2023/02/03 のログ
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」にマチルダさんが現れました。
■マチルダ > 「――――此処までで結構ですわ。 どうぞ、お仕事に戻って下さいまし」
其の古びた建物の玄関前、初老の修道女を振り返り、
笑顔でそう告げると、相手は恐縮したように目を伏せた。
建物の中から聞こえてくる、元気な子供たちのはしゃぎ声を背に、
辞去の挨拶を交わし、ただ一人付き従ってきた侍女と共に、
うらぶれた佇まいの目立つ通りへ出れば――――侍女が顔を顰めた。
『変ですわ、馬車は何処へ行ったのでしょう。
此処で待っている筈でしたのに……』
「そうね、……此処は、道幅が狭いから。
もしかしたら大通りの方に居るのかも知れないわ」
女主人の台詞にも、侍女の表情は晴れず。
其れならば其れで、何某かの知らせを此方へ寄越すべきであると。
大通りの方向は凡そ分かっているのだから、其方へ二人、歩いて行けば良いと思うのだが、
侍女は頑固そうな眉間の皺を深め、先ずは己が見て参ります、
奥様は此処から動かずお待ち下さい、と言い置いて駆け去った。
そんな訳で、ぽつねんとただ一人。
閉ざされた門扉を背にして佇み、所在無げに。
此の界隈の治安を考えれば、あまりにも無防備に。
佇む女の姿が、寒々しい通りに黒く、黒く。
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」にアダンさんが現れました。
■アダン > 名門貴族に生を受けたアダンが、このような貧民地区に足を運ぶことは本来ありえないことであった。
公務で来ることもなければ、私的な用事があるわけでもない――表向きは。
こういった治安の悪い雑多な場所は悪事を企む者にとっては都合のいい場所である。
何せ、そういったことが平然と行われているのだから。
腐敗貴族であるアダンも、良からぬ企みのためにこの貧民地区を利用していた。
とある陰謀のため、自ら出向いてとある盗賊組織と渡りをつけてきたばかりである。
従者たちとともに、正体を隠すかのような黒いマントとフードに身を包みながら、アダンは帰路についていた。
そんな中、とある建物の前を通り過ぎた。修道院の経営する孤児院であるようだ。
別段アダンが興味を示す場所ではないが、通り過ぎる際に年若い女の姿を認めた。
路地裏に従者たちと一旦入り込むと、アダンは黒いフードやマントを脱ぎ、貧民地区には似合わない貴族らしい衣装を露わにする。
「少し待っていろ」
従者たちにそう告げると、アダンは下卑た笑いを浮かべながら今来た道を戻り、閉ざされた門の前で無防備に佇む女の前へと歩いていく。
「いかがなされましたか。女性一人ではここの地区は安全とは申せませんが」
下卑た笑いを隠しながら、紳士的な態度を取り繕って女に言葉をかける。
その姿をよく見れば、女はどこかで見たような顔であるようにも思われた。
「もしや……ボニファスタ公爵夫人でいらっしゃいますか。いえ、元でしたかな」
記憶をたどれば、とある公爵家の夫人であったはずだと思い出し。とはいえ、公爵とも夫人ともアダンは大したつながりはなかった。
公爵の死後、夫人は社交界とも遠ざかっていたという噂も聞いており、そのために特に面識を持つこともなく。
■マチルダ > 侍女が駆けて行った方向を、じっと見ていたのは初めのうちだけ。
角を曲がって消えた彼女の姿が、其処へ再び現れる気配も無ければ、
視線は自然にぼんやりと、ゆうるりと、周囲の景色へ流れる。
殊更に眺めて楽しいものも無いとなれば、其の侭、ごく自然に頭上へ、灰色の空へ。
靴音が此方へ近づき、男の声が聞こえてきたのは、ちょうどそんな頃合いだった。
然して身構えるでもなく向けた眼差しが、男の姿を捉えて瞬く。
ふっくらとした唇が微かに蠢き、躊躇うように閉ざされて。
「え、ぇ、あの、実は―――――…… 、
―――――――― わたくしを、ご存知、ですの……?」
一見して、貴族風の男。
恰幅の良さも上等な身なりも、立ち居振る舞いから滲み出る押し出しの強さも。
家名を口にされて、ほんの少し眉を寄せたものの。
警戒というほどでは無く、ただ、戸惑うように。
時間にして数秒ほど、間を空けてから。
「申し訳ありません、何処かで、お目にかかりましたかしら……、
………御名を、伺ってもよろしいでしょうか?」
夫の知人、友人、あるいは親類縁者。
其の類であるのなら、改めて名を問うなど無作法に過ぎるだろう。
故に、そっと小首を傾げ、躊躇いがちに尋ねる女の表情は、気弱そうに、男の顔を窺うように。
■アダン > 帰ってきた女の反応は、正しく気弱と形容するにふさわしいものだった。
明らかにアダンの突然の登場に戸惑っている様が見て取れ、このような場所に一人で佇んでいてはいけないような女であった。
従者もいないまま一人突っ立っていたのだから、良からぬ輩に拐かされても不思議ではなかっただろう。
……このアダンも、まさしくその良からぬ輩の一人ではあったが。
「これは失礼しました。先に名乗らぬ無礼をどうかお許しください。
私はフェリサ家当主のアダンと申します。代々、王の恩寵を賜り、貴族としての職を頂いております」
アダンは恭しく一礼をし、女の目を覗き込み、一歩近づいた。
紳士的な態度を取り繕ってはいるものの、大柄な体躯あるためそれだけで相手に威圧感を与えかねないであろう。
フェリサ家は名門の貴族家である。それを知らずとも、身なりなどから貴族であることは推測されるはずである。
目の前の女が自分の悪い噂を知っているかどうかはわからないが、知っていたとしてもどうということはない。
相手は元公爵の夫人であり、今は寡婦である。ためらいがちで気弱そうな有様からしても、今すぐアダンをどうにかできるような様子はない。
つまりは、格好の獲物であった。
「いえ、ご存じなくとも当然のことです。一度王城でお見かけし、挨拶をさせていただいた程度のこと。
そのお美しさのことはよく覚えておりましたのでね。
公爵のことは残念でありました。突然のことと聞いております……。
何かお困りのようですが、お手助けさせていただいても構いませんでしょうか。公爵には色々とお世話になりまして」
ぺらぺらと全くの嘘をアダンは吐く。
彼女の夫であった公爵とはさして友好の関係にあったわけでもないが、今や彼岸の人間である。
アダンの言葉を確認できる者は誰もいない。
■マチルダ > 貴族の娘として、そしてまた、貴族の妻として。
公の場に出た経験はあれど、慣れたとは言い難い。
慣れてしまうよりも早く、再びそうした場から遠ざかったので。
―――――弱々しげに、誑かされやすく見えるとしたら、其の物慣れなさのためだろう。
「――――― あ、あぁ、……わたくしこそ、失礼、致しました。
さきのボニファスタ公爵の妻、マチルダと申します」
顔と名と、其の評判とが一致する、までには至らない。
然し流石に、其の家名を知らぬほどの世間知らずでも無く。
やや慌てたように目を瞠り、片手を胸元に、もう一方の手でドレスの裾を摘まみ、
膝を折って遅ればせながらの礼を向けてから。
恥ずかしさに仄か、紅潮した頬に控えめな微笑を浮かべ、
「フェリサ公は随分、お口がお上手ですのね。
ですが、ええ、お気遣い有難う御座います…… あの、」
少なからず、気圧されたように。
か細い声で断る言葉を紡ぎあぐね、視線をちらちらと、男の背後へ。
侍女の姿は未だ見えず、あるいは彼女の方こそ、何某かの奇禍に遭っているやも知れぬとさえ思い始め、
―――――もう一度、身なりの良い、己よりずっと高い地位にある男の顔を見つめ返して。
「実は、待たせておいた筈の馬車が見えませんの。
侍女が一人、探しに出たのですけれど、彼女も未だ戻らなくて……
――――――― よろしければ大通りまで、ご一緒、頂けないでしょうか」
図々しい願いであるのは、百も承知。
其れだけに声は更に細く、消え入りそうに。
見つめる瞳は心細げに、うっすらと潤み始めていた。
■アダン > 「ほう……なるほど、それはお困りでしょうな。マチルダ様」
困ったことがあるのならば手伝わせてほしい。
アダンの評判を知っていれば、そんな誘いには強い警戒を持ったはずである。
だが、マチルダにはその様子はなかった。
気圧されるような、戸惑うような様子は見せたものの、結果的にはアダンの申し出を彼女は受けることとなった。
待たせていた馬車が来ず、その馬車を探しに行った従者も戻らない。
女一人、しかもかつての公爵の伴侶ともなれば、このような場所でただただ佇んでいてもいいことなどあるはずもない。
マチルダの様子はどこか申し訳なさそうであり、「大通りまでご一緒いただけないか」という言葉は消え入りそうなか細いもの。
その様子にアダンは同情したような表情を作って頷く。
「わかりました。もちろん構いません。
私も修道院などへの喜捨のためにこのあたりはよく訪れるのですが、御婦人一人が歩くべき場所ではありません。
そういえば先程大通りでなにやら騒がしい様子でありましたからな。何か関係があるのやもしれません。
ひとまず大通りまで、ご一緒させていただきましょう」
彼女から大通りまでの連れ添いを頼まれたという言質を取れば、アダンは下卑た眼差しをマチルダの黒衣の下に隠された体に向ける。
果たしてその視線に彼女は気づくであろうか。
大通りでなにかあったなどというのは全くの嘘なのであるが、そういった嘘を吐くことへの良心の呵責はこの男にはなかった。
「参りましょう。失礼、何があるかわかりませんのでね」
潤んだ瞳のマチルダに対してそう言うと、無遠慮に腰に手を回しこちらの方に引き寄せながら、貧民地区の路地を大通りに向けて歩き始める。
従者たちには魔導機械の機能を持つ指輪にて思念を送り、いつも通りの「手筈」を整えるように伝えた。
■マチルダ > 重ね重ね残念なことに、女は男の評判を知らない。
社交界の片隅に身を置いていた頃でさえ、噂話に興じる質でも無かったのだから、
茶会の誘い、宴の誘い、全てを可能な限り避けている今は、尚の事。
加えて言うなら、自らの容貌、寡婦である身の纏うある種の艶などにも、
あまり頓着していないのが、此の女である。
相手の表情、言葉を額面通り受け取り、其処には純然たる善意しか無いと、
赤子のように容易く信じて。
ほっとしたように表情を弛ませ、声の調子すら明るく弾ませて。
「あ、有難う御座います…… そうして頂ければ、とても、心強いですわ。
―――――――― 大通りで、何か……? でしたら、急ぎませんと」
待っている筈の場所と其の御者、そして、彼を呼びに行った侍女。
彼らの上に何事か、予期せぬ災いが降りかかっているのでは、と急くあまり、
女は我が身に降りかかろうとしている災禍に、まるで気付きもしない侭。
向けられた眼差しの意図するところすら思い至らず、腰に腕を回されてすら、
其れを紳士的な気遣いであると、愚かにも信じ込んで。
連れ立って向かう先は、果たして本当に大通りだろうか。
男が張り巡らせた罠の気配を、愚かな女が察知する筈も無く。
ぽかりと口をあけた目に見えぬ陥穽に、呆気無く堕ちてゆくこととなり――――――。
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」からアダンさんが去りました。
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」からマチルダさんが去りました。