2023/04/25 のログ
ご案内:「郊外の酒屋兼宿屋」にダーレイズさんが現れました。
■ダーレイズ > タナール砦に陣取った魔王の1人を倒したのはもうどれほど前だったか。一向に髭も生えずに幼子を思わせる程肌の表面が艶を帯びている顎のラインを指がなぞる。その指には勇者やその仲間と旅をしていた時の名残であり、今は自分自身に封印を科す為にある指輪が妖しげな光沢を帯びていた。
魔王を討伐する事に注力する余り、その死後の呪詛に気が付くのが遅れた事は痛恨の極みだった。自分の意識下に自分の物ではない思考が混ざり、仲間を仲間として見ない野卑かつ蛮族にすら劣る品性下劣な魂と思考。それを感じ取った時に全ての感情を凍結させた。
仲間達からはすぐに怪訝そうな声や顔で。あるいは心配だったのだろうか。それも思い出せない、思い出さないようにしながら見られていた事を思い出した。周りからは人が変わった、性格がネジくれた。魔王を倒し天狗になった。様々な噂話を立てられたが気にしなかった。いや、気にするということ自体を自分で縛り付けた事で感情を凍結させ、思考を固定化させるために数日の間儀式を続けた。
あらゆる力を内向きに、精霊の意識すら凍結させて自分の内面に結界と封印。呪縛と遅延と停滞を幾重にも敷き詰め、張り巡らせる。
指1本を動かす事でさえ苦痛を伴う程に強固な封印も、結局は徐々に解れていく。
白い影、白い刃。純白の悪意を持った魔王の一部がそれらすべての隙間を縫う様にして自分の表層たる外見に姿を見せた事で速やかに次の手段に移った。
郊外の朽ちた酒屋兼宿屋を買い取り、その地下室に専用の封印室を作る事で周期的に訪れる魔王の意識が表に出ている間は自分が何もできないようにする。その為だけにあると言っても良いのがこの店。
言葉は交わさない。カウンターで指差しと視線のみで注文等を取り、数組だけを招き入れては飢え死にをしない程度の小銭を稼ぐ日々。退屈とは思わない。退屈と言う感情を排除した結果とも言える。退屈、虚無、空虚。それらが感情と思考に混ざる事を排した以上、誰かを羨む事も無い。かつての仲間が富と名声を得ていようと関係が無い。
(――ホントウカ?)
磨くグラスの表面に浮かぶ自分の顔が歪む。まるで討伐した魔王がその首を撥ねる刹那まで浮かべていた笑みの様に。
ただの角度と視線の問題だと、自分は無言でグラスを磨く。何の為でもない。客の為でも稼ぎの為でもない。絹よりは粗い布地が僅かな音を立てる様にしてグラスの埃を。汚れをふき取り棚に並べられていく。
■ダーレイズ > 外には響かない。だがグラスを拭くという簡単な動きだけでも筋肉が、腱が、骨が。神経の1本1本が悲鳴を上げている。鉄条網を幾重にも巻き付け、そこに鉛の重量と棘に塗られるのは意識を失う事を許さない気付け薬が塗りたくられている、と言えば伝わるだろうか。自分の中に巣食った魔王の残滓。呪詛の穢れは浄化が出来る類では無かった。そこにあったのは自分の見栄か。それとも栄光に影を落としたくない拘りだったのか。今となってはもう思い出せるような物でもない。今の自分に出来るのは魔王が自分の封印全てを食い破り表に出るようなことがあろうとも。
その魔力は全て消失し、その肉体を動かす事すら出来ず、顕現したとて何一つ為す事が出来ない儘肉体と魂の消滅を迎える。
つまりは老いて朽ち果てる。それが現在の目的であり最終到達点と言っても良かった。
記憶力を司る脳。そこにも多大な負荷を掛け続ける事で記憶を消そうとも
努力をしていた。記憶は、思い出は。凍結させた感情を融解させてしまいかねない。そこにどんな記憶が、感情が、思考があったのか。それを思い出すこと自体を禁忌として特に厳重な封を掛けた。
一度融解が始まれば。溶けだした氷は放置しておけばやがてすべて溶けてしまい、自らの封印を。これまでの生き様と言う物を虚無に帰してしまいかねないのだから。
「………。」
宿の2階から1人の小柄な男が降りて来た。何時もの事だが夜のこの時間に降りてきて椅子に座る。その客にメニューを見せて食事を出し酒を振舞う。言葉は交わさず、指の動きでメニューを示し、ゴルドを受け取り機械的な動きで決められた動作を繰り返す。
不愛想であり表情一つ変えない店主と客の暗黙の了解とも言えた。
どこに行くのか、世間話の1つもしない。料理の味を褒められても僅かに首を下げるだけ。不愛想な店主に誰が愛嬌を振りまくというのか。結果として安い宿代と酒を求める僅かな客だけがこの場所に入り浸る。変化の少ない日常を、コマ送りのように繰り返す日々。退屈も不満も満足も何もない。――それでいいのだから。それが良いのだから。
■ダーレイズ > 音がしたのは唯一の出入り口から。建付けの悪かった木の扉を回転式のドアに変えたのだが、木製の部分と金具のかみ合わせが悪かったために回る度に音がする。安いどこにでもあるような木製の扉だが、其処に刻まれているのは厳重なまでの封魔の文字と刻印。扉だけではなく、床板の1枚。壁の板の裏。柱の要所に天井の梁。カウンターの自分が立つ部分にまで描かれ、組み込まれているのは魔王殺しとも呼ばれる対魔族用の封印術。
自分が魔王に乗っ取られた時に少しでも動き出しを遅らせる事で自らの意識が再び表に出るまでの時間を稼ぐための保険でもある。
そしてその扉を開けて来たのは客では無かった。
――最早戦闘能力は失われたに等しいまで封印を重ねた自分を。いや、その名声を欲するのか偶に招かれざる客が来る。ギルド、冒険者、貴族や王族。何れもほしいのは自分ではなく、魔王を討伐した人員を飼いならす事で名声を得たいのだろう。その使い走りとも言える男の姿だった。
溜息は吐かない。この手の輩は来なくなるまで時間がかかる。そして来るときは一定の間隔を開ける。その感覚が前倒しになっただけなのだから。
目の前に立つ派手な鎧に何かの紋様か勲章かを彫り込んだ鎧を見せつけながら何かをまくしたてている。
聞くに値しない話なのだろう。聞こうとも思わない。そういう相手には差し出すものは決まっている。
メニュー表を裏返すと、そこにはかつての自分の文字が描かれている。
「注文か宿泊か通報か」
言葉に出さず、その文言を指さして相手を見遣る。瞳の奥に蟠る黒いマグマの様な魔王の意識がざわめく――自分の中で凍結させた感情を溶かそうとするように。無礼な相手に怒りを抱けとでも煽ってくるように。内面の熱量を炙り出そうとでもいうのだろうか。
或いは揺さぶる。運動の熱量でその氷を解かそうと言うのか。無駄な揺さぶりをかけている事だけは把握していた。
目の前の男がやがて肩を怒らせながら店を出て行く。入ってくるときよりも大きな音を立てて扉を回転させ――そして回転扉の罠でもある、高速で回したことで背中から扉のスタブを受けて店の外で転ぶまでが一連の流れとなっていた。
小柄な男は何かが面白かったのか、手を叩いて笑っている。となると今の男の雇い主か紋章の主は悪名高い連中といった所だろう。
余計な騒動に巻き込んだ分のサービス代わりに、缶詰の桃を使ったコンポートを作るべくカウンターに併設された簡易厨房に移動をしながら、こうしてまた1日。余命を縮め、無事に消滅までの時間を迎えるのだった。
ご案内:「郊外の酒屋兼宿屋」からダーレイズさんが去りました。