2025/02/09 のログ
リュシアン > 「それは姉さまの中で、でしょ。
ベル兄さまの入れてくれるお茶だって美味しいよ?」

生まれてこのかた13年とすこし。
何かにつけて姉の支配下にあるのだから、覚えないわけがない。
それに、彼女が挙げたことはすべて覚えていたら何なく熟せることだ。

さも当然、そんな様子で待っている姉の仕草は実に絵になる。
母や他のきょうだいだって絵になる瞬間はあるのだけれど、殊更この姉においてはそういった瞬間が多い。
勿論、弟が姉と一番近しくあるからという事実はあるのだろうけれど、それを除いても多いと感じていた。

リクエストが叶うスコーンはあるだろうか。
余りあれこれ触ってしまうと、残して下げた時に床下であり付くだろう使用人たちが気を害すだろうからまずは目視だけで比べてなるべく小さいものを選ぶ。
自分の分は、逆になるべく大きいもの。
大きい一つを割って、あれこれ試しながらゆっくり食べるのが少年の好みだった。
小さなスコーンを一つ選び取り、すぐに食べやすいようにナプキンで包んだまま軽く捻り、狼の口を開いてからケーキプレートに乗せて、優雅に待つ姉の前に。
夕食が入らない、と嘆く侍女の声は昔から少年も知っている。
晩餐の席はいつだって隣だから、気が付かないうちに皿の上に食べ終えたはずのものが増えていることもあるし、姉が苦手なものが載っていることも割合いつものことだ。
苦笑と共に肩を竦めながら、姉とは違う甘くない紅茶を一口、唇を湿らせるために飲み込んで

「…でも、僕は乗せてるだけだよ。
紅茶だって、リラが姉さまの好みに合うように丁寧に淹れてくれるから、ちゃんと姉さま好みのお茶になるんだよ。
ちゃんと、美味しかったって言ってあげて」

姉好みの紅茶のカップ、その細い蔓に指をかけるのを眺める。
彼女がまずは紅茶を味わい、それからまず楽しみたいだろう茶菓子を口に運ぶのを、弟は自分のカップを傾けながら待っていた。
頃合が良さそうならば、ほろほろと脆く崩れるリンツァートルテのさっくりとした生地と中のジャムのバランスを考えながら銀色のフォークで一掬いして姉の口元に慣れた手つきで差しだそう。
少年好みの好きな菓子だけれど、最初の一口は何時だって姉のものだ。

アンジェレッテ > 「ええ、もちろん知ってるわ。
 けれど、リシィの淹れてくれたお茶がいちばん好きなの。」

まるでそれが絶対の不文律であるかのように、少女は軽やかに断言する。
姉さまの中で。――けれど自分こそが唯一であるかのように、澱みの欠片もなく。

少年は、矢っ張り誰より丁寧に少女の好みを選び、分けてくれる。
ささやかな選り分けでも、色々な方向に気を回す細やかさは彼ならではの美徳だった。
何もかもが正反対――…対極にあるような姉弟だという自覚がある。
弟の持つ些か繊細に過ぎる感性は、少女にしてみれば得難く、酷く羨ましくも映るのだなんて、
きっと彼は思いも寄らないだろうけども。

「それがとてもむずかしいの!私だったらお皿に運ぶ途中でケーキが真っ二つに割れてしまうし、
 クリームとジャムがお皿の上でとろけてぐちゃぐちゃになってしまうの。

 …たまには、リラにも伝えてるもの。でも美味しかったって伝える前にお小言がはじまるのよ。」

此の家の中で――少女は少々に破天荒で、色々と目を引くから。その侍女は少女を立派な淑女の作法を教えようと躍起になってくれるのだ。
勿論、それだって有難いとは思っているけど、少女だって、素直になれない多感な御年頃。
むぅ、と唸り、尖り掛けた唇を諦めて、薄いティーカップの磁器に唇を寄せる。
香り高い薄紅色を啜って、そして自分のケーキを口元に一口ずつ。
実に幸せそうに賞味して、これまた完璧な頃合で差し出されるフォークの先のトルテに、
少女は、唇を弛めて、はくりと食み、攫ってゆくことだろう。
ジャムの酸味とスパイスの香りを存分に堪能して、ほぅ、と満足に息を抜き。

「ところで、ずぅっと思ってたのだけど―――…
 リシィは、最初の一口を自分で一番に食べたいって思わないの?」

突然、不意に思いついたような口振りで少女は問うた。疑問符に小頚を傾げて。

リュシアン > 「…そういうもの、かなぁ」

よくわからない。
断言する姉を前に、弟は疑問符を浮かべながら頬を少しだけ指で掻く。
茶葉のセレクトから、湯温から、全てにおいて自分で決めて淹れているのなら素直に受け入れられるのだろうけれど、全てにおいて違うのだから疑問に思うしかない。
尊大に見せかけて実は繊細な姉が、弟に対して思っていることなど、二口目にして紅茶をようやく味わう体制になっている弟には計り知れないこと。
ケーキが割れてしまうのは、弟にしてみてもたまにはあることだったから、理解はしたけれど

「ジャムが蕩ける……?」

クリームはまだわかるが、ジャムが蕩けるというのは初めて聞く話だ。
体温が高いような人が銀のスプーンを使うと氷菓がすぐ融けてしまうというのはよく聞く話だが、姉もそうなのだろうか。
同じベッドで寝ることがなくなってから久しいので、最近の彼女の体温を、弟はよく知らない。
けれど、何かにつけて小言が多い侍女と、何かにつけて自由気ままな姉の間で起きているやりとりは想像に難くなくて、弟は三口目の紅茶と共に苦笑を飲み込んだ。

「ぼく?
思わないことはないけど……」

投げかけられた疑問を受け取りながら、ぱっくりと威勢よく開いた狼の口に、先程姉の口にリンツァーの一口を運んだ銀色のフォークを差し込んでぐるりと回す。
そうやって半分に割った自分の大きなスコーンの上へとまずは杏のジャムを一口分くらい乗せ、次にぽってりとしたクリームを同じ面積に倍量乗せた。

「だって、姉さまが、いつも『食べたい』って顔してるから」

最後に、ジャムとクリームを乗せたその部分を頬張れば、小麦の香りの上にまず杏の程よく甘酸っぱい香りが立ち上る。
その上にジャムの甘酸っぱい味と程よく蕩けたクリームのまろやかで甘い香りが鼻腔に抜けていった。
それらを少しだけ満足そうに嚥下して一度自分のケーキプレートへとスコーンを置いて。

「それに、ぼくはトルテが食べられたらそれでいいんだ。
真ん中よりも端のほうが好きだしね」

姉にいつも最初の一口を差し出すときはカットされたトルテの先端のほう。
弟が好むのは、トルテ生地が多い端の方。
だから需要と供給として成り立っているのだとばかり、折角ならもう一口と、その胃袋を鑑みて先程より少し控えめに掬ったトルテの乗ったフォークを姉の口元へとすすめよう。

アンジェレッテ > 「好きなものを好きと言って何が悪いの?」

少年の告げる拘りこそ、少女には解らない。
いつだって自分の好みに間違いなく正確に組み上げてくれるから、好きだと告げたまで。
だから、少女も不思議そうに小頚を傾ぐに留めて、それ以上は言及しない。

「クリームとジャムが、いつも上手くのってくれないってコト。
 プレートに盛った傍から、なんだか綺麗じゃあないの。」

少しばかりに眉根を寄せ、むむん、と少女が難しい貌にて悩ましげに言う。
温度がどうという話では無く、ただの載せ方が不器用なだけだったのだけど。
きっと雑に落とすのだろう。クリームの横でジャムがだれてしまう、とか
そういうことを言いたかったのが上手く伝わらなかったのは、
きっと少女が、興味の向かない事には大雑把以上を告げない悪い癖の所為だろう。

「そりゃあ差し出されたら口を開くにきまってるじゃない。
 でもずっと思ってたの。
 私だったら自分の食べたいものの一口めは、絶対に自分で食べるもの。
 なぜリシィはくれるのかしら。本当は好きじゃあないのかしら、って。」

差し出されるから、当然のように貰ってきたけれど。
相手の食べたくて選んだ一口めを強奪する傲慢さは、流石に少女にだって無いつもり。
だから、いつしか習慣のように一口めを差し出してくれる少年が不思議で堪らなかったのだ、と。
タタンの煮込まれ凝縮された蜜林檎を頬張っては、紅茶を一口。

「…そうなの? じゃあ遠慮なく。」

そして、初めて知るのは、少年が好むのは端っこの生地であったということ。
彼がトルテを比較的に好んで選ぶのは知っていたけれど、それは初耳で。
少女が目を丸くしては――… あっさりとその言葉を受け容れた。
それなら、罪悪感無く貰えそうだ。
まるで餌を与えられた雛鳥みたく、横で唇をひらいて、はくり。
甘く煮詰まったジャムと果実の酸味と甘みを、大人しく賞味して。

「 ん。  おいしい。  ――――はい。リシィにもあげる。」

幸福そうに嚥下しては、お返しにヴィクトリアケーキをフォークで掬い、
彼の口元に運んでいこうか。

リュシアン > 「悪くなんてないよ、ちょっと僕が解らなかっただけ」

姉はいつも主張が一貫している。
好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。
弟と違って、白と黒が本当にはっきりとしている。
それを羨ましいと何と弟は思った事か。

「…もしかして匙の内側を使ってる?
あのね、匙の背のほうの…ええと、こっち側。
ここで掬って乗せたほうが、スプレッダーで乗せた時みたいに乗せやすいんだよ」

眉根を寄せた姉の表情を見て、暫く首をかしげていたが、思い当たる理由があった弟は一度カップもケーキプレートもすべてテーブルの上に置く。
新しい銀の匙を一つとれば、杏でも薔薇でもない、香ばしいモカクリームの納まったココットを手に取って、ココットの縁と匙の背をうまく使いながら程よい分量を掬い取る。
そして、その匙で掬い取ったモカクリームを自分のケーキプレートに乗せることで実演して見せた。
果たして姉の悩みは、これで解決するのだろうか。

「ぼくはね、どのお菓子でも端っこの方が好きなんだ。
トルテも、パイも、香ばしいところがが大体好き。
ケーキじゃなくても、生菓子よりも、焼き菓子のほうが好き」

二口目のトルテは少しだけ中のフィリングを多めに。
タタンを食べたその後だから、弟が好むスパイスの香ばしさよりも果実の酸味が強いほうが口の中が楽しいだろうと。

「だからね、いつも姉さまが『それを一口食べたい!』って顔してくれるから凄く助かる」

目を丸くしていた姉に、ちょっとだけいたずらっぽい笑みを浮かべた弟の顔にはしてやったりの表情。
美味しい、そう聞こえれば二口目も姉の味覚に合っていたのだと理解した。

「……いいの?
えっと…じゃあ、もらうね」

差し出された一口は少しだけ予想外。
ちょっとだけ恥かしそうな顔をしながら、差し出されたそのフォークを口に運んだ。
生地に丁寧に練り込まれた甘く香ばしいビーンズの香りと、間に挟まれたジャムの香りは同じ果実だけれどに詰めていない分リンツァーのフィリングよりも酸味が効いている。
よく噛んで、良く味わって。

「美味しい」

自発的には選ばないケーキもたまにはいいものだとばかり、姉へと短いながらも満足げな感想を伝えた。

アンジェレッテ > 「……!? ぇ。匙って、背中を使うものなの?
 ずぅっと、こぅ… 振って、ジャムを落としていたの!」

弟の言葉を聞いて、少女が不可解そうな表情をすること暫し。
その表情が、実演を見、吃驚したよに眉間をひらいて双眸をまあるくする。
ジュレやコンフィチュールの類は匙の窪みに入れるものだとばかり思っていたから
少女は軽く振ることで落としていたもので――だから、べちゃっと。そりゃ綺麗にならないだろう。
少年の遣り方で載せたクリームは、それはそれは美しく纏まって皿に鎮座した。
思わず溜息のような、感嘆符を交えて。

「明日の朝食のコンフィチュールで、試してみなくっちゃあ。」

意気揚々と、実践を宣言し。
その後の少年の言葉を聞いたなら、

「そうだったの!ずぅっとね、不思議だったの。
 なんで私にいつもくれるのかしらって、本当にずぅっと。
 まさか端っこが好きだったなんて、ちっとも気付かなかった!

 ――――…なら、これからも貰っちゃって大丈夫ね!」

ほぅ、と少女は息をついて、破顔する。
確かに、思い返せば大事そうに時間を掛けて端っこを堪能していた気がするけど、
それだって随分のんびり食べてるのだと、それくらいに思っていたのだけど。
知ったなら、そして少年の稚気あふれた悪戯な表情を目にしたなら、
漸く、少女のなかでの疑問が氷解する。
だから、二口めはきっと、少しはしゃいだように、先程よりも大口で、はむりと頬張る筈だ。
噛まずとも解ける果実とフィリングが、トルテの生地の芳ばしさと合わさって、やっぱりとても美味しくて。

だから。少年にも差し出したくなった。
美味しいものは、時に分かち合ってこそ幸せになれるのだから。

「ね、 美味しいでしょう?」

自分で作ったわけでもないのに、自慢げに少女は言う。
ふっくりと微笑んで、己は甘い蜂蜜の香り漂う紅茶を口に含んで嚥下しては。
隣の少年の方へ、身を少し傾けるようにして傍らへと肩を凭れさせては、
軽い自重ではあるけども。ことん、と僅かに預けることをする。
ふあり。少年の頬に、少女の柔い蜜色の髪がふれて。

リュシアン > 「ううん、匙は普通は掬うものだよ。
こうやって使うこともできるっていうだけ。
あと…振るのは駄目…かな、掬う時も、背を使う時も」

姉が弟の実演を見て理解したように、弟もまた姉の言葉を聞いて理解した。
そのうえで、何かに塗るなら背のほうがよく、何かを掬うなら従来の方法でよいことを伝えよう。
だから、ハニーミルクティーを用意する時は蜂蜜を掬い、牛乳で満たすし、パンにコンフィチュールを塗るのなら、掬ったあとにパンの端に引っ掛けるよう匙の中身を全てパンの上に乗せてからその匙で広げるのがいいことを伝える。
皿に移したモカクリームを匙で掬い取り、スコーンのふちで内側をこそげとる様に乗せて、そこから匙を持ち直してから匙の背でスコーンの上に軽く広げて口に運ぶさまは、再び実演じみていただろう。

「そんなに気になっていたのなら、もっと早く聞いてくれてよかったのに」

ずうっと、というは強調なのか、それとも真実か。
どちらにせよ、随分姉らしい結論を出したものだと少年もつられたように苦笑した。
気にしながら食べる一口は、美味しいのかもしれないがどこか少し罪悪感を覚えさせてしまったに違いない。
弟もまた、もっと早く言えばよかったと思うのだけれど、少年の控えめな性格では今こっそり打ち上げるのが恐らくやっとの事だったのだろう。

モカの後にバニラと果実の甘い残香を紅茶で流し込んでいれば、頬にふんわりと触れる甘やかな明るいブロンドに少し不思議そうに青と緑を瞬かせる。
つい最近姉の背を少しばかり追い抜いてしまったことが知られた時に、随分と理不尽で激しい癇癪をぶつけられたのは記憶に新しいが、それが判明するまではよくこうやってくっついてきたものだ。
少し前のことを懐かしいと思うよりも前に、ティーカップを一度テーブルの上に置いて

「…姉さま?」

先程までは眠そうにしていたし、甘い紅茶も甘いケーキも食べたから眠くなってしまったのだろうか。
午後すぎのあたたかい暖光で眩しく輝くスコッチブロンドの向こう側へ、伺う感情を隠す気配のない声を投げる。
ほんの少しだけ、自分よりも低くなってしまった明るい春の水色に似た瞳をのぞき込もうと伺って。

アンジェレッテ > 【後日継続予定】
ご案内:「邸城内――午后の部屋」からアンジェレッテさんが去りました。
リュシアン > 【後日継続】
ご案内:「邸城内――午后の部屋」からリュシアンさんが去りました。
ご案内:「邸城内――午后の部屋」にアンジェレッテさんが現れました。
ご案内:「邸城内――午后の部屋」にリュシアンさんが現れました。
アンジェレッテ > 「だって、揺らさないと落ちないのよ。窪みにくっついてしまうのだもの。
 そうなのね。スプーンの背中を使えばよかったのだわ!」

勿論、テーブルマナーなんて弁えているけれど、少女の辞書には匙の応用は載っていない。
通常テーブルではそれ専用に相応しい食器が完備されてるし、それ以前にジャムは侍女が手を伸ばす前に塗ってくれる。
だから弟の唱えた生活知識は、酷く面白いもののように思え、少女は頻りに感嘆を漏らし。
そして、弟の告げる苦笑に、尤もだとばかり肩を軽く竦めてみせ。

「だって、昔ほど一緒にお茶をすることもないし…
 あまりにも自然に渡されるのだもの。そういうものだと思っていたの。

 でも、きっともっと早く貴方に訊くべきことだったのね。」

だってその些細な疑問に辿り付く前は、それが少女の「自然」であったのだから。
娘は、多少突飛に発想が飛躍しがちではあるけれど、横暴では無い。
其の振る舞いは傅かれる事に慣れきっているけれど、少年を僕として扱いたいわけじゃない。
だって、彼は対等であり、誇り高きヴィティスコワニティの血族であるのだから。

だから。時折思い知る必要がある、と思う。彼は自分の所有物じゃあないのだと。
は、ふ。小さな溜息と共に、少女はその小さな頭を少年の肩に預けた。
少年の囁くような気遣いの声に、少し、言葉を悩んでから。

「――…私、小さい頃はリシィのことを、自分の半身のように思っていたの。
 貴方のことは、全部私が知っていて、私が思いついたことならなんだって喜ぶって思ってたわ。

 だから、貴方が子供部屋を出るって言ったとき、自分自身に裏切られたみたいな気持ちになったのよ。」

頬に、異性とするには柔らかな曲線の有する、弟の体温を感じる。
多分、弟が内向的且つ、自己肯定感が低い気がするのは、勿論それが全てでは無いにしろ――…
少年の視野を狭めて振りまわしてしまった己にも一因があるような気がしている。
持ち方を変え、両手にて包み持った残り少ない紅茶の入ったカップの縁で唇を潤して、

「だから、本を読みにも、世間話をしにも来ているのだけど、…
 本当は、ちゃんとリシィのことを知りたくて、この部屋にきているの。」

リュシアン > 「まぁ、…ほんとは、誰かがサーブしてくれるなら、ぼくらはやらなくていいことなんだけどね」

今は二人だけの茶話だから自分が姉にサーヴしているだけのこと。
親きょうだいが皆揃ってお茶をするなら人数的にも食堂なり庭でやらなくてはならないだろうし、それなりの給仕人数も必要だ。
そして、何よりそういった時には弟がやって見せたような匙の使い方は恐らく必要にならないだろう。

「姉さまのほうが、先に学院にあがってしまったから、って言うのもあるんじゃないかな。
話す時間も減ったし、ぼくもこの部屋に移ってきてから、その……勉強も、増えたし」

少し言葉を濁し、そのあとを飲み込む様に甘くない紅茶を口に運ぶ。
王族が使うにしては少し野暮ったいようなシェイプのティーカップを、少しだけ手の中で遊ばせた。
姉と同じ部屋にいたころは、彼女が使っているのと同じものの色違いを使っていたけれど、今はこのカップのちょっとぽってりした雰囲気が気に入って、以来ずっとこれを出してもらっている。

覗き込んだ先の表情は、少し珍しく悩んでいるように見えた。
何かあったのだろうかと思えど、本人が話したくないことなら聞くまいと無言の姿勢。
案の定──というわけではないけれど、自然とその唇から溢れ出る言葉は少し予想の範疇を越えていた。
それこそ双子のようにお互いにべったりとくっついていたのは確かだったし、一番身近な家族で、友達でもあって。
だから、姉の言うことが弟にもわからないでもないのだ。

「…ぼくのこと?」

知りたい、と言われるほどにお互いの距離は遠かったのだろうか。
少しばかり寂しい気持ちになったが、それでも姉が自分に何かを望んでくれることに悪い気などしない。

「…ぼくは、姉さまと一緒にいた昔のぼくと、なにか変わっちゃったかな」

両手の中で遊ばせていたカップをテーブルに置いて、嫌がられなければ素直に甘えていた昔のように抱きつこう。
勿論、姉よりもほんのちょっとだけ大きくなってしまった自分では、やっぱり昔のようにはいかないかもしれないけれど。

アンジェレッテ > 「でも私は、リシィがお茶を並べていくのを見るのがすきだわ。」

けれど、次に彼と二人きりでのお茶の時間があるなら、たまには自分がやるのもいい。
だって、上手にジャムを盛り付けられる方法も今日、知れたのだし。
――きっと明日の朝食時には、家族の揃うテーブルで、真剣な顔をして匙の背を扱い、
綺麗にジャムが盛れることに一人御満悦な少女が居るだろうは目に見えていて。

少年の言葉も一理ある。幼少の頃のように際限の無い自由な時間はなくなったし
二人だけで過ごす日常だって、今はすっかりと多くない。
勿論、姉弟仲は円満だし、少女とて今も時折少年の部屋のベッドを侵犯する程度には、
強引に構って貰っているのだし。

だからこそ。――距離が生じて気付いたこともある。
そんな言葉を少年に向けた事はあまりなくて、此方に向く水色の瞳の主は多少なりと吃驚しているだろう。
見ずともその眼差しが大きくぱちくりと睫毛を揺らしているのは想像できて、
思わずに薔薇色の唇は、綻んでしまう。

「そう。リシィのこと。
 リシィはきっと何にも変わってないわ。
 私がリシィと離れて、リシィのこと何にも知らないのだって気付いてしまったの。
 トルテのかりかりの縁が好きなのも、どんな本を読んでるのかも。
 あとは――――… そんなティーカップ、何処でいつ買ったのかもしらないもの!」

最後付け加えたのは、少しばかりの戯けた口調で、冗談めいていたけれど。
勿論、他の誰より彼を知っているのかもしれないけれど、それでも。
言葉にするより心に描くを得意とする思慮深い弟はきっと、自分の事を見つめてくれていたけれど。
少女の方は内気な弟に随分と都合よく、少女の自我を押しつけていた、そんな気持ちもしているから。

ふぅわりと。彼の寝台に仄かに馨る少年のにおいと同じ香りで
抱きつき寄り添ってきた弟に、少女は漸く、鼻先がひっつきそうな至近距離から視線を向ける。
そぅと囁く言葉は、矢っ張り少女らしい直球だ。

「だから、いっぱい知りたいの。
 最近の貴方は何が好きで、何が嫌い?何が悲しくて、何が嬉しい?」

リュシアン > 「そうなの?…べつに、特別なことはしてないと思う、けど」

そんなに他の家族や給仕がするのと、自分がやるのとでは違うのだろうか。
ふと、姉が並べてくれるのは滅多にないなと思うけれどそれを悔しいとか、そういった気で思うこともない。
おそらく、これが姉と弟の今まで通りの普通、なのだろう。

「このカップは、買ってないよ。
ぼくや姉さまよりもずっとずっと昔からこの邸にあったんだよ。
それで、何て言うんだろう…目が合って、気に入って?かな」

家門歴史が長い分、食器庫には随分と時代を越えてきたものが眠っている。
何年か前に使用人たちが人数と手間をかけて整理をしている際に見かけた中の一つだ。
だから今の王族が使うにしてはちょっと野暮ったいし、陶磁器としても今のものよりはすこし厚みがある。
今よりも製陶技術が洗練されていなかった時代の、言うなれば歴史遺産だ。

それを伝えると同時に、自分もまた姉のことをどれぐらい知っているのかと反芻する。
甘いものが好きで、蜂蜜のたっぷり入った紅茶が好き。
いつも自信たっぷりに振舞っているけれど、ときどきこちらがはっとするようなことも言ってくる。

青と緑を少しだけ考えるように泳がせてから

「ぼくも、姉さまのこと…思ったよりも知らないのかも」

矢継ぎ早に捲くし立てられる質問を受け取りながら苦笑をうかべる。
蜂蜜みたいにキラキラした輝きの睫毛までよく見える昔みたいな近い距離。
鼻先をくっつけて挨拶する動物にも似たような、随分と懐かしい距離だ。

「そうだなぁ…最近は歴史書を読んでるのが好き、かな。
古書街で、いい本を見つけると、とっても嬉しい。
悲しいのは、学院の図書館に中々入りづらいことで、

……お家の勉強が、一番、嫌い」

至近距離で見ていれば、あっという間に表情が暗くなる様を隠せはしないだろう。
姉がおそらく一番心待ちにしているだろう勉強を、嫌いだなんて言わなくてはいけないのも、申し訳ない気がして。

アンジェレッテ > 「特別なことはしてなくても、特別な時間なの。」

得意気に、少女は告げる。
少年が、――或いは他の家族が、己の好みを気遣い、己の為に用意してくれる
ささやかなで愛しい少女だけの時間。それを見守るのが好きなのだ、と其処迄は告げないけれど。

少年の告げるカップの出自について、少女はまた、仔猫みたいな双眸を真ん丸にする。
少女は美しいものは好むけれど、使用人が埃を被った骨董を仕分けるのに興味は向かない。
如何にも弟らしい、好奇と目利きの向き方だ。

「そうなの? そんなの全く見たこともなかったわ。
 そういえば…リシィはよく、宝物庫からも不思議なものを拾ってきてたものね。」

そう、こういう些細な発見だって、彼が少々古めかしい素朴なカップを愛するのだって。
今漸く気付けることなのだと思うから、そういう少しの発見が、少女は今、とても嬉しい。
ちいさな宝物が増えるような心地なのだと――…彼が解ってくれたらいいのに、と。

思っていたら、弟から届いた言葉に、ふふっ。思わず笑みが零れ。

「リシィも、私に何でも訊いてくれていいのよ?」

ふふん、なんて形良い鼻を鳴らし乍ら宣う言葉は何故か偉そうだ。
自分のような積極性は見られなくても、彼に何かを問われるのはとても好ましい。
そして、外では俯いて隠れがちな、綺麗な宝石のような異彩の双眸が、
陽光に燦めきながら此方を覗き込んでくれるのだって、とても好きだから。

語られる、彼の好みをにこにこと機嫌良く聞く。
酷く近い距離で、穏やかに。
けれどもその中途で、大好きな眼差しがそぅと曇って翳るなら。
少女はその小さな両方の掌を少年の頬にふれさせて、顔を上げさせることをするだろう。

「――――…それは、なぜ?」

誇らしく素晴らしい学びであるのに、と続けようとしたけど、我慢。
そういうところが少年を閉口させてしまうのだって、少女は学んでいるから。
小頚を、ちょこんと傾いでその淡蒼の瞳で少年の眼差しをを覗き込む。

リュシアン > 姉の随分と得意げな様子に少し面食らい、そっか、と小さく笑った。
彼女が特別だと思ってくれるならそれでいい、それが弟の出した答え。
自分にとっても、やはり姉は特別なのだろう。

「勿論、驚かせたり壊しちゃうといけないから、ちゃんと中を見せてって、お願いしてから行くけどね。
色んなものがあって面白いよ?古い本を探すときと、ちょっと似てるかな」

自分の事を話しているだけなのに、随分と姉が嬉しそうなのでちょっとだけ恥かしい。
誰かに自分のことを話すのもあまり上手くはないから、やっぱり照れてしまう。
逆に質問する権利を得られたなら、うーん…と小さく唸ってから口を開いた。

「姉さまは、勉強、楽しい?」

さっきは飽きてしまった、と言っていたけれど実際どうなのだろうと。
勿論得手不得手はあれども弟は勉強することがとても好きだった。
だから、それこそ自分よりも先に学院に進んだ姉のことがちょっとだけ羨ましかったし、自分とは違う分野を学んでいるのも知っているからその内容にも興味があった。

だから、楽しい話だけでは終われそうにないのはやっぱり気持ちがつらい。

「…こわいんだ」

気持ちいいのではなく、怖い。
少年にとって、教育は少しも楽しいものではなかった。

「きもちいいのか、よくわからない。
でも、いつも、こわい。
こわいし、すごく恥ずかしい。

色んな事されて、触られて、…最初は、痛かったし、おなかも、苦しいし。

それだけでもこわいのに、勉強の時間が終わるくらいになると、いつの間にか何にも考えられなくなるし」

姉の手に頬を持ち上げられいるから、顔を伏せることもできない。
覗き込まれていなくても、この距離なら色の違う瞳に薄く水のふちが浮かんでいるのもきっとわかってしまうだろう。

「…ぼく、どっちもあるでしょう。
だから…これからもっと勉強の時間、増やすんだって」

心境が変わったせいだろう。
抱き着いていたはずの腕はいつの間にかしがみつくようなものに変わっていた。

アンジェレッテ > 「わざわざお願いをして行くの?こっそりと忍び込んでしまえばいいのに!
 私、食器庫にも厨房にも、隠れんぼするときと摘まみ食いをするときしか入ったことがないかもしれないわ。

 じゃあ――… 今度、リシィが行く時に、付いていってあげる!」

同行を願い出るにも、上から目線なのは如何にもこの姉らしかった。
しかも、少年は断らないだろうという根拠の無い確信故に、自信満々なのだから。
己に比べて慎重に言葉を選ぶ少年の提示してくれる質問を興味津々で待ち。
彼がささやかに質問を選んでくれたなら、快闊明瞭に、即座に返す。

「ええ、とっても楽しいわ!
 
 学院の授業も、もちろん家の勉強も!新しいことを憶えるのはとってもわくわくするのだもの。
 でも、今のお勉強も楽しいけれど、私本当は、魔術理論や――…お兄様みたいに、戦術教養も学びたいの。
 皆が反対するものだから、我慢してるのだけど…いつか転科しようと思うの!――――… 秘密、ね?」

少女は楽しい事を連ねるとき、謡うように軽やかに喋る。
少年だけに語るは、まるで悪戯の計画でもするように。声を潜め、ウインクを添えてみせるのだ。
そして。少年の打ち明け話を聞く番、だ。

先程迄やんわりと甘えてくれていた腕が、気付けばぎゅぅと力を増して少女に抱きつく。
美しい翠玉と蒼玉の双眸が、みるみると湖水を湛えてゆくのを、少女は、じ、と見つめ。

「――――――――……」

少女にしてみたら、少年の両の性を持つ躯は恵まれている。
羨ましい。誰よりも家門の役に立てる。誰よりも学習に時間を割いて貰える。――…酷く妬ましい。
でも自分が、今正直に言葉を放ったら、きっと弟の繊細な心は傷付いてしまう。
だからいつもより少し、言葉を選んで考える。

少女の唇が、少年の眦に溜まった涙の粒を、ちゅ、と吸った。

「リシィ、憶えてる?
 小さい頃、リシィといっしょに、『おとなの恋人ごっこ』をしたでしょう?
 お母さま達には内緒で、抱きついて、からだを擽りあって、いっぱいキスをするの。
 いけないことをしてるみたいで、とっても楽しかった!

 ――――…リシィは、あれもこわくてイヤだった?」 

少年は憶えているだろうか。大人を真似たくて少女が発案した可愛い戯れ。
愛撫と擽りの違いも分からないから、
最後にはお腹を抱える程に笑い合って終わった、家族の誰にも内緒の思い出。
滑らかな頬を撫でさわりながら、また。小頚を傾げて問う。

リュシアン > 「もう、姉さまは、いつもそういうこと言う。
危ないから駄目だよ、ぼくらよりも背の高いような棚の上にだっていっぱいものがあるんだから」

ついてくることについての異論はなかったけれど、忍び込むことには反対する。
何よりも、自分たちが突然階下に現れる事自体、使用人たちには大騒ぎの事態なのだ。
食べ残しだけではなく、お小言がさらに増えそうなことを始めようとするのだから驚くしかない。

「えっ、転科?!
反対、されてるの?どうして?…女の子だから?危ないからかな。
別に女の子だって戦術とか、いっぱい学んでる人いるのにね。
混合クラスとかなら、傭兵さんも、いるのに。

そっか……姉さまは、お家の勉強、楽しいんだね」

やはり言わないほうが良かったのだろう。
押し黙ってしまった姉の様子を見れば、人よりも自分のことを優先しがちな少年だって察することくらいはできた。
良かったとも、止めたほうがいい、とも、弟は姉に言うこともできない。
眦に触れら唇の柔らかさは昔と何一つ変わらないのが、余計に心苦しくて

「…覚えてるよ。
あれは、楽しかった……けど」

大人に隠れて繰り返した秘密のあそび。
姉とくっついていられるのが嬉しくて楽しかったころは、何一つ不思議に思わなかった。
けれど、

「あれとは、違うよ。
楽しくなんかないもん、ちっとも」

頬に触れる指に逆らうことはない。
姉に触れられるのも、嫌いじゃない、けれど、それとはやっぱり違うのだ。

アンジェレッテ > 「危ないかどうかなんて、試してみなくちゃあ解らないもの。」

しれっと告げるけれど、付いていくのなら少年の意向を尊重する気は勿論ある。
けれど、きっと少年が何も言わなかったら、本当に忍び込む気だったのだろう。
そして反対をされる、としたらきっとこういうところ。
――…好奇心と勘と興味。それだけで動きたがる放埒さと、血統の齎す危うさと。
身内の誰かなのか、教師なのか。誰が反対したのかまで少女は告げないけれど。
どうして、と問われれば。少女も不可解そうに形の良い眉に皺を刻み。

「さぁ?どうしてかしら。私、とても向いていると思うのに。
 でも、今習っている授業も、嫌いではないの。
 だから転科をするにしても、もう少し学んでからにするつもり。」

そして。少年は案の定、少女の機微を察して言葉を噤む。
表情が曇るのが少女にも見てとれて。労るように頬をまた。すりりと撫でた。
気遣いに嘘を連ねる気はないから、少女は隠しだてなく話すだろう。

「楽しいわ。だって家の役に立てるのだもの。
 でも私の“勉強”は、リシィより遅れているからー…、
 んー……ずっと楽しいのかは、わからないけれど。」
 
だから少年の憂慮に、同意して寄り添うことはできない。
それに少女は、母のように寛容な慈愛を与えられないし、兄たちのように器用に諭す言葉を選べない。

「なら、――…、…」

ぺちんっ! 両掌が、少年の頬の上で軽く弾む音を鳴らす。
抱きつく腕を振り解きざま、掴み乍ら、軽やかに立ち上がって、少年の腕を強く引く。
ダンスでも踊るように少年を立たせてベッドに誘う――…っというより、連行する。

「リシィ! 一緒に遊びましょ?
 勉強なんてしなくていいわ。私だって今はしたくないもの!」

足が縺れたなら、二人してベッドにぼふりと突っ込む勢い。
きゃあとか歓声あげながらの悪ふざけ。
他の家族ほど大人に物事を運べないかわり――…
少女の特技は、この控えめで愛らしい弟を、有無を言わせない奔放さで振りまわすことなのだから。

リュシアン > 姉はすっかり忍び込んでやる気なのだろう。
自分は後から聞いた話だけれど、夜に勝手にどこかへと飛び出していったような話も聞いている。
成程、確かにこれは周りから反対されるわけだ。
好奇心という名の両刃で、何をしでかすかわからないと見る視点は確かにあるのだろう。

「向いている、とは思うけど…
…うん、そうだね、もうちょっと今の勉強に詳しくなってからでも遅くはないと思うな」

落ち着きを持てるようになってから。
そうは言えないけれど、姉が理解してくれるのを少年としては待つしかなく。
頬を撫でる手に目が細くなると、結解した涙が頬と姉の指先を濡らすだろう。

「…そっか。
それでも、ちょっとだけ羨ましいな。
…ぼくは、最初から楽しいなんて、思えなかった。

あのね、ぼくだって、家の役には立ちたい、でも」

その気持ちよりも先に、恐怖がたつ。
姉や、他のきょうだいのように素直に受け止められたらどんなに良かったか。
こわい、またひとつ繰り返そうとした言葉を頬の上ではじけるような音が止めてしまった。
驚いて涙が止まったのと、姉に腕を掴まれて転びかけながら立ち上がるのとどっちが先だろう。

「っ、ま、待って姉さま、危な、っわ?!」

案の定、足が縺れてくしゃくしゃになったベッドカバーの上へと盛大に飛び込んだ。
姉の軽やかな声が耳を揺らしたが、弟のほうとは言えば顔から飛び込んでしまったので起き上がるまで少し時間がかかった。

「危ないってば、もう…!
怪我したら、どうするの」

漸く上半身を起こせるようになれば転がっている姉を見下ろして、くしゃくしゃになっている姉の前髪を直そうと指を伸ばす。
勿論怪我をしていないかも心配だったから、それも伺おうと顔を覗き込もうとした。

アンジェレッテ > 【移動致します】
ご案内:「邸城内――午后の部屋」からアンジェレッテさんが去りました。
リュシアン > 【部屋移動します】
ご案内:「邸城内――午后の部屋」からリュシアンさんが去りました。