2024/04/12 のログ
■アルマース > 富裕地区の一画。小さな店が寄り集まった建物がある。
画廊、楽器屋、葡萄酒の専門店に時計の修理店。
ひとつの建物に商店街のように雑多な業種が詰め込まれているけれど、商店街と言えるほど人気は無い。
立地の割に、畏まった印象は薄く、吸い込まれていく人々の服装は様々。
――夜になると、ほとんどの店が閉まり、その代わりに地下から音楽が漏れ聞こえ始める。
「――――♪ つやつやの苺、蝋燭の火、あったかいところに集まる猫……」
オーナーが気に入った人間を招いてはゲストにステージを貸すその店は、看板上では、単に『バー』とされている。
ステージの演目は日によって、歌だったり、演奏だったり、踊りだったりする。
土地の所有権がどうなっているものやら、『バー』の店内は建物の外観より明らかに広かった。
その上、一階まで吹き抜けの天井の高い箇所もあるものだから、地下であるのに、窮屈さは微塵も無い。
客席には、葉巻を吸っている女連れの男や、平民――に変装しているようにしか見えない高貴さの隠しきれない青年、
深酒の末に潰れて寝ている者もいるし、数人で歓談している冒険者風のいでたちの者もいる。
あまり交わることのない人種が同じ場にいても、気にならないくらい広さが確保されているのだ。
「……一人きりの帰り道、二人で目覚める朝、雨音に草むらのみずたまり――♪」
ピアノの音に乗る男女の声。
弾いているのは本日のゲストのピアノ弾きの男で、女の方は連れ添ってきた踊り子だ。
メインのステージの時間には、誰もが知る曲を披露していたのだけれど、ステージが終わったあとも、ぽろぽろと気ままに鍵盤を叩いている。
ほとんどの客が、観るのをやめて酒を楽しんだり会話を楽しんだりしている。
女が『好きなもの』を訊かれるまま答えて、それに旋律がつき、即興で曲になっていく。
「あはは、あと何かなあ。甘いものは何でも。外で食べるごはん。あれ? 食べ物多くない……?」
踊り子の衣装はピアノ弾きの赤いシャツに合わせて、赤いロングドレス。
肌に貼りつくような薄い生地だけれど露出は多くない。
深く入ったスリットで動きにくくはないが、そもそもしっとりとした曲目が多かったから、踊りも激しいものではなかった。
熱さは感じても、汗はかかないくらいの――曲に合わせた演技が主な仕事の日、だった。
■アルマース > 別の仕事で仲良くなったピアノ弾きに誘われた仕事だった。
報酬の割に注文が少ない――脱げとか接待しろだとか、まあ事前に言われることもそう無いのでわかったものではなかったが――のと、
『きっと店を気に入る』という予言めいた言い方が気になって引き受けた通り。
だだっ広い秘密基地めいた造りの建物で、ステージでも店内でも自由に使わせてくれるのだ。
ステージで客を集めたいわけでもなさそうだから、どう採算をとっているのか不思議になる。
ただし、広さのせいで客がまばらに見えるから、拍手で埋め尽くされないと死んでしまうタイプの人間には避けたい店かもしれない。
当の踊り子は、一人でも見ている人間がいれば良い、という性質なので自由にやれることを喜ぶばかりだ。
「嫌いなもの? 窮屈なのはきらあい。あとはねえ――上品な言葉では言えないな……」
会話をそのまま歌詞にされて笑ってしまう。上品な言葉では言えないコ、ト♪ 意味深な区切りまでつけられて。
出来上がった曲は抑揚少なく、子守歌か童謡のような曲調。
ギ、と椅子を引く音が聞こえたと思えば。
一部始終を遠くから眺めていたオーナーが、バーカウンターの下から黒いケースを持ち出して来たのが見えた。
「ン? ……あの人も何か弾く人……? んふふ、いいね。通しでやってみよ~」
真っ赤な唇がにっこり笑う。
金と権力を持つ人間に痛い目に遭わされてきた女からすれば、富裕地区に店を構えるオーナーなんて、それだけで苦手意識が先立つ。
が、同好の士となれば別である。
ヴァイオリンの音を加えて、出来たばかりの曲を、頭から。
振付まで終えられるくらいには、夜はまだまだ長い。
ご案内:「王都マグメール 富裕地区 地下劇場」からアルマースさんが去りました。