2025/03/22 のログ
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ご案内:「温泉旅籠「九頭龍の水浴び場」“香木箱”」に八蛟さんが現れました。
八蛟 >  
 檜の類の、其処にあるだけでいい香りが漂う木材で満ちた空間。
 花や薬草とは違う、嫌悪感の無いそれは温泉の匂いと混ざり合って独特なものとなる。
 そんな香木の箱の中で湯を満たしてくつろぐものはちらほらと。
 人が絶えるのは真夜中のことか。
 ―――そう、丁度今のような。


   「嗚呼、好い湯だ。
    独り占め同然てのが、また好い。」


 縁に片腕を伸ばして預ける姿勢。
 背中は縁で寄りかかり、長い金髪は纏めるどころか湯の中で揺蕩う。
 乙女なら、髪の中で整えた脂が全部流れ出して毛先の荒れ痛みが半端ないと叫びそう。
 そんな髪をゆでる真似もケロリとするのが、目の前の鬼か。
 荒れも痛みも経験が薄い。
 そこにある貌の若々しさと同じように常に一定だと言えば、鬼はこれだからとその鈍い伝えに舌を打たれる。

 傍にあるのは壺徳利と、やや底が深い茶碗型の焼き物。
 酒を飲むぐい飲み用と思われるものが、一つ。
 時折口の中がさみしくなれば どべん、どべん と注いだそれをぐぅぃ、と一息で空ける。
 そういうくらいの面で焼かれた器故にか、むしろあと一嘗め、物足りない。
 そう言わせる造りだから、止まらない酒となる。ずるい器だ。


   「―――ぶ、はぁ。」


 何人かもしいたらだが、ゴクリと喉を鳴らすような、持ち込みの湯での酒を空けるその声だった。
 
 

八蛟 >  
 湯舟に浸かり、長湯をすると全身に纏うのは汗の粒
 湯気も重なり、汗か湯かわからない雫で全身が満ちていく。
 背中に住まう蒼い鱗の多頭龍も同じこと。

 髪がしなり、額の汗を拭うように両手が歯の大きい櫛のように、グイと前髪を後ろへ流す。
 髪が素直に後ろへ流れて額が広がってしまえば、また雰囲気も変わるだろうか。
 全身傷と筋肉で構成された、太く逞しい犬歯はまさに鬼歯。
 最後の雫一滴まで注いだ最後の酒を飲み干すそれは、まるで冷たくキリリと冷えた水を呷るにも等しい。
 空けた杯の口元に吸い付き、離れた姿。
 残滓すらないそれは、壺徳利の口元へとカチンと合わさり終わりを示す。

 湯熱も満ちて、酒も浴びた。
 汗も存分に掻いて、香木湯の好い香りすらも吸いつくした。
 闘ることと、ヤること以外で満ちるのはこういう時くらいしかない。
 バシンッと掬った湯水で顔を濯ぐのであれば、空の徳利を手に上がるだろうか。
 全身隠す素振りもなく、肩に担いだ手ぬぐい一つが示すもの。
 出て身なりを直せば、また次の酒を欲するのだろうことはわかりきったこと。
 嗚呼、喉が渇いた、と喉はまた欲してしまってしょうがない。
 鬼の出ていった後は、ただシンと、誰も居ぬ間の出来事でしかなかったように、静寂
 湯水が注がれ揺れる音だけが続いていた。

ご案内:「温泉旅籠「九頭龍の水浴び場」“香木箱”」から八蛟さんが去りました。