2025/09/28 のログ
ご案内:「宿」に影時さんが現れました。
ご案内:「宿」に篝さんが現れました。
■影時 > ――栄光の曙亭。
それがある男が、否、男ともう一人と二匹の毛玉が現在逗留する宿だ。
王都平民地区に冒険者向けのの宿屋が集まる地域に建てられた宿のひとつである。
如何なる因果か。過日襲われそうになった宿部屋の窓に、カーテン越しに光が灯る。
夜に帰ったなら身体を清め、後は明日に備えて寝るのだが――。
「……――――さて、はて。どっから話を聞いたモンかねぇ」
魔導機械の明かりが灯す光は油脂を燃やす光とは違い、熱もなく明瞭に広い部屋を照らす。
二人用に足るサイズの寝台、書きものも出来る備え付けの机、本棚、手狭だが立派なキッチン、等々。
最高級のスィートルームより一つランクは下がるが、整えられた設備は長く一人で住まうには十分過ぎる。
だが、もう一人、――もとい、もう二匹も加わると部屋を分けるか、居を変えることも考えなければならないだろう。
今はまだ良い。酒を飲みつつ話を肴にするくらいには、十分に事足りる。
磨かれた板敷きを音なく歩く部屋の主が、腰に差した刀を壁の剣掛けに横たえ、壁のハンガーに襟巻を解いて引っかける。
その上で長椅子代わりの広い寝台の傍に背の低いテーブルを引き寄せ、魔法の雑嚢を漁る。
頭に思い浮かべる品は、直ぐに指先に触れる。ストックが少なくなったとはいえ、よく飲んでいた酒なのだ。
「いんや、それは俺もそうか。……昔語りなンて奴は、どうにも慣れん」
取り出した品をどすん、とテーブルの上に置き、窓際に据えられた鎧を着せるためのスタンドに雑嚢の帯紐を引っかけて。
あとはキッチンの方に歩み、戸棚から奇麗なグラスを二つ取って戻れば、寝台の端にのっそりと座そう。
置いたのは一抱えもある甕。封を開けば、そこから甘くも芳醇な酒の匂いが漂い出す。
その有様に肩上に陣取っていた二匹の齧歯類が尻尾を撓らせ、とたたた、と飼い主の身体を伝い、床に降りる。
帰宅前にしっかり食べていたお陰で、眠たげな眼をこすりながら壁際に据えた棚を攀じ登る。
噛み痕引っ掻き跡が残る其れの上に置かれた木箱二つが、彼らの寝床だ。
ごゆっくりでやんす――、と尻尾と前足を振り、木箱に開けられた穴を潜って潜る姿に、あいよ、と手を振って見送る。
あとは自分たちの話の時間だ。
■篝 > 店でワインを一杯ひっかけて。その他諸々、食事を終えての帰宅。
もう住み慣れたと言ってもいい宿の一室へ家主の後に続いて入る。
灯る明かりが徐々にはっきりとして、部屋を照らし出す。
設備の整った贅沢な部屋だ。此処に己が身を寄せているのは、未だに違和感を感じてしまうのも致し方ないと度々思う。
荷を下ろし酒盛りの支度をする傍らで、娘も羽織るケープを脱いでもう一本のハンガーにかける。
ぼやき、独り言のように呟く声を聞きながら、二匹の小動物が眠たそうに眼を擦り、床に降りてそそくさと寝床に帰るのを見送る。
今日はもう余程のことがないと出ては来ないだろう。
手と尾を振る姿に、軽く左手を上げて振り返す。
「……おやすみ」
穴に潜り潜り、消える二匹に挨拶をして。ぼんやりと暗い巣穴を眺めてから、ゆっくりと後ろを振り返る。
酒の入った大きな甕が口を開け、そこから漂う強い酒の匂いにスンッと鼻を鳴らす。
師からよく香る酒の匂いだ。気に入りの銘柄なのだろう。
用意されたグラスは二つ。今宵は酌係ではなく、酌み交わし語り合う相手として在るのだと、そこで改めて実感した。
「先生は私より長く生きていますので、話すネタには困らない……ですね?
……私は、先生の昔の話……知りたいです。どんなことでも。
ので、慣れて無くても大丈夫。最後まで、ちゃんと聞きます」
静かに問題ないと告げ、そろりと足音を殺して傍に寄る。
其方がベッドの端に座るなら、此方は一人分離れたところに浅く腰を下ろし。丁度、ベッドの中央よりに座った。
緋色の瞳は横に座る師の顔をジッと覗き込むように見上げ、真剣な様子。
■影時 > この部屋に慣れてしまうと、生活のランクを下げるのが怖くなる。
一緒に寝泊まりするものが増えた分は別途支払いしているが、この施設を利用する代金は、雇い主持ちなのだ。
宿の紹介、斡旋を受けた時にはそれで良いのか!?と思わずびっくりしてしまった程である。
だが、今はちょっと寝方が違っている。広い寝台を寝床にする権利は現状、同居人に譲っている。
己は床に茣蓙なり毛布を敷くなりして寝転がっている――という有様。
それで身体が休まるのか。意外と休まりもする。昔々、子供の頃からそうだったではないか。
布団で寝られる身分ではない。そういうモノですらなかった。立派な屋根と壁があるだけで、かなりマシな方である。
二人で見送る巣箱に潜った毛玉たちには、後で水皿の用意をしておこう。
そう思いつつ、寝台の端に座す。寝酒代わりにする酒は幾つかあるが、この夜はそうではない。
お気に入りのひとつではあるが、弟子を拾った時期頃から呑む機会が減った。
何せこの酒はこの国で仕込まれたものではない。舶来物だ。
トゥルネソル商会に頼めば調達は容易かもしれないけれども、その伝手を使わずに港町でまとめ買いしたもの。
「……とは言っても、なぁ。篝よ。お前さん長く生きてて、長く戦って、生き延びた。
俺を出る前は、本当にそういうものだったぞ。とはいえ、色々、嗚呼、色々あった。見聞きもしたのは間違いないが。
それはさておき交換条件、とするか。
――俺が聞きてぇ話は、言うまでもないよな? だから、篝が聞きたい話にひとつ。答えてやろう」
言いつつ、一緒に取り出した柄杓を甕の中に入れ、一滴一滴を惜しむように二人分のグラスに注ぐ。
やや褐色がかりつつも澄んだ酒だ。米を醸して仕込み、寝かされて保存された酒。
船下ろしされたものを一時期、とにかく纏め買いして魔法の鞄の中に突っ込んでいた時期があった。
色々あって盛大に飲み干してしまい、残り少なくなってたが、こういう時に呑むのもまた一興だろう。
酒肴は――欲しくなったら考えよう。そう思いつつ、じっと見上げてくる姿にほれ、とグラスを渡して。
■篝 > 宿まで連れ帰られた日は、言われるままにベッドを使ったが、翌日も変わらず譲られた事には心底驚いた。
言い渡された時には、目を丸め、声を掛けられるまで放心していたくらいには驚いた。
家主が何故に肩身の狭い思いをして床で眠るのか。未だに理解に苦しむ。
何を考えているのか、この人はやはりわからない所が多い。
今日も同じように床に毛布を敷いて眠るのだろうか……。
「う? ん……」
まじまじとその横顔を見上げていると、ずいっとグラスが差し出される。
戸惑いながらも其れを受け取り、グラスに注がれた褐色がかるウイスキーともまた違う酒の色に目を瞬かせ、匂いを嗅いで度数の強さを感じ取る。
辛いか甘いか……。師が好むものなら、きっと辛いだろう。
今は“珍しい酒”程度の認識だが、舶来の品と聞けば納得とその貴重さに遠慮するに違いない。
それも残り僅かな気に入りの品であるならなおの事、己には勿体ないと言うだろう。
入手する伝手があっても、貴重な物には変わりないのだから。
「私は、人に語れることは多くはない……です。
ん、交換条件……。はい、承知しております。そう言う約束ですので。
聞きたいこと、一つだけ……ですか? うー……迷います……」
グラスから顔を上げると、緩く首を振って応え。
告げられた言葉にまた真剣な顔になってグラスを覗き込み、水面に映る緋色を見つめて小さく唸った。
気になることは沢山ある。
生まれのこと。この国に来る前のこと。そして、先日の騒動の折に出た“首置きの悪魔”とか。
それはもう色々……。どれか一つと言われると厳選しなくてはと、頭を悩ませた。
「……先生は、聞かれて困る事……は、ないですか?」
悩みつつ、其方をチラリと伺い見て尋ねる。
■影時 > 次に部屋を変えるなら、或いは家を買うなら、寝台は二つある方がいいだろうか。
前者ならば然り。後者なら……どうだろうか。個々人の個室はあるべきにしても、己が寝台は大きい方が良いかもしれない。
そんな気がしなくもない。だが、何は取り敢えず今日も床で寝るだろう。
冒険者に浪漫を抱いている勢に至っては、馬小屋で寝てナンボであると宣うものも少なくない。
斯様な手合いから見れば、己は随分となまっちょろいく見えるか。仕方がない。使えるものが多いのだから。
「味は……そうだな。ウィスキーやら火酒やらよりは、辛くはない筈だ。
その逆で甘く、違った意味で味わい深いだろうよ。意外と呑みやすい方かもな?」
甕の残りは、そのうち確かめよう。文字通りの棚卸、在庫確認が己が所有する魔法の鞄ならば遣り易い。
酒は呑むものだ。死蔵するものではない。惜しまず景気よく呑んでこそ、気持ちも上がるというもの。
嗅げば、果実酒とはまた違った甘い香りを感じられるだろう。その分、ワインよりも酔うかもしれないが……。
「そうか? あー、……お互いそうかもしれねぇか。
人にして恥ずかしくない話を聞かれると、俺も篝もうっ詰まりそうだからなァ。仕方がない。
生まれは何処、ナンタラの水を浴びて云々とか語り出すと、長いだろう? ぐだぐだ過ぎて眠くなっちまう」
語っても困らない――というのも、此れが意外と難しい。
昔話は切り出し方次第で、笑い話にも笑えない話にもなるとは思うが、自分達は笑えない話の方が多い気がしなくもない。
乾杯は、そういう気分ではないか。柄杓を甕の口を跨ぐように置き、己がグラスを手にしつつ弟子の右隣に座し直す。
悩む顔をちらと見やり、続く言葉に一瞬虚空を仰ぐ。
「……――あれだな。恋バナ以外なら、という位か。とは言え、篝の昔話を聞くならそうも言ってられねえかねえ。
口に出した言葉の抑揚に、とても複雑そうな、噛み締めるような面持ちをみせながら答える。
忍びであった頃、華々しい恋愛沙汰と云い難いものが、あった。
そもそもそういう感情を抱いていたのか、分からない。確かめようもない。だが、今に至る所以でもあろう。
今のような力をどうして得たのか――等とも聞かれたなら、必然と話さざるを得ない。
■篝 > 「……甘い。ん、辛く、ない……。なら、良かった。それなら飲めそう」
辛い酒も強い酒も、飲めと命令されれば飲むが、強烈な味には出来れば肴が欲しくなる。
甘い酒――ワインや果実酒、カクテル、甘めの清酒などはそれだけでも飲んでいられる。
この酒はどうだろう?師の言う通りなら、きっと美味しく飲めるはず。酔うかどうかは口にしてみなければわからない。
ほうっと息を吐けば褐色がかった水面が揺れる。
「うん。それに、仕事の話は……元主様にも禁じられてる、ので、うかつには。
それより以前のことなら、話せるけど……。
……神話の英雄譚を聞きたいわけでは無いです。んー、でも、寝物語には丁度良いかもしれませんね」
眠くなるなら、それはそれで丁度良い。なんて冗談交じりに淡々と告げる。
今、師が望んでいる話は伯爵に拾われる前のことだから、話しても問題ないだろう。
そう、ぼんやりと考えつつ。ずれて隣に座り直されると、その重みでベッドが軋んで少しだけ娘の身体が右に傾いた。
グラスの中が波打ち揺れて、また徐々に収まって行く。
それは娘の心を映す鏡のようでもあった。
「こい、ばな? 恋愛ごと……ですか。
……それも、気にならない――と言えば、嘘になります。どんなことでも知りたい、と思った……ので。
でも、先生が話したくないと思うことを無理に聞き出すつもりはありません」
返答に困ると何処か彼方を仰ぐ癖があるらしい師を眺めつつ、ふむ、と少し考える。
そして、それにもまた真面目に包み隠さず素直に答え、一度口を噤んだ。
恋愛と言うものの存在は知っているが、経験したことのない感情を理解するのは難しい。
どういう感情なのか、どう感じて、何を思うようになるのか。そう言う点では、知りたいと思うが……。
当然、長く生きていれば恋愛の一つや二つ経験があるのが普通。なので、師にそう言う経験があるのもおかしくはない。
おかしくない。と、思う……けれど。
もやもやと胸の奥で重いものが漂い、締め付けて来る。
そんな、不思議な感覚がした。
深く息を吐き、拝むようにグラスを軽く師に掲げてから一口含み、ゆっくりと飲み込む。
ほんのりと甘い濃い芳醇な香りが口いっぱいに広がって、熱が喉を焼いて位に流れ落ちて行く。
今まで口にしたことがない、美味しい酒に舌鼓を打ち、顔を上げた。
「……では、私は先生がこの国に来る前のことを。
今のように強くなれた、その一番の要因をお聞きしたく願います」
■影時 > 「酒は好きだが――呑みに付き合わせンなら、それに足る奴を俺とて選ぶ。これ位ならきっと大丈夫だろうさ」
そもそも吞めそうにないものを呑め、と言わせてどうするのか。
そんな類は日々嗜むにしたって無理がある。最低でも毎日呑めそうでなければなるまい。
土地ごとの酒は産地の風土に根差している要素がある。必要が需要を呼ぶ、と言わんばかりに。
娯楽、憂さ晴らし以外なら気付け、身体を温めるため。呑めばかっと熱くなる類が分かり易い例だろう。
極まり過ぎるものは、希釈なり混ぜ物をしなければ、女子供に勧めようもない。
「おっと、そうだ。そうだったな。すまんすまん。
そうなると……あの野郎と遭ったのは、ヴァリエール伯爵の元に来る前、か。
興味あるのか? 覚えてる範囲でなら話せなくも無ぇが、中々思い出す機会も無いからなー……」
確かにそうだった。先日、あの伯爵に会したときのあれこれを思い返す。
だが、そうした守秘事項やら機密事項やらに抵触する事項では、今回聞きたい件は関係なさそうだ。
今回やり過ごした男は、遭っているとすれば、伯爵家に来る前であると考える方がきっと間違いない。
伯爵家に来た後であるなら、何らかの突発事象で会しても生かしている類とは思い難い。
思考を整理しつつ、椅子代わりの寝台に座す。敷かれたマットの沈み込み、弾力ぶりも安物とは言い難い。
「そうそう。恋愛とか、あの時好きだったのはだーれ、今でも愛してるーぅ?
……って、俺が声に出すと薄ら寒いか。まぁ、そういう奴だ。
学院の女子が休み時間とかでやってるのは聞くがね。――まぁ、そうしておいてくれると有難い」
わざわざ喉元をコリコリと弄り、声を出してみれば、キャピキャピとした女声が溢れてくる。
それを真面目ぶった男のツラでやってみせると、目覚めが悪い風景以外の何物でもあるまい。
『………あ゛ーやるもんじゃねェ』と、ごほんと咳払いし、肩を揺らしては認める動きにグラスを掲げる。
喉に残るものは、酒で洗い流すのが一番だ。舌を撫でる味わいは久方振りのもの。美味いと思えるものは、いつ飲んでも美味い。
これに肴の類もあれば、とは思うが、何かあっただろうか。気になったら冷蔵庫も漁るとしよう。
「……そう来たか。
日々よく鍛えて、よく食べて、よく寝る。此れが――なンてことは言わねぇぞ。
これ以外の、今に至る要因の方だろう。
戦った相手の術を読み解き、真似て己がものとしたのもも確かにある。
だが、それも駆使するための元手がそもそも無けりゃぁ、元も子もない、どうしようもねぇ。
前に、篝が聞いたことを思い出すな。
氣の量を修行で増やせるかどうか、だったか。……俺が経験したことで、もう一つある。否、あった。」
そして、また。今一度虚空を仰ぐ。彼方を見る。
茶化すように口を開き、直ぐ唇をへの字に結ぶ。いずれ聞かれるのではないか、とも思っている事項ではあった。
着物の裾を雑に寛げつつ履物を放り、右膝を抱くように曲げながら酒杯を舐める。
それは“あった”と。過去形で告げる。今はどうかは、分からない。どう語るべきかを思案しつつ、宙を見据えて。
■篝 > 「ん。これは、美味しい……。飲みやすい、です。
これならいくらでも、とまでは行きませんが……。先生の酒の供を、私でも出来そうです」
程よい熱と酔いの気配が体に回り、ふわわと少し浮くような感覚も心地良く。
ベッドの上で白い尾がゆっくりとシーツを撫で、頭の上の耳も元気よくピンと立つ。
酒が入って血色がよくなったのに乗じて、元気まで増したようでもあった。
ちびちびと舐めるように少しずつ酒の飲みながら、話に耳を傾ける。
興味があるのかと問う声には、コクンと確かに頷いて。此方の昔話は取引せずとも話してもらえるかもしれない。
期待をしつつ、続く話はガラリと声色が変わり、思わず耳が跳ねる。
「おぉー……。凄い。とても先生の話声とは、誰も思わない。見事な擬態。
……んー。先生、女子の話を盗み聞くのは止めませんが、うっかり口を滑らせないように気を付けた方が良い。
んと、セクハラ? って、訴えられても、擁護できない……」
軽く喉を弄れば、まるで女学生がこの部屋にいるかの如き声使い。
グラス片手にお見事と軽く手を叩き褒めたのも束の間、少し考えてそっと忠告を一つ。
今どきの女学生は色恋には勿論、少し手が触れただけ、声を掛けただけで抗議してくる者がいるとも聞く。恐ろしい世である。
それはさておき――。
「……聞きたいことは、色々ある。
でも、問い詰めてでも聞くべきことは、きっとこれが一番優先……だから。
元手……? うん……。
うん。河原で修行した時のこと、ですね。
――あった、ですか?」
遠い記憶を読み解くように、彼方を見据える瞳には何が映るのか。
冗談めいた口調も消えて、難しい顔になるのは、あまり良い答えが望めない予兆。
在る――否、在った。という声に嘘は感じられない。
少なくとも、師が知りうる限り、その方法は今は失われてしまったということか。
酒で浮つく感覚に半分呑まれつつ、ふむ、と唇に指を添えて考え込む。
■影時 > 「だろう? 美味過ぎて、パカパカ空けちまったこともある位の奴よ。
……またいずれ仕入れておきてェ処だが、船便任せかねー……」
手段を問わなければ、どうにかなるだろう。手に入るだろう。
何か欲しいと希求した際――物を言わせることで無理を通せるための手段が、金である。
然るべき手段を持つ伝手に任せれば、この甕酒を手に入れることは叶うであろう。
運良く此れは港町で見つけたが、そうでない伝手となれば、持ちうる限りで一つ、ないし二つ。
己が雇用主が王都での店長を務めるトゥルネソル商会か、或いはシュレーゲル卿お抱えの貿易商か。
外で呑むのとは違い、こうした部屋吞みであれば、弟子は耳や尾を隠す必要はない。
白く清潔なシーツを撫でる尾の調子を横目に眺め遣りつつ、己が声に頷く様子を認める。
「ははは、此れ位出来てナンボよ。犬の声真似、鳴き真似とかやらなきゃならんこともあったからなあ。
なーに心配ご無用。話す相手はしっかり選んでるとも。
最近何かとうるさいからなー……、在ること無いことで騒ぎ立てられちゃァたまったもんじゃない」
あくまで真似をする、だけだ。長く長くその話題でトークし続けるのはとてもとても。
女三人寄れば姦しいとは言うが、どれだけ話しても話題が尽きない有様は――己だと直ぐに枯渇しかねない。
とはいえ、聞き耳を立てること、注意を払うこと自体は無駄ではない。
ようは吹聴しなければいい。分かっているともとは頷きつつ、せくはらなー……と面倒臭そうに息を吐く。
貴族であろうと平民であろうと、年上からの男から声をかけられるだけで事案になりがちな昨今である。
比率は前者の方が濃い気がしなくもないが――、それは兎も角。
「……お金に例えて云う方が、伝わり易いと思ってな。
とてもとても凄まじい術があるとする。
幾人もの強者を喰らい、里を滅ぼしかねない程の大妖物を封じ、滅し、――討ち果たす程の術だ。
だが、それを為せる代価が手持ちにはなく。他の者らにもなく。出し合ってもいずれは滅びるのは必定。
忍者でなくとも、よくある話だろう?
身の丈を超える程の大魔法、大魔術を覚えても、チカラが足りずに使えない術師とかのな。
その昔、俺は、俺が属していた里はどうしようもなければ、如何ともし難い状況に陥っていた」
……どうしたと思う?と問いつつ、息継ぎの如く酒を舐める。酒を飲む。
喉を濡らし、臓腑を灼く酒精は呑みやすい。死んでいたら呑めない。死んだ彼らも生きていたら――どうだろう。
一緒に吞めただろうか。それとも、遠ざかった己を問い質しただろうか。呆れただろうか。
分かるまい。死者は戻ってこない。血縁を辿って戻って来れる、縁が続いている例なんて、火守のそれ位しか思い当たらない。
前置きとしては長い気もするが、前提条件が分っていなければ、想起するのは難しかろう。
そう思いつつ、考え込む顔を盃を手に見下ろす。
■篝 > 「……そんなに、珍しいお酒。わ、私……探して、仕入れてまいります……必ずっ」
仕入れるのが難しいと知っては、そーっとグラスを下ろし、小刻みに肩を、耳を、震わせて。
酒好きの師の秘蔵品を飲んでしまった罪悪感に打たれたらしい小娘は、また真面目な顔を少し青くして言うのだった。
承知の上で今日の酒を選んだことはわかっていたが、それはそれ、これはこれ。
連日迷惑をかけ続けている自覚があるだけに、呑気にご馳走されているわけにもいかない。
ちびちびと飲んで三分の二ほどに減ったグラスの中身を見下ろし、へにゃりと耳を下げた。
「んん、出来るの凄いです。私も使えるようになったら、化ける時に怪しまれる頻度が減るので……ぜひ習いたいです。
あー……うん、火の無いところに煙は立たず? とも」
長く声を真似るのが難しくとも、一言二言交わすだけならばやはり便利なと特技である。
素直に羨ましいと尊敬する。が、セクハラ問題に対しては何とも言い難い様子で。
普段の師の行動を思うと、相手を選んでいるとはいえ……とも思ってしまう。
「強敵を倒すために対価を払って術を成す……。
でも、足りない。皆で出しても無理、ですか。んー……。
――うん、難しいですね。
土地や民を売っても足りないら、他から奪って金にする。
もしくは、未来を担保に前借する……くらいしか、方法が浮かびません」
難問に首を捻り、しばらく悩んだ末に出したのは野蛮だが金を作り出す方法の代表例。これも良くあることだ。
そしてもう一つの例は―― ふと浮かんだだけ、としておこう。
甘く芳醇な酒を飲みながら、師が何を思い、誰を思い出すのか。
哀愁漂う横顔から伺えるものはあれど、問い確かめるような無粋な真似ができるはずが無く。
この奇妙な難問を師はどう解いたのか。その答えを待つ。
■影時 > 「そこまで畏まるない。
……こういう酒は、二度と味わえないつもりで故郷を出たんだがね
それをこうして味わえる時点で、望外という奴よ。
気に病むんだったら、行った先で地酒を持ち帰ってくれるだけで十分過ぎるわい」
手に入れられないわけでもない――という類のものだ。二度と手に入らないわけではない。
一番弟子を指名して、トゥルネソル商会で依頼をすれば、空を渡ってひとっとびして仕入れかねない。
力業過ぎる手管が出来る、文字通りの空恐ろしさが雇い主らにはある。
故に真面目な貌を青くしながら宣う様に、気にするなと手を振り、ぽんぽんと軽く肩を叩く。
どうせ気に病むなら、何らかの依頼を請けて、赴いた先で地酒を土産に買ってきてくれる方が嬉しい。
この国は広い。魔族の国もまた広い。まだまだ見ぬ、知らぬものが山ほどあろう。
グラスの中身が減った様子に、己が酒杯をぐいと干して一旦卓に置く。
柄杓を取れば、おかわりを弟子の其れに注ごう。それが済めば己が杯にも手酌で注いで。
「じゃぁ、そうだな。……朝起きたら、宿の裏で発声練習からでも始めるか。
術を使う手もありはするが、なンでもかんでも術任せにすンのは良いとも限らないからなぁ。
――まっことさもありなん。だから、相手は選んでいる。本当だぞ?」
造り的にこの部屋の防音が利いているとはいえ、大声奇声を張り上げれば苦情も出る。
朝練の一角に入れることも考えよう。いずれは周囲を気遣うことなく、憚ることなく鍛錬できればいいのだが。
今の暮らしでは、この辺りが難しい。仕方がない。借家同然のものでもある住処なのだから。
しかし、そんなに所作が気になるのか。胡乱なのか。憮然とした口元を酒杯で隠すように一口。
「まぁ、そもそもそンな風に合力できる術……というのも、そうはない認識だが。
そうだろうな。嗚呼、だが。前借する――か。当たらずとも遠からず、だ。
……俺の里には、秘されているものがあった。
肉、のように見える、生きていないのに脈動している何か……“秘薬”とも呼ばれていたがな。
喰らえば大体の奴は死ぬ。だが、若し生き残れれば力を得る、と伝わるもの。
大分試したか、目減りしたか。俺が見た時は、もう一口位の欠片しかなかったが。
事此処に至って、已む無くその賭けに挑んだ。生き残りで耐えられそうな行を積んでいた俺が、挑んだ。」
――あれはどんな事案、事件だったか。思い出す。記憶の底を掘り返す。
当時、自分達の里を雇っていた大名と敵対していた大名が、従えていた大妖物が制御し切れなくなったのがことの起こりだったか。
妖殺の専門家たる武者、法師の類は近場に居なかった。だが、居た所でどうにかなったのかは、考えると疑わしい。
それの鎮撫、或いは討滅のため、多くの者が駆り出された。
己も含め忍びの里で戦えるものの殆ども駆り出された。駆り出されて、死んでいった。昔馴染み、幼馴染の気の合った娘も。
だから、かもしれない。捨て鉢にもなっていたのだろう。
如何に強さを求めるとはいえ、分が悪いどころではない賭けに挑んだのは。
口に出すと全く、胡乱が過ぎる話ではあるが――。
■影時 > 【一時中断にて】
ご案内:「宿」から篝さんが去りました。
ご案内:「宿」から影時さんが去りました。
ご案内:「宿」に影時さんが現れました。
ご案内:「宿」に篝さんが現れました。
■篝 > これも故郷の味、というのだろう。刺身や牡丹餅、カキ氷……と、多分同じ。
今日、この酒をわざわざ引っ張り出したその意図は、きっとそこにも意味がある……とは考え過ぎか。
宥め落ち着かせて軽く肩を叩かれて、少しずつ青白い顔に色が戻って行く。
「……承知いたしました。
遠くまで出かける時は、必ず地酒を持って帰還します」
これ以上頭を下げても相手を困らせるだけなので、コクリと頷き素直に従った。
強い酒をお茶でも飲み干す様に軽く煽り、グラスを空にする様はまさに酒豪。
娘が無理に飲み方を真似でもすれば、きっと二杯目の途中で意識を飛ばすことだろう。
柄杓片手に酒のおかわりを注ぐものと思えば、先に此方の中途半端に減ったグラスの方へ、減った分だけつぎ足され。
「……ぁ。ありがとう、ございます」
パチリ、とゆっくり瞬きを何度か繰り返し、お礼を告げ、また一口。
少し大きく口に含んで飲み込み、息を吐けば酒の香りがまた一段と強く残って、少しくらりと来た。
だめだ、だめだ。真面目な話を聞いている途中、なのだから。
「ん、明日からよろしくお願い致します。出来れば、魔物の声や、先生の真似も出来るようになりたい……です。
うー……? うん。選ばれた大丈夫そうな人は……先生がそう言う人だって……わかってる人、ということですね?
理解しました」
ほんのり桜色に染まった頬と目元を手で擦り、猫が顔を洗うようにしながら相槌を打つ。
真面目な話と分かっているし、此処で聞いたことを忘れぬようにと思っているが、どうにも酒が回ると気も口元も緩んできてしまう。
お行儀悪くぺろりと舌で唇を舐めながら、続く話題に耳を傾けゆらゆらと。尾と三角耳が揺れる。
「力を合わせて使う術……私はあると思いますが……。
そんな大掛かりな物、戦争か、強大な何かに挑むくらいしか……使い道がないです。
的外れ、ではないと。せんせの、里の秘密……」
聞いた話は、それこそ伝説や昔話に出てきそうな類のものだった。
似た話で聞いたことがあるのは、人魚の肉か。アレは確か、不老不死になるとか……。
きっと、そう言う人ではない何かの欠片をその里は“秘薬”と称して、大切に隠し続けてきたと。
誰も疑問を口にしなかったのだろうか。
それは、“呪物”であると。人の手に負える代物ではないと。
否、皆そんなことはわかっていたのだろう。今までそれを口にした者は、わかった上で賭けをして。勝ったか負けたか。
……きっと、師以外は皆、身体か心がもたなかった。もしも力を得た者が他にいるなら、事はそれで済んでしまう。
束なっても勝てない化物を相手にするのと同じ、分の悪い勝負だ。
師もまた、黙って滅ぶか、賭けて死ぬか。そう言う瀬戸際にあったのだ。
想像できるのは、ここまで。
「……それが、先生の力の根本になったもの、なのですね。
色々と、他の作用もありそうな様子ですが……。
一先ず、その方法が無くなった意味は理解しました。
聞かせていただき、感謝いたします……」
一度グラスを卓に置き、深く頭を下げて礼を述べる。
きっと、思い出したくもなかったことも、暗赤の瞳の奥で見ただろうことを察しながら、身を乗り出し顔を覗き込む。
■影時 > 同じようなもの、近しいものを求めようとするなら、存外シェンヤンの方に赴けば在るのかもしれない。
しかし、悲しいかな。頻繁に向かうには遠すぎる。とはいえ、また向かわなければならないとも思っている。
まだかの地を堪能し切っていない。まさにこれはと思う怪妖邪仙の類と遭ったことがない。
王宮の先の先まで進んだことがない。面白き仙宝のような代物等とお目にかかったことがない。
充足が足りていないというのは、理由と都合が付けば、十二分に己が足を向かわせるに足る所以である。
この王国を拠点にしての旅、冒険が幾らでも続くわけである。あとは、だ――。
「今呑んでる奴みてぇに気を衒わなくていい。例えば、麦酒だって俺にとっては地酒のひとつだ。
まあ……帰らなきゃならん所以、理由があれば、生きて帰ることに弾みがつくってものよ」
今呑む甕酒と同じ位――なんてことは言わない。瓶詰されて持ち帰れそうな酒であれば、価格は問わない。
行って戻るまでが旅である。行き先で無縁に死ぬ、ということがなければ良い。
そう言外に気持ちを篭めつつ、己にとっては呑みやすい酒の味わいを堪能する。くいっとイケるのが良い。
「おう。おかわりが欲しかったら言え。まだまだあるからな」
柄杓でおかわりをつぎ足しつつ、弟子の様子を見る。
自分と同じペース、勢いは……むつかしそうか。是非も無い。ワインより酒精が効いてしまいやすい類だ。
もとより、帰る前に呑んだものも考えれば、加減は必要だろう。そう察し、顎を摩り。
「――分かった分かった。だが、明後日から、にしとくか。早起き出来なさそうな顔してンぞ?
ご名答。話す相手を選ぶってのはその通りだ。
まぁ、そうでなくとも、だ。誰かの気を引くでなくとも、流行りに目を向けるのは大事なことでもある。
年頃の少年少女が好むものが、まさにそうだ。実に手っ取り早い」
うーむこれは。膝にでも寝かせて猫のように愛でるが一番良いだろうか。
ゆらーりゆらりと揺れる尾っぽと耳先と。それよりも顔を洗うような猫仕草も気になる。
しげしげと、非常に趣深い顔になっている弟子の有様を眺め遣りつつ、言葉を続ける顔は少し――昏い。
「大技でない限りは、そうそうない。……即興で術を重ねるなら兎も角、な。
――何故そんなものがあったかは、極め尽くして神となった始祖の肉である、と口伝は在ったが、胡乱が過ぎる。
わざと記録を消したのか。試した奴らは死んだと云うが、その骸はどうなったのか、とか……兎に角眉唾だったなァ。
だが、兎に角。あの時はそんなモノに頼らなきゃならんと思う位、切羽詰まっていた」
小国同士の戦に引き出される程の大妖物。
そんなものを永遠に御せうると、悦に入っていた時の大名は思っていたのか。知る由もない。
枷を外され、暴れ狂うそれは、純然たる暴力である。台風の如くどうしようもないものであった。
それをどうしようと、何故思ったか。――仲間を失ったから、でもあったのだろう。それ以上にやけっぱちであったのだろう。
そうでなければ、今の世で云うなら“呪物”のようなものを喰らい、賭けに出るようなことはすまい。
だが、結果として。万分の一のような賭けに勝ってしまった。
身体が作り替わる苦痛、目の色も変わる変形に耐え、その後に出たとこ勝負の術に挑み、木乃伊同然になったが――生きていた。
「……結果として、大きな元手を手にした直接的な理由としては、そういうこった。
副次的には、恐らく老い辛い。人の何倍よりも老いが遅いか、外面はこれ以上は老いないか、といった具合か。
目にわかる位に比べるにゃ、ちと年の経過が足りんがね。
――どうしたしまして、と云おうか。
つくづく無理無法な手段だ。まだ、少しずつ氣の力に馴染み、取り込む手管に慣れていく方が遥かに現実的でもある」
酒杯を置き、頭を下げる姿に頷くように会釈すれば、覗き込んでくる目が直ぐに飛び込んでくる。
無理をせずに、無茶をせずに、訓練を重ねよとは思うが、性急になるのもまた、若さでもあるか。
――居なくなった“同期”、幼馴染たちも、こんな目をしていただろうか。
翳りが過る眼差しで暫し、緋色の目を見つめて、ふとなんとなしに手を動かす。弟子の喉元を猫に遣るように擽ろうと。
■篝 > シェンヤンの地は、話でしか聞いたことがない、まだ見ぬ世界である。
国を出る許可を持たなかったが故に、知らない事の方が娘は多い。
魔族の統べる国のこともそう。同僚のメイドから軽く聞いたことしかない。
どちらの国も興味はあるが、師のもとへ常に帰るよう命を受けた身故に遠出はあまり望まない。
結局、出かけても一人旅なら国内だ。
いつか、強くなって師に認められれば旅に同行する許可も下りるだろうか……。
いやいや、まだまだ力不足。足を引っ張るに決まっている。
「んー……、んっ! 理解しました。エールでも、地酒は地酒。お土産は、お土産」
ふんすっ、と鼻を鳴らして、注いでもらったのをく~っと仰いで酒を飲み干した。実に癖になる味だ。
おかわりが欲しければ、と言われて顔を上げ、グラスをそーっと差し出して強請る。
「……んなぁー。おかわり、ください。これで最後にする、のでっ」
もう一杯、残り僅かな貴重な酒と分かているけれど、美味しいお酒はマタタビの如く白猫を魅了した。
かなり気に入ったのだろう。そして、確実に出来上がってしまっているのだろう。
ゆっくりと味わい楽しむ時間を設けながらも、気付けばグラスが空になる。
「うー? 起きれる。起きれる、の! ので、だいじょぶ。
ふーん、流行り……じゃあ、紅茶の人気を調べたのも、そう言う……?」
くらくら、カクリ? 首を傾げて。視線は彷徨い、あっちへ行ったりこっちへ来たり。
一緒になってくねくね揺れて八の字を描いて少し考えてから、続く話に耳を傾ける。
遠くなった、昏い思い出を語る瞳を覗き込みながら一通り、語り終わるまで大人しく清聴した。
その話の中には興味を引く事柄や、若さを感じる過去の師の選択した時の心情を想像しようとしたり、色々な事が頭の中で巡る。
万分の一、奇跡的な可能性に賭けて価値を得たとて、相当な苦痛があったのだろう。
行くも地獄、残るも地獄。
それなら、好きに地獄を選んで飛び込む方がまだましだと思う。とは、気休めか。
「極めすぎるのも良くない、でしかた。そう言うものを見たから、先生はそうお考えになられるのですね。
眉唾でも、命を賭けて勝負出た。そして、先生は打ち勝った。
……きっと、原因となったそれの退治も、先生ならやり遂げてしまったのでしょう。
――なるほど、先生が見た目に反して爺様――失礼、古いことを良く知る方なのは、そう言う理由でしたか。
また一つ謎が解けました。しかし、老けない、永遠に生きられるかもしれないとは、きっと色々な人が羨むでしょう。
これが公になると、学者や研究者が先生を追いかけ回しそうですね。
はぁ……。はい、ないものはないので、仕方ありません。周囲から取り込む練習もしますが、また違う方法も探してみます」
師は、労いや、慰めを望む人ではない。そう思うから、「可哀そう」とも、「辛かっただろう」とも口にはしない。
何を望まれているかと考えて、出来るだけ変わらぬ態度であれるように、言葉と話題を選んで言った。
ふと――
「……? せんせ? なぁ……ん、なぁ……ん~っ」
首元へと伸びてきた手を見下ろして首を傾げ、何を?と尋ねる前に娘の頭は心地よさに包まれてしまった。
そして、擽りが続けばいつものようにゴロゴロと喉を鳴らし始めるだろう。
■影時 > 次に弟子を伴って、シェンヤンか。魔族の国の方に赴いてみるのも悪くはない。
行くなら、より冒険的になりうる後者であろうか。
そういう依頼がなくもない。偶にある。魔族の国に出征し、かの地で死んだ兵士の親類が花を捧げに行って欲しいという仕事が。
国を守るためという理由は華々しくとも、遺された者たちの思いは如何程なものか。無理な出征であったら尚のことで。
危険度の割に報償はささやか。だが、そういった使いの仕事は嫌いではない。
――気づけば斯くもここまで、と思うところがある。
であるなら、力試しがてら、というのも偶には必要だろう。
「そうそう、麦酒も単純じゃァないんだぞ。
処変われば仕込み方にも違いがある。薫り付けだってそうだ。……其れが分かると余計に面白い。
良いとも……ほら、零すなよ、と。後で水でも持ってきてやった方がいいかね……」
麦酒と一口に言うが、どの土地も一律ではない。
同じ製法でも僅かな違いがあり、土地が変わればそもそも仕込み方自体が違うことだってある。
文化の伝播の名残を垣間見ることも出来れば、何らかの切実な所以、法律の定め等が関与していたこともある。
それを知り、或いは察しながら呑むことの奥深さよ。
信仰を捧げよと言われれば、陽炎の神仏と酒の神なら素直に拝んでも良いかもしれない。そう思う程だ。
注いだ酒をく~~っと飲み干し、グラスを差し出しておねだりする有様にほれ、とまた注ぐ。
呑みっぷりは良いが、そろそろ歯止めが必要かもしれない。やはり水をそろそろ用意しておこうか。
「だと、良いが――……慣れてねぇと結構キくぞ? 無理はするな。
ぉ、気づいたか。美味いと聞くなら、俺個人としても試さずにはいられなくてなァ。
そうでなくとも、旅先でも美味い茶が呑めるなら越したことはあるまい」
あぁ、これはやはり危ないか。尻尾も耳も。否、それ以前に首も視線も座らぬ様に肩を上下させ、息を吐く。
早朝の朝練は、起きぬなら無理に起こさないようにしておこう。
そう心に決めつつ、続く言葉に、にたり、と嗤う。趣味と興味交じりだが、意味もあることだ。
旅先で飲み水を危なくないよう煮立たたせるのは常道だが、白湯や湯冷ましを呑むばかりは味気ない。
呑むならば風味ある物の方がいい。そういう意味でも、茶は軽視できない。
「尖り過ぎる、鋭過ぎる――先鋭化するのは、同時に脆さを伴う。思わぬ落とし穴がある。
ただ、極め尽くした先が、とはあンまり思いたかないがなー……。確かめたくもないが。
……――退治と云うか。大地に還した、とも云うのかねえ。細かな理屈は、気になるならその内教えてやる。
滅多なことがあっても使いたくない術だ。
どうせ教えるなら、この前お前さんに課した課題の手伝いを遣る方がもっと身になろうよ。
って、ジジイは余計だぞ。そう呼ぶ同郷の鍛冶師も居るが、嗚呼、こっちもその内教えなきゃならんか。
老け辛い反面、偶にこうも思う。――寝たら次は目覚めないのではないか、ともな。
未来を担保に前借する、と篝は云ったろう?
安堵のままに死ねる権利、未来を俺は引き換えにしてるのかもしれん……と、全く……」
細かい処まで語ろうとすれば、長い。とても長いことになる。
同時に至ったこの身にも不安の影が長く付き纏う。切っても切れない事項でもある。
現状の結果としては、長く生きられるかもしれない。だが、同時に戦いの最中でもなく不意にふっと命の糸が切れる。
そんな可能性、不安を追い払えているとは言えない。命はいずれ終わるものである筈なのだから。
明日己が死ぬのなら、終わるのなら、未練があまりに多く残っている。それを吐露しつつ、見れば――。
「……おうおう、愛い奴め。ほれ、杯は向こうに置いてやるから、寝転がれ。な?」
擽り続けていると、ごろごろと。可愛らしい姿がそこにある。
無駄に考えてしまう癖が馬鹿のようだ。まだ酒が残るグラスをテーブルに置き、弟子のグラスも同じように置こう。
零れるものが無くなれば、寝台に足を揃えて座りなおし、太腿を軽く叩く。枕にせよ、と。