だがな。……分かった。じゃァ次回はそうするか。
 頼めば請け負ってくれるにゃ違いねェが、可愛くなーい……!とか言って弄られねぇようちゃんと言えよ。な?
 うっかり寝込んだら、這い出てきた化け物にがぶり……とか、考えるだけでもぞっとしねぇや」
 
息が整えば、鞄の中を漁ろう。保温が効くということは、出立前に調達した温かい飲み物もそのままで保全されているということ。
薪の類も引っ張り出すのは容易いが、風除けが出来るにしても長居をしたい場ではない。
あえてやるとすれば、念のために見回り程度はやっておく位だろう。そう思いつつ響く言葉に、ほう、と息を吐く。
紹介しておく、のも良いだろう。知っていれば二匹の毛玉と一匹の式紙の服、小物を取りに行かせるお使いも任せられる。
ただ、装束の魔術付与(エンチャント)は、どうだろう。実用一点張りの装束はどうしたって地味になり得る。
しっかり言っていなければ、別物になりかねないだろうか……? そんな一抹の不安が拭えない。
不安と言えば、この洞窟の奥も確かに。帰りに履くための“かんじき”を大小一揃い、傍に出し置きながらちらりと見る。
風の通りからして、別の出入り口があるとは感じられない。もしかすると寝床でもあったのだろうか。

「……麓の村に戻ったら、湯を沸かしてもらうか。あンまり寒さは身に残すものじゃない」

自分のローブとは異なり、弟子の装備はより上等の魔術が篭められた魔導衣だ。毛皮もあれば猶更己よりも寒さに強い。
だが、だからといって身体の末端まで冷えない、と言ったら過信、過剰が過ぎるだろう。
煮え立つとは言い過ぎでも、走り回った後らしく熱が上がった己が身の熱が逃げ、伝わるのならば良いのだが。
間近に重なり、交差する緋色の眼差しを受け止めながらそう思う。

麓に戻った後、報告を済ませた処で、直ぐに出立する訳ではない。
よくよく末端を解し、ケアしておくのも旅慣れたものには欠かせないこと。そうした細かいことも教えておこう。

> 今回は、ですか。それを先生から聞けて安心しました。
 ……うん、興味があります。正しくは、興味が湧いた……ですけど。……武器は色々使える方が便利なのは、その通りなので。
 大きな剥製にはしないのですね……。綺麗に狩れたのに、少し残念」

改めて師の口からも同じ意見が聞けて、ようやっと警戒が完全に解ける。
見上げた視線をゆるりと戻し、頭をふるりと振って窮屈なフードを払えば少し元気のない様子の猫耳が顔を出す。
その元気の無さも、気前良い一言が聞ければみるみる回復して、ぱたり、一度揺れてピンと立つ。
以外と言いたげなその様子をチラリと上目遣いで一瞥し、目が合えば瞬き逸らして言い訳をする。
武具のあれこれは師ほど知識も見識も無く、収集癖もまだ無い。
それもいつかは興味をもって一緒に骨董店や武器屋を見て回る趣味に目覚めるか、それとも女子特有の“可愛い”を求める買い物の付き添いよりはと悟った顔で同行するようになるかは、まだわからぬ未来の図である。

博物館の如く、堂々たる虎の剥製が飾られるのを想像していたが、そんなスペースは用意されないらしい。
それを聞くと途端に耳が反り、師の膝の上に乗っていた尾が不満げにぺしりと膝を叩く。声は変わらず静かで淡々としているだけに、その不満が見た目以上に真剣に映るかもしれない。
毛皮や肉、その他諸々。どんな風に扱うかは依頼主の心のままに、此方は依頼された通りに熟すのが仕事。割り切ってはいるつもりだった。

「なるほど、サイズの調整。……二匹と違って、クロジロウは意思の疎通がしやすいから、注文も付けやすそうですね。
 ん、お願いします。う? 可愛くない? 仕事着に、可愛さは……必要? 理解に苦しみます……。
 ……そう言う面でも、確かに心配ではありますが。ここを寝床にするつもりは無いです。影時先生も、そう……ですよね?」

仕立屋に赴く理由を聞けば、納得の声を上げる。同行の許しが出れば一安心。
しかし、また妙な忠告をされれば疑問符を三つほど頭上に浮かべ、困惑して首を傾げた。
女子の可愛いさや、美しさは特別重要なものである。と、盗賊ギルドの上司(シードル)から真剣に熱弁され、言い聞かされたので強く記憶に残っているが、まさか仕立屋にもそう言う価値観を持つ者がいるとは。
もしかしたら、上司が言っていたことは世界の真理か何かなのかもしれない……。それが理解できない己とはいったい……。
迷走を極める頭の中は頭痛がしてきて、娘は早々に理解すること自体を諦めた。

この場で食事は出来れば取りたくないというのが娘の本音である。理由はひとえに、食欲が失せるほど虎の臭いが鼻にきているから。
また、ここを寝床にするつもりも毛頭ない。一時の休憩は出来ても、長居したくないのは大いに同感である。
弟子が気にかかった大変な理由としては、“ちょっと潜ってみるか?”と言う誘いが師の口から出るのでは、と言うところから来たものだ。
互いに碌に準備もしていないので、深くまで探索することはないだろうが、師がどれほど冒険心を持っているかはまだ未知数な部分が多く。堅実ではあるのでそこまで心配もしてはいないが……さて。

「お風呂……っ! それは、大事。食事の次に重要……。是非、頼んでください」

風呂と聞けば迷走していた思考が吹き飛び食いつく。綺麗好きの白猫は、温かさ以上にこの臭いを落とせることを喜んだ。
師の膝を叩いていた尾の揺れは不機嫌な時とは打って変わって、上機嫌に、撫で摩るように揺れている。
旅のノウハウを学ぶのもこの課外授業の一環である。身体を労り、道中で無理を重ねず過ごすこと、これも大事なことの一つだと習えば、生真面目な弟子は素直にその教えを守るだろう。
安心して背を預け、ご機嫌でゴロゴロと喉がなり出しそうなところで、ふと話を戻す。

「……影時先生、武術の稽古もそうですが、課題のことで相談……教えてほしいことがあったのです。今、お聞きしてもよろしいですか?」

寄りかかる腕の中で身体を捻り、肩越しに振り返りながら尋ねる。
課題と言うのは、だいぶ前に言い渡されたことの一つ。白い炎を使えるようになれと言われた方についてである。

影時 > 「ああ。今回は、だ。……迷宮や深い山奥なら今のようにとは限らん。気をつけろ。
 しかし、そうか。興味が湧いたか。……それ自体は良いことなんだが、何かあったか?
 
 ――おいおい、早合点するにゃまだ早いぞ。可能な限りで原型を留めるように仕留めたんだ。まぁ、なんかいい具合にやるだろう、よ」
 
そう、今回はだ。次も同じようにとは限らない。番いで遭遇した場合の脅威は算術的に二倍ではなく二乗になりかねない。
迷宮の広々とした玄室をまるまる雪原にして、行動の自由を奪いかねない己が領地とする生態は文字通りの脅威そのもの。
記録を紐解く限りでも、己でも積極的に会敵したくないこと請け合いだ。
弟子とは逆に最低限の警戒を意識下に保ちつつ、弟子が珍しく示した興味に首を傾げる。
先刻見せた動き、概念自体を真似たい――でもあるまい。双剣でも遣ろうと思えば、出来なくもない。
何か触発されるものでもあったろうか。言い訳めいた物言いに微かな何か、動機、切っ掛けが陰に隠れているような気がした。
そう思うのと、弟子の猫尾が膝をぺちんとやるのはほぼ同時。珍しいこともあるものだ、と眉を上げつつ、楽観色濃く述べて」

「あいつ、スクナとヒテンとは違って、しっかり着込む方だからなァ。
 ……夏毛になるようにした気はないが、いつの間に生え変わっててもおかしかないか。
 
 可愛いぞ、とか言ったら、かーわーゆくなーい!あたしが決めた!とか言う奴で、と。
 そりゃもう当然だ。ここで寝る位だったら、何としてもさっさと山を下ってから寝るに限らァな」
 
式紙だからとしても、きっと世に稀な家令シマリスは真面目に服を着込む。
魔力、氣といった存在要素の放散を防ぐ意味があろうともなかろうとも、間違いなく。故に服の調整は欠かせない。
夏場になると、気づいたら毛が変わってちょっと痩せたようにもなるかもしれないが、その時にも必要か。
そう思いながら、可愛い専門じみた裁縫師にして細工師にして付与魔術師の知己を思う。
仕事着に無茶を言うが、一部の識者には女忍者の装束は肌を露にした――なる嘘か真かな論調もある、とも聞く。
それに触発されていない、とは言い難い。同席した際にはちゃんと釘を刺しておこうと内心に決める。

兎にも角にも、一休みが終わったなら然程長くなさそうな奥まで見回ってから、山を下ろう。
寝床までしっかり改めるのは、冒険心と共に他の不測の事態、報告事項の有無がないかを確認するためである。
迷宮、魔宮にありがちな瘴気じみた大気、冷気等の漏出も無さそうと思うなら、深くは考えていないが。

「善かろう。――ま、強く言わずともその位はどうにかしてくれようさ、……ん?
 相談ごと、ねェ。良いとも。言ってみろ」
 
奇麗好きでなくとも、匂いはやっぱり清めておきたい。装束一式も燻蒸して匂いを取っておきたい。
匂いを落とすだけではなく、諸々を清めておくのは余計な病を持ち帰ったりしない意味でも重要。
尾の揺れ具合を見遣れば。ふとなんとなしにそっと、毛並みに沿って手櫛で撫でてみよう。
そう試みながら身を捻る様に、腕を緩めては問いの声に目を合わせる。何か懸念、引っ掛かる点でもあったのだろうか。

> 「ん、承知しました。同じ魔物でも、軽んじず相対します。
 ……別に、大層なことではありません。伝記を読み、先人の跡を見た、とでも申しましょうか。
 むぅー……。狩人の見事を上回るほどの出来とも思いませんが、あまり期待はせずにおきます」

真剣な面持ちで受けた忠告は忘れずに胸に留め、素直に頷き従う。今回のような面倒な注文はつかないだろうが、同じ魔物を相手にしたとて、その力量が同じとは限らない。
数が増えれば連携するのが群れや番と言うものだ。侮らず、軽んじず、迷宮では特に無謀な戦は可能な限り避けるに限る。

世界の難解な真理に迷走に迷走を重ねた末、すっぱりと諦め思考を放棄した弟子である。
ふと、顔を上げて首を傾げる様子に気付くと、何と答えるべきか迷いながら覗き見た死人の記憶を本と見立て、我ながら上手く誤魔化せたと思う。
村人たちがあの虎の毛皮をどのように後世へ残すか、お手並み拝見と息を吐き、物珍しいものを見るような暗赤の視線を受けながら気難しく告げた。

「想定していた仕様を上回る程ですか。それは最早、式紙ではなく一種の生物と認めるべきですね……。
 その職人も、相当な変わり者と考えます。先生の周りは、変わり者が多い。前におっしゃっていた鍛冶師もそうなのですか?
 ――ん。それは同感です」

家令に相応しい身だしなみ、振る舞いを身に着けた式紙のシマリスは確かに珍しい。
今でも既に個性を持ち始めているオリジナルより真面目な小動物が、製作者さえ想像していない変化を見せるようなら、もうそれはただの式紙ではなく立派な個人とみても良いだろう。
そうなることを心の中で期待してしまうのは、娘が家令を既に式紙ではなく二匹と同等に扱っているからか。
師が語る職人は随分と個性的で我が強そうだと感じる。そして、もう一人話に聞いた武器職人、鍛冶師も同じような人種なのかと困惑気味に尋ねては、少し怯んだようにも見えるだろう。
それはそれとして、仕事着姿を師に褒められるのはやぶさかではない。むしろ望ましい。可愛いという評価は少し違う気もするが。
仕事を終えて一休みしたら、さっさと下山したいと言う言葉には、全くだと深く深く頷いて。
風呂に入れてくれる言質が取れれば、文句なしと安心した様子だった。

「……っ! ……はい、相談です。
 先生に頂いた白い炎を作る課題……。私なりに錬金術も参考にして、沢山考えました。
 でも、ご存じの通り私は五行は火遁の術しか知りません。私の現状の技術だけでは達成困難と判断しました。
 ので、先生から助言、または術の伝授を望みます」

振り返り顔を見上げたは良いが、代わりに視線の届かぬ場所で予感なく尾を触れられ、びくりと小さく跳ねる。
何度か瞬きをして、それが師の手で優しく梳いて撫でられていると理解すると、緊張して膨らんだ尾もゆっくりと落ち着きを取り戻していく。
少しの間を挟み、改めて話を続け本題を切り出す。
曰く、自力で術を生み出す課題は出来たが、こちらの課題は難航を極めていると。
その原因は手持ちの術が火遁一辺倒であること。娘の知る火遁の道も極めれば色は変わるが、その代償は師も知るところである。

「んと、火の色を変えるには、二つの方法があるそうで。
 一つは燃やすものを変えること。銅を燃やせば緑の火、塩は黄色、パンを膨らませる粉は紫になる。
 私が普段使っている神火降しの術は此れと同じ、捧げるもの……氣と魂によって火の色が変わる。
 最初は、捧げるものを変えようと思っていたのですが、氣と魂の中間が何なのかわからず……。
 下手に選んで取り返しのつかないことになると、先生に叱られると思って断念しました。

 次に、先生の仰っていた温度によって火の色を変える方法を考えました。
 修行を積んで込める氣の量を増やせば火力は上がるかもしれません。
 でも、それでは時間が掛かりすぎますし、私は先生程氣の総量が多くないのでそんな博打は打てません。
 だから、込める氣を増やすのではなく、燃やすものを増やすことにしました。

 火を燃やすために必要な要素――酸素は、空気の中にはほんの少ししか含まれていないそうなので。
 空気を操って増やしたり、圧縮すれば温度が上がるのでは無いかと……っ、思ったのです」

知識もまだ浅く拙いながら一生懸命に説明を試みるが、上手く伝わっているかあまり自信は無い。
理論が間違っていれば、師がそこは正してくれるだろうと任せ、話を続ける。

「以前、先生が見せてくださった土遁で作ったあのキラキラと光る刃。頑丈な鉱石のみで作っている……ですよね?
 あれの作り方を詳しく習えば、空気の中の酸素だけを集め留めることも出来るはず……と、考えたのですが……難しい、ですか?」