2022/06/17 のログ
ご案内:「王都マグメール 富裕地区2」にホウセンさんが現れました。
■ホウセン > 夜だ。
だが、冬の夜のように深々と静まり返ると評するには、生命の息吹が活発になり過ぎているきらいがある。
春の終わり、夏の始まり。
青々と茂る緑の匂いが、少し湿気を孕んだ風に乗って鼻腔を擽る。
そんな四季の機微を嗅ぎ取っている小さな存在は、煌々とした光が溢れている屋敷の中にいない。
ある貴族の途方もなく広い邸宅の敷地の一角に居り、近々に帝国風の庭園に設え変え終わったそこの出来栄えを検分しているといった風情。
依頼人が隣にいる訳でもなく、供回りが付いて回ることもない、身軽な一人だけの散歩といった心地で、一部の仕事を執務部屋に残したままの逃避行。
「ふむ…儂の好みとは違うておるが、基本に忠実なものと言われればこうなってしまうのも致し方のない話よな。
端から外連味たっぷりにしたとて、諧謔を解するとも限らんのじゃから。」
ふむふむと形の良い頭蓋を縦に頷かせて、誰に聞かせるでもなく呟く。
主たる商いは文物の貿易故に本業の外ではあるけれど、それでも話を持って行き易い庭師の心当たりには枚挙に暇がない。
芝、低木、植え込み、大小の岩に石。
ちょっとした小川まで掘って水を流しているせいで、僅かながらにせせらぎの音も聞こえよう。
その流れの先、小規模とはいえ池を拵えることができたのは、ひとえにこの屋敷の敷地面積の広大さが物を言っている。
元からの小さな歩幅を、更にゆるりとした歩調で進み、件の池の畔に辿り着くと同時に雪駄と足袋を脱ぎ落し、素足を晒し。
左足を地に残したまま、右足の先でちょんちょんと水面に触れるのは、水温を確かめる仕草。
■ホウセン > 果たして蝉時雨の介在する余地のあるような樹木を植えたかは覚えがないが、どの道騒がしさの頂点がやってくるのはもう少し先。
夜中であっても下がりきらない気温と不快指数を引き上げる湿気とに辟易して、ちょっとした水遊びという心地。
天には真ん丸な月が浮かんでおり、静かな湖面に映り込んで鏡写しのよう。
その、書画の題材に多々用いられている光景を、ちょこんとちっこく柔らかそうな子供の足指が掻き乱す。
ばしゃばしゃと水音を立てる程の粗暴さは持ち合わせず、水面をゆっくりと撫で、小さな波紋が軌跡に合わせて広がり、生まれた波は遠くに進む程、小さく、小さく。
それでも鏡の表面が波打てば、正しい像を結ぶことは叶わず、月の輪郭は規則的な凸凹を晒してしまうのを避けられまい。
完成したものが己の所作一つで乱れる様に、ほんのりと口角を持ち上げた微笑未満の表情を浮かべたのは、この人外の性情の一端を示すものかもしれず。
「外で水浴びをするには、ちぃと早過ぎるようじゃが…気分だけでも先取りするぐらいなら罰も当たらんじゃろう。」
幸い、誰の目がある訳でも無し。
快適の下限を少し下回る水温故に、足首まで浸らせて涼を得るとはせず。
代わりに何をしたかといえば、唇の内側で一言二言小さく呪を紡ぐだけ。
半ばまで沈んでいた親指を引き上げ、改めて足の裏を水面に水平に下ろす。
次いで陸地に残していた左足までも水の上に乗せるが、一向に沈む気配がない。
それどころか、足音も水音もたてぬまま、ひたひたと池の中央に向かって歩み進む始末。
ひんやりとした池の水が、足の裏を冷やすのを愉しんでいるらしい。
■ホウセン > 人工の光は遠く、しかも途中の木石に阻まれてここまで禄に届かない。
屋敷では何事かの催しをしているとは聞き及んでいるものの、歓談の声も鼓膜を揺らさない。
小舟を浮かべて周遊できる程度の広さの池は、今はこの人外の独壇場と化している。
もしも異を唱える者がいるとすれば、池に放たれた淡水魚の類だろうが、眠っているのか、呪の気配に委縮しているのか、水面の上に跳ねることも無くて。
生来、遊興にしか興味を示さぬ妖仙とて、何か思う所があるようで幾許かの沈黙。
ようやく動き出した手は、装束と確りと締めた角帯との間に差し込んでいる扇子に。
引き抜きざまに扇子を開くと、一度肺腑の七割方まで息を吸い込んでから、ふっ…と、丹田に力を籠める。
続いて踏み出した足運びは、禹歩ではない。
即ち、呪術のそれではない。
体幹に一本の筋を通したまま、扇子を持った手を柔らかく振る。
腰を落とし、重心を下げたまま歩み進み、時に半円を描き、或いはその場で回転し、曲線的な挙動を連続させる。
何ということは無い。
単に舞っているだけだ。
日頃は芸事を鑑賞するのを是としているが、門前小僧何とやらである。
人ならざる時間軸で存在しているが故に、手習いの積み重ねでどうにか形できてしまっただけの出来損ないの類ではあろう。
一芸を極めた本物には遠く及ばない、上っ面ばかりの手慰み。
嗚呼、だとしても。
只管に端正であれと整えられた人形が如き相貌で、月下の湖面を舞台に童が舞う。
その現実離れした光景は、ある種の妖しさが宿ることにはなろう。
目にした者がいれば、魅入られる。
出会ってはならない怪異が如き、妖仙の姿。
興が乗ってきたのか、万事慎重な人外にしては注意力が散漫になっており――警備の者であるとか、家人であるとかが、出くわしてしまう余地があり。
■ホウセン > 幕間もなく、演目は気分次第。
そんな余興の時間は過ぎて――
ご案内:「王都マグメール 富裕地区2」からホウセンさんが去りました。