2020/06/26 のログ
ご案内:「メグメール(喜びヶ原) 自然地帯」に影時さんが現れました。
■影時 > ――街の中を闊歩していれば、時折山野の空気が恋しくなる。
偶にそういう衝動に駆られることがある。
もちろん、山奥に潜む迷宮や偶には海底に沈んだ船に潜るなど、街の風景から著しく遠ざかった光景に逢うことはある。
だが、そういう危険の類とは別にして、自然の氣を吸いたいと思うことがある。
今塒にしている街は、どうにも陰の氣が溜まりそうな気がして善くないということもあるが。
「……よぉく空が晴れてるなら、星を見るにゃこの辺りまで出ると困らんな」
夜空が広がる街道から離れた丘陵地帯の一角。
砂利が目立つ清流の岸で火を焚き、手製の木串に魚を刺して焼きながら空を見る姿がある。
傍らには腰から外した太刀と陶製の酒瓶。
手にする小振りの盃に強い酒精の薫りをさせる酒を注ぎ、水の音を聞きつつ呷る。
遠く、獣の声が響く。それ以外は静かなものだ。
空があり。風がある。清き水が流れ。酒がある。そして我がある。
■影時 > 別段、星を見たいのであれば空を仰げばいい。街中でもそれで事足りる。
されども人の営みは、言い換えれば自然を塗りつぶし、蚕食しながら在り続けるものだ。
強く輝く人の集まりとは、虚空の僅かな光を打ち消すが如く在る。
故によく星を眺めたいとなれば、人里から離れた方がかえってよく見える。
椅子代わりにしている角の取れた石を僅かに軋ませ、目を細める。
「あの星の並びと雲の流れなら……、また暫くしたら雨が来るか。
面倒だな。この前仕入れたばかりの薬種を干そうと思ったが、あとに回すか」
当たるも八卦当たらぬも八卦ではあるが、数日の天候の予測を立てることは出来る。
炎や火薬を扱う者として、気にしないわけにはいかない。
そうでなくとも、作って納品することで糧を得る仕事も受けていれば、その点でも天候の目算を立てるのは大事だ。
厄介なと嘆息しながら、顔を戻して焚き火に視線を落とす。
焼いている川魚の具合を見れば、串の向きを変える。逆の面もよく焼いて、喰う方が良い。