2022/01/03 のログ
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」にホウセンさんが現れました。
ホウセン > 新たな年の慶賀ムード。
その浮ついた情動に身を委ねられるのは、ある程度経済的にも精神的にも余裕がある者に限られているのかもしれない。
勿論、乏しい日銭の中で、それでも年の初めぐらいはと奮発することは、あり得るだろう。
一方でそこまで至らぬ、日々の食事にすら不安を覚える層というのは、確実に存在する。
特にこの貧民地区では。

「必ず祝わねばならぬという道理は何処をひっくり返しても転がり出てこぬものじゃがな。
 されど、先々のことを考えれば、無いものは無いと諦観するより精神的なメリハリを体験しておいて損はあるまいよ。」

とっぷりと日が暮れた貧民地区の裏路地。
己がパトロンの一角となっている孤児院に差し入れをしていた帰路であり、身軽なものだ。
”人”を遊興の為に消費する妖仙故に、動機は慈しみであるとか人類愛では決してない。
商人として、均質的な能力を持つ将来の働き手に対して投資をしているというのが、正しい表現であろう。

ホウセン > ほう、と唇から漏れた吐息は白く濁り、ほっそりとした首に巻かれた襟巻に沿って後方へ置き去りに。
足早に歩いているつもりではあるものの、速度はさして上がらない。
運動能力の是非というより、股下の長さに起因してた結果。
成人男性は言うに及ばず、成人女性よりも更に小さな子供の姿であれば、致し方ないことであろうが。

「嗚呼、挨拶の一つでもと顔を出すのはやむを得ぬ仕儀じゃが、どうしてこう、遠慮が無いものか。
シスターたちが色を失っておったのに、ようも気付かずにやれるものじゃ。」

子供子供した風体の割に、子供の相手は苦手である。
”嫌い”ではなく、”苦手”なのだ。
特に、毛並みの良い人形の如く、しがみ付かれたり、連れ回されたり、揉みくちゃにされた後は、酷く疲労する。
そういうものだと理解しているものの、曰く、理屈の通じぬ輩は難儀するだとか。
ともあれ、社交の時間は終い。
早々に寝床と定めている平民地区の宿屋に帰るなり、娼館にしけこんで一晩過ごすなりの自由を得ている。
一先ず大通りに出ようと足を向けているが、治安のよろしくない一角だ。
喰い詰めた誰彼かであったり、職業的な強盗がいつ顔を出しても不思議ではない。
或いは、それらを警戒した善良な者から、身を案じて声を掛けられるかもしれぬが。

ホウセン > 幸運にも、小さなシルエットは厄介ごとに巻き込まれることもなく、夜の街に消えて――
ご案内:「王都マグメール 貧民地区」からホウセンさんが去りました。