2025/10/05 のログ
> 「酒だけ、じゃない?
 …………ん、なるほど。理解しました。調査法の一種として、その手法は有用と考えます。……覚えました」

そう言った酷い土地は目にしたことは無いが、この国の何処かにもあるやもしれない。
気候や風習、農作物の出来以外、特に酒にも目を光らせよと心得る。
けして、酒に目が無い飲んだくれではなく、あくまで仕事の一環としてのスタンスは忘れないのだ。
コクリと深く首肯して真面目に答えているが、姿勢は仰向けで膝の上にコロンと転がっている。

「むぅ……。先生、揶揄うのはほどほどに願います。ちゃんと、我慢する」

可愛いなどと軽口を叩いて諭すから、立派な大人と駄々を捏ねる子供の図にしてしまう。
照れ隠しに口を尖らせ文句を言いつつ、酔った自覚から、今日は大人しく引いて釘に従っておくことにした。
それほど酒に強くない体質が少し悔しい所だ。
己も酒に慣れて行けば、師のように“(わく)”とはいかずとも、“ざる”にはなれるだろうか……?
あまり自信はない。

ゆるりと瞼を閉じ、少し長めの瞬きをして。

「真似るのは得意と自負がありますが、見たことの無いもの、自分で新しく作り出すことは……経験がありません。
 これでまだ、壁ではない……ですか。ん……。
 神火で、神火を燃やす? それは、えっと……んと、難しい。
 ぶつけあって飲み込んで熱をも我がものとする、そう言う勝負であるなら火力勝負……だけど。
 同種のモノに勝つ方法は、土俵を変えることかと考えます。
 火ではありませんが、以前、強い同種(ミレー)相手に術を使わず、体術、剣術のみで対峙した時、手酷い仕返しを受けました。
 街中でしたので、体術、剣術に縛られましたが、術の勝負に持ち込むことが出来たなら……と、考える時があります」

少し前のことを思い出し、肩に視線を向けて語る。
手酷い仕返しと言うくせに、何故か口元は僅かに笑みを浮かべていて、一度言葉を区切ると娘はまた顔を上げる。

「はい、先生。今暫くお待ちください。……必ず、課題をこなして見せます。
 術任せ、ではいけない? んー……あ、錬金の類? 兵器の話、ですか? うぅ? 水で消えない火……高温だから?
 
 ――ん、承知しました。そっちの修行……も、がんばるぅ……」

最初は真面目な顔で、酔いを追い払いキリリッとした顔で話していたが、たとえ話が入ったあたりから、頭の周りに『?』が浮かびだし。
ぐるぐると思考と一緒に視界まで回りそうになっていた。
それでも、撫でる手に擦り寄り額を押し当てながら、返事は素直で。

「せんせが、生きたがりで良かった。です。
 ……私は己が老人になるまで、生きている想像をしたことがありません。
 未練が残れば、迷いになる。そう、教わっていましたので。

 ……そう、ですね。話たのは、そこまで。
 でも、せんせは……色々と察している。違いますか?」

火守の生きざまは、そう言うものだという共通の認識が父と娘の間、ないしは火守の一族通しての認識らしい。
涼しい顔で平然と死生観を述べるのに、撫でて甘やかす手には嬉しそうに耳を震わせ、尾をぱたん、ぱたんと小さく振るう。
心地良さそうに瞼を閉じて、一つ深く呼吸を繰り返し、やがてその瞼の裏に遠い過去の情景が徐々に浮かび上がる。

「せんせは、貴族や商人……そう言う暇を持て余した金持ちの間で、奴隷や傭兵を使った賭け試合が行われているのをご存じですか?」

影時 > 「そうともさ。世の中を広く観て知るのは難しい。
 故に、絞って見るには生活に根差す類は良い指標になる。何か仕掛けようとか思うなら特にな」
 
一見澄んでいて奇麗なのに、湧き水が呑めない、井戸水が呑めない、という地は意外とある。
水が合わないという語句の通りに。だから、エールやワインの方が信頼のおける水分補給に足るのだという。
気候、風習も確かに国を知る必要だが、雲を掴むような話よりも生活に根差す方が分かりやすい。
戦いを視野に入れた偵察にも、商機を見出そうとするにも。
真面目な受け答えを仰向けに膝の上でころんとしてるのは、ちょっとばかりユーモラスだが。

「揶揄でもからかってもないんだがなあァ。
 ……俺とて、危険地帯に踏み込む前には酒を断つ。事が済んでの酒は、美味いものよ」
 
全くそういう処も含めて可愛いものだ。
膝の上で丸くなる猫のよう、と宣えば全力で引っかかれそうな気もしなくもない。
口数が多い身だが、余計なことは言わないに限る。酒好きでも締める時は締めるものである。
憂さ晴らしのために呑みたい訳ではない。溺れずに嗜む位が良いのは間違いないが、全く難しい。
だが、遣張り呑むなら。祝いの酒の方が、晴れやかに呑めてより気持ちも上がるものだ。

続く言葉と仕草は、――成る程。さもありなん。

「新しく作る、考える、拵えるは……“ひらめき”もあるからなァ。むつかしく考えるまでも無かろうよ。
 そうとも、まだ壁じゃぁないぞ。
 手持ちの限りを振り絞って、何ができるかを捻り出さなきゃならんことに直面はしていないだろうよ。まだ、な。
 
 ……――ふむ。
 神火とそれに類するものとの相対、勝負は、俺が思う以上に侵し合い、鬩ぎ合いになりそうだな。
 
 同種(みれー)との、ねェ。……王都の外ではなく、中か? だとしたら、そうもなりうるか。
 この国の在り方を思えば、篝含め、王都の中で跋扈するミレー族は何等かのものを持ち合わせてようなァ。
 俺ならば、出方を窺うな。二手、三手を凌いだ後に仕留めるか、退くかを考えればいい」
 
経験がないというのは、好機でもあり、窮地を招く余地である。
それに備えさせるとすれば、多く材料を揃え、余地の呼び水とすることが己に出来ることだ。
こういう手もあると示すのは容易くとも、それが真に出会う危機にぴたりと当て嵌まるかは――確証がない。
超常との条理勝負が起こり得るとしたら、どこまで補佐、助力ができるか。
可能ならば、その場に居たいものだ。次いで少し、気に掛かるは同種同士の対峙で受けた仕返しなるもの。
この王都内の出来事と仮定すれば、少し、きな臭い。弟子が手を出したか、出すように仕向けられたか。
今ならば勝てると思っているとすれば、助言しよう。
力を手にしたならば勝てると思うのは、脆さ、慢心を心の影に忍びよらせる行為である。

「分かった分かった。気長ぁに、待ってるとも。
 ……この国の言い方に合わせるなら、錬金術の産物にでもなるンだろうなァ。
 水で消えない、消えず粘つくように纏わり付く火とは、術で再現できるとしたら、どういう塩梅になンだろうなあ。
 
 嗚呼、これは必ずこうしろ、という話じゃァない。
 水を己が掌に貼りつかせるような制御が出来るようになったらば、この手の考え方もできるかもな、という例よ。
 
 あとは、火守が御する火と向き合いながら、な?」
 
難しい話でもあろう。込み入った話になりがちなのは、教師面をするものの悪い癖である。
旅を続けていれば、本を紐解いていれば、故事事例に触れる。小耳に挟む。燃える水の例を知り、未知の火術に頭を悩ませる。
神火はまさに火の真髄だが、派生、発展、あるいは変化の例もあり得るのではないか。
頭を悩ませ始めた有様を認めれば、まぁ考え過ぎるな、とばかりにすり寄る額をぺたぺた宥めよう。

「……俺も俺で、骨と皮のおいぼれになり果てる想像はしたことはないなあ。
 未練を残さずして死ぬる方が、世の中は少なかろう。そうでなきゃ化けて這い出る奴らなぞ出るまい。
 
 ――まぁ、な。察している。……なぁるほど。そう前フリされると、よもや、と察しが働いてしまうぞ。」
 
否、実際にはその状態になりかけた。
それ程の大忍術、荒業を以て大妖物を滅ぼしたのだ。精も根も枯れ果てるものだ。
真っ当に年月を刻んで老いぼれる図なぞ、若き頃には易く想像も出来まい。考えることもあるまい。
弟子の語る認識はある意味では、理想だろう。――己が拵えた、己が手に掛けた者の死に顔は、どういうものばかりだったか。
思い返して、弟子の如く嬉しげにはなり難い。瞑目しつつ、耳と尾を震わす感触を感じ、続く言葉に薄く目を開く。
色々な事情に通じていれば、知っていれば、語られる言の葉には察しも付く。だが――。

「……だが、だからこそ、敢えて聞いておかなきゃあならん。篝は、そこに放り込まれたのか?」

> 何か仕掛ける――。その言葉に最初に思いつくのが毒物である当たり、娘は何処までいっても暗殺者である。
なるほど、と師の話に頷きながら、頭の隅で思い出すシュレーゲル邸での働きの折、己は生温かったと再認識した。
確実に対象を取るならば、井戸水と蔵の酒全てに毒を仕込んでおくべきだったと今更ながら少し悔しくなってしまう。
口にはしないが、無表情の面の下ではひっそりと「次があれば」と思うのだ。

「だって……。何と言うか、ムズムズする。くすぐったい……。恥ずかしい? から、うん……。
 この後、私は危険地帯に入る……のですか?
 ん、でも酒に呑まれないように……自制、するのが、酔い飲み方……です」

掌から伝わる温度は酒に呑まれつつある娘の方が少し高いようで、その熱を移すように擦り寄り、撫でられ、顎をくんっと上げてここもと誘い。
やがてまた気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らして、酒は自制する代わりの撫でを要求しているようだった。
だが、真面目話へと切り替わって行くにつれて、酒で浮かれ溶けていた理性が少しだけ戻って来る。

「ひらめき、は……才能のある者のもの。と、考えます。
 うぅ……。それは、先生の言う通り。
 まだ、全部を試したわけじゃない。出来ること、探せば色々……手がかりも、見つかるかもしれない。

 神火と釣り合うだけの火の勝負となると……かなりの荒事、になりそうです。勝てるように、頑張る。
 けど、課題の方が難題。こっちの方が勝てるかどうか。

 ん? うん、中。貧民地区。仕事の帰り、ターゲットに会いに来た金貸し。
 落とし物を取りに戻ったら出くわして……、消そうとして、返り討ちにあいました。
 でも、借金肩代わりしなくて良いって、許してもらえたから済んだ話。治療費もくれた。良いミレーだった」

師の言う通り、まだまだ考えに詰まるほどには至っていない。
と言うより、何から手を付けて良いやら、術の開発の経験が無い故にあまり進んでいない現状がある。
火と火の食い合いもまた見ものではあるかもしれないが、娘はまだ見ぬ強敵よりも目の前の課題の方が大問題らしい。
聞き返す声には首を傾げ、直ぐに肯定する。
暫く前にあった出来事を思い出しつつ、そう言えば卿の屋敷へ暗殺へ向かったのは休養開けの夜だったかと記憶を辿り。
あの治療費を貰っていなければ、片腕布で吊ったまま忍び込んでいたかもしれないと思い、改めて良い同胞だったと、鎖骨一本折っただけで済ました相手に感謝して手を合わせるのだった。
慢心はしていないようだが、やはりこの娘は少しずれている。

「水で消えない、粘つく火? 簡単に消えない、消せない火はわかる。でも、後者は不明。
 嘘や比喩でなく、それがあるとしたら……とても興味深い、です。
 錬金術で作れるなら、術でも可能……かも?

 う。水を、貼りつける。掌に纏う感じ? むぅ。形は何とか作れても、保つのが、アレは難しい。
 火と向き合う方がまだ水よりは分かり合えそう……んにゃぁ……」

徐々に難しい話に頭がついて行かなくなってくる中、ペタペタ触れる掌に額も押し当てグリグリと。

「そうならない為に、未練を残さない。悪霊、死霊になれば利用もされる可能性がある。ので」

木乃伊と言うのが師の比喩でなければ、その姿を見た者は絶句しただろう。
また、そこから今のような姿に返り咲いたという意味で、恐ろしい程の回復力である。
それはさておき、察しの良い頭を持った男の言葉に、娘は暫し沈黙した。
甘えて押し付けていた手から離れ。

「……いいえ。放り込まれたのではなく、自らそこを選んだのです」

はっきりと否定した。
そして、ぼんやりとした感情の籠らない表情で暗赤を見上げ、抑揚なく語る。

「――奴隷商に里を襲われ奴隷になった父上は、当時の主の酔狂でその賭け試合に出るようになったそうです。
 幼い娘を物好きに売り飛ばされないためであったと、後にその主から聞きました。

 父上はとても強かった。負けたことは一度も無かった。
 ――でも、先生もご存じの通り死にました。……だから、私がその後を継いだ」

まだ幼い八つの頃。娼館に売り飛ばされるか、試合に出るかを迫られて、迷わず後者を選んだ。
父が命を削り守ってくれた事実を無駄にしないために、父の後を追うように舞台に自ら上がり戦った。
最初は子供相手と油断されたが、一つ、二つと白星をあげる内に警戒されて。
娘が初めて負けた相手は、薬物を打たれ気が狂った男だった。
箍が外れた馬鹿力。獣のように暴れ狂った男は、幼く軽い矮躯を弾き飛ばすと、そのまま組み敷き――

「その試合のルールは一つだけ。けして、相手を殺してはならない……。
 それ以外は、武器も、術も、道具も、薬も……なんでも使って良い。
 勝負が終わっても、勝者がその気なら……今度はまた違うショーが始まる。
 負けた相手は、殺さない程度に嬲られて見世物になるか……。その場で貶め、犯され、辱められるか。
 そう言うのも含めての、見世物の賭け試合です。

 今日、私に絡んできた男もまた、そこに居た一人……だったのでしょう。
 残念ながら、私は一人もろくに顔を覚えていないのですが」

話はそこで途切れる。語ることはこれ以上無い。
そう言うことだろう。

影時 > (……まーた、何か考えてンなこの顔……)

この弟子の悪い処が、ひとつある。暗殺者的マインド、並びに暗殺者志望だ。
列挙すると二つに出てしまうのはご愛敬だが、己が言い回しから、何を考えたか、思いついたか。
この弟子が“仕掛け”るとすれば、するならば自ずと定まる。
飲用に適しない水だから、酒に頼ることの危うさを――現地の者が、為政者が認識していないと思うのは浅い。
全く、と。普段より身近な有様であるからこそ、僅かな気配、表情の動きがよく分かる。分かってしまう。

「……そりゃ多分、ああ、あれだ。恥ずかしい方だろうなァきっと。
 いずれそのうち、な。手始めに魔族の国の外縁部にでも行ってみるか。
 無事戻って事が済んだ後にでも、一杯やるか。惜しんで死蔵する酒はそーゆー時にこそ、呑むに限らァ」

体温は、きっと娘の方が高いだろう。酒気故の火照りもあればなおのこと。
世はいずれ秋から冬になる。床上から寝台に寝床を取り戻せば、湯たんぽがてら引き摺り込むのも良いだろう。
若しかすると、それよりも前に宿から持ち家に居が移るかもしれない。
その後の寝床は、その時にでも深く考えればいい。取り敢えず己が寝床は広くしておくことは欠かせない。
そう思いつつ、ほれほれ、と。ねだるような喉鳴りにわしわしごしごしと、ちょっと荒めに撫で擦ってみよう。

「――否。それは違うぞ、篝。
 窮地でひらめかなかったから死ぬってぇのは、死に方の言い訳にしちゃあ下の下が過ぎる。
 足掻きの種は結構篝のナカに撒いてきたように思うが、まだまだ足りねェかねえ。
 
 しっかし、俺の課題の方が難題か。神火同士で張り合うことのほうがコトに思うンだがなぁ。
 まぁ、いい。今度練習がてら、何か術の一つか二つか見せるとするか……。
 
 ……ミレーの、金貸し。字面を考えても随分胡乱だが、――盗賊ギルドで洗えば、すぐに見つかりそうだな。
 どっから突っ込んだものだが、二度と遭わねえよう祈りたいもんだ。今だったらお礼参りにでも行きかねん」
 
この辺りは自分の教育方針、可愛がり方等も絡むかもしれない。過保護過ぎていると云われると否定できない。
もう少し、己が後ろでどっしり構えて弟子を前に出すか?
暗殺者というのも、強敵との相対する経験という意味では、十二分な鍛えを得るには適切ではない。
そもそも、正攻法で倒せない、正面から押し入れない標的を隙を見て殺すのが暗殺者なのだから。
考えていれば、続く言葉にその手合いのものが居なかったか?と脳裏を漁る。
有名も色々。悪名もまた色々。悪名で名高いのは当然ならば理由もある。それを己を軽視するつもりはない。
調べ上げようとすれば、今ならば恐らく容易い。
手を合わせる仕草を見れば、何か違わねえかねー……と、眉を顰めながら首を横に振る。

「然様か。嘘でも比喩でもなく、実在したからこそ、伝承と記録が残ってる――煙のない処に火も炎も立ちはせんよ。
 俺が思う火の、炎の工夫で思い出した一つだ。振り払えぬ炎の脅威、恐ろしさの具現の例。
 ……水の訓練もまた、早めに見てやった方が善かろうなぁ。
 言葉で語るより、実際に見せてやった方が多分分かり易い。火そのものより、俺には水か油を使う方がまだ取っつき易い」
 
実際の伝承に語られる焼夷兵器の詳細なレシピ等は、機密扱いとして知り得ぬ域である。
だが、近しい、近似するものならば、魔法を交えた錬金術の産物として再現はあり得るだろう。
純粋な火力の極限を目指すならば、また違う工夫、研鑽の余地がある。見るべき方角が違う。
上手くたどり着けるかどうかは、……考えても仕方があるまい。額を押し当ててぐりぐりしていくさまに唇を緩める。

「こだわるねェ。なら、篝の最期がそう迎えられるように、よくよく大事にせぬとなぁ。

 …………ほう?」
 
そして、此処から先は笑い話では――なくなる。当然だ。今日の発端を思えば、軽い話であるとどう言える。
そんな軽く、優しく、甘いことばかりであるなら、この火の娘はきっと、弟子として引き取ることは無かったのだ。
感情の籠らぬ緋を暗赤が受け止め、深く底を見通すように眼差しを重ねる。

「……幾つかは合点がいった。成る程、親父殿はそこで心魂を全てくべて逝ったてぇワケか。
 しっかし、なァ。全く全く。つくづく暴れたくなるハナシじゃぁないかね。
 過去は消えぬ、とは云うがどうして全く……引き摺るものが残るなァ。
 
 一応、聞いておく。
 今日会った奴は恐らく、次に同じように遣ってくるなら最悪殺しかねん。
 其れで良いかね?篝、お前さんが殺したいなら譲るが。」
 
弟子の父親の末路の所以は、今聞いた話で納得がいった。得心が出来た。此れは良い。此れは区切らざるをえない。
問題は当時の主、賭け試合にかかわったもの、次第によっては記録物その他諸々。
気に掛かる。この宿を襲ってきた処と無関係ではない、何らかの関係、関与が皆無であると考えられる程能天気にはいられない。
胴元、運営元がこの世のものではないコトも考えられるが、直接の関与者がこのように残っていたのだ。
また一つ。何かが起こりそうな気がする。
撫で擦りに動かしていた手を戻し、くしゃくしゃと己が髪を掻きつつ、ため息交じりに弟子を見る。

返答に関係なく、お互いにもう一杯くらいは呑むことを善しとしよう。
もう一杯呑んで。すっきりしてから、次の日の朝か昼の日差しを受けたい。――そんな気分だ。

> 「ん、そっか……。先生に可愛いと言われると、恥ずかしい……です。
 魔族の国、ですか。外縁部でも危険との噂を聞きます。
 んなぁーん……。それが、祝い酒になる、ですね? 未来に楽しみが、二つも増えます。喜ばしいです」

火照った顔の赤さは酒のせいにして、ふいっと眼を逸らし目を伏せる。
褒められることは喜ぶべきことなのに、何故恥ずかしいと感じるのか。その謎を抱えたまま、話は他へと逸れて視線も戻る。
撫で回す手に手を伸ばし、指を丸めた猫の手でじゃれついて。
少し荒めの可愛がりにも変わらず喉を鳴らしながら、ゴロゴロと実に気持ち良さそうだった。
このまま寝床でじゃれ合い二人でぬくぬくと眠っても、娘は文句を言わないだろう。
元より、この男の弟子となった時から、寝床を取り合うつもりは無かったのだが……。
頑なに床で眠り続ける師を見て、迂闊に言い出せなかったと言うのが真相だ。

「……窮地で、ひらめかなければ死ぬ。なるほど。
 血反吐を吐いてでも、生き残る気概が必要であり、才能の有無は言い訳にもならない。と。
 無論、足掻きは……します。死ぬことを、先生はお許しになりません……ので。
 ……申し訳ありません、先生。

 んっ! また、術を見せて頂けるのですか?
 いつ? 明日? 明後日、ですか?

 ――悪いミレーじゃない、ですよ?
 私は……んー、また会ったら、治療費のお礼を言う。で、余った分のお金を返す、ですっ」

獅子は子を谷底に――が、また頭に浮かんでいるのだろう。納得したということは、つまり実践に移しかねないと言うこと。
娘は言葉通りに受け取る単純なところがある。特に、己にとって都合の良いことに対してはそれが顕著だ。
短くも深く関わったが故に男も娘の思考回路を理解してきているなら、その少ない言葉と僅かな表情と声から色々と察しても不思議ではない。

だがしかし、師の教えと禁は必ず守る素直さも持っている。
まだまだ足りない、修行不足を素直に詫びて。かと思えば調子よく、伏せた耳を元気よく立たせて修行の予定を聞いてくる。
酒の影響だろうか、ころころと感情の移り変わりは激しいようだ。
金貸しへの印象は変わらず、娘は首を振る師をよそに、また“お礼参り”を言葉通りに受け取っていた。

「その摩訶不思議な火も、錬金術や化学、術に落とし込んで実証できる……なら、面白い……。
 興味深く、試してみたい……と、思います。
 うぐ……っ、み、水の訓練は、出来るようになったら……報告、する、から……えっと。
 う? うー……?」

水の訓練と言う単語が既に苦手意識に刷り込まれてしまったか、しどろもどろになりかけつつ。
実演して見せるとやる気を出している師の言葉に目をパチリと瞬かせた。


――そして、時間は少し流れる。


一通り、話し終えた後、娘は男の顔を見上げ口を閉ざしていた。
過酷な環境、と言う意味で言うなら、師の幼少期とはまた異なる、死なないだけの地獄に少女はいたのだろう。
命を落とさない代わりに、様々な物を削ぎ落され、十四を前に仕上がった抜き身の刃のような暗殺者の少女を伯爵(元主)は買い上げた。
暗殺者としての適性は、持つ術と身のこなしや耳の良さ等、諸々が最初から備わっていたが、一つ問題もあった。
敵と対峙する前は暗殺者の動き、潜み影から討つことが出来るが、相対すれば真正面から戦う試合での癖がどうにも抜けきらず苦労をした。
それも、暗殺者として仕事をこなす内に徐々に無くなってきたが、やはり、そうなると次は強敵と戦うための地力が足りなくなって行く。
どう成長させるか、都合の良い駒に仕上げる為に何をさせ、何を禁じるか。
それは今、師が抱える悩みと奇しくも同じものだったとか。

「はい。父上の死は、事故だったと聞いていますが、実際の死因は私もそう思います。
 ――? 暴れたくなる? 何故ですか?

 は、はい……。殺すのは、先生の好きにするとよいと思います。
 私は暗殺者です。主の指示、依頼があれば動きますが、己の意思で殺しはしません。……身に危険が迫らない限りは、ですが」

同意見だと首肯を返し、続く言葉に疑問符を浮かべる。
この国では何処にでも転がっているような話だ。生き残り、身体を売らずとも身を立てられていることこそ喜ぶことはあっても、暴れる理由が娘には思い当たらないらしい。
ただの奴隷の一人だった身寄りもない娘に、誰かが裏で糸を引くことなど考えもせず、当の本人は少しあっけにとられながら、また頷いた。
急に機嫌悪そうに髪を掻く姿を見上げ、そろりと頭を下ろし起き上がり。よろよろと、ベッドに手を付け腕で体を支えながら向き合うように師の顔を覗き込む。
暗殺者としての決まりは守る所存。だが、師の教えを守るならば抵抗し、逃げることを最優先とするつもりであるとも告げる。

影時 > 「……――ま、慣れろ。ああいや、慣れなくてもいい。今後も云うことは確定なのは、もう目に見えてる。
 
 かもな? とはいえ、危険云々と云うならこの王都の中だって危険なもんだ。
 危険を気にするなら瘴気に溢れてる、異常な地勢であるかどうかとか、土地柄のあれこれ位だ。
 
 祝いってのも結局口実だが、お前さんにとっては初めての処に行って、戻った。理由には事足りるだろう?」
 
ほれほれ、と云いつつ、撫で繰り回す手にじゃれつく猫同然の有様を愉しむ。
この有様で可愛いと云えば、文字通りの猫かわいがりか。慣れるかもしれないし、慣れなくてもいい。
都度都度何かあれば、可愛いというのは目に見えている事項でもある。
寝床については、娘の方から何か言わない限りは今しばらく、床で寝ること必至だろう。
その点は頑なである男にとっては、行先であう魔物は危険としない。
真に危険と見做すのは、地勢、特異環境だ。火山地帯を地獄と形容することはあるが、魔族の国もまたそうと云えるものがある。

「おお、よく理解できたな。良いぞ。
 足掻け足掻け――俺はそんな甘っちょろい子に育てた覚えはありません、というのは茶化しでも、冗句でもなく。
 お前を無為に死なすには惜しいと思ったからこそ、こうして拾ったんだ。
 荒行は俺が見てる時以外に課すつもりは無い。だから、忘れるな。易く死ぬな。その命、お前が思う以上に重い。
 
 ……って、分かった分かった。明後日位にゃ街の外で使ってやるから、な?
 
 貧民地区、金貸しで、ミレー。んでもって、お前に手ぇ出す、と。
 前者二つの時点で大きく引っかかる。女衒と同じ位、悪徳の二文字でよく香るじゃぁないか」
 
この具合だと、無思慮にふらりと死地に挑みに行きかねない。
こういえば釘差し、制止の一助にはなるだろうか。
じっとその眼を見据えつつ告げ、続く言葉に、あー……と直近の予定のアレコレを脳裏に思う。
制止した分だけ、埋め合わせはせねばなるまい。その点、男の在り方は律儀である。
こういうのもまた、過保護かもしれない。育ち方、在り方にも、危うさがどうしても拭えない。
悪いミレーではないと云う時点でも相当だ。注意すべき、身構えるべき事項がこれだけ揃っているのだから。

「もっとも、俺が聞いたハナシでもかなり古い、伝承以外は定かではないこともあるが、な。
 それ以外でも、古来伝わる話は時間があるなら紐解き、調べてみるのは、いい勉強にもなろうよ。
 
 ……つくづく、水は苦手と見えるなぁお前さん。他に何か良いのなかったかな……」
 
古代文明云々という程古くはないとは思うが、かなり年代を経ている伝承の類ではあると見える。
再現の苦闘の記録を調べてみるだけで、忍具に取り込める余地もあるだろう。
術ばかりが全てではない。道具で補佐する、補助することだって、手管のひとつである。
とはいえ、しどろもどろになる様には、他のアプローチも考えなければならないかもしれない――。

「……どれだけ何が残っているかによっては、若しかしたら、だ。
 若しかしたら、この前のよく分からん襲撃の所以でもあるのかもしれん。
 あんの伯爵が知らねェと宣うなら、思いつく限りが篝の昔の仕事か、今聞いたあたりか、か。
 
 いずれにしたって、俺にも篝にも危険を及ばせたと云うことを、忘れんし軽視するつもりもない。
 ……重ねて言う。忘れるな。俺以外にお前の身をどうこうさせる気もつもりもない。
 
 色々喋り過ぎたなあ。甕に蓋する前に、もう一杯呑むぞ。――呑んだら寝る。今日は此れに限る」
 
娘の身の上、前歴自体はきっとどこにでも転がっている。珍しくもあるまい。
見世物でもあり、負けたのならば慰み者にもなる。ミレーだろうと人間だろうと、よくある話であろう。
問題は、何者かが気に留めるような“何か”が他にあったか、無かったか。
若し存在する場合、如何にして拾い上げ、動きを起こす理由としたか。
伯爵の機密保持であると済むなら、それで良かった。筋道立っている。否というなら、どこに何が転がっているのか。
気侭な動きの傍らでも、都度都度裏社会を辿り、調べることが必要となりそうだ。

そう思いつつ、起き上がって覗き込む娘の顎を指先でついと持ち上げ、刻むように告げる。
告げて、お互いに喋り過ぎたような思いを今さらながらに覚えれば、もう一杯を呑む口実とする。
柄杓で二杯、自分と娘の分の酒を注げば、甕に封をし、呑んでしまおう。

しっかと深々と酩酊を覚えてしまえれば、あとは寝るだけだ――。

ご案内:「宿」から影時さんが去りました。
ご案内:「宿」からさんが去りました。