2021/10/02 のログ
イファ > 月が昇り、星々が輝き始めても戦場は騒がしい。
日暮れ寸前まで抗争を続けていた戦線は陣地より遙か遠く、引き揚げるに時間がかかった。漸くこの頃になって殿の傭兵たちが続々と陣地に文字通り転がり込んで来て、正規の騎士や兵士たちの期間が収まった後再びの喧噪に包まれていた。
篝火の中に行き交うのはヒト、人、ひと。
時折兵士に引かれた馬たちが表れては興奮の嘶きと共にその波を割って、戦場特有の姦しさは収まる様子がない。

その人波からひとつ、陣地の隅、篝火も届かず人気のない方へと進んで行く姿。両腰に下げた刀と全身鎧とがガシャガシャと鳴るが、この喧噪では注目に値するものでもない。辿り着くのは、暗がりにぽつねんとある井戸だ。

「――――ぷぁ、っ」

兜を外すと、長い黒髪が滑り落ちる。
汗だくの赤褐色の肌が、暗がりでさえ月明りを照り返す。
外した兜を井戸の傍らに置き、続いて鉄鋼を外していく。煩わしいものの筈なのに、口元にはうっすらと笑みが浮かんでいるのはこの女の性質をよく表して居ただろう。

井戸に釣瓶を落とし、黙々と綱を引き上げる。よどみない動きは、つい先まで戦場に居たとは思えぬほどで、かつ手慣れた動作だ。
引き揚げた桶を井戸の淵に乗せると手を浸す。ほどよく冷たく、火照った身体には心地いい。女の唇にうっすらと浮かんでいた笑みが少し深くなる。

イファ > 桶を両手で抱え上げ、鎧を纏ったまま頭上からたっぷりの水を被る。元々湿っていた黒髪が完全に濡れて月明りに艶を弾く。
女はぶるる、と馬の動作にも似て頭を振って飛沫を散らし、顔に纏わりつく髪を掻き上げて大きく吐息をつく。
それから漸く、ひとつひとつ鎧を外す動作に取り掛かる。武骨なプレートが取り除かれていくと、現れるのはごくシンプルな黒いスーツ姿だ。
最後のパーツを地面に置くとふたたび鶴瓶を井戸に落とし、水を汲み上げる。煩わしい様子はひとつもなく、黙々と。
引き上げたそれをまた頭から被る。バシャッと盛大に水が跳ね、外したばかりの鎧にも掛る。

借りものの鎧だ。濡れたままにしておく訳には行かないから、寝床に入る前に奇麗に拭き取ってやる必要があるだろう。

それに思い至っても女の口元から笑みが消えることは無い。手早く地面に散らばった鎧を一つにまとめ軽々と脇に抱えると、篝火燃える喧噪の向こう、分け与えられた寝床の方へと歩み去って行った。

ご案内:「ハテグの主戦場」からイファさんが去りました。