2019/04/07 のログ
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王国の現在 > 『帝国よりの公主達――辺境不穏』

 帝国公主降嫁よりしばらくの時が流れた。
 帝国が対王国への政策をいきなり転換させ、「公主」と呼ばれる皇女や皇族の女を王国の王侯貴族へと降嫁させたことに何かしらの罠を感じるものは少なくなかった。
 だが、急転する情勢は王国側に考える時間を与えさせず、帝国との全面的な戦争を避けるために公主達は受け入れられたのである。

 皇家の「公主」という皇族の女たちの降嫁は帝国の弱腰の現れであると理解した王侯貴族たちも少なくはなかった。
 特に先代王を輩出したカルネテル王家の中では、帝国がついに王国に恭順の姿勢を見せ始めたと喜びを見せる者が当主を始めとして多く現れ始めていたのである。
 楽観的な姿勢であると言えるが、それだけ王国にとって帝国の存在は脅威であったために、帝国からの融和政策は王国の一部の王侯貴族達に安堵を与えたと言える。

 此度の戦争の発端は、先代の王による実現不可能と言わざるを得ない「帝国征服」宣言のためである。先王の崩御した今、帝国との戦争に対する大義名分は存在しなかった。無意味な戦と成り果てたのである。さりとて王位が空位である今、様々な思惑を持つ王国の王侯貴族をまとめ上げられるものは存在しなかった。
 先王の残した政策に異を唱えることは、それだけで政敵からの攻撃の的となり得る。王位を狙う多くの者たちにとってはそのような行為を取ることは到底できる話ではなかった。

 王国側からの和平交渉など行えば、帝国に弱気の姿勢を感じ取られかねない。何より王国としてのメンツが立たない――そういった理由もあり、惰性の如き戦争は続けられてきた。
 今回の帝国公主降嫁は、膠着した現在の状況を打開する光芒であったといえる。たとえ何かしらの罠があったとしても、それを封じ込めて王国側に有利な条件で講和を結ぶ。親帝国派の王侯貴族たちの狙いはそれであった。
 武断的な外交で知られる始皇が自ら公主を送り、「帝国の側から」王国との和を結ぼうとするのは彼らにしてみれば弱気な態度と理解するほかなかったのである。開戦以後、帝国は常に強気を崩さなかったのだから。

 最大勢力を誇るカルネテル王家の大多数は、帝国公主降嫁前は強硬な主戦派の代表であったが、公主降嫁以後はすでに帝国に勝利したかのような言動を行う者も少なくない。
 このまま帝国に臣下の礼を取らせ属国・藩国の一つとすれば先王の帝国征服の命も果たされるなどという非現実的な意見さえ飛び出す始末であった。王国がティルヒア動乱を収め、オリアーブ地方を占領したことによる魔導機械の発掘数の増加も彼らの強気の理由の一つであった。

 このような錯乱的な意見が飛び出すのは、多くの公主達の隷属的・奉仕的な態度によるためであった。そして、長年の懸念であった戦が解決するかもしれないという安心という隙が、一部の王侯貴族の中に生まれたためであった。
 何にせよ王国の膠着した状況は大きく動くことになり、王位を狙う者たちの政争が再び大きく巻き起ころうとしていた。帝国を征服するなどという夢物語を見ていない者達の中にも、帝国の支援を受けて王に即位しようと画策する者も現れ始めていた。

 王国と帝国による水面下での諜報戦は今なお繰り返され続けていたが、表向きには帝国との融和や和平を望む風潮が官民問わず王都の多くを支配しつつあった。今なお公主歓迎の宴は繰り返され、帝国公主達による「九頭龍山脈への御幸」の計画も前向きに進みつつあった。九頭龍山脈は公主達の故郷である帝国の山川の景観とよく似ているという理由であったが、無論その真の狙いは始皇の求める「辰金」「朱金」の調査のためであった。
 反帝国派の派閥も消えたわけではない。帝国と継戦を唱え、あるいは帝国公主降嫁は帝国の策略であると声高に語る者たちは白い目で見られるようになってはいたが、彼らの働きにより王国全土を揺るがすような機密が帝国に流れることは防がれていた。
 帝国公主達による諜報活動を防ぎ、徹底的に防御を固めて証拠を集め、この難局を乗り切る。その上で帝国の背信を訴えるなりを行い今後の対帝国の政策を練る。それが反帝国派閥の多くの者の考えであり、反帝国派の王子の一人を国王に推戴しようとする動きも見られつつあった。

 しかし、反帝国派の中でも特に帝国と長年戦い続けてきた辺境王国軍や騎士団の一部の中には、王都が融和政策を取ろうとする態度に強い怒りを覚えるものも少なくなかった。永きに渡る戦争でもっとも大きな被害を被ったのは当然ながら帝国と境を接する辺境である。辺境に住まう者たちに対し、公主の色家に惑わされて講話を結ぼうとしているという風説が流され始めていたのである。長きに渡る戦の結果、恩賞すらも得られない可能性が浮上していたのである。
 加えて、辺境を拠点に活動する傭兵集団にとっても帝国との戦いが終わることは大きな食い扶持を失うことを意味した。彼らとしても帝国との戦いはまだ続けられる必要があった。帝国との戦いで功績を上げ、名誉的な爵位を得た傭兵も少なくない。まだその恩賞に預かっていない傭兵も大勢存在した。

 このために、一部の辺境の王国軍や騎士団と傭兵集団は密かに手を結んだ。辺境にて反乱を起こし、王都周辺まで上り親帝国派や公主を排除し、再び帝国との戦争を行うといったものであった。即ちクーデターの画策である。ここに、ついに辺境の一部による反乱が発生した。
 ただしこれは強い怒りの感情に駆られた結果の行動でもあり、あまり現実性を帯びたものではなかった。辺境の足並みも揃わず、散発的な反乱が繰り返され、王都周辺からは反乱鎮圧のために送り込まれた鎮定軍に鎮圧されるといった状態が続いている。傭兵集団も反乱側の旗色が悪いと見るや即座に裏切りを行うなど辺境は混乱を極めつつあった。

 傭兵集団や反乱軍によって辺境周辺の村落では作物や女子供の略奪が行われ、強制的な徴兵も行われつつある。帝国公主降嫁に対する意見の決裂により王国内部、そして辺境は大いに荒れることとなった。帝国と境を接した辺境で反乱を起こさなかったのは、カルネテル王家出身の辺境伯が治め、かつては帝国と熾烈な戦いを繰り広げていた最北の辺境伯領「レン」を代表とするごく僅かな領地であった。
 帝国はこの辺境の混乱に対し、静観を続けていた。自らは積極的に手出しすることなく、このような状況を望んでいたかのように。

 帝国公主降嫁による王国の政情の混乱は辺境の不穏という事態を招いた。
 辺境の反乱は結果的に小規模なものとなり、王国の国境を決定的に危うくするものには至っていないものの、王国側の状況は悪い。反乱の大部分は鎮圧されつつあるものの、王国としては辺境ばかりに兵を置くわけにもいかない。タナール砦周辺では未だに魔族との戦いが続けられ、ハテグの主戦場でも周辺諸国との散発的な戦闘が繰り広げられているためである。
 辺境鎮定後に新たに置かれた辺境守護の軍も暫定的なものとならざるを得なかった。帝国と境を接する辺境の守備は弱体化したと言えるだろう。反乱を起こさなかった北方辺境伯領「レン」などに対しては追加の兵が送られることはほとんどなかった。
 王都では未だ享楽的な風潮が続く中、日増しに親帝国派と反帝国派の亀裂は深まりつつあった。
 そのような中、帝国公主とその従者達による「九頭龍山脈御幸」の計画は進み、実行に移されようとしていた――

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