2020/01/23 のログ
ご案内:「貧民地区 『Bar 』」にジェルヴェさんが現れました。
■ジェルヴェ > (容赦なく冷え切った冬の夜風と遠退く客の背を隔絶するように閉ざした扉へ、頭を垂れた店主が張り付くように凭れ掛かっている。
ある夜更け、酔客だらけで繰り広げられた大賑わいの後。溜息を吐くために開いた口が妙にべたつく気がして手の甲で唇を拭ってみると、ぬらりと輝く真っ赤な色が擦れて手に移った。
―――今しがた帰った客の一人が、丁度こんな唇の色をしていた。となると恐らく、雑に手で擦ってしまった己の口許は今、押し付けられた口紅が広がってとんでもない事になっているのだろう。
今度こそ。店主は赤く汚れた大口で溜息を吐く。大きく深く、項垂れた頭をかくり、首を擡げて天井を仰ぎながら。)
■ジェルヴェ > (汚れた顔を正面へ据え直し、扉にへばりついていた背中を引きはがして静まり返った無人の店内へ進む。
あちらこちらへ置かれた酒瓶とショットグラス、灰皿、よくわからない紙類のゴミ。カウンターの惨状へ今は無視を決め込んで中へ入り、キャビネットの前でしゃがみ込み戸棚を漁る。様々な小物が雑然と放り込まれた箱の中から適当な手鏡を見つけ出し、その鏡に自らの顔を映しながら重い腰を持ち上げた。)
「……えー…。
落ち………、えぇ…?」
(広がった口紅を指で拭う。しかし取れない。
手探りでたぐり寄せたナプキンで更に拭う。けれど取れない。
困惑を極めたような唸り声を漏らしながら、手鏡――客の忘れ物である――に映る赤い口許と格闘する。)
■ジェルヴェ > (乱暴に擦ると紅が広がるばかりか肌も痛い。べったりと付着していたぬらつきは大方取れたが、鏡には未だに猟奇的殺人犯のような顔が居座り続けている。
手にした紙ナプキンがそこら中赤い口紅に染まった頃、それを丸めてゴミ箱に投げ捨てると同時に根気も捨てた。
どうせもう、客は来ない。多分。恐らく。きっと。
ヒリヒリと少し痛む唇周りを嫌がって口許をもごもごと動かしながら、店主の手は漸くカウンター席の片付けに掛かり始める。
―――静まり返った店内。時折響くグラスがぶつかる澄んだ音。黙々と作業に従事する間、脳内では今日一日の回想が進んでいた。
まず夕方頃に寒さで起きる。いつも通りだ。それから身支度を整えて開店準備を始め、大体普段通りの時間に営業開始。
最初は暇だった。寝かける程度には平和だった。しかし夜が更けた頃、来店した数名の客で店内の静かな雰囲気は一変する。
客から差し出されるショットグラス。満たされるテキーラ。高々と掲げられる乾杯の合図。何かにつけて注がれるテキーラ。
出した時には未開封だったはずの空瓶を三本片付けながら、赤く汚れた真顔で店主は強くこう思った。従業員を雇おう、と。)
■ジェルヴェ > (この場合は矢張り男の店員が良いのだろうか。今夜飲み散らかしていった女性客の一人には、帰り際の見送りついでに抱擁を強請られて応じたら唇まで奪われた。様々な意味合いで絡まれる事の多い立地や客層を考えると、男性店員の方が適しているかもしれない。
だが一緒に働くなら断然可愛い女子の方がいい。ミニのタイトスカートにシンプルなエプロンを着用してもらって、是非ヒールで給仕して欲しい。
そして今日のように大賑わいで大量に酒を飲んだ時は、こうした後片付けの時間で優しく労ってもらいたい。お疲れ様マスター。えらいぞ、えへへ。とでも)
「……えへへはどうだろう」
(うっかり広がりかけた妄想を正気が止めに入って、神妙な面持ちで我に返る。最後に生ごみを捨てると、荒れていたカウンターはひとまず物がなくなった状態に落ち着いた。)
■ジェルヴェ > (水を含ませたクロスでカウンターを拭いていく。想像上の女性従業員に夢が膨らむ辺りからも相当酒が入っていることを自覚するが、そうなるとやはり是が非でも褒められたい。えへへ、は少しばかり厳しいにしても。
しかし重労働なのも事実だ。常連客は皆地元の荒くれものばかり。根は良い奴らで陽気な席ばかりだが、何せとにかく品がない。そんな場所に女性従業員なんて出そうものなら、きっと己のように大量に酒を勧められ、男の客に執拗に絡まれて下品な魔の手が伸びるに決まっている。
―――そんな目に遭わせる訳にはいかない。あんなに可愛くて優しくてスタイル抜群な彼女を。
今度は濡れたカウンターを乾拭きする。妄想で出来上がった女性従業員――名前は思い付かない――をこの手で守る意思を固め、クロスが端に行き届いた所で片付け作業は無事に完了した。
嘆息を一つ。綺麗になった天板の光沢を最後に眺めると、店主の歩みは店の出入り口へ向けられる。
扉の外に掛かる”営業中”と掛かれたプレートをそっと裏返し。吹き込む風の寒さを嫌って、店主の姿はそそくさと店の奥に消えた。
やがて店の明かりが落ちる。閉店の文字が、乾いた音を立てて風に揺れていた。)
ご案内:「貧民地区 『Bar 』」からジェルヴェさんが去りました。