2025/10/13 のログ
> 「……っ! ん、承知しました。お役に立ちます」

臭いと気圧で陰鬱な雰囲気がのしかかっていたが、仕事を命じられると顔を上げ、何度も頷き返事をする。
役に立てることが嬉しいのか、ずっと萎れていた尾がピンッと立ってゆらゆらと揺れていた。
そうして、瓦礫を渡ったって行き……。

道中聞いた話には、仕留め損ねたターゲットの名を聞いて、なるほどと首肯を返した。
貴族がらみの仕事は深堀するのは厳禁だ。余計なことを知れば、寿命が縮まるというのは身をもってよく知っている。
二つ返事か嫌々かは知らないが、この汚染された大地に飛び込むことになった先人は、命知らずだと思った。

そうして、目の前に現れた奇妙な獣を二人で一掃し――。
良い、と褒められたことに静かに会釈を返し、尾の先を小さく震わせた。
密かに浮つく心を律する様に、刃に着いた泥と僅かな血液を軽く振って拭い、それでも残る不快な臭いを嫌って火打ち指輪で起こした火種を元に、一瞬、焔を刃に灯し熱を持って浄化する。
ふと、後方でまだ僅かに動く気配を感じ振り返れば、左の手足を失った獣が藻掻き、ぐるぐると泥の中で円を描きまわっていた。
痛みを感じる器官もろともあの茸に奪われてしまっているのだろう。獣は一向に進むことのない手足を機械のように動かし続けていた。

「はい、先生」

このまま下を行けば、また襲撃を受ける恐れがある。
今度も楽に退けられれば良いが、足場の安定しない中、数が増えれば厄介なことこの上ない。
上を行くという提案には頷き、そのまま後について跳んで、駆けて、町の中央を目指す。
元は此処も普通の宿場町だったのだろう。形の残る建物の名残は、王都や、その周辺でも見かけるような作りのものも多く、礼拝堂の上に掲げられる宗教のシンボルは信徒でない娘でも、少し思うことがあった。

石造りの壁を蹴り、二階の屋上へ。だが、そこで休むことは無い。
煙突から煙を吹くが如く、吐き出される胞子の煙を横目に捕らえながら足を止めず走り続けた。
地を駆ける例の獣の気配も、直立して歩む人間……らしき、不気味な影も足を止めるには値しない。師が前を走る限り、弟子はその背を追い駆けるのみであった。

「――? 約束……術の実演っ、ですね? ん、見た。土遁の」

道中、尋ねる声に一瞬首を傾げかけたが、直ぐに思い至り、声を上げる。
さっきと言うのは、あの獣に放った刃のことだろうか。手の中から現れたように見えたが……。

影時 > 「俺も火はそれなりに扱うが、より扱える者が居るなら――な」

よくよく余力を残しておいてくれや、と。慣れない、不得意なフィールドでありがちな点も含め、念のため言い足しておく。
仕事があると聞けば途端に気分が整うのは、やはり役立ちたいココロが何より勝るものだろう。
尻尾に篭る感情が何よりも顕著だ。それに師匠として色々な術を修めているものの、得意、不得意、相性等がある。
火術については、己が一番弟子と同じように抜きん出ている。それ以上に使えない領分まで司る程に。
火守の焔の神髄まで要らぬとは思いたいものの、この場の大気に満ちる胞子は街に戻る前にしっかりと滅却せねばなるまい。

――胞子と猛毒から身を守る防護と同様に、除染の備えは徹底せねばならない。

この辺りの概念、考え方まで、先に到達しているだろう者らは認識しているだろうか。
少なくともこの地に先んじて至っている者は、何人も居る。その者らはよくよく心得ているだろう。
証拠隠滅としての意味だけではない。この地に巣食うものの繁殖力が気に掛かる。
茸もカビもちょっとしたきっかけ、影響を受けて、容易く性質を変えかねない。
何処にでも繁殖し、毒を撒くものを何の考えもなしに持ち帰るのは、露見すれば最期、重罪の裁きを受けかねない程。
取り敢えず双剣に付着したものを、熱で滅却するさまを一瞥するなら、不手際の心配はやはり要らなさそうだ。

「鉤縄を出すまでも、無ぇのはいいな。
 飛び交うものへの備えを考えてない町の造りは――やはり、戦う場所じゃぁなかったんだろうなぁ」
 
忍者、もとい。忍者と暗殺者の組み合わせは足元の悪さの心配をものともしない。
軽業に任せて上を行く。それに地面を俯瞰できる高所の確保とは、このフィールドの構造を把握するためにも有用である。
魔族も色々あるが、翼や翅を持つものも少なからず居ると聞く。そうとなれば砦や城の構造も影響を受ける。
戦に備えた町ならば、例えば尖塔、見張り台を多く持つかもしれない。視点や射線を確保できる高所を幾つも備えたい。
だが、この街にはそれはない。宗教施設にありがちな尖塔やら煙突ばかりが目につく。
同時に閃くものもある。水道施設があるか、それに類する水源があるか。生物にはそれが必要だ。

「然り然り。……まぁ、その、なんだ。自慢じゃァないが俺は五行を能く使う。
 それでも癖、傾向というのは自覚していてな。
 その中でも使いがちなのが土遁、土行だ。砂地ならちと勝手は違うが、無い処は無い。
 
 故に出かかりに使いやすい。土壁、石礫飛ばしから進んで――さっきのような奴だ。
 あれは黒曜石の刃だ。 大地に埋もれるものを知るなら、出すものを厳選することが出来る。
 
 ……っ、まずいか。横に跳べ――!」
 
前を見つつ、声を飛ばす。そうしていると次に跳び移る屋根が大きく震えた、ような気がした。
若しかすると此れが遠目に見えた移動物の正体、かもしれない。
屋根に置かれる「手」が見える。視線を上げれば、手、腕を伝い、胸――頭が見えるのだ。
巨人である。爛々と輝く一つ目を持つ独眼の巨人の、成れの果て。
首に大きく嵌まった鉄輪、首枷は労働力か戦力だったかはよく知れないが、この地の理に既に侵されきっている。
茸とカビだ。青々とした皮膚のそこかしこが既に苗床にまだらに染まり、赤い傘、白い茎等が同居している。

その巨人が足元とする屋根を掴み、引っぺがしてくる気配を見ればすぐさま道一本挟んだ屋根へと跳ぶ。
生前ならば巨人の動きには速さが見えよう。だが、今は違う。ただ膂力を振り絞るだけだ。
動きが非常に緩慢だが、莫大な膂力だけはまだ健在であるらしい。足元だった屋根を引き剥がして、町の外目掛けて放り投げる位には。

> この土地がどういった場所であるか、どれほど危険か、そこまでの知識は娘にはない。
刃を浄化したのは、本能的に感じた不快感と、師が言った“清め”の言葉からした取った行動に他ならなかった。
しかし、獣の本能と言うのはこう言う場所ではよく働くようで、頭で危険を感じる前に身体が察知して反応する。
ここで犠牲になった獣達は察して逃げる前に巻き込まれたもの達……なのだろう。

「私はアサシン。これくらいは、出来て当然。……忍者でも、そうかも……しれませんが。
 ――ん。元は、普通の町だった。魔族に襲われた……。ではなく、何かに巻き込まれた。事故的要因による結果?」

相変わらずアサシンであることにはこだわっているが、今は忍の弟子でもあるわけで。
独り言のような返事をして、ごく平凡な町の作りは穏やかな暮らしであったことが伺える。
何故、どうしてこの惨状へと至ったか、疑問に首を傾げて考え込んだが答えを語り聞かせてくれる生存者の存在は絶望的だった。
煙突がまた一つ胞子の息を吐く。

「うん、以前お聞きしました。一番得意な属性……。
 さっきの……黒曜石。厳選? 選ぶ、ですか? 石の種類を?

 ――……、っ!」

生み出す石の種類を選ぶ、何て器用な。否、どれほど学び、努力をしたか――。
目を丸め小さく息を呑んで師を見上げた。
直後、肌がざわつく感覚に襲われ、その正体を知らせるように、危険を知らせる声が上がる。

娘は合図とほぼ同時に屋根を蹴り、師とは逆に、跳ねるように後ろへ跳び、一段低い建物の屋根へと降りた。
必然、先ほどまでいた建物の屋根を毟り取り放置投げる赤傘の暴君の姿を間近で見上げることとなる。
その大きさは何メートルあるだろうか。重い巨体を緩慢な動きで歩み、腕を振るう。回りのものがその大きな単眼に入っているかも怪しい。
カビと埃が舞い上がる中、娘は手にした双剣を構えたまま、気付かれているかを探りながら静かに、かつ素早く瓦礫の影へと身を隠そうとした。

まだ、講義の途中であったことが悔やまれる。
先生は何が言いたかったのだろうか。それが気になり、頭の隅でチラついていた。

影時 > 勿論、師匠を名乗る男にも本来の町の在り方、役割は知りようもない。
原形を保っている建物を探れば何らかの記録を掘り出すことも出来ようが、この有様だ。
記録物として浸食風化に耐えやすいものは石碑の類らしいが、若し在ったとしても無事かどうかが疑わしい。
分かる範囲、見立てられる範囲として、この場は良い水源を湛えていたのだろう。
この町の心臓と言ってもいい。心臓を守る胸郭と云える地盤が破砕され、かくも擂鉢の底よろしく沈んだ――のが恐らく事の始まり。

「分かった分かった。俺から見たら、忍者の方にだいぶ寄ってると思うがね。
 ただ隙を見て後ろから刺すだけの手合いが、篝のようには動けんよ。
 ……さてなァ。事の発端は分からんが、恐らく地底深くをぶち抜くようなことがあって、こうなったんだろう。
 
 水道の類、構造物は遠景じゃあ見えなかった。地下水が抜けて、大きく窪んだ。まだそこまではいい。
 だが、そこにカビやら茸が根付き、異常増殖のようなことが起こったら、こうもなるのだろうなァ……」
 
弟子の相変わらずの言の葉に肩を竦めつつ、恐らくと前置きながらの見立てを口にする。
戦争かそれ以外の何かか。何分、人外の領域だ。何が起こっても不思議ではない。
カタストロフが起こり、その次に来る何かの脅威がこの地域ではきっと、乱高下していることだろう。

「そうだな。結果的にとは言え、よくよく使い馴染みのある類よ。
 ――如何にも。目的に応じて選び、定める。地に埋もれたものの性質は一様じゃあないぞ。
 
 さっきのように深く切り裂くならば、それに沿ったものを出せばいい。
 それを突き詰めれば、色々と出来ることが増える。出来ることの幅が増す」
 
元々の興味があってこそ、とも云える。知識を蓄えるきっかけは冒険を重ねる中に有る。
寸暇を惜しんで知識を蓄え、知見を増やしてこそふと気づくものもある。
言葉を放ちながら、立ちはだかる文字通りの巨人を振り仰ぐ。
この手のものは迷宮で遭うばかりと思っていたが、――成る程。流石は魔族の国だスケールが違う。

「……動きがとろくせぇのは良いが、大暴れさせるわけにもいかんな。
 破片等下手に当たってマスクが壊されたら溜まらん。――仕方がない。教授がてら、ここで仕留める。
 
 篝はその位置でいい!そこから動くな。
 
 こンな奴に使うにゃあ一番大仰だが、宝石を削るには同じ硬さかやや劣るものでなけりゃならん。
 どれもこれも地に埋もれているものは違いない。俺はそこから、此れを刃の如く扱うための気づきを得たのよ」
 
己とは反対側に跳んだ弟子の位置、気配を感じ、察し、健在であることを確かめる。
どう動くか。どう攻めるか。半壊しているが、まだ形のある元民家の屋根に着地しつつ周囲を見る。
もうもうと舞う土と胞子の中で、緩慢な動きで巨大な何かが動けば、それだけで風が起こる。
道具を使うという知恵がないだけ、まだやり易い。しかし、此れを確実に一撃で仕留めるには何があるのか。

――幾つもある。しかし、ここは術だ。使ってやると決めたのだから。

故に射線を確保できる位置に動く。民家から別の民家。その屋根にまた飛び、弟子の現在位置に向かわない位置取りを済ませて。

「故にこう、だ。見晒せ――土遁、金剛砂輪剣……!」

印を結ぶ。連続する結印は大地の力を呼び起こし、打ち合わせる手の間に煌めく結晶の疾走を生み出す。
唸りを挙げるそれは直ぐに高速回転する高硬度鉱物の微粒子の円環、輪刃(チャクラム)の如く成る。
右手を振り上げ、擲つならば円周を拡大しながら、巨人の体躯を正中線に沿って大きく“ひらき”にしてゆく。
猛烈過ぎる勢いで接触面を削り散らし、血皮骨肉をも飛沫に変えて断ち斬るそれは、巨人に使うには余りある程のもの。

> 忍の方に在り方が寄っている。と言われると、言い返す言葉もなく黙り込んだ。
今、こうして倣っている相手がそうだから、と言えばそうなのだが。
かと言って、その前から身のこなしの軽さはあったもので。
ここで、己はアサシンだから、と言葉を重ねるのは意地を張っているようにしか見えないだろう……。
アサシンらしい行いをとも考えたが、主――今は師から、命令が無ければ他者の命は奪えない。悩ましい限りだ。
何も考えていないような涼しい無表情で娘はそんなことを考えていた。

「……なるほど。この窪んだ歪みの中心はそれでしたか。
 ですが、地下水がこうも、淀んで腐るとは……。根付いた原因は、何なのか。
 いずれにせよ、原因の元である中心部には向かわざるを得ません」

街並みを見渡しても井戸の存在は当たり前過ぎて目についていなかった。
雨水ではなく、地下水が原因と聞いて納得はしたものの、原因の根本はまだまだ謎に包まれている。
カビやキノコが根付いた理由もあれば、根本の地盤を変化させた原因も何かわかるかもしれないと考えて首肯した。

深く思考を回す余裕があったのはそこまでだった。
新手の襲撃を受け、師との距離は大きく離れ、娘は煙に紛れ瓦礫の影に身を潜ませたまま、指示に従い息を殺して目だけは敵――巨人から逸らさずに観察し、警戒する。

やがて砂煙が晴れ、遠く離れた場所から、師が教鞭を振るい教えを説かんとする姿を捉える。
土遁の力は大地その物を指す。故に、木遁と同じく多くの性質を持つと言う。
先に挙げられた黒曜石は、火山の近くで良く取れる、ガラスのような石だ。古くはナイフとして使用されたと、文献で見た記憶がある。
刃の代わりとするのに、これ以上に適したはそうそうないだろう。
ああ。師は、今度は何を魅せてくれる心算か。
期待を煽る語り口に、少しだけ心音が早くなるのを感じた。
一つ目の天を突くような巨人を前に、師は身軽に屋根から屋根へと飛び移り、そして――

「――……ぁ、」

印を結び、言葉にされた術の名に相応しい、黄金に輝く輪が打ち合わせた手の間から現れた。
それは結晶の環と言うのが正しいのかはわからないが、煌きは廻り、回転を繰り返し、その作り手の下を離れれば、大きく広がり巨人の身体を引き裂き削り落とし開いて行く。
その光景を見た緋色は瞬きも忘れ、一言声を零す。

「………………キレイな術……」

削りつくされた巨体が大地に倒れ伏すその瞬間まで、一度も眼を放すことなく少女はその光景を目に焼き付けた。

影時 > 【次回継続にて】
ご案内:「魔族の国」からさんが去りました。
ご案内:「魔族の国」から影時さんが去りました。
ご案内:「魔族の国」に影時さんが現れました。
ご案内:「魔族の国」にさんが現れました。
影時 > アサシンがこうである、という定義は難しい。絶対的な定義がないように感じられる。
忍者もそうだろうという意見は受け入れるが、弟子の在り方、動き方の根幹は己のそれに近い。
さもありなん。火守の真相や真実は兎も角、二つ名じみたその名は“影喰らい”が現役の時に聞いたのだから。
十把一絡げに頑なに認めないのもよくはないが、縛られ過ぎている気もしてならない。
冒険者ギルドや盗賊ギルドで請ける仕事で、殺人殺害も善しとする類も幾つかはある。
が、それを受けて満たされるかと言えば違うだろう。むつかしいものである。

「さて、な。とは言え根付く要因やきっかけに事欠かん。王国の側より酷い気がすんのは気のせいかねえ。
 ……そう、いずれにしても中心部に向かうしかない。溜まる、ないし湧くとすれば其処だ」
 
魔族も色々だが、この地に住まうものが魔族だけであるとは限らない。
人間同様の肉体を持つ種族、駄馬か駄馬に相当する獣が必要なら、水が要る。水は飲み水以外にも使う資源でもある。
己が見立てが外れている可能性もあるかもしれないけれども、かくも土地を陥没させる要因が他に有ろうか。
地質学者に道具が揃っていれば、深い調査や考察が出来るかもしれないが、生憎そこまでの理由はない。

そこまでする深い必然性と、なにより直近で立ちはだかるものが邪魔をする。
擦り抜けも逃げ切るのも無理だろう。であるなら、倒すのみだ。
決断的な判断の元、弟子の現在位置を把握する。今から遣る術は基本的に単独標的用だが、勢い余る可能性が高い。
巨体想定の術式とは言え、柔らかい敵には大仰過ぎる。仮想敵は竜――屠龍の太刀に依らぬ対竜・対装甲奥義であるが故に。

着目したのは宝石。貴石と呼ばれるそれらは類を見ない硬度を帯びているものがある。
ものによっては、硬度の高さ故に同じ石の粉末=微粒子を以てでしか磨き出せないこともあり得る。
そうした物理特性の鉱物を土遁を通じて生成し、風遁の流れも加えながら高速回転させる。
土遁、あるいは俗に土属性としては珍しい、質量と大きさ任せとは別の“削り斬る”ことに特化した術。
易い術ではない。層為し偏る土の奥の奥。
産地も限られるともされる宝玉を写すも同然のそれは、単なる量ではなく質のさらに質を極める必要がある。

「っーし! ……――まァざっとこんなもんよ」

そんな術が、こんな鈍く力任せでしかない肉の塊に繰り出される。過剰威力(オーバーキル)も甚だしい。
硬い殻も鎧もない肉身なら、削り生じるのは血飛沫と骨肉の飛散。
遠心力の余りに盛大に飛び散るものが降り掛からないよう、吸い込まないように離れ、見ている姿にひらひらと手を振ってみせよう。
標的を挽き斬った煌めく輪刃はぬかるんだ地面や建物の残骸にも斬痕をつけつつ、やがて消える。残るのは血生臭い風のみ。

此れが弟子に課した炎の術の課題、その解答例。己なりの知見に基づく錬磨の先の一つである。

> 王国から離れる程、魔物や獣の類が増え危険の度合いも跳ね上がるのは周知の事実。
しかし、王国側と比べて被害が異なるのでは、と言う師の疑問も確かに気には掛かる。

溜まる。湧く。腐り淀んだ臭気を風に乗せばら撒く原因の其れを確かめる。
さすれば、失せ者の消息も掴めるか。
同意を返す師と首肯を交わし、目的は変わらず町の中央に定めた――。

輝く光輪の如き鉱石の刃が、巨人の体積を一方的に削り取り肉片と血飛沫に変える様を見上げていた。
目にしかと焼き付けた、惨いながらも見事な術を美しいと表現する。心を高揚させ、僅かに頬を染めて緋色を煌々と輝かせ、敵を屠った後の余韻を周囲に刻み付けながら輪が消えるまで、瞬き一つすることなく見つめ。
強い腐臭の血が混じる風が吹き抜ける頃、ようやく握りしめた拳を解き、ゆっくりと息を吐く。

「……はぁっ。 ――ぅ。お疲れ様、です。お見事でした。
 先生、今の……すごく、んと……キレイだった。あれも……石の種類を選んだのですか?」

ひらり手を振る姿に気付くと、労いと賛辞を送り、好奇心を抑えきれない様子で尋ねる。
血肉や骨はまだしも、石畳を、瓦礫を深く削り痕を残した刃は、ただの土遁の術にしては切れ味が良過ぎるように感じたのだと。
先ほどの話を思い出せば、必然的に“選別した”のだろうと答えは見えていたが、確認の為だ。

これが、ただ術を使うのではなく、知恵を絞り“選ぶ”ことによって得られる効果。
極めると言うことの真髄。開花の一つの形……。

「…………心音が、速い……。私……今、凄く楽しい……です」

ふと、自身の異変に気付いて、早鐘を打つ胸に手を当て首を傾げた。
実に興味深い。面白い。試してみたい。そう言う欲(知的好奇心)が、平坦に均されていた無機質な心を震わせ躍らせる。
学ぶこと、役立つ駒になる為の楽しみとはまた違う、楽しいを味わっているのだと自覚して。

影時 > 此れは土地柄、お国柄とも云うのだろうか。
未開の地にはその土地なりの脅威が潜んでいる。しかし、この土地は違う。
人類にとっては未開、未踏の地でも、魔族にとってはそうではない。此れ位であって当たり前、という可能性すらある。
そう考えてみると、腑に落ちないこともない。魔族の驚異、脅威はただのヒトのそれを超えうるのだから。

――故にこの地の驚異にして脅威の大本もまた、魔族からしたら序の口なのかもしれない。

天変地異をも操るものになれば、地盤の奥深くを砕くのも易い。
また、それ以前に地盤沈下を引き起こすような地震の原因の一例を、目にし、その産物を身に付けているではないか。
この地もそうである、と判断するには早いが、それ以前に荒事に訴えず早めに退く方が賢明だろう。
今倒したような巨大なものが、ほか何体も跋扈しているとは思いたくないが、何の備えも覚悟もなく挑むには恐ろしい。

(見た目の上では、眼は生きているように見えた。
 飾りじゃぁないなら……同類じゃあないものを識別してみせるくらいは、やりかねンか……と?)
 
茸とカビの悪辣さ、恐ろしさは未知数だが、寄生した対象の生体機能を活用する位はやってのけるかもしれない。
熱感知と高所から見下ろせる眼の機能。その組み合わせは、侵入者を捕捉して何らかの動きを生む要因に成りうる。
そうなると、何処まで至っているかは分からない先人にとっても、脅威になっている可能性が高い。
そう推察し考えを巡らせていれば、ふと弟子の様子が気になって顔を向ける。
マスク越しにでも分かる程に“高揚”の気配が、強い。興奮と好奇心がただただ抑えられぬほどの。
それを察しつつ跳び、進んでは弟子の近くにまで至ろう。作った惨状以外に現状目につくものは――なし。

「どーいたしまして、だ。

 あれ位なら刀で首を刎ねに行く方が手っ取り早いが、そうかそうか、奇麗だったか。
 ――然り。金剛砂とか云う奴がある。鋼玉を細かい粒状、砂のようにした、あるいは成ったようなものだ。
 そいつに着想を得て同様のものを土遁で紡ぎ、触れたものを挽き斬る刃にした。

 どんなに硬いものでも斬れるような、な。
 斬れずとも敵が硬けりゃ摩擦で否応なく熱も生じる。そこからつけ入る余地もあろう二段構えよ」
 
問われれば答えもする。こうして見せた以上は、講釈、解説までして初めて授業、教えとなる。
術の着想は鉱物についての知識と、研磨を含む宝石加工のあれこれの二つに由来する。
土遁は土も石も駆使する。兎に角量があれば、厚みがあれば事足りるのは間違いないが、それでは芸がない。
より幅と深みを増やすためにまず考えたのが質。生成物、呼び出すものを窮める試行の産物。

「――ほう。いいねェ。いい反応だ。無事に帰った後の楽しみが増えたな。
 だが、今はすこぉしお預けだ。喜の感動が落ち着いたら、少し先を急ぐぞ」
 
良いこと、と思うべきか。否、良いことに違いない。弾みになる。糧になる動機である。
そういう本もまた増やすべきだろうか、と思いつつ、一先ずはその高揚が落ち着くまで待とう。
鼓動と息が整ったなら、また改めて町の中心部を目指すべく移動を開始する。
進めば、進むほどに窪み故の傾斜、傾きが増し、カタチを留めていない建物の数がより大きくなってくる。

それ以上に気になりだすのは、マスク越しにでもほんの薄っすらと感じさせる――僅かな、甘い匂い。

防毒を司る濾過の仕組みが無ければ、より深く、深刻に中枢神経を犯しかねない程の。

> 人間が立ち入るには過酷すぎる大地なれど、魔にとっては如何なるものか。
少なくとも、狼や巨人にとって此処は死地となった場所。一つの油断が命取りと言う実例である。
茸とカビのどちらがこの悪夢を生み出したのやら。双方、相まって生まれた悪夢か。理解する頃には同じ轍を踏む結果となるやもしれぬ恐ろしさ。
外縁部でこれなのだから、魔族の国が如何に危険であるか言われずとも察せてしまう。

しかし、その恐れも今は全く感じている様子の無い弟子は、尾を大きく忙しなく揺らしながら傍に寄る師を見上げ、極上のルビーのように輝く双眼を輝かせていた。
説明を聞けば、更に好奇心をくすぐられたようで、鼻息荒く何度か頷いて見せ。

「ん、約束っ。術を見せてくれる、約束。守っていただき、感謝致します。
 キレイだった。土遁の術、魔法でも、あんなの見たことなかった……です。
 金剛……砂? ん、とても硬い、鉄の砂……を、高速で回転させてたから、あの形。なるほど。
 形も、大きさも自由なら、相手に左右されない。対大型への策ですね。
 二段構え……もっと硬いものも切れる、なら――
 石も、鱗も、削って抉る。竜の装甲でも破壊可能……と、期待できる?
 それなら、武器を傷めずに装甲を剥がせるのも大きい。理にも適った術」

楽しいと言う言葉は心の底からだったのだと伺えるほど、考察を巡らせ、何度か言葉に詰まりながら途中から独り言のようにもなって行く。
今までに習ったことも思い返しながら、なるほど、と深く感心して噛みしめるように瞼を閉じて、今一度深く頷いた。
と、そこで落ち着くまで待ってくれている師のことを思い出したようにハッと顔を上げ。

「……は、はぃ。先生」

一拍の沈黙の後、小さな声で返事をすると、改めて大きく深呼吸を二度繰り返し、息を整え平常心を取り戻す。
時間としては二十秒ほどだろうか。いつもと同じ、平坦で感情を見せぬ緋色を師へ向け、それを移動開始の合図に二人は動き出した。
町の中心部へ向け、建物の上を跳び渡り、時に地を駆ける茸の傘を被る獣を遮蔽物に身を隠してやり過ごし。
敵を避け、やがて目的地は見えて来る。
空気には臭気と異なる甘い臭いが混じる――が、嗅覚の鋭さが仇となったか、既に鼻がマヒしてしまっているせいで、此方はそれを感じずに。
ただ目に映る、茸の胞子の濃さが増している現状だけが変化だった。

「中央に行くほど、足場が減っていますね。
 ……如何いたしますか? 降りて、調査しますか?」

現状を確認しようと、一度足を止め尋ねる。

影時 > 今まで見たもの、交戦したものを踏まえて、気に掛かることが幾つか生じ出す。或いは疑念が深まる。
この場所が現状のように至るまでどれだけ経ったか。
此れについては判定、判断が難しい。深く考える重要性、優先度は下げても問題ない。
目下の障害物、対処が必要となるのは狼や巨人のような移動するもの。魔物、敵と判断してよいものだ。
巨人はまだ理解は出来なくもない。偶々この町に労働者、使役者として居合わせていた、という可能性はある。

――問題は狼。彼らが住処とするには、この環境は余りに不向き過ぎる。

直接な接敵までは至っていないが、巨人程ではないが人型のものも居るなら、この先遭遇する可能性が高い。
ヒトガタが先住者ならば、狼はどうだろうか。連れてこられたのか。それとも招かれたのか。
後者だったら、次に生じる疑問はこうだ。どうやって招かれたのか――だ、だが……。

「まァ約束は約束だった、からなぁ。きっちり守らなきゃ結ぶ意味がないが……その感想は初めて聞いたな。
 そうか、奇麗だったか。……実際に見せたように、かーなーり剣呑な術なんだがな、ありゃ。
 
 鉄じゃあないぞ。宝石として磨く前の原石を微塵に砕いて出来た粉、粉末、だ。
 大物狙いに例えば玄武岩の大杭でも考えなくも無かったが、ぶち当たる前に砕かれちゃあ意味が無いからなぁ。

 ――理屈の上じゃあそうだが、より硬くはあンまり現実的じゃぁないかもしれん。
 別の工夫が要るかもな。とは言え、魔法の守りでも無けりゃあ竜の鱗、殻をもぶち切れるつもりで考えたつもりだ」
 
奇麗と云う反応は初めてだったが、成る程。不純物もなくキラキラと煌めく鉱物の回転は、そう思わせるかもしれない。
物理的衝撃を極めるなら大質量・高硬度の組み合わせが成り立つが、下手に大き過ぎると迎撃されかねない。
故に手法を変えた。ただ防げない、防ぐに難しい工夫として行きついたのが、旅で見た特異な輪状の刃の飛び道具のカタチであった。
より硬さを増せなくもないが、別の問題も生じ出すのが悩ましい。
その問題は今、此処では語るまい。それならそれで、工夫するだけのこと。刀で斬るのが難しい時に頼るのが術なのだから。

「善し。――行くか」

さて、このまま興奮高揚を抱えたままでは、うっかりミスを誘発しかねない。
弟子を諭して呼吸が整うの待ち、平常心を取り戻したと認めれば進行を再開する。
移動の経路はここまでと同じ。建物、ないし高みを確保できる残骸、瓦礫の上を飛び移り、時折身を隠す。
尖塔状の高所を途中経由すれば、どうやら中央に広場、だったと思わせる道の交差が開けていたと見える様子を窺える。
過去形なのは、そこがまさに、手入れを放棄された植木鉢よろしく生い茂っているからである。
近づいてゆけば、水の浸食も激しくなり、泥濘や水に浸かっている領域が増えてくる。

「…………まずいな。篝、一旦こっちに来い。
 下手に降りるのは避けたい。――そうだな、向こうの方角に丁度役所みてぇな建物が見える。そこを目指そう」
 
それに伴い、甘い匂いが増してくる。好機を誘うような、文字通りの“ゆうわく”の気配そのもの。
それを自覚すれば、己が精神の奥底が危険をあからさまに告げてくる。
やや視線を上げれば、より分かる。靄どころか低く垂れこめるような雲のような密度の胞子は、ただ事ではない。
近寄れ、と弟子に告げれば、腰に下げた水晶飾りをそっと握り込む。
其れに宿った風の精霊が、撫ぜるように清らかな空気を自分たちの回りに振りまき、呼吸を整える。

息を深く深く吸い、長く長く吐いて――その繰り返しで呼吸と認識を整えつつ、目を遣る。

右手を伸べ、示す進路は通りを大きく飛び越え、辛うじてカタチを残す建物の屋根と壁を伝い、或る建物を目指す。
町の中央部にどうにかカタチを残しながらも水没した、役所のそれと見える立派な建物だ。
その屋上まで飛び移り、下の階を下りれば恐らく、最終目的地にたどり着けることであろう。

……――お互いに用意が整えば、足早にそこを目指そう。

> 生態系はそれぞれ。この土地で彼ら巨人が何らかの理由で居合わせたとして、狼もまた飼いならされたものであったと言う可能性も無いとは言い切れない。
しかし、狼が外から来たものと考えるなら、何故住みつき寄生されたのか。
野生の生物ならば、二匹の毛玉や弟子のように、この臭いを嫌い近付こうとはしないだろう。
何かに招かれ、或いは誘われたか。それとも、この獣たちがカビや茸を此処に運んだ感染源だったか……。

この地の謎。現況に至った原因の調査には、今の装備では心許ないと言わざるを得まい。
毒素が深く染み付いた魔境の中で人は生きられぬのだから。

「うん、約束は守るもの。ある……主様も仰っていました。大切なこと……です。
 ぅ? ん、キレイ。光の輪がキラキラ光って、切れ味も良い。昔、神仏の絵巻で見たものを思い出しました。
 鉄じゃない? んー……宝石になる前、の原石。鉄より、その砕いた時の粉の方が硬い、のですか。
 玄武岩……も、硬い。なるほど、砕かれ無効化されることを避けるための、無形。

 硬いだけではダメ、ですか……? 難しい……」

キレイと繰り返し、その理由を語って聞かせる。暗殺者と言うのは、やはり少し普通とは多少感性がずれているのだろう。
煌く鉱物の輪のその見た目の派手さ、鮮血をまき散らし巨体を切り裂く刃としての強烈な破壊力。それらに神々しささえ感じ、幼い頃に見た絵巻を想起させたと言う。

続く説明には首を傾げ、宝石と鉄の硬さの優劣さえ曖昧な様子で、キョトンと目を丸めていた。
が、玄武岩は知っているようで。アレを砕くほどの相手も、あの術ならば削り切り裂くのだと確信しながら納得を示す。
しかし、それさえも不十分と語る師の言葉に頭を悩ませ、小さく唸り声を上げるのだった。

そうして興奮も落ち着き息も整った頃、師の声に静かに頷き返し、また背を追う二人の旅路が始まる。
道なき道を、足場も不十分な旅路を越え、弟子は脚を止め尋ねる。
眼下に広がる景色は、最早人が住んでいた土地とは疑わしく緑が生い茂り、藻とカビが蔓延っていた。
あの緑の下は恐らく泥濘、腐水が広がっていることだろう。躊躇するのも仕方あるまい。

「――っと。 ……役所、アレですね。承知しました」

師も同じ考えだったか、それ以上の危険を察知したか。呼ぶ声に振り返り、軽く足場を蹴って傍へと寄る。
同時に周囲に膜が張られるような気配がする。深く潜る前に、師が浸かっていた魔道具の気配だ。
深く息を吸うと、清浄な空気が肺に満ちるのを感じる。
そうして、指示された方角に見えた建物を視界に捉え、まだしっかりと形を残したそこを目的地として、後は進むのみ。
呼吸は最低限に抑え、最短、最善のルートを行く師の後に続く。

はたして、あの建物の中には何が待っているのだろうか。