2024/10/21 のログ
影時 > 「……書に目ぇ通すのは程々に、呑み終えたらちぃと歩くか。望むものが無けりゃァそん時はそん時だ」

この後の方針としては、明確。書物を商っている店やら素材屋など、道士とやらが通う場所を練り歩いてみよう。
事情通めいた古老が居れば実におあつらえ向きだ。
望むものに行き当たらなくとも、見分を深めるのは決して無意味ではない。拾うものは大なり小なり糧になりうる。
この地で使われている術やら考え方は、自分が研鑽してきた忍術に近しい道理を感じる。
どちらが似ている、先であるということはないだろう。長き歴史に及ぶ錬磨の果ての結果が、偶々そう思えるほどに結実したのかもしれない。

酒瓶を掴み、揺らせば中身はもう少しある。
親分の様子を見つつ飲み食いし、げぷっと両足と尻尾を伸ばして座り込む毛玉たちを見れば、彼らの食休みだって居るだろう。
自分にとっては地上の人間を眺め、観察し、一挙一動を吟味する機会でもある。
知らぬ礼儀作法の類があれば、それを読み取り、意味を調べては己がものとするための時間だ。

次に向かう場所への道筋を調べ、必要とあればより深きを得るための準備のために――。

ご案内:「北方帝国シェンヤン「帝都シェンヤン」」から影時さんが去りました。